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第1章 春
1. (Rena side)
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———懐かしい、夢を見た。
柔らかな光が降り注ぐ、暖かい春の午後。
色とりどりの花が咲き乱れる庭を、蝶を追いかけて2人で裸足で走り回った。
疲れたね、と緑の芝生の上に一緒に寝転がる。
見上げた空はとても澄んでキレイで…
隣に並んでいる私達は、顔を見合わせて微笑み合った。
「…奈、玲奈!」
突然降ってきた私を呼ぶ声に、驚いて目を開ける。
「もう起きないと。遅刻するよ」
見開いた私の目に映ったのは、芝生に寝転んで私を見て微笑んだ、あの時と同じ眼差し。
「伶……」
ぽつりと名前を呼んだけれど、頭がぼやけてそれ以上は言葉にならなかった。
「どうしたの?寝ぼけてるの?」
ベッドサイドに腰掛けている伶は、そんな私を見て笑う。
「小さい頃の、夢を見てた。キレイな花がたくさん咲くお庭があるおうちに住んでた時の」
「5歳くらいの時だっけ。…なつかしいね」
私が話し終わると同時に、伶はスッと立ち上がって、背を向けたままそう言った。
その口調は穏やかだったけど、さっきまでとは声のトーンが違う。
少しだけ冷たいような、寂しいような…悲しみを帯びた声だった。
どうしよう…
思い出したくないこと、言っちゃったかな?
私が何も言えないでいると、伶はそのまま部屋を出て行く。
背中を見つめる私に気が付いたのか、ドアを閉める前に伶は振り向いてこっちを見た。
「早く準備しなよ」
そう言ってくれた時には、私を起こしにきた時の声に戻っていて、その表情も優しかった。
よかった…
パタンとドアの閉まる音を聞きながら、ほっと胸を撫で下ろす。
伶は、小さな頃からとても優しかった。
私に対して怒ったことは一度もない。
喧嘩もしたことない。
穏やかで、頼もしくて、我慢強い。
私の自慢の、双子のお兄ちゃん。
昔から、一切、負の感情を見せないから、
見せないようにしてくれてるから、
無理してないかな?
我慢してないかな?
って、
私は声の調子で伶の気持ちを判断するようになっていた。
「玲奈~?間に合わなくなるよー!」
廊下から聞こえてきた伶の声で、ハッと我に返る。
学校に行く準備しなくちゃ!!
女の子の朝は時間がかかる。
着て行く服は制服だけど、メイクして、髪を巻いて。
1番キレイなワタシになる。
メイクを覚えたのは、高校生になる前の春だった。
塞ぎ込んでいた私を見兼ねて、ママが教えてくれたの。
『少しだけ大人になった気分になれるよ!違う自分になるの、やってみない?』
そう言ってにっこり笑うママに乗せられたのが始まり。
実際、ママの言う通り、違う自分になれた気がした。
泣き虫で弱い心の自分を隠して、見せかけの仮面をつけるような感覚。
これ以上、傷つかないように。
誰からも傷つけられないように。
メイクで自分を偽って、武装してから出かける。
「…よしっ!」
鏡に映る自分を見つめて、少しの隙もないことを確認すると、外の世界に出るために気合を入れた。
パタパタとリビングへ駆け込むと、ちょうどママが私の分の朝食をテーブルに並べてくれているところだった。
「玲奈おはよう」
すでに朝食を終えてコーヒーを飲んでいたパパが、一番に気づいて声をかけてくれる。
「おはよう、パパ、ママ」
「おはよう。玲奈、早くごはん食べないと、新学期から遅刻になっちゃうわよ」
ママに言われて、急いでテーブルに着く。
隣に座っている伶は、もうすぐ食べ終わるところだった。
「伶、玲奈」
並んで朝食をとっている私たちを見ながら、向かいに座っているパパが口を開く。
「今日からまた2週間ほど留守にするから。戸締りしっかりして、ケガとかしないように過ごしてね」
「2週間どこいくの?」
伶がパパに質問する。
「ドイツに戻って、各地に遠征かな。何かあればすぐに連絡して」
「わかった」
