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第2章 夏
22. (Rena side)
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この世が色褪せて見えると気づいた時。
私はその時に、全てを諦めた。
きっとこれは罰だから、
一生この世界で生きていってもいいと思った。
臆病で、
自ら死を選ぶこともできない私が
受け入れるしかない現実。
脳裏に焼き付いている
これまでの鮮やかな思い出。
それが残っているだけ、
私は恵まれているじゃないか。
ベッドの上で、伶の体温を直接肌に感じながら、微睡んでいた。
数日ぶりに身体を重ねたあと。
伶の腕の中で甘やかしてもらえるのが、とても心地いい。
「…ねえ玲奈」
「なあに?」
ふいに話しかけられて、伶の方を見る。
「昼間、透が来た時、2人で何話してたの?」
「えっ!?え…っと」
思いがけない質問に、言葉を詰まらせてしまった。
今日のお昼、透が遊びにきてくれた時に、リビングのソファでゴロゴロしていた訳を聞かれて。
いつからなの?その日は何かあったの?って質問攻めにされて、伶とのデートを思い出して赤面したら。
『伶とエッチしたでしょ』
って言われた。
すぐ顔に出ちゃうから嘘もつけず、透に根掘り葉掘り質問責めにされた。
その時の事を思い出しただけで恥ずかしくて、伶の胸に顔を埋めて腕を回してぎゅっとしがみつく。
「…ずっとザワザワして変な感じがするの、伶と…その…しちゃったからじゃないのって。もっとたくさんすれば原因分かるかもよ、って言われた」
透に言われたことを答えると、伶は頭をぽんぽんと撫でてくれる。
その一方で、はあ、とため息をついているのが分かった。
「それでさっき、やめないでって言ったの?」
———あ。
そっか、それで伶はため息ついたんだ。
透に言われたからエッチしたの?って思ってるってことだよね…。
「違うよ。それは、伶にダメって言われたから」
「え?」
「…だって、伶に『ダメ』って言われるの、嫌なんだもん。だからやめたくなかったの!」
「もー…、それって俺、どうすればいいの」
半ば呆れたような声で、伶にそう言われた。
伶はいつも優しいから。
だから大抵のことは『いいよ』って言ってくれる。
いつも私のことを優先させてくれて。
そんなだから、たまに『ダメ』って言われると、悲しい気分になっちゃうんだよね。
ものすごくワガママだって分かってるけど…。
「あのさ、玲奈」
「なあに?」
顔をあげると、伶とばっちり目が合った。
「俺は、この先も玲奈とこういうコトできるって、期待してもいいの?」
じっと見つめられて、顔が一気に火照る。
伶を見てられなくて目を逸らしてうなずいた。
「いいよ…」
ものすごくドキドキするし、まだ途中で怖くなったりするけど。
でも、伶に触れられるのも触れるのも、気持ちいい。
もっとずっと、伶の腕の中にいたい。
「もう、こういうコト、俺以外としないでくれる?」
「きゃ…っ」
伶に肩を抱かれて、ベッドに押し戻される。
目を開けると、伶が私の上に覆いかぶさっていて、真剣な表情で私を見ていた。
「俺以外の男と、透とも、しないで」
「…うん。しない…」
答えるや否や、伶にキスされる。
それから、この日2度目のエッチをした。
それは、数日前や直前のそれとは比べ物にならないようなもので。
どうにかなってしまいそうな感覚に、ドキドキしすぎて、怖くて。
それなのに、もっと伶のことが欲しくなる。
私のことを真剣に見つめる眼差しとか、ものすごく大事に扱ってくれていることとか。
そういうのに気がついて、愛されてるんだなって心の奥底から幸せを感じた。
伶に触れられるところが、ぜんぶ気持ちよくて、何も考えられなくなる。
目の前が真っ白になって、ふわっと宙に浮いたような感覚がした———。
「…玲奈、玲奈」
伶が私を呼ぶ声に、優しく頭を撫でられてる感触。
「ん……」
ゆっくりと目を開くと、ベッドの端に座って、私を見下ろす伶の顔があった。
部屋の中は、いつの間にか明るくなっていて、遠くで鳥の鳴く声が聞こえる。
「………朝?」
「うん。そろそろ起きて」
「私、いつの間に寝ちゃった?」
「え?言うの?」
意地悪な顔をして笑いながら、伶は私を起き上がらせくれた。
さ…最中に寝ちゃったってことだよね!?
