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第1章 春
11. (Rena side)
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…昔、ママに聞いたことがある。
『どうしてパパのこと好きになったの?』
って。
それを聞いたら、ママは優しく笑った。
『理由なんてないの。パパのことを見た瞬間、胸がドキドキして、この人だ…って思ったのよ』
『運命のひと?』
『そうね、玲奈もいつかそういう人に出会えるわよ』
ママにそう言われた。
だけど、こどもの私は心の中で思ったの。
伶がいるから、そんな人いらない…って。
「玲奈のブレスレット、かわいいよね」
目の前に座っている紗弥が、私の手元を見てそう言った。
休日、久しぶりにに紗弥とショッピングする約束をしていて。
今はその途中で、カフェで休んでいるところ。
「伶がくれたの」
「へ~!さすが玲奈のこと分かってるね。似合ってるよ~」
「ありがとう」
少し前に、伶がくれたブレスレット。
出かける時はいつもつけていた。
褒められて、嬉しい。
「そーいえば、今日、伶と透は何してるの?」
「2人は一緒に用事あるって。来る時は一緒に来たんだけど…」
「あはは!2人とも過保護だから、玲奈について来るかな?って思ってたけど、いないから気になってたんだ。でも来る時は一緒だったのね」
「過保護かなあ…」
うーんって悩みながら、私はフラペチーノのストローに口をつける。
これまで何するにも伶と一緒が当たり前だったから、考えたことなかった。
「まあでも、まだ日本に来て3年だもんね!そりゃ心配もするかあ。どう?もうさすがに慣れてきた?」
「うん!ようやく路線も覚えられたよ~」
それを言うと紗弥が笑う。
ほんと、最初きたときは複雑すぎてびっくりしたもん。
「ドイツのどこ住んでたんだっけ?」
「ミュンヘンだよ」
「そうだそうだ。夏休みはどうするの?今年もそっちに帰っちゃう?」
「そうするかも。日本で夏を全部過ごしたことなくって…」
「今年は残ってみたら?お祭りとか行こうよ」
「お祭り?」
どんなものか想像できなくて、首を傾げる私。
「うーんとね、浴衣着て、屋台とかたくさんでてて~…。花火大会!見たことない?」
「日本の花火、見たことない」
「えー!もったいない!!」
紗弥に驚かれる。
それから紗弥は、スマホで画像を見せてくれた。
「こーいうの。近くで見れるんだよ」
その画像がキレイで…。
「すごーい……」
いつも、学校が長期休みに入るとドイツに帰りたいと思っていたのに、初めて日本の夏を過ごしたいと思った。
「そろそろ行こ!」
カフェで小一時間ほど話して。
次の買い物へ行くことにした。
カフェから一歩外に出ると、眩しい太陽に照りつけられる。
「あっつーい…」
紗弥がそう呟く。
梅雨はもうすっかりあけて、夏が始まろうとしていた。
「紗弥は絶対こっちだと思う!」
「ほんと!?じゃコレにする」
紗弥は水着か欲しいって言っていて、今日のメインの買い物はそれだった。
私が指さした、リゾート風のカッコいい水着を手に取ってにっこり笑う。
「玲奈は買わないの~?もうそろそろどこもプール開きするよ」
「…オープンするってこと?」
「そうそう!電車でいけるところいくつかあるよ」
「そうなんだ」
「玲奈はこういうのがよさそう!」
「わあ、かわいい!」
「こっちは~?」
結局、見ていたら欲しくなっちゃって、私も水着を買った。
お昼過ぎから、紗弥とわいわいしながら色んなお店を回って、気づけばもう夕方。
「楽しかったね~」
ショップバッグをいくつもぶら下げて、私と紗弥は顔を見合わせて笑い合った。
「…あ、そうだ。帰りは伶と透と合流する約束なんだけど、2人がいる場所すぐそこだから、寄ってもいい?」