ふたりのやりとりを、私は朝食を食べながら黙って聞いていた。
パパとママは音楽家で、コンサートなどでしょっちゅう家を空ける。
パパはピアニストで、ママはヴァイオリニスト。
私たちは3年前までドイツに住んでいて、ふたりは今でもそっちを拠点にしている。
パパとママがいない時は、伶とふたりきり。
2人きりで過ごすのは、慣れている。
職業柄、パパもママも昔から留守がちだから。
だけど。
3年前のあの日から…
私と伶の関係はガラリと変わってしまった。
もちろん、伶は今でも優しい。
何でも出来るし頼りがいもある。
でも……
「玲奈、いそぐよ!」
のんびり屋の私を伶が急かす。
「ちゃんと準備してる?忘れ物ない?」
「大丈夫」
玄関先での私たちのやりとりを見て、ママがクスクスと笑う。
「伶のほうが、わたしよりママみたい!玲奈は伶がいれば安心ね」
「うん。そうだよ」
私も笑顔をつくって答えた。
「2人とも、いってらっしゃーい!気をつけてね~」
元気なママの声に押されて、玄関を出た。
一歩踏み出す外の世界。
今朝見た夢と同じような、暖かい春の日差し。
緑の木々に色とりどりの花。
だけど、
今現実にみえている世界は、夢で見たキラキラした世界と打って変わって、どんよりとグレーがかってみえる。
3年前のあの日から、私の目に映る世界はとてもつまらないものになってしまった。
半歩先を歩く伶の背中を見ながら、ぼんやりと考える。
さっきママが言った通り、伶がそばにいてくれたら、
安心できる。
守ってもらえる。
何も心配いらない。
でも…
もう昔みたいに無邪気にくっついていられないの。
隣に並んで、手を繋いで、伶のことしか見ずに甘えることはできないの。
たった半歩だけど、あの日を境にできてしまったこの伶との距離が、私の心をギュッと苦しめた。
私たちが通う高校は、自宅から徒歩20分。
その途中で、小さい頃からの親友と合流して向かう。
「おはよー!ふたりとも」
いつもの待ち合わせの場所、私と伶を見つけた透は大きく手を振りながら明るい笑顔をくれた。
「朝から元気だな」
「いや~、早く2人に会いたくて!」
苦笑する伶に、お調子者の透が両手を広げて答える。
「春休みの間もしょっちゅう会ってただろ」
伶は透のハグをスッとかわして、透は私だけをハグする。
「おはよ」
透の胸に頭を預けて、私も透をぎゅっとハグした。
そんな様子を見た伶は、
「コラ、玲奈に抱きつくな!!」
慌てて透を私から引き離す。
「いたたた!ちょっ、ひっぱるなよー!」
「玲奈から離れろ」
「なんだよ~。玲奈だってオレをハグしたんだぞー。怖いおにーちゃんだな伶は~」
透はいつもふざけたり冗談言ったり、その場をパッと明るくしてくれる。
今も、私と伶の微妙な距離感を察してくれたんだと思う。
「おはよー!!相変わらず仲良しね」
3人で騒いでいると、後ろから声をかけられた。
「あ、おはよう、紗弥」
「こんなとこでふざけて遊んでると遅れるよ!ほら、いこっ」
紗弥に促されて、私たちは4人で連れ立って歩く。
伶と透、高校に入って仲良くなった紗弥。
この3人がいてくれるから、毎日をなんとかやり過ごすことができてる。
私達が通っている高校は、学年が変わってもクラスはそのまま持ち上がりで、4人ともずっと同じクラス。
私にはそれが安心材料だった。
1人でいることが苦手な私。
いつも、3人が気にかけてくれる。
でも、そんな甘えた生活も、もうすぐ終わりかな…。
今日から、高校生活最後の年がスタートした。
「ねーねー!3人は進路ってどーするの?」
始業式が終わった後、4人でランチして帰ろうってことになって、ファストフード店に寄った私達。
紗弥が、私と伶と透に質問を投げかけた。
ホームルームで、進路について決めるようにと言われたからかな。
「俺はまだ何も決めてない。透は?」
「オレもー」
「私も決めてない」
私達は口々に答える。
「えー?3人は音楽関係じゃないの?どこの音大行くのかなって思って聞いたんだけど!」
紗弥は私たちの答えを聞いて目を丸くした。
