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1日目
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フロリダ州のうだるような熱気と湿度が、分厚いコンクリートと鋼鉄の扉によって完全に遮断された空間。それが、私が現在「所属」しているこの場所だ。
歴史的な街並みで観光客を惹きつける北のサン・アグスティアと、モーターカーの爆音とビーチリゾートで知られる南のデルトナ・コースト。
この施設は、その二つの巨大な都市のちょうど中間に位置するフラグメント郡にある 。
ここは観光客の通り道であり、同時に内陸に広がるアーモンド畑や酪農場を抱える農業地帯でもある 。そのため、ここには実に多種多様な人間が流れ着く。メキシコから北へ向かう違法な薬物の運び屋、羽目を外しすぎたスプリングブレイクの大学生、あるいは日々の生活に疲れ果てて隣人とトラブルを起こした地元の住民たちだ 。
私たちの郡の保安官は、一種のブラックユーモアを込めて、この巨大なコンクリートの塊を「グリーン・ルーフ・イン(緑の屋根の宿)」と呼んでいる 。
エントランスにはご丁寧にその名の看板まで掲げられているが、もちろん、ここを好んで予約する客は一人もいない。
この「宿」に足を踏み入れた瞬間、外の世界の肩書きはすべて無意味になる。
警察官の身内であろうと、現役の法執行官であろうと、軍隊の人間であろうと、あるいはプロのアスリートであろうと関係ない 。誰もが皆完全に平等に扱われ、同じ厳格な手続きを踏まなければならないのだ 。
「黄色い線の内側に立て」
「壁を向いて、足を広げろ」
「動くなと言っているのが聞こえないのか」
毎日、24時間、絶え間なく響き渡る無機質な命令の声 。
新しくやってきた「宿泊客」たちは、まず壁に手をつかされ、徹底的なボディチェックを受ける。靴紐を抜かれ、ベルトを外され、ポケットの中身――財布、スマートフォン、鍵、そしてこれまでの人生の証明――をすべて透明なプラスチックバッグの中に没収される。彼らの手首に食い込んでいた冷たい金属の感触が外される頃には、誰もがひどく怯えた目をするか、あるいは虚勢を張って大声で文句を言い始めるかのどちらかだ。
今日の私のシフトも、実にバラエティに富んだ顧客たちの対応から始まった。
午前中に案内されてきたのは、今日がちょうど37歳の誕生日だというサラという女性だった 。彼女は美しいワンピースを着ていたが、その顔は怒りと絶望で歪んでいた。容疑は「放火」である 。
彼女は受付のカウンター越しに、泣き叫ぶように自分の無実を訴え続けていた。
「週末はずっとサン・フランシアにいたのよ! 写真だって何枚も撮ったし、そこには日付も時間も記録されてる! なのに、どうして私が家に火をつけられるっていうの?」 。
彼女の話によれば、すべては頭のおかしい隣人たちの陰謀だという。2、3週間前、彼女のボーイフレンドが隣人の犬を蹴ったという言いがかりをつけられて以来、嫌がらせが始まったらしい 。郵便物を盗まれ、玄関のドアには犬や猫のフンを塗りたくられ、庭にはゴミや落ち葉をばら撒かれたという 。
「私が気にかけているのは、神様と、教会と、自分の家族と、最近飼い始めたばかりの子猫だけよ! 隣人のことなんてこれっぽっちも興味ないのに!」 。
しかし、彼女がどれだけ潔白を主張しようと、令状が出ている以上、我々にはどうすることもできない。彼女の誕生日パーティの会場は、冷たいベンチの上に変更された。
彼女は何度も両親に電話をかけようとしていたが、保釈金は5万ドルに設定されており、電話の向こうの家族を説得するのには時間がかかりそうだった 。
彼女が泣き疲れてベンチの隅で丸くなっている頃、今度はひどく落ち込んだ様子の若い男が連れてこられた。
デリック、20歳 。彼の容疑は「犬の窃盗」だという。
彼の手続きを進める間、私は彼から事情を聞いた。数ヶ月前、ルームメイトの知人女性から一匹の犬を譲り受けたのだという 。彼はその犬に「ウルフ」と名付け、初めての自分の犬として愛情を注いで育てていた 。