「いいよ、いこいこ。2人は何してるの?」
「私と透のパパの同級生がやってる楽器店にいるんだけど。そこの…」
通りの向こう側を指さす私。
紗弥もその方向を見た。
「あ、あの大きいとこ?あれ、人だかりできてない?」
入り口の近くに、たくさんの人。
…あ。
耳を澄ますと、分かった。
「2人が、ピアノ弾いてる」
「え?そうなの?わたしも聴きたーい。いこ!」
紗弥に引っ張られるようにして、道路を渡る。
道行く人が足を止めてその音に聴き入っていた。
弾いているのは、クラシックじゃなくて、流行りの曲。
「これ、あの2人が弾いてるの?」
近くまで来ると、紗弥が驚いた表情で私に尋ねた。
それに頷く。
人混みをかき分けて、お店の中に入る。
イベントブースでピアノを弾く2人が見えた。
その前にはたくさんの人。
「すごいねー」
そう言って2人の音に感心している紗弥の隣で、私はまわりの方が気になっていた。
カッコいい!とか、
すごい!とか、
そういった称賛の他に聞こえてくる、
イケメンだよねー!?みたいな…そんな声。
それが気になっちゃって…。
「あ、レナちゃん!」
伶と透じゃなくて、その2人を見ている人たちをじっと見ていたら、声をかけられた。
パパの同級生の、このお店のオーナー。
「ケイさん、こんにちは」
挨拶をして、紗弥を紹介する。
「あの2人、どうして弾いてるの?」
「ちょうどイベントブース空いてたから、遊んでいいよって言ったら、人集まってきちゃって。レナちゃんも入る?」
「うん」
ケイさんに促されて、勢いでそう答えていた。
「…あ、紗弥、いい?」
はっとして紗弥の方を見ると、いいよって笑ってくれた。
「よーし。レナちゃんは楽器何使う?ピアノ?」
「ううん、私はヴァイオリン」
「じゃいいヤツ持ってくるよ。2人ともついてきて。お友達は前で見たいでしょ」
ケイさんにくっついて、イベントブースのそばまで行った。
ヴァイオリンとってくるから、とケイさんがその場を離れた間、ざわざわしているまわりの声に耳を傾ける。
すごく、心がぎゅってなるの。
みんなが2人を見て、2人のことを話してる。
その度に、ふたりが遠い存在に感じて…。
曲が、終わった。
それと同時にすごい拍手。
私たちに気づいていた透が、手招きする。
「わたし荷物持っててあげる」
紗弥がそう言って、私の荷物を受け取ってくれた。
「ありがと紗弥。一曲だけ」
そう言って、透と伶の側へ行った。
「玲奈も弾く?」
2人の近くに行くと、透にそう聞かれる。
それに頷くと、伶が譜面台に置いてあったタブレットを私に渡してくれた。
画面に表示されてる譜面を見る。
伶と透は、1人用の譜面を連弾にアレンジして弾いていたのね…。
譜面を読みながら曲の構成を考えていると、ケイさんが来てヴァイオリンを貸してくれた。
「いけそう?」
「うん」
透に聞かれて頷くと、タブレットをピアノの譜面台に戻した。
透の合図で、曲が始まる。
まわりの空気が、ふゎっと浮くような、そんな感じがした。
音が広がって、そして包み込む。
私も伶も透も出す音の質は全然違うのに、合わさると心地よく響く。
今は、2人を近くに感じていられる…。
「3人ともすごいよね~。上手すぎてびっくりしちゃったんだけど」
帰り道、紗弥が褒めてくれた。
人から感想を言われることがないから、すごく嬉しい気持ちになる。
「ピアノとかバイオリンって、今流行ってる曲もアレンジして弾けるんだね」
「透はそういうの得意だよね」
「そーそー!オレ天才だからさあ~」
「感動が半減するからやめて」
紗弥と伶と透の会話。
弾き終わってから、たくさん拍手をもらえた。
嬉しかったし、すごく楽しかった。
でもそこでまた、周りの人たちの声が耳に入ってきたの。
それでね、