「だってさあ…ほら、オレってば色んな才能あるじゃん!?音楽っつったってどれを選ぼうか迷うわけよ!」
「うわぁ…。そんな自意識過剰、どこも無理って言って断られるわぁ…」
自慢げに話す透を見て、紗弥は引き気味にそう返す。
それを見て笑う伶と私。
透はふざけて言ったんだけど、確かに、色んな才能がある。
透のママは、私のママと同じヴァイオリニスト。
『子供の頃からの憧れのお姉さんで、彼女みたいなりたい!って練習頑張ったから、ママもヴァイオリニストになれたのよ』って、ママがよく言っていた。
透のパパは、私のパパと高校大学の同級生。
高校では同じクラスだったけど、大学は違う学部へ進んだって言ってた。
そんな透のパパは、世界でも屈指のオーケストラの指揮者をしている。
透は、楽器はなんでも弾けるし、どれもプロ並みに上手。
確かに、進路を迷うのって仕方ないなって、そう思った。
「そういう紗弥は、決めてるの?」
透と紗弥の言い合いを終わらせるように、伶が聞いた。
「んー…。決まんないんだよね。高卒のままでいいとも思うし、進学してもいいかなーって思うし…」
紗弥にしては珍しく、歯切れの悪い答え。
「あ!いけない。そろそろ帰んないと!」
腕時計に目をやると、紗弥はすぐさま立ち上がる。
「じゃあ先行くね~!また明日」
にっこり笑って、紗弥は帰っていってしまった。
紗弥は高校に入った時から同じクラスだけど、歳はひとつ上。
ハッキリとした性格で、女子特有のベタベタした関係が苦手なんだって言っていた。
私も日本人慣れしてなくて、女子の群れに苦手意識があったから、すぐに仲良くなった。
お互い、深いところまで探りあったりせず、ただ一緒にいる時間を楽しめる。
紗弥も『あんた達といると楽!』ってよく言っていた。
「じゃ、俺も用事があるから行くわ」
紗弥に続いて、伶も席を立つ。
スマホをいじりながら、そのまま行ってしまった。
放課後、伶はよくひとりでどこかへ出掛ける。
どこへ行くの?
何してるの?
…一度も聞けたことはなかった。
「お~い、玲奈。オレがいるのにそんな顔するなよー」
気づくと、透が向かいの席からわたしの顔を覗き込んでいた。
「しょんぼりしてんな!」
透はそう言って、私の頭をくしゃっと撫でる。
しょんぼり?
顔に出ちゃってたのか…
「玲奈行くよ。買い物つきあって」
透は私の手をとって立ち上がらせると、そのまま歩き出した。
はたから見ると、デートしてるみたいだ。
だけど違う。
透は、一人でいたくない私に付き合ってくれてるだけ。
私が寂しくないように、楽しませてくれる。
伶がいないときはいつも。
いつも何も言わずに、そばにいてくれた。
だけど、これっていつまでかな。
もう、将来を考えなくちゃいけない年齢になってる。
いつまでも誰かに守ってもらってばかりじゃいられない。
なのに、あの日からずっと…時が止まってるの。
3年前のあの日から。
電気をつけていない暗い部屋に、ピアノの音が静かに響く。
私はその部屋のソファに寝転んでいて、目を閉じてその旋律に耳を傾けていた。
「…玲奈、何考えてるの?」
深く鋭い美しい音を奏でながら、伶は私に話しかけた。
透は、伶が帰ると連絡してくるまで一緒にいてくれて、家まで送ってくれた。
帰ってきた伶と一緒にご飯を食べて、他愛無い話をして。
それから、毎晩、伶が練習するピアノを聴く。
その音を聴いている間だけは、現実世界から解放されるような気分になれるから。
「…朝見た、夢の続き。どんなだったっけな…って考えてる」
そう、今朝見た夢は、昔の思い出。
私の世界が、まだキラキラ輝いていた頃。
毎日がわくわくと希望に満ちていた。
「…もう終わりにするけど。聴きたい曲、ある?」
伶はいつも、練習の終わりに私が聴きたいと言った曲を弾いてくれる。
難しい曲でもなんでも。
気がつけば、パパと同じくらい弾きこなせるようになっていた。
「メンデルスゾーンの無言歌集…『春の歌』が聴きたい」
「わかった」
あの夢にぴったりの曲だと思った。
あの、春の麗かな日の思い出。
