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第2章 夏

14. (Rena side)

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ずっとずっと昔から。
私の側には、必ず伶がいてくれて。

だからいつも、
安心して思い通りに行動できた。

いつでも気持ちを察してくれて
私が求めていることを言葉でも行動でも示してくれる。

伶は私だけの"特別"。

私が伶を遠ざけてしまった3年を経ても、
まだ私だけの特別でいてくれる…?



「…伶、玲奈」
あれ?名前…呼ばれてる…?
「伶、玲奈!2人とも起きなさい!!」

えっ!!?

最初よりも大きな声が上から降ってきて、びっくりして飛び起きた。
伶を見ると、同じく驚いた表情。
それから。
「…父さん、帰ってたの?」
伶のその声を聞いてから、視線をたどる。
「パパ…」
振り返ると、怒った様子のパパが私たちを見下ろしていた。

「2人とも座りなさい」
「…ハイ」
パパを怒らせると怖いのは分かっているから、大人しく従う。
この状況良くないって思って、一気に目が覚めた。
並んで座る私と伶に、目の前に立つパパ。
「今、何時か分かる?」
パパにそう聞かれて、私も伶も答えられない。
口調は優しいけど、めちゃくちゃ怒ってる。
「もう10時過ぎてるよ」
そんな時間…。
パパはこういう生活態度に、すごく厳しいの。
どうしよう、もうすでに怖くて泣きそう。
「それから、キッチンでペットボトルが倒れてお茶はこぼれたまま、グラスが割れてるのをそのままにしていたのはどういうことなのかな?すぐに片付けようとか、危ないとか、2人ともそういうことは思ったりしないの?」
「俺が片付けるの忘れてた。ごめんなさい」
「違う!こぼしたのも割ったのも私!」
謝る伶の方を向くと、パパに頭を掴まれて前を向かされた。
「玲奈、話しているのはこっち」
ああああ…パパ相当怒ってる。
パパに怒られるの、すっごく苦手。
言い方は優しいのに悪魔のように怖い。
「お茶をこぼしたのもグラスを割ったのも玲奈で、伶が片付けるのを忘れたっていうのは、どういうことなのかな?玲奈がすぐに片付けるべきじゃなかったのかな…?それに謝るのも、伶じゃなくて玲奈だと思うんだけど、違うかなあ」
う…。
何も言えない…。
「ごめんなさい…」
何とか絞り出した声に、涙がこぼれ落ちる。
「それで…」
「ねえパパ、怒らないで」
「あっコラ!泣かない!!玲奈はもう、いっつもそうやって…」

結局、いつもパパに怒られる時と同じで。
私が泣いて、途中でパパの話の腰を折ってしまう。

「とにかく、長期休暇を日本で過ごすことを許したのは、2人を信じていたからだよ。なのに、夜更かしか夜遊びか知らないけれど、こんな時間までこんな場所で寝てるし、危ないものの片付けも放ったらかしにしてるし。親の目が届かない所で怠けた生活するんじゃ、今すぐ向こうに帰ってきてもらうからね」
最後に、ものすごく冷たい声でそう言われた。

2人とも顔を洗ってきなさい、とリビングから追い出されて、伶と洗面所へ行く。
顔を洗う伶のTシャツの裾を、後ろから引っ張った。
「…伶、ごめんね。私のせいでパパに怒られて」
私が昨日、ちゃんとしなかったせいだもんね。
それにこっちに残っていたいって言ったのも、私だし…。
「いいよ、俺も片付けしなかったし。玲奈が寝たあと部屋に連れて行けたけど、それもしなかったし。俺も悪い」
タオルで顔を拭きながら、伶はそう言ってくれる。
本当は、パパの言った通り。
伶が悪いところなんてひとつもない。
それなのに…優しい。
「でも…」
「そんな顔しなくて大丈夫」
振り向いた伶に、頭をわしゃわしゃっと撫でられた。
「それに、あのくらいで泣かなくてもいいでしょ」
「パパが怒るの、怖いんだもん。泣くのが条件反射みたいになってるの」
私は子どもの頃から、しょっちゅうパパを怒らせるような事をしちゃって、その度に泣いて。
でも何回繰り返しても慣れない。
普段温和だから、そのギャップがだめなのかな。
分かってるのに、また懲りずに怒らせちゃうっていうね…。
「昨日の映画よりも怖い?」
「意地悪言わないで!」
あはは、と声を出して笑う伶の手をつかむ。
昨日の映画を思い出しちゃって、1人でいるのが怖い。
「ここにいて」
「…もう朝だよ?」
「伶が思い出させたからだよっ。鏡に何か映るかもしれないじゃない。やだ!」
「映んないよ。…仕方ないなぁ」
私が顔を洗う間、伶はそのまま洗面所にいてくれた。
昨日の夜も、なんだかんだ言って、ずっと抱きしめててくれたんだよね…。
…ていうか。
私、昨日すっごく怖くて、伶にひどいこと言わなかった!?
『俺に襲われるぞ』
そう言われた時、『絶対ダメ』って答えたよね?
それなのに、伶は…。
『好きな女って?』
っていう私の質問には、
『玲奈だろ』
そう答えてくれた。