ようやく心がぎゅってなるのはどうしてなのか分かった。
私、すごく嫌な女だ。
他の人に、伶のことを見て欲しくない。
そんな邪な嫌な気持ちが、胸を締め付けていたことに気づいた。
駅で紗弥と別れて、私たち3人で電車に乗る。
休日だからさすがに混んでいて、ドアの端の方に3人で立った。
買い物した荷物は、伶が持ってくれている。
「玲奈さっきからずっとだんまりだけど…疲れたの?」
「ううん、そうじゃないけど…」
心配してくれた伶に、歯切れの悪い答えの私。
「でも玲奈なんか色々買い物したね。こんなに何買ったの?服?」
空気を変えるように、透が質問してくれた。
「服と靴と、あと水着を買ったの」
「水着!?」
伶と透が、同時に聞き返してくる。
そんなふうに言われると思ってなくて、びっくりして目を見開いてしまった。
「え…だめ?変かな?」
「いや、そーじゃなくて…」
伶の少し困った顔。
「玲奈、誰のために買ったんだよ~。プール行くの?それとも海?」
たたみかけるように、透にそう聞かれる。
「えぇ?誰のためとかそんなんじゃないし、どこかに行く約束もないけど…」
「そーかそーか!じゃあ、オレと行こう」
「いいよ~」
せっかく買った水着を着たくて、何も考えずに透の誘いに乗った。
「どこにする?やっぱり泊まりで…あああ!!うそうそ冗談だって!」
調子のいいことを言う透の隣で、静かに怒っている伶。
その圧力が凄まじくて。
「紗弥も誘ってみんなで行こうねぇ~」
透は小さな声でそう言い直した。
最寄りの駅で電車を降りて、途中で透とも別れる。
伶とふたりきり。
少しだけ前を歩く伶の背中を見つめる。
色んな人が、伶のこと見てた。
私が見ているのは、いつもこの背中ばっかり…。
「玲奈?早くおいで」
一緒に歩く距離が広がっていることに気づいて、伶が振り向いて私を見る。
他の人が、伶のことを見るのはイヤ。
でも伶も、私以外の人を見たらイヤ。
「…玲奈?」
———…っ。
私、なんてこと考えてるんだろう。
心臓が、ドキンと音を立てて、顔が一気に火照るのがわかった。
「えっ!!玲奈?なにこれ、競歩?」
途端に早歩きで追い越した私についくる伶。
ちょうど空は夕焼けに染まっていて。
それで私の顔が真っ赤なのは、伶、気づいてないよね?
「負けた方が、晩御飯作って風呂掃除と洗濯!」
「元気なさそうって心配してたのに元気だな!」
…ああ、どうしよう。
私、全然分かってなかった。
『ずっと一緒にいたい』とか
『そばにいて欲しい』とか
好きっていう気持ちは、そういうので全部だと思ってた。
さっき一瞬だけど、
伶のことを独占してしまいたいって
そんなふうに思ってた。
自分がこんな邪なことを考える、嫌な女になるなんて想像もしてなかった…。
「風呂掃除も洗濯も終わったよー」
伶はそう言いながら、ソファの上で膝を抱えて丸くなってる私の隣に腰を下ろした。
「…ありがと」
伶は優しいから、私が突然始めた早歩きの勝負には負けてくれて。
晩ご飯も作ってくれたし、お風呂掃除も洗濯もしてくれた。
「何か…あったの?」
珍しく、伶が私に聞いた。
お互いの心に深く踏み込まないようになってからは、聞かなくなったこの言葉。
「…今日ね、」
伶のその言葉に、私も素直に思ったことを声に出した。
「伶と透がピアノ弾いてた時に、まわりにいた人たちがみんな2人を見てたの。技術もだけど…容姿もみんな褒めてて…」
「透が聞いたら喜びそうな話だな。…それで?」
「2人がものすごく遠い存在に感じた。それで思ったの。私のなのに…って。私だけのものなのにって。…他の人が、伶のこと見るのはイヤなの」
少しだけ間を置いてから、伶が静かに笑ったのが分かった。
「俺は子どもの頃からずっと、玲奈だけのものだよ」
「……え?」
顔を上げて伶を見ると、私を見て微笑む伶と目があった。