———もし、
もし
願いが叶うなら。
私は、夢で見たあの日に戻りたい。
まだ何も知らなかったあの頃へ。
目に映る全てのものが、美しかった。
穢れなど一切ない、
ただ素直で無邪気でいられたあの頃へ…
柔らかな光が降り注ぐ、暖かい春の午後。
色とりどりの花が咲き乱れる庭を、蝶を追いかけて2人で裸足で走り回った。
疲れたね、と緑の芝生の上に一緒に寝転がる。
見上げた空はとても澄んでキレイで…
隣に並んでいる私達は、顔を見合わせて微笑み合った。
「…奈、玲奈!」
突然降ってきた私を呼ぶ声に、驚いて目を開ける。
「もう起きないと。遅刻するよ」
見開いた私の目に映ったのは、芝生に寝転んで私を見て微笑んだ、あの時と同じ眼差し。
「伶……」
ぽつりと名前を呼んだけれど、頭がぼやけてそれ以上は言葉にならなかった。
「どうしたの?寝ぼけてるの?」
ベッドサイドに腰掛けている伶は、そんな私を見て笑う。
「小さい頃の、夢を見てた。キレイな花がたくさん咲くお庭があるおうちに住んでた時の」
「5歳くらいの時だっけ。…なつかしいね」
私が話し終わると同時に、伶はスッと立ち上がって、背を向けたままそう言った。
その口調は穏やかだったけど、さっきまでとは声のトーンが違う。
少しだけ冷たいような、寂しいような…悲しみを帯びた声だった。
どうしよう…
思い出したくないこと、言っちゃったかな?
私が何も言えないでいると、伶はそのまま部屋を出て行く。
背中を見つめる私に気が付いたのか、ドアを閉める前に伶は振り向いてこっちを見た。
「早く準備しなよ」
そう言ってくれた時には、私を起こしにきた時の声に戻っていて、その表情も優しかった。
よかった…
パタンとドアの閉まる音を聞きながら、ほっと胸を撫で下ろす。
伶は、小さな頃からとても優しかった。
私に対して怒ったことは一度もない。
喧嘩もしたことない。
穏やかで、頼もしくて、我慢強い。
私の自慢の、双子のお兄ちゃん。
昔から、一切、負の感情を見せないから、
見せないようにしてくれてるから、
無理してないかな?
我慢してないかな?
って、
私は声の調子で伶の気持ちを判断するようになっていた。
「玲奈~?間に合わなくなるよー!」
廊下から聞こえてきた伶の声で、ハッと我に返る。
学校に行く準備しなくちゃ!!
女の子の朝は時間がかかる。
着て行く服は制服だけど、メイクして、髪を巻いて。
1番キレイなワタシになる。
メイクを覚えたのは、高校生になる前の春だった。
塞ぎ込んでいた私を見兼ねて、ママが教えてくれたの。
『少しだけ大人になった気分になれるよ!違う自分になるの、やってみない?』
そう言ってにっこり笑うママに乗せられたのが始まり。
実際、ママの言う通り、違う自分になれた気がした。
泣き虫で弱い心の自分を隠して、見せかけの仮面をつけるような感覚。
これ以上、傷つかないように。
誰からも傷つけられないように。
メイクで自分を偽って、武装してから出かける。
「…よしっ!」
鏡に映る自分を見つめて、少しの隙もないことを確認すると、外の世界に出るために気合を入れた。
パタパタとリビングへ駆け込むと、ちょうどママが私の分の朝食をテーブルに並べてくれているところだった。
「玲奈おはよう」
すでに朝食を終えてコーヒーを飲んでいたパパが、一番に気づいて声をかけてくれる。
「おはよう、パパ、ママ」
「おはよう。玲奈、早くごはん食べないと、新学期から遅刻になっちゃうわよ」
ママに言われて、急いでテーブルに着く。
隣に座っている伶は、もうすぐ食べ終わるところだった。
「伶、玲奈」
並んで朝食をとっている私たちを見ながら、向かいに座っているパパが口を開く。
「今日からまた2週間ほど留守にするから。戸締りしっかりして、ケガとかしないように過ごしてね」
「2週間どこいくの?」
伶がパパに質問する。
「ドイツに戻って、各地に遠征かな。何かあればすぐに連絡して」
「わかった」
ふたりのやりとりを、私は朝食を食べながら黙って聞いていた。
パパとママは音楽家で、コンサートなどでしょっちゅう家を空ける。