…あれ?
なんか昨日言ったこと思い出すと、色々とすごいワガママだし、私サイテーな気がする…。

「玲奈?おわった?水出しっぱなし」
洗面台の前で立ち尽くす私の横から、水を止めてくれる。
「どうしたの?ぼーっとして。いこ、着替えないとまた怒られるぞ」
「うん…」
伶にくっついて洗面所をでて、自分の部屋に戻った。

昨日の夜のこと、伶に謝りたいけど。
なんて言えばい?

「なあ、玲奈——…」
部屋で着替えていると、伶の声がする。
顔を上げると、部屋の入り口に伶が立っていた。
「あ…」
ぽかんとした伶の顔が、だんだんと赤くなっていく。
「え?」
「…早く、服着て」
伶が真っ赤になった顔を逸らしてそう言う。
え?
自分の姿を改めて見てみた。
「きゃあぁ!!」
下着姿でワンピースを手に持ったままの状態。
慌てて着替える。
「なっ、なんで伶いるの!?」
「玲奈の部屋のドアが開いてたから、閉め忘れてリビングに行ったのかと思ったんだよ!」
「違うもん…っ」
ワンピースの背中のファスナーを上げようとするけど、焦っているからかうまく上げられない。
はぁ…とため息をつくのが、すぐ後ろで聞こえた。
「髪の毛かんじゃってる。ちょっとじっとしてて」 
伶の指がたまに背中をかすめる。
その度にびくっとしてしまって恥ずかしい。
心臓の鼓動も速くなる。
別に裸だって何度も見られたことがあるのに、服を着せてもらってドキドキするなんて。
「…ほら。できたよ」
ファスナーを上まであげてくれて、肩をぽんぽんと叩かれた。
「ありがと…」
振り向いて伶の顔を見る。
さっきまでは、顔赤かったのに、もう普通に戻ってる。
…私だけなのかな、こんなのでドキドキするのは。
少しだけ寂しく感じて、視線を下に落とした。
「伶、こーゆーの、慣れてる」
意地悪な事を言ってしまう。
本当はそんなこと言いたいんじゃないのに。
「…まあな」
そんな声と同時に伶に抱き寄せられて、頭を優しく撫でられた。
「どっちかっていうと、脱がせる方が得意だけど」
…えっ!?
腕の中で甘えていると、そんな声が降ってきて、思わず顔を上げる。
笑っている伶の顔。
からかわれたのね……。
「行こう」
そう促されて、部屋を出た。

「何で部屋のドア開けたままだったの?」
階段を降りながら、伶が私にそう聞いた。
「だって怖いもん。閉めてて何かきたらどうするの?」
「こないよ。それに、開けたままで外から何かに覗かれる方が怖くない?」
「そっか。じゃどうしたらいいの?どっちも怖いよ…」
「例えで言っただけだし。何も来たりしないよ」
「でも…」
「大丈夫だって」
伶がリビングのドアを開けて、私を先に入れてくれる。
中に入ると、パパがダイニングテーブルに朝食を並べてくれているところだった。
「ちょうど出来たところだよ。食べよう」
いつもの優しいパパ。
それにほっとする。
「ねえパパ、私が割っちゃったグラスは?」
「それは帰ってきてすぐ気づいたから片付けたよ。2人を起こす前に」
私たちが起きた時点で、もう片付けてくれていたんだ…。
「パパありがとう。大好き!」
「はいはい」
パパに飛びつくと、ぎゅっと抱きしめてもらえる。
いつまでもコドモだなあ…って笑われたけど。

