黒柳悦郎は走ったり走らなかったりする

織姫ゆん

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12章 十二日目 不審者情報

12-9 今日は10回できた夜

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「腕立て開始ー」

スマホの向こうから聞こえてくる咲の声を合図に、俺は昨夜のようにまた腕立てをする。

「いーち」
「ふんっ!」
「にー」
「ふんっ!」
「さーん」
「ふんっ!」
「よーん」
「くふっ!」
「ごー」
「んおっ!」
「ろーく」
「くっ……ふんっ!」
「しーち」
「くうっ……うううっ……くっ!」
「はーち」
「うーうううううっ……くうっ!」
「きゅーう」
「うっ……くっ! ふぬぬううううんっ! くっ!」
「じゅうっ!」
「うぐぐぐぐぐぐ……ふんぬっ!」

バタンと床に倒れ伏す。

「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」
「やったじゃん。十回できたね!」
「お、おうよっ。やればできるってもんよ」
「あはは~。昨日はできなかったけどね」

いつものように就寝前にスマホの通話アプリで咲と話しながら、いつものように(といっても昨夜からだが)腕立てをする。

「うわー。腕がじんじんする」
「ねえねえ聞いて」
「ん?」
「実は、数えながら私も腕立てしてたんだー」
「なに?」
「不審者が出たら守ってあげるね」
「あのなあ」
「あはは~」

別にそんなに大した話題ではないのだが、結局今日の俺たちは朝から晩まで不審者の話でそれなりに盛り上がってしまった。
なんでもない日常にとっては、このくらいのことでもやはりそれなりのイベント。
もっと大きな事が起こってしまえば別だが、不審者がいるかもしれないというのはやはり俺たちみたいな何も起きないことが日常みたいな人間からすると、ちょっとした出来事なのである。
なーんつって。

「ねえねえ。今日は腹筋もしておく?」
「いや無理。もう動けない」
「そっか。じゃあそっちは私だけやっておくね」
「え? お前腹筋なんかできるの?」
「できるよ~。っていうか、太らない程度にはいつも身体動かしてるから」
「そうだったのか……」

知っているようで知らない幼なじみの話。
っていうか、それを言うなら家族のことですらまだまだまだ知らないことはたくさんだ。

「そのうち部活でジョギングとかはじめたりして」
「それもうオカルト研究部じゃないだろ」
「フィールドワークのためには体力が必要だから、とか」
「まあ、物は言いようか」
「あははー」

咲と過ごすなんでもない就寝前のちょっとした時間。
結局はいつものようにまったりとしたものになり、いつものように眠気が俺に襲いかかってくる。

「ふわ~……そろそろ眠くなってきた」
「うん。私ももうそろそろかな」
「今日は宿題もないし、とっとと寝るか」
「そうだね。宿題はちゃんとやったから、もう寝ようか」
「え?」
「ん?」
「お前いま……」
「あはは~、それじゃあおやすみっ」
「おいっ」

スマホの向こうからは、咲が立ち上がり椅子が軋む音や、歩み去る咲のわずかな足音が聞こえてくる。
そして、ベッドに入る咲の衣擦れの音。
パチパチと部屋の照明を消す音がして、カーテンの向こうの部屋の明かりが消える。

「宿題……あるのか?」

咲のひと言で不安にかられ、どうにか思い出そうとしてみたが俺の記憶の中にはこれっぽっちもそんな情報は残っていなかった。

「まあ……いいか」

そして俺は最終手段、諦めるを発動する。
覚えていないものはどうしようもない。
覚えていない宿題はやりようがない。
開き直った俺はベッドへ潜り込み、今日も安らかな睡眠の中へと意識を落下させていった。

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