パパはピアニストで、ママはヴァイオリニスト。
私たちは3年前までドイツに住んでいて、ふたりは今でもそっちを拠点にしている。
パパとママがいない時は、伶とふたりきり。
2人きりで過ごすのは、慣れている。
職業柄、パパもママも昔から留守がちだから。
だけど。
3年前のあの日から…
私と伶の関係はガラリと変わってしまった。
もちろん、伶は今でも優しい。
何でも出来るし頼りがいもある。
でも……
「玲奈、いそぐよ!」
のんびり屋の私を伶が急かす。
「ちゃんと準備してる?忘れ物ない?」
「大丈夫」
玄関先での私たちのやりとりを見て、ママがクスクスと笑う。
「伶のほうが、わたしよりママみたい!玲奈は伶がいれば安心ね」
「うん。そうだよ」
私も笑顔をつくって答えた。
「2人とも、いってらっしゃーい!気をつけてね~」
元気なママの声に押されて、玄関を出た。
一歩踏み出す外の世界。
今朝見た夢と同じような、暖かい春の日差し。
緑の木々に色とりどりの花。
だけど、
今現実にみえている世界は、夢で見たキラキラした世界と打って変わって、どんよりとグレーがかってみえる。
3年前のあの日から、私の目に映る世界はとてもつまらないものになってしまった。
半歩先を歩く伶の背中を見ながら、ぼんやりと考える。
さっきママが言った通り、伶がそばにいてくれたら、
安心できる。
守ってもらえる。
何も心配いらない。
でも…
もう昔みたいに無邪気にくっついていられないの。
隣に並んで、手を繋いで、伶のことしか見ずに甘えることはできないの。
たった半歩だけど、あの日を境にできてしまったこの伶との距離が、私の心をギュッと苦しめた。
私たちが通う高校は、自宅から徒歩20分。
その途中で、小さい頃からの親友と合流して向かう。
「おはよー!ふたりとも」
いつもの待ち合わせの場所、私と伶を見つけた透は大きく手を振りながら明るい笑顔をくれた。
「朝から元気だな」
「いや~、早く2人に会いたくて!」
苦笑する伶に、お調子者の透が両手を広げて答える。
「春休みの間もしょっちゅう会ってただろ」
伶は透のハグをスッとかわして、透は私だけをハグする。
「おはよ」
透の胸に頭を預けて、私も透をぎゅっとハグした。
そんな様子を見た伶は、
「コラ、玲奈に抱きつくな!!」
慌てて透を私から引き離す。
「いたたた!ちょっ、ひっぱるなよー!」
「玲奈から離れろ」
「なんだよ~。玲奈だってオレをハグしたんだぞー。怖いおにーちゃんだな伶は~」
透はいつもふざけたり冗談言ったり、その場をパッと明るくしてくれる。
今も、私と伶の微妙な距離感を察してくれたんだと思う。
「おはよー!!相変わらず仲良しね」
3人で騒いでいると、後ろから声をかけられた。
「あ、おはよう、紗弥」
「こんなとこでふざけて遊んでると遅れるよ!ほら、いこっ」
紗弥に促されて、私たちは4人で連れ立って歩く。
伶と透、高校に入って仲良くなった紗弥。
この3人がいてくれるから、毎日をなんとかやり過ごすことができてる。
私達が通っている高校は、学年が変わってもクラスはそのまま持ち上がりで、4人ともずっと同じクラス。
私にはそれが安心材料だった。
1人でいることが苦手な私。
いつも、3人が気にかけてくれる。
でも、そんな甘えた生活も、もうすぐ終わりかな…。
今日から、高校生活最後の年がスタートした。
「ねーねー!3人は進路ってどーするの?」
始業式が終わった後、4人でランチして帰ろうってことになって、ファストフード店に寄った私達。
紗弥が、私と伶と透に質問を投げかけた。
ホームルームで、進路について決めるようにと言われたからかな。
「俺はまだ何も決めてない。透は?」
「オレもー」
「私も決めてない」
私達は口々に答える。
「えー?3人は音楽関係じゃないの?どこの音大行くのかなって思って聞いたんだけど!」
紗弥は私たちの答えを聞いて目を丸くした。
「だってさあ…ほら、オレってば色んな才能あるじゃん!?音楽っつったってどれを選ぼうか迷うわけよ!」