「2人とも、どうしてソファで寝てたの?」
3人で食事をしながら、パパが私たちに質問した。
「俺が寝れなくて、リビングで映画を観てたら玲奈が降りてきて…そうなった」
「喉渇いてお茶を飲みにきただけだったのに…。伶が怖い映画観てたからだよ!」
「ひとりの時くらい、いいでしょ」
「止めてくれてもよかったのに」
「そうだけどさ。あそこまで怖がって離れないなんて思わなかったし」
「すっごい怖いの観てた!」
目の前で私たちが言い合っているのを見て、パパが苦笑する。
「2人とも仲良しだね」
「…うん」
パパの言葉に、伶が頷いた。
「伶はいっつも優しいよ」
私も答えると、パパは声を出して笑った。
「伶は昔から玲奈に甘いよ。じゃあ、伶が寝れないのは玲奈のワガママのせいかな?」
「それもある」
「え!なんで!」
「玲奈はいつも、気分で周りを振りまわすからだよ」
パパがサラッと私の欠点を指摘する。
それを聞いて笑う伶。
「ひどい!」
「合ってるだろ」
そう言われて反論できない。
パパの言う通り、伶は私を甘やかせてくれるの知ってる。
昨日だって、そうだったもんね。

「そうだ、2人とも」
食事を終えて、パパが食器を下げながら私たちに話しかける。
「だらけた生活の罰として、今日は一日、父さんに付き合ってもらうからね」
にっこり笑いながら、パパはそう言った。
その笑顔に、私も伶も何も言えず、ただ頷く。
もう許されたのかと思ってたけど、違ったんだ…。

「ねえねえパパ、どこにいくの?」
午後になって、着いてきなさいと言われて、私と伶はパパが運転する車に乗せられた。
後部座席のシートで、我慢できずにパパに行き先を尋ねる。
「仕事だよ」
運転席から返ってきたその言葉に、私と伶は顔を見合わせた。
「仕事!?」
伶が驚いた声を出す。
「そうだよ。19時からコンサート」
「父さんの…?」
「もちろん」
そう言われて、私も伶も何も言えなくなってしまった。
「コンサートをどうやって作るのか、見てもらおうかと思って」

パパは、今まで一度も、仕事場に連れて行ってくれたことはない。
コンサート自体は、何度か行ったことある。
それでも、片手で数えられるくらい。
こないだ沖縄での奈々ちゃんのコンサートで、パパとママが舞台に立ってるのを観たのも、何年振りだっただろう…。
観客席で見るパパは、ものすごく特別。
でもその特別さが、夢のように感じてしまって、あまり現実味がない。
そもそもコンサートが始まる前の時間が、どんなものなのかすら、想像がつかない。
それを見るのが、罰なの…?