それから伶は立ち上がって、上から私を見下ろしながら話を続ける。
「こないだも買い物途中で飛び出したった玲奈を探したし?今日も、荷物持ちしてご飯作って掃除して洗濯して。昔からずっと玲奈のお守りしてるだろ」
「いじわる…!!」
隣にあったクッションを伶の背中に投げつけた。
あはは、と伶は声に出して笑う。
「さーて、練習しようっと」
伶はピアノの前に座る。
部屋中に響く、伶のピアノの音。
私だけの特別な時間。
"子どもの頃からずっと玲奈だけのもの"
そんなこと言われたら、また邪な気持ちが出てきてしまう。
心がまたぎゅっと痛くなって、ドキドキと音を立てる。
「…玲奈、何か弾こうか?」
伶がそう言ってくれた時。
ひゅぅっと風が通り抜ける音がして、窓ガラスがカタカタと鳴った。
「風……」
窓の方を見ていると、伶が答える。
「さっきニュースで台風が近づいてきてるって言ってたよ」
「そうなんだ…」
今日はあんなにいいお天気だったのに。
カーテンを閉めていない窓の外を見ながら、伶の質問に答えた。
「……テンペスト…弾いて」
ベートーベンのピアノソナタ。
その題名通りの緊張感ある曲。
「わかった」
窓の外を吹く風みたいに。
私の心もざわざわする。
ママと子どもの頃に話した、運命の人の話を思い出した。
あの時、思ったとおり。
私は運命の人なんか要らない。
伶が私だけをずっと見て、そばにいてくれたらいい。
また、
外で風が通り抜けて行く音がした。
嵐が、来る———。
———もし、
もし
願いが叶うなら。
この心を、無欲なものに変えてしまいたい。
『好き』がこんなに複雑だなんて知らなかった。
伶の心を自分のものにしたいなんて
思いたくない。
伶の心が自分に寄り添っていてくれれば嬉しいと思ってた、その時の自分のままでいたいの。
ひとつ欲しがれば、
無限に欲が出てきそうで、それが怖い。
そんな醜い心の持ち主に、なりたくないの。
『どうしてパパのこと好きになったの?』
って。
それを聞いたら、ママは優しく笑った。
『理由なんてないの。パパのことを見た瞬間、胸がドキドキして、この人だ…って思ったのよ』
『運命のひと?』
『そうね、玲奈もいつかそういう人に出会えるわよ』
ママにそう言われた。
だけど、こどもの私は心の中で思ったの。
伶がいるから、そんな人いらない…って。
「玲奈のブレスレット、かわいいよね」
目の前に座っている紗弥が、私の手元を見てそう言った。
休日、久しぶりにに紗弥とショッピングする約束をしていて。
今はその途中で、カフェで休んでいるところ。
「伶がくれたの」
「へ~!さすが玲奈のこと分かってるね。似合ってるよ~」
「ありがとう」
少し前に、伶がくれたブレスレット。
出かける時はいつもつけていた。
褒められて、嬉しい。
「そーいえば、今日、伶と透は何してるの?」
「2人は一緒に用事あるって。来る時は一緒に来たんだけど…」
「あはは!2人とも過保護だから、玲奈について来るかな?って思ってたけど、いないから気になってたんだ。でも来る時は一緒だったのね」
「過保護かなあ…」
うーんって悩みながら、私はフラペチーノのストローに口をつける。
これまで何するにも伶と一緒が当たり前だったから、考えたことなかった。
「まあでも、まだ日本に来て3年だもんね!そりゃ心配もするかあ。どう?もうさすがに慣れてきた?」
「うん!ようやく路線も覚えられたよ~」
それを言うと紗弥が笑う。
ほんと、最初きたときは複雑すぎてびっくりしたもん。
「ドイツのどこ住んでたんだっけ?」
「ミュンヘンだよ」
「そうだそうだ。夏休みはどうするの?今年もそっちに帰っちゃう?」
「そうするかも。日本で夏を全部過ごしたことなくって…」
「今年は残ってみたら?お祭りとか行こうよ」
「お祭り?」
どんなものか想像できなくて、首を傾げる私。