しかし最近になって、その女性が突然「犬を返せ」と言い出し、挙げ句の果てに被害届を出したのだという 。
「あの子は俺の犬なんだ。俺の家族の一部なのに……」
彼の父親は保安官代理として働いているらしく、裁判で必要な書類の揃え方などは教えてくれるそうだが、ここでは何の特権にもならない 。父親がこの施設の職員であったとしても、特別扱いはされず、別の施設に移送されるだけの話だ 。
デリックは「この数時間が、まるで何年にも感じられる」と呟きながら、ただ床の模様を見つめていた 。
この施設での時間の流れ方は、外の世界とは全く違う。時計の針は泥水の中を進むように重く、遅い。
夕方になり、今度は見慣れた顔がやってきた。常連客のマーカスだ。彼は地元のチャイニーズレストラン「パンダ・エクスプレス」で泥酔し、意識を失って客に絡んでいたところを保護されたのだ 。
彼は決して暴力的な男ではない。ただ、信じられないほどフレンドリーで、誰にでも話しかけ、そして最高に人をイライラさせる性質を持っているだけだ 。
「俺の家族はな、数十億ドルの資産があるんだぞ! わかるか? ビリオンだ!」 。
千鳥足でそんな寝言を喚き散らす彼に対し、職員たちは慣れた手つきで靴を脱がせ、ベンチに座らせた 。彼のような泥酔客をすぐに外へ放り出すわけにはいかない。自分の足で歩けず、車に轢かれたりトラブルに巻き込まれたりする危険があるからだ 。
酔いが覚めるまで、ここで保護する義務がある。私は彼に水分補給のためのゲータレードと、熱を持った頬を冷やすための保冷剤を手渡した 。彼は文句を言いながらもそれを受け取り、やがて大きないびきをかき始めた。
夜が更けるにつれ、施設の空気はさらに冷え込んでいく。ここはエアコンが容赦なく効いており、薄着で連行されてきた者たちにとっては冷蔵庫の中にいるようなものだ 。
そんな凍りつくような空気の中、ひときわ異彩を放つ「大物」が到着した。ヘイリーという若い女性だ。彼女の容疑は、なんと37ポンド(約16キロ)ものマリファナの不法所持と流通目的の疑いだった 。
事の顛末はあまりにも馬鹿げている。彼女の姉妹が駐車場のドメスティック・トラブルで警察署に駆け込んだ際、持ち込んだ大きな箱の中に、ヘイリーのファーストネーム宛に配達された大量の薬物が入っていたのだという 。
ベテランの警察官でさえ、
「警察署の玄関に大量の麻薬が自ら配達されてきたのは初めてだ」と呆れるほどの珍事だった 。
最低でも5年の実刑が下る可能性がある重罪だというのに 、ヘイリーはどこ吹く風だった。彼女は自分が置かれている状況を全く理解していないのか、あるいは理解した上で完全に壊れてしまったのか、信じられないほどハイテンションで喋り続けていた。
「ねえ、マグショット(逮捕写真)を撮るんでしょ? エアブラシで肌を綺麗に修正してくれない? 最高の光を当ててよ!」 。
彼女は指紋採取のカメラに向かって、まるでファッションショーのキャットウォークを歩くモデルのようにポーズを決めた 。
「泥の中に顔から突っ込んだとしても、私はそこに光を見つけるわ。どんな状況でも美しさを見出さなければ、人生は常に失望で終わってしまうもの」 。
彼女はそんな哲学めいた言葉を口にして笑った。彼女はまだ知らないのだ。これから彼女に与えられるのが、鮮やかなオレンジ色の、ひどく着心地の悪い統一規格の服であることを 。その服に袖を通した瞬間、誰もが個性と幸福感を奪われ、ただの「番号」へと成り下がることを 。
ここへ来る者たちの反応は、本当に千差万別だ。サラのように絶望して泣き叫ぶ者、デリックのように静かに後悔を噛み締める者、マーカスのように現実から逃避する者、そしてヘイリーのように狂ったように笑う者。
私たちは彼らを、ピンク色の安っぽい石鹸で手を洗わせ 、緑色のセンサーボックスに指を押し当てさせて指紋をデジタルスキャンし 、赤い足跡のマークの上に立たせて写真を撮る 。
やがて彼らは、この一時的な待合室から、さらに奥の、本当の「個室」へと案内されていく。そこで彼らを待っているのは、外からは絶対に開かない重厚な扉と、窓のない息の詰まるような空間だ 。
時計の針が深夜の3時を回った。
