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第1章 春

11. (Rena side)

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…昔、ママに聞いたことがある。

『どうしてパパのこと好きになったの?』
って。

それを聞いたら、ママは優しく笑った。
『理由なんてないの。パパのことを見た瞬間、胸がドキドキして、この人だ…って思ったのよ』
『運命のひと?』
『そうね、玲奈もいつかそういう人に出会えるわよ』
ママにそう言われた。
だけど、こどもの私は心の中で思ったの。

伶がいるから、そんな人いらない…って。


「玲奈のブレスレット、かわいいよね」
目の前に座っている紗弥が、私の手元を見てそう言った。

休日、久しぶりにに紗弥とショッピングする約束をしていて。
今はその途中で、カフェで休んでいるところ。

「伶がくれたの」
「へ~!さすが玲奈のこと分かってるね。似合ってるよ~」
「ありがとう」
少し前に、伶がくれたブレスレット。
出かける時はいつもつけていた。
褒められて、嬉しい。
「そーいえば、今日、伶と透は何してるの?」
「2人は一緒に用事あるって。来る時は一緒に来たんだけど…」
「あはは!2人とも過保護だから、玲奈について来るかな?って思ってたけど、いないから気になってたんだ。でも来る時は一緒だったのね」
「過保護かなあ…」
うーんって悩みながら、私はフラペチーノのストローに口をつける。
これまで何するにも伶と一緒が当たり前だったから、考えたことなかった。
「まあでも、まだ日本に来て3年だもんね!そりゃ心配もするかあ。どう?もうさすがに慣れてきた?」
「うん!ようやく路線も覚えられたよ~」
それを言うと紗弥が笑う。
ほんと、最初きたときは複雑すぎてびっくりしたもん。
「ドイツのどこ住んでたんだっけ?」
「ミュンヘンだよ」
「そうだそうだ。夏休みはどうするの?今年もそっちに帰っちゃう?」
「そうするかも。日本で夏を全部過ごしたことなくって…」
「今年は残ってみたら?お祭りとか行こうよ」
「お祭り?」
どんなものか想像できなくて、首を傾げる私。
「うーんとね、浴衣着て、屋台とかたくさんでてて~…。花火大会!見たことない?」
「日本の花火、見たことない」
「えー!もったいない!!」
紗弥に驚かれる。
それから紗弥は、スマホで画像を見せてくれた。
「こーいうの。近くで見れるんだよ」
その画像がキレイで…。
「すごーい……」

いつも、学校が長期休みに入るとドイツに帰りたいと思っていたのに、初めて日本の夏を過ごしたいと思った。

「そろそろ行こ!」
カフェで小一時間ほど話して。
次の買い物へ行くことにした。

カフェから一歩外に出ると、眩しい太陽に照りつけられる。
「あっつーい…」
紗弥がそう呟く。

梅雨はもうすっかりあけて、夏が始まろうとしていた。

「紗弥は絶対こっちだと思う!」
「ほんと!?じゃコレにする」
紗弥は水着か欲しいって言っていて、今日のメインの買い物はそれだった。
私が指さした、リゾート風のカッコいい水着を手に取ってにっこり笑う。
「玲奈は買わないの~?もうそろそろどこもプール開きするよ」
「…オープンするってこと?」
「そうそう!電車でいけるところいくつかあるよ」
「そうなんだ」
「玲奈はこういうのがよさそう!」
「わあ、かわいい!」
「こっちは~?」

結局、見ていたら欲しくなっちゃって、私も水着を買った。
お昼過ぎから、紗弥とわいわいしながら色んなお店を回って、気づけばもう夕方。
「楽しかったね~」
ショップバッグをいくつもぶら下げて、私と紗弥は顔を見合わせて笑い合った。
「…あ、そうだ。帰りは伶と透と合流する約束なんだけど、2人がいる場所すぐそこだから、寄ってもいい?」
「いいよ、いこいこ。2人は何してるの?」
「私と透のパパの同級生がやってる楽器店にいるんだけど。そこの…」
通りの向こう側を指さす私。
紗弥もその方向を見た。
「あ、あの大きいとこ?あれ、人だかりできてない?」
入り口の近くに、たくさんの人。
…あ。
耳を澄ますと、分かった。
「2人が、ピアノ弾いてる」
「え?そうなの?わたしも聴きたーい。いこ!」
紗弥に引っ張られるようにして、道路を渡る。
道行く人が足を止めてその音に聴き入っていた。
弾いているのは、クラシックじゃなくて、流行りの曲。
「これ、あの2人が弾いてるの?」
近くまで来ると、紗弥が驚いた表情で私に尋ねた。
それに頷く。
人混みをかき分けて、お店の中に入る。
イベントブースでピアノを弾く2人が見えた。
その前にはたくさんの人。
「すごいねー」
そう言って2人の音に感心している紗弥の隣で、私はまわりの方が気になっていた。