わあ…。
パパに連れられて、ホールの中に入った。
入り口のところで立ち止まって、中を見回す。
たくさんの観客席。
高い天井。
ステージの上にあるピアノが輝いて見えた。
調律をしているのか、キレイな音が響く。
「玲奈、どこのピアノかわかる?」
パパに聞かれた。
「スタインウェイ」
「さすが玲奈だね。じゃあここに、お客さんが入って満席になるでしょ。その時の音の響き方は想像できる?」
「パパの音で…、うん、できる」
「よし!」
パパはにっこり笑うと、ステージの方へ歩き出した。
「あ、涼介さん!お疲れ様です」
途中、客席のチェックをしていた若い男のスタッフの人が気づいて、声をかけてくれた。
「お疲れ様。今日はよろしくね」
「よろしくお願いします!…あの、その2人は…?」
私たちに気づいて、スタッフの人は首を傾げる。
「うちの子どもたちだよ」
「え!!涼介さんのお子さん達って、もっと小さいのかと思ってました!」
驚いているスタッフの人に、私たちは挨拶をする。
「2人とも。ここにいるスタッフのみんなは、いつも日本でコンサートする時にお世話になる方たちばかりだから、失礼のないようにしてね」
パパにそう念を押された。
「涼介さんはいつも、スタッフの僕たちにも気を遣ってくれて優しいんですよ。それにピアノの音が最高だし…!僕たちは毎回一緒に仕事をするのが楽しいです」
私たちにそう言って笑ってくれるスタッフの人。
パパのことを褒められて、なんだか嬉しい気持ちになる。
おいで、とパパに言われて、私たちはステージの上に上がった。
「悠人!」
パパがピアノを調律している人に声をかける。
…あ、気づかなかったけど、悠人さんだったんだ。
「お~涼介!…と、伶、玲奈も一緒か!!珍しいな」
顔を上げてこっちを見ると、すぐに道具を置いて近くに来てくれる。
「久しぶりだな!元気にしてたか?」
悠人さんは私と伶の頭を同時にわしゃわしゃと撫でた。
相変わらず豪快なこの人は、パパの友人のコンサート調律師。
うちのピアノも調律してくれるし、ドイツでも何度か会ったことがある。
「2人を連れてくるなんて、どういう風の吹き回しだ?この世界に引きずり込むのは嫌だと、絶対連れてこなかっただろ」
私と伶の肩をがっしり掴んで、悠人さんはパパに聞く。
「もう流されずに自分たちで判断できる年だし。どういう風にコンサートをつくっているのか、見せてもいいかなと思って」
「そうか」
「調律は玲奈に任せる。2人でやってくれる?」
「いいぞ。いい仕上がりになりそうだ」
…あ。
それでさっき、パパは私に音のイメージができるか聞いたんだ。
「あれっ、涼介さん調律に立ち合わないんですか?いつもはそれにものすごく気を遣ってるのに!」
ステージ上にいた別のスタッフさんが、駆け寄ってきてパパに聞く。
「うん。彼女が1番いいと思う音でいい」
それから…、とパパは私たちの方を向いた。
「調律終わったら、伶が音とタッチの確認しておいて。何でもいいから好きに弾いて」
「分かった」
「じゃあ2人はここにいてね。打ち合わせしてくるから」
まわりがザワザワしていたけれど、パパは気にせず私たちをステージの上に置いて、数人のスタッフさんとステージの袖から奥へと消えて行った。

パパ、そんなに音を大事にしてるのに、私に任せてくれるんだ…。

「悠人さんも知り合いなんですか?この2人」
ステージ上に残っていたスタッフさんが、悠人さんにそう尋ねる。
「2人は涼介の息子と娘だよ」
「え…!?」
「それに玲奈はめちゃくちゃ耳がいいんだ」
悠人さんに肩を掴まれたまま、ピアノの前に連れてこられた。
「さぁて、やるか!」
音を想像して調律するのって楽しい。
パパの出す、澄んだ美しい音に合う音色。
それを調整する。
伶はイスに座って、私たちの様子を見て微笑んでいた。

「…よし、これでいいな?」
悠人さんに聞かれて、私は頷いた。
調律が終わったのにホッとして、近くに座っていた伶の側へ行く。
すると、伶はスッと立ち上がって、イスを譲ってくれた。
「玲奈、すごくいい音にしたね。すごいと思うよ」
そう言って、頭を撫でてくれる。
…伶に褒めてもらえるのが、1番嬉しい。
そのまま、伶に抱きつく。
「でも色んな人に聴いてもらう音だよ。少し心配だよ…」
パパが任せてくれたのは嬉しいんだけど、不安でもあった。
慣れない場所にいるからか、周りの声がすごく聞こえてきて、心が乱される。
それに、パパがコンサートのこと、すごく大事にしているの知ってるから。
だから、パパのことを考えて音を作っていくのはものすごく楽しかったけど、本当に仕上がりはこれでいいのかなって気持ちもあった。
「大丈夫だよ。自信持っていい」
私の不安な気持ちを落ち着かせてくれるように、
背中を優しくなでてくれた。
それで少し安心できる。
「伶、弾いていいぞ」
悠人さんに声をかけられて、伶は返事をした。
ステージ上やホールにいたスタッフさんたちがざわめく。
でも伶は気にする様子もなく、私に聞いた。
「…玲奈、弾いて欲しい曲ある?」
いつもの質問だけど、今日は悩む。
ステージ上から、観客席を見渡してみた。
こんなに広いんだ…。
確認も兼ねて、私がイメージした音をこのホールに響かせる曲は?
「…決めた。ワルトシュタインがいい」
「分かった」
伶が微笑むと同時に、私は立ち上がる。
「ねえ、悠人さん。私、観客席に座って聴いてもいい?」
「ああ、いいね。オレも下で聴くわ。音がどんな風に聴こえるか確認しよう」
「やった!」
伶のコンサートを聴けるみたいで嬉しい。
悠人さんとステージから下りて、観客席に座った。