「うーんとね、浴衣着て、屋台とかたくさんでてて~…。花火大会!見たことない?」
「日本の花火、見たことない」
「えー!もったいない!!」
紗弥に驚かれる。
それから紗弥は、スマホで画像を見せてくれた。
「こーいうの。近くで見れるんだよ」
その画像がキレイで…。
「すごーい……」
いつも、学校が長期休みに入るとドイツに帰りたいと思っていたのに、初めて日本の夏を過ごしたいと思った。
「そろそろ行こ!」
カフェで小一時間ほど話して。
次の買い物へ行くことにした。
カフェから一歩外に出ると、眩しい太陽に照りつけられる。
「あっつーい…」
紗弥がそう呟く。
梅雨はもうすっかりあけて、夏が始まろうとしていた。
「紗弥は絶対こっちだと思う!」
「ほんと!?じゃコレにする」
紗弥は水着か欲しいって言っていて、今日のメインの買い物はそれだった。
私が指さした、リゾート風のカッコいい水着を手に取ってにっこり笑う。
「玲奈は買わないの~?もうそろそろどこもプール開きするよ」
「…オープンするってこと?」
「そうそう!電車でいけるところいくつかあるよ」
「そうなんだ」
「玲奈はこういうのがよさそう!」
「わあ、かわいい!」
「こっちは~?」
結局、見ていたら欲しくなっちゃって、私も水着を買った。
お昼過ぎから、紗弥とわいわいしながら色んなお店を回って、気づけばもう夕方。
「楽しかったね~」
ショップバッグをいくつもぶら下げて、私と紗弥は顔を見合わせて笑い合った。
「…あ、そうだ。帰りは伶と透と合流する約束なんだけど、2人がいる場所すぐそこだから、寄ってもいい?」
「いいよ、いこいこ。2人は何してるの?」
「私と透のパパの同級生がやってる楽器店にいるんだけど。そこの…」
通りの向こう側を指さす私。
紗弥もその方向を見た。
「あ、あの大きいとこ?あれ、人だかりできてない?」
入り口の近くに、たくさんの人。
…あ。
耳を澄ますと、分かった。
「2人が、ピアノ弾いてる」
「え?そうなの?わたしも聴きたーい。いこ!」
紗弥に引っ張られるようにして、道路を渡る。
道行く人が足を止めてその音に聴き入っていた。
弾いているのは、クラシックじゃなくて、流行りの曲。
「これ、あの2人が弾いてるの?」
近くまで来ると、紗弥が驚いた表情で私に尋ねた。
それに頷く。
人混みをかき分けて、お店の中に入る。
イベントブースでピアノを弾く2人が見えた。
その前にはたくさんの人。
「すごいねー」
そう言って2人の音に感心している紗弥の隣で、私はまわりの方が気になっていた。
カッコいい!とか、
すごい!とか、
そういった称賛の他に聞こえてくる、
イケメンだよねー!?みたいな…そんな声。
それが気になっちゃって…。
「あ、レナちゃん!」
伶と透じゃなくて、その2人を見ている人たちをじっと見ていたら、声をかけられた。
パパの同級生の、このお店のオーナー。
「ケイさん、こんにちは」
挨拶をして、紗弥を紹介する。
「あの2人、どうして弾いてるの?」
「ちょうどイベントブース空いてたから、遊んでいいよって言ったら、人集まってきちゃって。レナちゃんも入る?」
「うん」
ケイさんに促されて、勢いでそう答えていた。
「…あ、紗弥、いい?」
はっとして紗弥の方を見ると、いいよって笑ってくれた。
「よーし。レナちゃんは楽器何使う?ピアノ?」
「ううん、私はヴァイオリン」
「じゃいいヤツ持ってくるよ。2人ともついてきて。お友達は前で見たいでしょ」
ケイさんにくっついて、イベントブースのそばまで行った。
ヴァイオリンとってくるから、とケイさんがその場を離れた間、ざわざわしているまわりの声に耳を傾ける。
すごく、心がぎゅってなるの。
みんなが2人を見て、2人のことを話してる。
その度に、ふたりが遠い存在に感じて…。
曲が、終わった。