カッコいい!とか、
すごい!とか、
そういった称賛の他に聞こえてくる、
イケメンだよねー!?みたいな…そんな声。
それが気になっちゃって…。

「あ、レナちゃん!」
伶と透じゃなくて、その2人を見ている人たちをじっと見ていたら、声をかけられた。
パパの同級生の、このお店のオーナー。
「ケイさん、こんにちは」
挨拶をして、紗弥を紹介する。
「あの2人、どうして弾いてるの?」
「ちょうどイベントブース空いてたから、遊んでいいよって言ったら、人集まってきちゃって。レナちゃんも入る?」
「うん」
ケイさんに促されて、勢いでそう答えていた。
「…あ、紗弥、いい?」
はっとして紗弥の方を見ると、いいよって笑ってくれた。
「よーし。レナちゃんは楽器何使う?ピアノ?」
「ううん、私はヴァイオリン」
「じゃいいヤツ持ってくるよ。2人ともついてきて。お友達は前で見たいでしょ」
ケイさんにくっついて、イベントブースのそばまで行った。
ヴァイオリンとってくるから、とケイさんがその場を離れた間、ざわざわしているまわりの声に耳を傾ける。

すごく、心がぎゅってなるの。
みんなが2人を見て、2人のことを話してる。
その度に、ふたりが遠い存在に感じて…。

曲が、終わった。
それと同時にすごい拍手。
私たちに気づいていた透が、手招きする。
「わたし荷物持っててあげる」
紗弥がそう言って、私の荷物を受け取ってくれた。
「ありがと紗弥。一曲だけ」
そう言って、透と伶の側へ行った。

「玲奈も弾く?」
2人の近くに行くと、透にそう聞かれる。
それに頷くと、伶が譜面台に置いてあったタブレットを私に渡してくれた。
画面に表示されてる譜面を見る。
伶と透は、1人用の譜面を連弾にアレンジして弾いていたのね…。
譜面を読みながら曲の構成を考えていると、ケイさんが来てヴァイオリンを貸してくれた。
「いけそう?」
「うん」
透に聞かれて頷くと、タブレットをピアノの譜面台に戻した。

透の合図で、曲が始まる。

まわりの空気が、ふゎっと浮くような、そんな感じがした。
音が広がって、そして包み込む。
私も伶も透も出す音の質は全然違うのに、合わさると心地よく響く。
今は、2人を近くに感じていられる…。


「3人ともすごいよね~。上手すぎてびっくりしちゃったんだけど」
帰り道、紗弥が褒めてくれた。
人から感想を言われることがないから、すごく嬉しい気持ちになる。
「ピアノとかバイオリンって、今流行ってる曲もアレンジして弾けるんだね」
「透はそういうの得意だよね」
「そーそー!オレ天才だからさあ~」
「感動が半減するからやめて」
紗弥と伶と透の会話。

弾き終わってから、たくさん拍手をもらえた。
嬉しかったし、すごく楽しかった。
でもそこでまた、周りの人たちの声が耳に入ってきたの。

それでね、
ようやく心がぎゅってなるのはどうしてなのか分かった。
私、すごく嫌な女だ。

他の人に、伶のことを見て欲しくない。

そんな邪な嫌な気持ちが、胸を締め付けていたことに気づいた。


駅で紗弥と別れて、私たち3人で電車に乗る。
休日だからさすがに混んでいて、ドアの端の方に3人で立った。
買い物した荷物は、伶が持ってくれている。
「玲奈さっきからずっとだんまりだけど…疲れたの?」
「ううん、そうじゃないけど…」
心配してくれた伶に、歯切れの悪い答えの私。
「でも玲奈なんか色々買い物したね。こんなに何買ったの?服?」
空気を変えるように、透が質問してくれた。
「服と靴と、あと水着を買ったの」
「水着!?」
伶と透が、同時に聞き返してくる。
そんなふうに言われると思ってなくて、びっくりして目を見開いてしまった。
「え…だめ?変かな?」
「いや、そーじゃなくて…」
伶の少し困った顔。
「玲奈、誰のために買ったんだよ~。プール行くの?それとも海?」
たたみかけるように、透にそう聞かれる。
「えぇ?誰のためとかそんなんじゃないし、どこかに行く約束もないけど…」
「そーかそーか!じゃあ、オレと行こう」
「いいよ~」
せっかく買った水着を着たくて、何も考えずに透の誘いに乗った。
「どこにする?やっぱり泊まりで…あああ!!うそうそ冗談だって!」
調子のいいことを言う透の隣で、静かに怒っている伶。
その圧力が凄まじくて。
「紗弥も誘ってみんなで行こうねぇ~」
透は小さな声でそう言い直した。

