悪役令嬢と魔王

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王子とマイア

⑫悪役令嬢への道

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 数時間前にさかのぼる。

 晩餐での王子の暴言に、マイアは、怒りがおさまらなかった。これまで虐げられたハイバン人が、先祖のマーガレットや魔王によって、救われたと思っていた。アルバーン公爵家は、その意思を継いで、これまでハイバンの人達のために尽くしてきたのだ。

 それをいまだに同じ人間とみなさず、まるで虫ケラのように考える王子は、とても許せなかった。このように考えるのは、王子だけではないことは知っている。中央部や東部にも差別的な考えをもっている者はいるだろう。もしかしたら、西部にもいるのかもしれない。

 ただ、それを面と向かって言われて、耐えられるほど大人ではない。ただ、貧しいところに生まれたというだけで、なぜこれほど差別されなければならないのか。同じ手も足も、頭もついている、同じ人間ではないか。

(ゼウスト様……)

 マイアは、唇を噛みしめながら、小さい時から肌身離さず持っている絵本を胸に抱き締めた。

 魔王ゼウストが、王都を攻め、アロハ国を滅ぼす。そんな悪の魔王から、アルバーン公爵家の先祖であるマーガレットが、国を守る。時の為政者が、勝手に作り出した伝承だ。

 魔王がこれを読んだらどう思うだろう。怒り狂うだろうか。優しい魔王のことだから、きっと鼻で笑うに違いない。マイアはそう思っている。でも、もし、今この場にいたら、烈火の如く怒るだろう。アロハ国の者達が、ハイバン帝國の人達に残虐非道を行ったため、激怒してアロハ国を滅ばしたときのように。

 王子は、ハイバン帝國の交易を要求した。王家が、ハイバン帝國との交渉を独占すれば、これまでアルバーン公爵家が行ってきた食料や薬の支援はどうなるのか。

 それどころか、300年前以前のように、食料や薬と引き替えに、ハイバン人が奴隷のように扱われるようになることは目に見えている。

 机の引き出しに入れていた手紙を取り出した。つい先日、姉のローラから届いた手紙だ。もう何度も何度も読み返している。

 そこへ、ドアがノックされ、王子が連れて来た侍女が挨拶に来たが、待たせることにした。頭と気持ちを整理するためだ。

 今マイアも、アルバーン公爵家も、そして、エイジス国やハイバン帝國でさえ、岐路にきている。マイアには、選択を誤れば、最悪な事態になることが見えていた。

(まだ、わたしやアルバーン公爵家だけならいい。だが、これ以上の人々が不幸になるのだけは避けなければ)

『最も敬愛する親友達へ

 ローラ、それにロディー。君たちに手紙を書くのは、結婚式直前以来か。本来なら、君たちが約束をしたソート国への招待は、まだかと催促する手紙を書くべきところなのだろうが、今それどころではないのが残念だ。

 君たちの結婚式は本当に素晴らしかった。ロディーが、結婚を諦め、絶望に苦しんでいるところを近くで見ていたから、なおさら、君たち二人が、心から幸せそうにしているの姿を見て、心から喜んだよ。それと同時に、ぼくにも、こんな幸せが掴みたいと、心の奥底からそう思ったものだ。

 幸い、ぼくには、世界で誰よりも愛するアリスがいた。社交界では絶世の美女と呼ばれているが、そんなことはどうでもいいんだ。君たちも知っているとおり、トロいところもあるし、ドジなところもある。でも、それ以上に真っ直ぐで、思いやりがあって、芯が強い。もしかしたら、ぼくよりも、心は強いのかもしれない。いや、強くあって欲しいという願望だろうか。

 ぼくが、彼女と婚約して、婚約指を渡し次の日。悪夢がやってきた。

 アリスが、王宮に行ってから帰ってこない。もう頭が真っ白になったよ。自分でもおかしいくらいに動揺して、気が狂いそうだった。

 アリスの父親であるハリス男爵と一緒に、アリスを取り戻しに王宮にいって、事情が分かった。犯人は、オースティン王子のクソ野郎だった。あいつが、アリスを無理矢理王宮に来させ、自分のものにしやがった。ぼくの最も大切な人を奪いやがったんだ。分かるだろう、この悔しさが。