それと同時にすごい拍手。
私たちに気づいていた透が、手招きする。
「わたし荷物持っててあげる」
紗弥がそう言って、私の荷物を受け取ってくれた。
「ありがと紗弥。一曲だけ」
そう言って、透と伶の側へ行った。
「玲奈も弾く?」
2人の近くに行くと、透にそう聞かれる。
それに頷くと、伶が譜面台に置いてあったタブレットを私に渡してくれた。
画面に表示されてる譜面を見る。
伶と透は、1人用の譜面を連弾にアレンジして弾いていたのね…。
譜面を読みながら曲の構成を考えていると、ケイさんが来てヴァイオリンを貸してくれた。
「いけそう?」
「うん」
透に聞かれて頷くと、タブレットをピアノの譜面台に戻した。
透の合図で、曲が始まる。
まわりの空気が、ふゎっと浮くような、そんな感じがした。
音が広がって、そして包み込む。
私も伶も透も出す音の質は全然違うのに、合わさると心地よく響く。
今は、2人を近くに感じていられる…。
「3人ともすごいよね~。上手すぎてびっくりしちゃったんだけど」
帰り道、紗弥が褒めてくれた。
人から感想を言われることがないから、すごく嬉しい気持ちになる。
「ピアノとかバイオリンって、今流行ってる曲もアレンジして弾けるんだね」
「透はそういうの得意だよね」
「そーそー!オレ天才だからさあ~」
「感動が半減するからやめて」
紗弥と伶と透の会話。
弾き終わってから、たくさん拍手をもらえた。
嬉しかったし、すごく楽しかった。
でもそこでまた、周りの人たちの声が耳に入ってきたの。
それでね、
ようやく心がぎゅってなるのはどうしてなのか分かった。
私、すごく嫌な女だ。
他の人に、伶のことを見て欲しくない。
そんな邪な嫌な気持ちが、胸を締め付けていたことに気づいた。
駅で紗弥と別れて、私たち3人で電車に乗る。
休日だからさすがに混んでいて、ドアの端の方に3人で立った。
買い物した荷物は、伶が持ってくれている。
「玲奈さっきからずっとだんまりだけど…疲れたの?」
「ううん、そうじゃないけど…」
心配してくれた伶に、歯切れの悪い答えの私。
「でも玲奈なんか色々買い物したね。こんなに何買ったの?服?」
空気を変えるように、透が質問してくれた。
「服と靴と、あと水着を買ったの」
「水着!?」
伶と透が、同時に聞き返してくる。
そんなふうに言われると思ってなくて、びっくりして目を見開いてしまった。
「え…だめ?変かな?」
「いや、そーじゃなくて…」
伶の少し困った顔。
「玲奈、誰のために買ったんだよ~。プール行くの?それとも海?」
たたみかけるように、透にそう聞かれる。
「えぇ?誰のためとかそんなんじゃないし、どこかに行く約束もないけど…」
「そーかそーか!じゃあ、オレと行こう」
「いいよ~」
せっかく買った水着を着たくて、何も考えずに透の誘いに乗った。
「どこにする?やっぱり泊まりで…あああ!!うそうそ冗談だって!」
調子のいいことを言う透の隣で、静かに怒っている伶。
その圧力が凄まじくて。
「紗弥も誘ってみんなで行こうねぇ~」
透は小さな声でそう言い直した。
最寄りの駅で電車を降りて、途中で透とも別れる。
伶とふたりきり。
少しだけ前を歩く伶の背中を見つめる。
色んな人が、伶のこと見てた。
私が見ているのは、いつもこの背中ばっかり…。
「玲奈?早くおいで」
一緒に歩く距離が広がっていることに気づいて、伶が振り向いて私を見る。
他の人が、伶のことを見るのはイヤ。
でも伶も、私以外の人を見たらイヤ。
「…玲奈?」
———…っ。
私、なんてこと考えてるんだろう。
心臓が、ドキンと音を立てて、顔が一気に火照るのがわかった。
「えっ!!玲奈?なにこれ、競歩?」
途端に早歩きで追い越した私についくる伶。
ちょうど空は夕焼けに染まっていて。
それで私の顔が真っ赤なのは、伶、気づいてないよね?