伶がピアノの前に座って、鍵盤に指を落とす。
…わぁ……。
家で聴くのとは全然違う音の響き。
キレイ…。
ベートーベンのピアノソナタの21番。
『ワルトシュタイン』別名、"夜明け"。
始まりは馬の駆ける音を表しているらしい、打楽器を連打するような、そんな始まり。
静かで、だんだん力強くなっていって、そして美しい。
壮大なイメージのこの曲は、伶の静かで深い音に合っていると思った。
ピアノはパパが出す音に合わせて調律しているけれど、それでも十分に音を引き出せている。
最後の第3楽章のパッセージが、まばゆい太陽が夜の帳を開けてのぼってゆく様子にたとえられて、"夜明け"と呼ばれているの。
私がイメージしていたこのピアノの音が、夜明けのようにこのホールを輝かせていって、聴いている人たちの心に響けばいいなと思った。
気がつけば客席の照明が落とされていて、ステージの上だけ照明が当たっている。

…すごくカッコいいなあ。
見てるだけでドキドキする。

いつの間にか、私が座っているすぐ横の通路にパパが立っていた。
腕を組んで、伶を真っ直ぐ見ている。
私の視線に気づいたのか、パパは目線を伶から私に移した。
「玲奈、いい音に調整してくれてありがとう」
パパが微笑んで頭をなでてくれる。
「伶が弾いてる曲は、玲奈が選んだの?」
「そうだよ」
「いい選曲だね」
伶が弾く様子を見ているパパは、すごく楽しそうな顔をしていた。

最後の一音が響いて、鍵盤から指が離れる。
それと同時にわっと拍手が湧いた。
「さすが伶だなあ。最高級のピアノ弾きこなすなんて」
隣で悠人さんが笑った。
「玲奈の音のイメージ通りに仕上がってた?」
「うん。伶が弾くのとパパじゃ音の質が違うけど、大丈夫」
客席にも照明がパッとつく。
パパはステージに上がって、伶と何か話をしていた。
鍵盤のタッチの確認かな。
「玲奈、おいで」
悠人さんに言われて、一緒にステージへ上がる。
その時に周りを見てしまって。
スタッフさんたちがこっちを見て、さっきの伶の演奏について色々話をしているのが聞こえてきた。
そのザワザワしたのが気になる。
「どう?涼介。タッチの深さは問題なさそう?」
悠人さんが、さっきの曲では使わなかった高音域を確認しているパパに話しかける。
「うん、なめらかでいいね」
「玲奈」
よそ見をしていた私の手を、伶が引っ張る。
「玲奈の思ってた音が出てた?」
そう聞いてくれた伶は、すごく優しい目で私を見ていた。
「うん」
返事をしても、手は握ったままでいてくれてる。
私たちのやりとりを聞いたパパが、私の頭をポンポンとなでた。
「リハで確認はするけど、このままの音でいく」
パパはみんなに、ハッキリとした声でそう宣言する。
それから私たちの方を見て、ついておいで、と小さな声で言った。