「グリーン・ルーフ・イン」の夜は終わらない。私は静かに息を吐き、カウンターの上の書類を整える。
これからまた、私の「シフト」が続くのだ。明日の朝が来ても、明後日の朝が来ても、この無機質な蛍光灯の下で、同じように彼らを迎え入れる日々が続いていく。
歴史的な街並みで観光客を惹きつける北のサン・アグスティアと、モーターカーの爆音とビーチリゾートで知られる南のデルトナ・コースト。
この施設は、その二つの巨大な都市のちょうど中間に位置するフラグメント郡にある 。
ここは観光客の通り道であり、同時に内陸に広がるアーモンド畑や酪農場を抱える農業地帯でもある 。そのため、ここには実に多種多様な人間が流れ着く。メキシコから北へ向かう違法な薬物の運び屋、羽目を外しすぎたスプリングブレイクの大学生、あるいは日々の生活に疲れ果てて隣人とトラブルを起こした地元の住民たちだ 。
私たちの郡の保安官は、一種のブラックユーモアを込めて、この巨大なコンクリートの塊を「グリーン・ルーフ・イン(緑の屋根の宿)」と呼んでいる 。
エントランスにはご丁寧にその名の看板まで掲げられているが、もちろん、ここを好んで予約する客は一人もいない。
この「宿」に足を踏み入れた瞬間、外の世界の肩書きはすべて無意味になる。
警察官の身内であろうと、現役の法執行官であろうと、軍隊の人間であろうと、あるいはプロのアスリートであろうと関係ない 。誰もが皆完全に平等に扱われ、同じ厳格な手続きを踏まなければならないのだ 。
「黄色い線の内側に立て」
「壁を向いて、足を広げろ」
「動くなと言っているのが聞こえないのか」
毎日、24時間、絶え間なく響き渡る無機質な命令の声 。
新しくやってきた「宿泊客」たちは、まず壁に手をつかされ、徹底的なボディチェックを受ける。靴紐を抜かれ、ベルトを外され、ポケットの中身――財布、スマートフォン、鍵、そしてこれまでの人生の証明――をすべて透明なプラスチックバッグの中に没収される。彼らの手首に食い込んでいた冷たい金属の感触が外される頃には、誰もがひどく怯えた目をするか、あるいは虚勢を張って大声で文句を言い始めるかのどちらかだ。
今日の私のシフトも、実にバラエティに富んだ顧客たちの対応から始まった。
午前中に案内されてきたのは、今日がちょうど37歳の誕生日だというサラという女性だった 。彼女は美しいワンピースを着ていたが、その顔は怒りと絶望で歪んでいた。容疑は「放火」である 。
彼女は受付のカウンター越しに、泣き叫ぶように自分の無実を訴え続けていた。
「週末はずっとサン・フランシアにいたのよ! 写真だって何枚も撮ったし、そこには日付も時間も記録されてる! なのに、どうして私が家に火をつけられるっていうの?」 。
彼女の話によれば、すべては頭のおかしい隣人たちの陰謀だという。2、3週間前、彼女のボーイフレンドが隣人の犬を蹴ったという言いがかりをつけられて以来、嫌がらせが始まったらしい 。郵便物を盗まれ、玄関のドアには犬や猫のフンを塗りたくられ、庭にはゴミや落ち葉をばら撒かれたという 。
「私が気にかけているのは、神様と、教会と、自分の家族と、最近飼い始めたばかりの子猫だけよ! 隣人のことなんてこれっぽっちも興味ないのに!」 。
しかし、彼女がどれだけ潔白を主張しようと、令状が出ている以上、我々にはどうすることもできない。彼女の誕生日パーティの会場は、冷たいベンチの上に変更された。
彼女は何度も両親に電話をかけようとしていたが、保釈金は5万ドルに設定されており、電話の向こうの家族を説得するのには時間がかかりそうだった 。
彼女が泣き疲れてベンチの隅で丸くなっている頃、今度はひどく落ち込んだ様子の若い男が連れてこられた。
デリック、20歳 。彼の容疑は「犬の窃盗」だという。
彼の手続きを進める間、私は彼から事情を聞いた。数ヶ月前、ルームメイトの知人女性から一匹の犬を譲り受けたのだという 。彼はその犬に「ウルフ」と名付け、初めての自分の犬として愛情を注いで育てていた 。
しかし最近になって、その女性が突然「犬を返せ」と言い出し、挙げ句の果てに被害届を出したのだという 。
「あの子は俺の犬なんだ。俺の家族の一部なのに……」