「負けた方が、晩御飯作って風呂掃除と洗濯!」
「元気なさそうって心配してたのに元気だな!」
…ああ、どうしよう。
私、全然分かってなかった。
『ずっと一緒にいたい』とか
『そばにいて欲しい』とか
好きっていう気持ちは、そういうので全部だと思ってた。
さっき一瞬だけど、
伶のことを独占してしまいたいって
そんなふうに思ってた。
自分がこんな邪なことを考える、嫌な女になるなんて想像もしてなかった…。
「風呂掃除も洗濯も終わったよー」
伶はそう言いながら、ソファの上で膝を抱えて丸くなってる私の隣に腰を下ろした。
「…ありがと」
伶は優しいから、私が突然始めた早歩きの勝負には負けてくれて。
晩ご飯も作ってくれたし、お風呂掃除も洗濯もしてくれた。
「何か…あったの?」
珍しく、伶が私に聞いた。
お互いの心に深く踏み込まないようになってからは、聞かなくなったこの言葉。
「…今日ね、」
伶のその言葉に、私も素直に思ったことを声に出した。
「伶と透がピアノ弾いてた時に、まわりにいた人たちがみんな2人を見てたの。技術もだけど…容姿もみんな褒めてて…」
「透が聞いたら喜びそうな話だな。…それで?」
「2人がものすごく遠い存在に感じた。それで思ったの。私のなのに…って。私だけのものなのにって。…他の人が、伶のこと見るのはイヤなの」
少しだけ間を置いてから、伶が静かに笑ったのが分かった。
「俺は子どもの頃からずっと、玲奈だけのものだよ」
「……え?」
顔を上げて伶を見ると、私を見て微笑む伶と目があった。
それから伶は立ち上がって、上から私を見下ろしながら話を続ける。
「こないだも買い物途中で飛び出したった玲奈を探したし?今日も、荷物持ちしてご飯作って掃除して洗濯して。昔からずっと玲奈のお守りしてるだろ」
「いじわる…!!」
隣にあったクッションを伶の背中に投げつけた。
あはは、と伶は声に出して笑う。
「さーて、練習しようっと」
伶はピアノの前に座る。
部屋中に響く、伶のピアノの音。
私だけの特別な時間。
"子どもの頃からずっと玲奈だけのもの"
そんなこと言われたら、また邪な気持ちが出てきてしまう。
心がまたぎゅっと痛くなって、ドキドキと音を立てる。
「…玲奈、何か弾こうか?」
伶がそう言ってくれた時。
ひゅぅっと風が通り抜ける音がして、窓ガラスがカタカタと鳴った。
「風……」
窓の方を見ていると、伶が答える。
「さっきニュースで台風が近づいてきてるって言ってたよ」
「そうなんだ…」
今日はあんなにいいお天気だったのに。
カーテンを閉めていない窓の外を見ながら、伶の質問に答えた。
「……テンペスト…弾いて」
ベートーベンのピアノソナタ。
その題名通りの緊張感ある曲。
「わかった」
窓の外を吹く風みたいに。
私の心もざわざわする。
ママと子どもの頃に話した、運命の人の話を思い出した。
あの時、思ったとおり。
私は運命の人なんか要らない。
伶が私だけをずっと見て、そばにいてくれたらいい。
また、
外で風が通り抜けて行く音がした。
嵐が、来る———。
———もし、
もし
願いが叶うなら。
この心を、無欲なものに変えてしまいたい。
『好き』がこんなに複雑だなんて知らなかった。
伶の心を自分のものにしたいなんて
思いたくない。
伶の心が自分に寄り添っていてくれれば嬉しいと思ってた、その時の自分のままでいたいの。
ひとつ欲しがれば、
無限に欲が出てきそうで、それが怖い。
そんな醜い心の持ち主に、なりたくないの。
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彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
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守 秀斗
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