パパに連れられて、控え室と書かれたドアの中に入った。
パタンとドアが閉まるのを確認してから、パパが口を開く。
「2人ともごめんね。子どもたちを連れてくってみんなに言ってなくて、まわりが色々うるさかったよね」
私と伶の前に立って、私たちの顔を見ながら謝ってくれた。
「俺は気にならないから平気だよ」
「そっか。じゃ、玲奈ごめんね。みんなには2人のこと説明しておく」
パパはもう一度謝ると、私をハグする。
「玲奈、聞きたくない"音"は、聞かなくていいからね。自分の心に従って選んで」
静かな声でそう言われた。
私が周りのザワザワした声に気を取られていたことに、伶もパパも気づいてくれてた。
それで一旦、静かな場所に連れてきてくれたんだ…。
「座って」
パパは部屋の奥にあるソファに私と伶を誘導して、そこに座らせてくれた。
「玲奈聞いてもいい?ピアノの音は、どうやってあの音に決めたのかな」
パパは立ったまま、優しい声で私に質問した。
「プログラムを教えてもらって、曲のイメージに合わせたの。本当は、休憩はさんで前半と後半で少し音色を変えられたらよかったんだけど…。それは無理だから、低音域、中音域、高音域で少し音の種類を変えるようにした」
「なるほど…。玲奈はすごいね。あんな音、思いつかなかったから聞きたかったんだ」
褒められて、頭を撫でてもらえる。
「じゃあそれを弾いてみて、伶。どうだった?」
「低音域は深く響いて、中音域には安心感、高音域は甘めの音だけどスッキリ聴こえる音になってる。音の移行には違和感がなくて綺麗に連続してた。和音でとってもどこかが主張しすぎる事もなく、まとまってる。激しく弾くところもゆっくり流れるようなところも、全部キレイに響いてた」
「よく音を捉えられてる。きちんと確認しながら弾いてくれてありがとう。伶がコンサート開けそうなくらい上手だったよ」
伶が弾いてるのを見ていた時と同じ顔で、パパは伶の肩をポンポンとたたいた。
「よし、2人ともしばらくここで自由にしてて。テーブルの上のものは好きに食べていいよ」
そう言うと、パパは部屋を出ていった。

伶と2人きりになって、しんとした部屋。
目の前のテーブルの上には、飲食物がたくさん置かれている。
「飲み物もらお。玲奈もいる?」
頷くと、伶はペットボトルのキャップを開けて渡してくれた。
それを飲みながら、隣に座っている伶を見る。

…さっき、ピアノ弾いてる伶は、すごくカッコよかったな。
それにすごくドキドキした。
パパがコンサート開けるくらい上手だったって言ってたけど…
周りの人たちも同じような事を言ってた。
それを聞いて、ぎゅって胸が痛くなったの。
伶のこと、褒められて嬉しいはずなのに、急に伶が遠くに感じて寂しくなった。
「なに?そんなにじっと見て。俺に見惚れちゃってるの?」
「うん…」
「…こら。冗談だったのに、調子狂うだろ」
伶がゲンコツでコツンと私の頭をたたく。
それでようやく、伶から視線を外した。
「すっごくかっこよかったよ。みんな、伶のピアノに夢中だった」
飲んでいたお茶のペットボトルをぎゅっと握りしめて、それだけ言葉にする。
すると、握りしめていたペットボトルを伶に取り上げられてしまった。
「みんなは、どーでもいいの」
伶はそれをテーブルの上に置いてから、私の方に向き直る。

「俺は、玲奈だけのために弾いたんだよ」

すっごく優しい表情。
胸がドキンと鳴って、泣きそうになる。
「玲奈はどうだった?」
思わず手を伸ばして、伶に抱きついた。

どうだったなんて、そんなの決まってる。
私がリクエストした曲を弾いてくれる伶は、
いつだって優しいし、
カッコイイし、
ものすごくキレイだ。

深く鋭く刺さるような音も、
甘く響き渡る音も、

それは全て、私だけのもの。

私を抱きしめ返してくれる手が、力強くて温かい。
伶はいつだって、私が欲しいものをくれる。
それは言葉だったり、行動だったり。
なのに私はいつも素直じゃなくて、伶のことを困らせてばかり。
伶に抱きついている手に、さっきよりもぎゅっと力が入った。

「私、本当は"絶対ダメ"なんて思ってない。昨日はごめんね…」



———もし、
もし願いが叶うなら。

伶のすべてを私だけのものにさせて。

他の誰にも見せたくない、聴かせたくない。
私以外の誰かが、伶に関心があるのは嫌なの。

伶が言ってくれる、
『俺は玲奈だけのものだよ』
それを現実のものにさせて。

いつもずっと、
伶だけを近くに感じていたいから。
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