最寄りの駅で電車を降りて、途中で透とも別れる。
伶とふたりきり。
少しだけ前を歩く伶の背中を見つめる。

色んな人が、伶のこと見てた。
私が見ているのは、いつもこの背中ばっかり…。

「玲奈?早くおいで」
一緒に歩く距離が広がっていることに気づいて、伶が振り向いて私を見る。

他の人が、伶のことを見るのはイヤ。
でも伶も、私以外の人を見たらイヤ。

「…玲奈?」

———…っ。
私、なんてこと考えてるんだろう。
心臓が、ドキンと音を立てて、顔が一気に火照るのがわかった。

「えっ!!玲奈?なにこれ、競歩?」
途端に早歩きで追い越した私についくる伶。

ちょうど空は夕焼けに染まっていて。
それで私の顔が真っ赤なのは、伶、気づいてないよね?

「負けた方が、晩御飯作って風呂掃除と洗濯!」
「元気なさそうって心配してたのに元気だな!」



…ああ、どうしよう。
私、全然分かってなかった。

『ずっと一緒にいたい』とか
『そばにいて欲しい』とか

好きっていう気持ちは、そういうので全部だと思ってた。

さっき一瞬だけど、
伶のことを独占してしまいたいって
そんなふうに思ってた。

自分がこんな邪なことを考える、嫌な女になるなんて想像もしてなかった…。


「風呂掃除も洗濯も終わったよー」
伶はそう言いながら、ソファの上で膝を抱えて丸くなってる私の隣に腰を下ろした。
「…ありがと」
伶は優しいから、私が突然始めた早歩きの勝負には負けてくれて。
晩ご飯も作ってくれたし、お風呂掃除も洗濯もしてくれた。
「何か…あったの?」
珍しく、伶が私に聞いた。
お互いの心に深く踏み込まないようになってからは、聞かなくなったこの言葉。
「…今日ね、」
伶のその言葉に、私も素直に思ったことを声に出した。
「伶と透がピアノ弾いてた時に、まわりにいた人たちがみんな2人を見てたの。技術もだけど…容姿もみんな褒めてて…」
「透が聞いたら喜びそうな話だな。…それで?」
「2人がものすごく遠い存在に感じた。それで思ったの。私のなのに…って。私だけのものなのにって。…他の人が、伶のこと見るのはイヤなの」
少しだけ間を置いてから、伶が静かに笑ったのが分かった。
「俺は子どもの頃からずっと、玲奈だけのものだよ」
「……え?」
顔を上げて伶を見ると、私を見て微笑む伶と目があった。
それから伶は立ち上がって、上から私を見下ろしながら話を続ける。
「こないだも買い物途中で飛び出したった玲奈を探したし?今日も、荷物持ちしてご飯作って掃除して洗濯して。昔からずっと玲奈のお守りしてるだろ」
「いじわる…!!」
隣にあったクッションを伶の背中に投げつけた。
あはは、と伶は声に出して笑う。
「さーて、練習しようっと」
伶はピアノの前に座る。

部屋中に響く、伶のピアノの音。
私だけの特別な時間。

"子どもの頃からずっと玲奈だけのもの"

そんなこと言われたら、また邪な気持ちが出てきてしまう。
心がまたぎゅっと痛くなって、ドキドキと音を立てる。

「…玲奈、何か弾こうか?」
伶がそう言ってくれた時。
ひゅぅっと風が通り抜ける音がして、窓ガラスがカタカタと鳴った。
「風……」
窓の方を見ていると、伶が答える。
「さっきニュースで台風が近づいてきてるって言ってたよ」
「そうなんだ…」
今日はあんなにいいお天気だったのに。
カーテンを閉めていない窓の外を見ながら、伶の質問に答えた。
「……テンペスト…弾いて」
ベートーベンのピアノソナタ。
その題名通りの緊張感ある曲。
「わかった」

窓の外を吹く風みたいに。
私の心もざわざわする。

ママと子どもの頃に話した、運命の人の話を思い出した。
あの時、思ったとおり。
私は運命の人なんか要らない。
伶が私だけをずっと見て、そばにいてくれたらいい。

また、
外で風が通り抜けて行く音がした。

嵐が、来る———。


———もし、

もし
願いが叶うなら。

この心を、無欲なものに変えてしまいたい。

『好き』がこんなに複雑だなんて知らなかった。

伶の心を自分のものにしたいなんて
思いたくない。

伶の心が自分に寄り添っていてくれれば嬉しいと思ってた、その時の自分のままでいたいの。

ひとつ欲しがれば、
無限に欲が出てきそうで、それが怖い。

そんな醜い心の持ち主に、なりたくないの。
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