彼の父親は保安官代理として働いているらしく、裁判で必要な書類の揃え方などは教えてくれるそうだが、ここでは何の特権にもならない 。父親がこの施設の職員であったとしても、特別扱いはされず、別の施設に移送されるだけの話だ 。
デリックは「この数時間が、まるで何年にも感じられる」と呟きながら、ただ床の模様を見つめていた 。
この施設での時間の流れ方は、外の世界とは全く違う。時計の針は泥水の中を進むように重く、遅い。
夕方になり、今度は見慣れた顔がやってきた。常連客のマーカスだ。彼は地元のチャイニーズレストラン「パンダ・エクスプレス」で泥酔し、意識を失って客に絡んでいたところを保護されたのだ 。
彼は決して暴力的な男ではない。ただ、信じられないほどフレンドリーで、誰にでも話しかけ、そして最高に人をイライラさせる性質を持っているだけだ 。
「俺の家族はな、数十億ドルの資産があるんだぞ! わかるか? ビリオンだ!」 。
千鳥足でそんな寝言を喚き散らす彼に対し、職員たちは慣れた手つきで靴を脱がせ、ベンチに座らせた 。彼のような泥酔客をすぐに外へ放り出すわけにはいかない。自分の足で歩けず、車に轢かれたりトラブルに巻き込まれたりする危険があるからだ 。
酔いが覚めるまで、ここで保護する義務がある。私は彼に水分補給のためのゲータレードと、熱を持った頬を冷やすための保冷剤を手渡した 。彼は文句を言いながらもそれを受け取り、やがて大きないびきをかき始めた。
夜が更けるにつれ、施設の空気はさらに冷え込んでいく。ここはエアコンが容赦なく効いており、薄着で連行されてきた者たちにとっては冷蔵庫の中にいるようなものだ 。
そんな凍りつくような空気の中、ひときわ異彩を放つ「大物」が到着した。ヘイリーという若い女性だ。彼女の容疑は、なんと37ポンド(約16キロ)ものマリファナの不法所持と流通目的の疑いだった 。
事の顛末はあまりにも馬鹿げている。彼女の姉妹が駐車場のドメスティック・トラブルで警察署に駆け込んだ際、持ち込んだ大きな箱の中に、ヘイリーのファーストネーム宛に配達された大量の薬物が入っていたのだという 。
ベテランの警察官でさえ、
「警察署の玄関に大量の麻薬が自ら配達されてきたのは初めてだ」と呆れるほどの珍事だった 。
最低でも5年の実刑が下る可能性がある重罪だというのに 、ヘイリーはどこ吹く風だった。彼女は自分が置かれている状況を全く理解していないのか、あるいは理解した上で完全に壊れてしまったのか、信じられないほどハイテンションで喋り続けていた。
「ねえ、マグショット(逮捕写真)を撮るんでしょ? エアブラシで肌を綺麗に修正してくれない? 最高の光を当ててよ!」 。
彼女は指紋採取のカメラに向かって、まるでファッションショーのキャットウォークを歩くモデルのようにポーズを決めた 。
「泥の中に顔から突っ込んだとしても、私はそこに光を見つけるわ。どんな状況でも美しさを見出さなければ、人生は常に失望で終わってしまうもの」 。
彼女はそんな哲学めいた言葉を口にして笑った。彼女はまだ知らないのだ。これから彼女に与えられるのが、鮮やかなオレンジ色の、ひどく着心地の悪い統一規格の服であることを 。その服に袖を通した瞬間、誰もが個性と幸福感を奪われ、ただの「番号」へと成り下がることを 。
ここへ来る者たちの反応は、本当に千差万別だ。サラのように絶望して泣き叫ぶ者、デリックのように静かに後悔を噛み締める者、マーカスのように現実から逃避する者、そしてヘイリーのように狂ったように笑う者。
私たちは彼らを、ピンク色の安っぽい石鹸で手を洗わせ 、緑色のセンサーボックスに指を押し当てさせて指紋をデジタルスキャンし 、赤い足跡のマークの上に立たせて写真を撮る 。
やがて彼らは、この一時的な待合室から、さらに奥の、本当の「個室」へと案内されていく。そこで彼らを待っているのは、外からは絶対に開かない重厚な扉と、窓のない息の詰まるような空間だ 。
時計の針が深夜の3時を回った。
「グリーン・ルーフ・イン」の夜は終わらない。私は静かに息を吐き、カウンターの上の書類を整える。
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