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8章 八日目 はじめての場所へ
8-7 はじめての時間の過ごし方
しおりを挟む俺たち3人は、香染に案内してもらい無事に若竹の出演するライブハウスに到達することができた。
残念ながら開演時間には間に合わなかったが、若竹のの出番まではまだしばらくあった。
その辺のシステムをあまりよく理解していなかった俺たちは、招待してくれた若竹のステージを見逃さずにすんでホッと胸を撫で下ろした。
そして俺の予想通り、香染の目的地もそこだった。
香染曰く、「将来のライバルたちだからね。ちゃんと情報収集しておかないと」だそうだ。
まあそれは口実で、ただ単にアイドルライブを見に来たかっただけだとは思うが。
「ミョーホントゥスケ! 化繊飛除去! ジャジャッ! ファイボ! ワイパー!!!」
「うおっ!」
受付を済ませ、ライブ会場に入った俺たちを妙な掛け声が出迎えてくれた。
「え? なに?」
「日本語……ですか?」
咲も麗美も戸惑っている。
俺はその手のことに詳しいであろう香染に視線を向けてみた。
「ふふーん。あれはミックスよ」
俺の視線になぜか勝ち誇ったような表情を浮かべながら、謎の言葉で説明する香染。
しかしながら俺たちには、その『ミックス』という言葉自体の意味がわからない。
俺がわかるのは、ホットケーキの素がそんな感じの名前だったということくらいだ。
ヒソヒソ声でさらに説明を続ける香染。
「ミックスは魂の雄叫びなの。ステージ上のアイドルに向かって、オタクたちが自分の命を振り絞りながら懸命に愛を叫ぶのよ」
「なるほど……わからん」
香染の説明してくれた内容はまったく意味がわからなかったが、それよりも俺には、ライブ中に声を潜める程度の常識が香染にあったことの方が驚きだった。
「でもね、私には一つだけ嫌いなミックスがあるの」
声をさらにひそめる香染。
そんな香染の声を背景に、ステージで歌い踊っている名前も知らないアイドルさんの曲が終盤を迎えつつある。
それまできらびやかだった照明が一転落ち着いたものになり、会場の雰囲気がガラリと変わる。
たぶん一旦落としてから、クライマックスに向かってさらに盛り上げたりするんだろう。
あまり音楽には詳しくない俺にも、そんな展開が予想できた。
しかし……。
「「「わ! わ! ワールドカオス!!!」」」
「は!?」
そんな雰囲気をぶち壊すように、オタクたちのダミ声が響き渡った。
しかしながらそれが通常営業であるかのように、ステージ上のアイドルさんたちはそのまましっとりと落ちサビを歌い上げた。
「さすがのアンタも少しはわかったでしょ? 私、あれだけは嫌いなの」
「でも、ファンの方たちとても楽しそうでしたよ?」
「うん。まさに魂の雄叫びって感じだった」
どうやら咲と麗美の見解は、香染の意見とは少し違っているようだった。
俺も、少しびっくりはしたがどちらかと言えば咲たちの方に賛成だ。
「俺にはよくわからないが、あれもアイドル現場……でいいんだっけか? 間違ってるとあれだから言い直すが、アイドルさんのステージ文化の一つじゃないのか?」
「ふ、ふんっ。なによわかったような口聞いて。とにかく私は、ワールドカオスは気に入らないのっ」
プリプリと怒りながら香染はステージ前のオタクたちをかき分けてどこかへ行ってしまう。
どうやら俺たちと一緒に一番うしろからステージを眺めるのはやめたようだ。
「なんか、いろいろあるんだな」
「うん」
複雑な表情を浮かべる俺と咲。
それとは対象的に、麗美は楽しそうだ。
「ふふふ、お祭りみたいでなんだか楽しそうです」
「まあ確かに。それはなんとなくわかる」
一見さんである俺にはわからない部分も多いが、たぶんこういう場所によく来る人たちにとっては、これもある種のお祭りみたいなもんなのだろう。
あのミックスとかいうのも、お神輿を担いだときのワッショイワッショイと同じようなものだ。たぶん。
「あ、美春ちゃんたち出てきたよ」
そんなこんなしているうちに、若竹たちのグループの出番になったようだった。
最後列から眺めている俺たちの目の前で、オタクさんたちの大移動がはじまる。
最前列の人たちが後方へ。そして後方で待機していたオタクさんたちが最前列へ。
「へー、ちゃんと入れ替わるんだ」
「あの大きな声にはびっくりしたけど、意外とマナーはちゃんとしてるんだね」
「まあじゃないとケンカになるだろうしな」
暗転していたステージに横一列に並んだ若竹のグループのメンバー。
確か、漆黒のなんとかって名前だったと思う。
その名前のとおり、衣装も黒で統一されていた。
「かっこいいね、衣装」
「そうだな」
ヒソヒソ声で咲が耳打ちしてくる。
となりでは麗美も、ウンウンと頷いていた。
オタクさんたちの人波の中に消えていった香染は、いつの間にか最前列の真ん中に陣取っていた。
「香染のやつアイドルグループやりたいって言ってたけど、結局はただのアイドルオタクなんじゃないのか?」
「いいんじゃない? そういうスタートでも」
「憧れの存在になりたいっていうのは、自然な欲求ですよ?」
「そういうもんか」
「そういうものです」
言われてみればまあ納得もできなくもなかった。
昼間うちに来た、鈴木さんだってそういう動機だったしな。
「漆黒のキャンドル……はじめます」
ステージ上に並んだ5人の真ん中……髪型からしてたぶん若竹が、マイクを構えて静かにそう言った。
「「「うおおおおおおおおおっっっ!!!」」」
照明が明るくなり、曲がスタートする。
その瞬間、前方のたぶん若竹のグループ(漆黒のキャンドルが正式名称らしい)のオタクの人たちがすごい勢いで声を上げ始めた。
「うわ……すごい……」
「人ってあんなに高く跳べるんですね」
ステージ前の柵に両手を添え、これでもかという勢いでピョンピョンと飛び続ける最前列の集団。
その後ろの2列目や3列目の人たちも、片手を上げて大声を出していた。
「タイギャー! ファイヤー! サイバー! ファイバー!」
「あれ、さっきと違う」
「いろいろ種類があるんですね」
「ああ」
そのあともオタクの人たちはいろいろな種類の合いの手(?)を入れていた。
意味がわかりそうなものもあれば、まったく意味のわからないもの。
単なる怪鳥音みたいなものから、ちょっと引いてしまうような長い口上。
そして、彼らの応援スタイルは飛んだり声を出したりするだけではなかった。
「うおっ。危ない」
「きゃっ」
「2人とも、なんかみんな動き出したぞ。下がろう」
「うん」
目の前のオタクさんたちの集団が、まるで1つの生き物であるかのように動き出した。
真ん中にポッカリと空間を作りながら円陣を組む。
そしてそのまま、回転をはじめた。
「なんだ……これ……」
「運動会みたいです」
「ライブって、すごいんだね」
「ああ」
若竹のグループの持ち時間はおよそ15分。
歌とダンスだけで15分なんて長くないかと思っていたけど、そんなことはまったくなかった。
これまで知らなかった文化とのふれあいは、あっという間に過ぎていく。
最後の方には、わからないながらも俺たちも手拍子をしながら小さく声を出したりしていた。
すべてのグループの出演が終わるころには、ややぐったりとしていた俺と咲。
なぜか麗美は逆に、来たときよりもいきいきしているように見えた。
まるで、電車やコンビニでテンションが上っているときのように。
もしかすると麗美は、こういうのに向いているのかもしれない。
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