 昔、何の本だったか忘れたが、「目から血の涙が……」というのを読んで何て大袈裟なと思っていた。でも、今ぼくは、血の涙が出ている。お大袈裟ででもなんでもない。出るんだな、血の涙って。

 愛する彼女が、あのゲスな男に玩具にされているかと思うと、自分がおかしくなりそうなんだ。今すぐにでも助けたいのに、助けられない自分が情けなくて、悔しくて。自分の無力さに、自分で自分に腹が立つ。

 なぁ、ローラにロディー。僕たち、親友だよな。ずっと仲良くしていこうとって誓った仲だよな。

 アリスを助けたい。何としても助けたい。もし必要なら、ぼくの命を差し出してもいい。君たち二人の力を貸してくれないか。今信頼できるのは君たちしかいないんだ。

 ぼくの父親も、反逆罪として捕まった。ぼくも男爵も同じ牢に捕まっている。この手紙は、アリスが、僕たちのために牢まで来て届けてくれたものだ。彼女は何も言わないが、心はズタズタのはずだ。ぼくに会うとき、毎回今にも死にそうなつらい顔をしている。そんな彼女を見るのがつらい。胸が張り裂けそうに痛い。

 どうかこの苦しみから、救ってくれ。頼む。
                                       レオン

 追伸
 恐らくすべてを牛耳っているのは、宰相だ。東部だけでなく中央部もすでに彼の手に落ちているかもしれない。次は、ローラの故郷である西部だ。必ず手を伸ばしてくるだろう。妹のマイアに警告しておいた方がいい。

 ソート国でなんて贅沢は言わない。いつかぼくとアリス、そしてロディーとローラ。四人で会える日を楽しみにしている。』

 手紙をもつ手に力が入る。ロディーの絶望と悲しみと切実さがひしひしと手紙からは伝わってきた。何度読んでも、胸が痛くなる。

 レオンの手紙とは別にローラの手紙も入っていた。そこには、ソート国からエイジス国に干渉しようにも、ソート国の大貴族の一人が強行に反対し、できないでいること、エイジス国の宰相とその大貴族が裏で繋がっているのではないかということが書いてあった。最後に一縷の望みを託して、レオンの手紙とともに、マイアに手紙を送ったと結んでいる。

 蛇の道は蛇。悪は悪。すでに宰相は、隣国にも手を打っていたということか。欲望と快楽という強大な唾棄すべき力が、あちこちで根を下ろし、平凡な生活と小さな幸せに食らい尽くしている。それが、ますます勢力を拡げている。

 世の中は理不尽だ。ただ、平凡に幸せを望んでいただけなのに、平気でそれを奪っていく。そして、それを何とも思わない。まるで、弱いおまえが悪いとも言わんばかりだ。弱い者は、項垂れて絶望して地べたを這いずり回るしかないのか。

 二年前の姉のローラのときを思い出す。ローラが、牙を剥いたガストン伯爵に半ば強引に婚約されたときのローラの絶望と苦しみ。あのとき、自分が、すべての悪役を引き受けようと誓った。どうやら、それは今も続けなければならないようだ。

 アルバーン公爵家は、すでに詰んでいる。マーガレットが築き、300年の歴史が消えようとしている。自分も同じ運命を辿るだろう。それならば、悪役令嬢として、できるだけ足掻くだけだ。

(マーガレット様、ごめんなさい。でも、やれることはやってみます。それから……魔王ゼウスト様、わたしを助けて)

 再び、ぎゅっと絵本を抱き締めた。不思議とこうしていると、小さい頃からほっとできた。怒りも悲しみもスゥーっと消え、冷静な自分に戻る。

(まずは、アリスさんを助ける。そして……)

 これから最も険しい道を進んでいくことになる。領民からも、西部やエイジス国の者達からも恨まれ、罵られるだろう。悪の魔王と呼ばれたゼウストのように。それも覚悟の上だ。

「わたしは悪役令嬢なのだから……」

 そう呟くと、便箋を取り、ガストン伯爵への手紙を書き始めた。
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