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冬湖に横たわる影
しおりを挟む朝の湖は、霧に覆われて静かだった。
いつもより、世界が遠く感じる。
俺、エリオ。19歳。村の外れで畑を一人で守っている。
親が病で亡くなってから、もう何年も経つ。
それ以来、毎日を淡々とこなしてきた。騒がしいことは苦手で、ただ静かに生きるのが性に合っている。
今日も水を汲みに湖へ向かったら……そこに、少女がいた。
白い服を着て、岸辺に倒れている。
一瞬、息を呑んだ。
死んでいるのかと思ったが、近づいて胸の動きを確認する。
微かだが、息はある。
触れた頬は、冷たい朝の空気の中で、不思議と温かかった。
「……大丈夫か」
声をかけるが、返事はない。
仕方なく、そっと抱き上げた。
軽い。
あまりにも軽くて、壊れ物のように思えた。
この細い体を抱えていると、折れてしまいそうな気がして、腕に静かに力を込めた。
家まで運んで、布団に寝かせた。
囲炉裏に火を入れ、薬草を丁寧に煮出す。
婆ちゃんから教わった、消化のいいスープだ。体を温め、力を与えるもの。
どれくらい時間が経っただろう。
少女が、ゆっくりと目を開けた。
天井をじっと見つめ、瞬きを繰り返す。
まるで、この世界を一つずつ、確かめているようだった。
「……ここは……?」
掠れた声。
透き通っていて、どこか儚い。
「俺の家だ。湖で倒れていたから、運んできた」
彼女が体を起こそうとして、ふらつく。
反射的に肩を支えると、彼女は少しだけ目を大きくした。
驚きと、戸惑いが混じった表情。
少しの沈黙の後、彼女は小さく言った。
「アリエル……私の名前は、アリエル」
湖のほとりで倒れていた理由は、覚えていないらしい。
記憶がぼんやりと霞んでいるという。
その瞳を見ていると、何も追及できなくなった。
無理に掘り起こすのは、酷いことのように思えた。
「俺はエリオ。畑をやっている。……一人暮らしだ」
それ以上は聞かなかった。
アリエルの視線が、遠くの湖の方を、静かに探している気がしたから。
腹が空いているだろうと思い、スープを椀に注いで差し出した。
アリエルは、スプーンを見て固まる。
そのまま、両手で椀を抱え、音を立てて飲んだ。
「ぷはっ……」
無垢な仕草に、思わず口元が緩んだ。
「……そうやって飲むのか」
静かに呟くと、アリエルが首を傾げる。
スプーンが、まるで未知のもののように見えているようだ。
「いや……構わないよ」
穏やかに笑って、ごまかした。
だが、心の奥で、何かが小さくざわついた。
この子は、ただの迷子じゃない。
何か、深いものを抱えている気がする。
スプーンの持ち方を、ゆっくり教えた。
「こう、親指と人差し指で挟んで……中指で支えるんだ」
アリエルは、真剣な目で何度も繰り返す。
こぼしては、やり直す。こぼしては、やり直す。
不器用だが、決して投げ出さない。
その一生懸命さが、胸に染みた。
(アリエル……お前は何者だ?
この出会いが、俺の静かな日々に、何をもたらすのか……)
スープをもう一杯注ぎながら、そんな思いが浮かんだ。
彼女の小さな手が、スプーンを握りしめる。
その指先が、わずかに震えていた。
……この子を、守らなければならない。
そんな確信が、静かに胸に根付いた。
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