「うわぁ…。そんな自意識過剰、どこも無理って言って断られるわぁ…」
自慢げに話す透を見て、紗弥は引き気味にそう返す。
それを見て笑う伶と私。
透はふざけて言ったんだけど、確かに、色んな才能がある。
透のママは、私のママと同じヴァイオリニスト。
『子供の頃からの憧れのお姉さんで、彼女みたいなりたい!って練習頑張ったから、ママもヴァイオリニストになれたのよ』って、ママがよく言っていた。
透のパパは、私のパパと高校大学の同級生。
高校では同じクラスだったけど、大学は違う学部へ進んだって言ってた。
そんな透のパパは、世界でも屈指のオーケストラの指揮者をしている。
透は、楽器はなんでも弾けるし、どれもプロ並みに上手。
確かに、進路を迷うのって仕方ないなって、そう思った。
「そういう紗弥は、決めてるの?」
透と紗弥の言い合いを終わらせるように、伶が聞いた。
「んー…。決まんないんだよね。高卒のままでいいとも思うし、進学してもいいかなーって思うし…」
紗弥にしては珍しく、歯切れの悪い答え。
「あ!いけない。そろそろ帰んないと!」
腕時計に目をやると、紗弥はすぐさま立ち上がる。
「じゃあ先行くね~!また明日」
にっこり笑って、紗弥は帰っていってしまった。
紗弥は高校に入った時から同じクラスだけど、歳はひとつ上。
ハッキリとした性格で、女子特有のベタベタした関係が苦手なんだって言っていた。
私も日本人慣れしてなくて、女子の群れに苦手意識があったから、すぐに仲良くなった。
お互い、深いところまで探りあったりせず、ただ一緒にいる時間を楽しめる。
紗弥も『あんた達といると楽!』ってよく言っていた。
「じゃ、俺も用事があるから行くわ」
紗弥に続いて、伶も席を立つ。
スマホをいじりながら、そのまま行ってしまった。
放課後、伶はよくひとりでどこかへ出掛ける。
どこへ行くの?
何してるの?
…一度も聞けたことはなかった。
「お~い、玲奈。オレがいるのにそんな顔するなよー」
気づくと、透が向かいの席からわたしの顔を覗き込んでいた。
「しょんぼりしてんな!」
透はそう言って、私の頭をくしゃっと撫でる。
しょんぼり?
顔に出ちゃってたのか…
「玲奈行くよ。買い物つきあって」
透は私の手をとって立ち上がらせると、そのまま歩き出した。
はたから見ると、デートしてるみたいだ。
だけど違う。
透は、一人でいたくない私に付き合ってくれてるだけ。
私が寂しくないように、楽しませてくれる。
伶がいないときはいつも。
いつも何も言わずに、そばにいてくれた。
だけど、これっていつまでかな。
もう、将来を考えなくちゃいけない年齢になってる。
いつまでも誰かに守ってもらってばかりじゃいられない。
なのに、あの日からずっと…時が止まってるの。
3年前のあの日から。
電気をつけていない暗い部屋に、ピアノの音が静かに響く。
私はその部屋のソファに寝転んでいて、目を閉じてその旋律に耳を傾けていた。
「…玲奈、何考えてるの?」
深く鋭い美しい音を奏でながら、伶は私に話しかけた。
透は、伶が帰ると連絡してくるまで一緒にいてくれて、家まで送ってくれた。
帰ってきた伶と一緒にご飯を食べて、他愛無い話をして。
それから、毎晩、伶が練習するピアノを聴く。
その音を聴いている間だけは、現実世界から解放されるような気分になれるから。
「…朝見た、夢の続き。どんなだったっけな…って考えてる」
そう、今朝見た夢は、昔の思い出。
私の世界が、まだキラキラ輝いていた頃。
毎日がわくわくと希望に満ちていた。
「…もう終わりにするけど。聴きたい曲、ある?」
伶はいつも、練習の終わりに私が聴きたいと言った曲を弾いてくれる。
難しい曲でもなんでも。
気がつけば、パパと同じくらい弾きこなせるようになっていた。
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「わかった」
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