「ごめんね……」
恥ずかしさで伶の顔を見れなくて、ぎゅっとしがみついて、謝った。
「何で謝るの。すごく可愛かったのに」
伶も私をぎゅっと抱きしめてくれて、額に軽くキスもくれた。
「シャワー浴びておいで。昨日、晩ごはんも食べてないし、お腹空いてるんじゃない?朝食つくっておくから」
「ありがと…」
「行こ。立てる?」
差し出してくれた伶の手を掴んで、ベッドから降りた。
腰が重たい。
立った瞬間にそう思って、次の一歩が踏み出せず、そのまま伶に抱きつく。
「…少しだけ、このままでいて」
そうお願いすると、頭の上でふふっと伶が笑う声がした。
「歩けないの?」
伶のそんな言葉と共に、身体がふわっと持ち上げられる。
「伶っ」
「かわいすぎ」
クスクスと笑う伶の顔がすごく優しくて、何も言えなくなる。
伶に抱っこされて、お風呂場まで連れて行ってもらった。
「はー…」
お湯に浸かって、身体を伸ばす。
疲れた身体にしみるというか…。
伶が入浴剤を入れてくれていて、その香りにも癒される。
晩ごはんも食べることなく朝まで寝ちゃってたから、疲れてるわけじゃないんだけど。
なんだかその、腰の辺りがすごく重たい。
昨日の伶とのことを思い出すだけで、なんだかすごいコトしてしまった感じがして、胸がドキドキした。
…伶、すごくすごく大切に、大事そうに私の身体を扱ってくれてた。
それがとても嬉しくて。
湧き上がってくるような"幸せ"を感じることができたのは、いつ以来だろう。
昔はそれが当たり前のようにあった。
何も感じられなくなったのは、私が伶の手を振り払ってからだ。
あの日以来、色んなものを失った。
…でも、少しずつ取り戻せているよね。
伶に触れられるようになって、
手を繋いで、キスをして、身体を重ねて。
それに、歌が。
少しだけど、声が出せるようになった……。
あとで練習してみようかな。
声、もっと出せるかな。
そんな事を考えていたら、うるうるしてきてしまう。
もう、歌は2度と歌えないって思ってたから。
昨日は本当に自分でもびっくりしたし、嬉しかった。
「玲奈~?まだ上がらないの?」
ドアの向こうから伶の声がして、泣きそうになっていた顔に慌ててお湯をかける。
「もう出るよ!」
返事をしてお風呂から出た。
髪を乾かしてリビングに行くと、キッチンカウンターの前に座っている伶がすぐに気づいてこっちを向く。
「食べよ。父さんと母さん、もう少ししたら帰ってくるって言ってるし、透が朝帰りのついでに寄るって言ってる」
「そうなの?…あ!」
伶のそばへ行くと、カウンターの上に並べてある朝食が私の好物だってことに気づく。
「ごはん、ありがとう伶。私の好きなものばっかり!!」
お礼を言うと、伶が優しい顔で微笑んだ。
「今日は特別だから。玲奈が歌、歌えるようになったお祝い。今はコレしかできなかったから、また今度ちゃんとし…わっ!」
伶が喋り終わらないうちに、思い切り抱きついた。
…どうしよう。
嬉しすぎて涙が出てくる。
私の歌のこと、特別だって思ってくれるの?
お祝いとか、考えてくれるの?
「伶だいすき…!」
「俺も玲奈のこと大好きだよ」
落ち着いた声に、優しく抱きしめてくれる力強い腕。
朝から最高に幸せを感じる。
「…ほら、泣かないで。冷める前に食べよう」
伶が私の目に溜まっている涙を拭って、頭を撫でてくれた。
一緒に並んで食べる、その『特別』な朝食はすごくおいしかった。
それに、ダイニングテーブルじゃなくてカウンターで、伶との距離もすごく近い。
お皿を空にしてフォークを置くと、すぐそばにある伶の肩に寄りかかった。
「どうしたの?甘えんぼの時間?」
「そう、ちょっとだけ」
「俺ももっとこうしてたいけど。もう父さんたち帰ってきちゃうから、片付けないと」
伶にそう言われて、不本意ながらも離れる。
「…怒らないの」
頬を膨らませる私を見て伶は笑うと、キスをひとつくれた。
それだけで、機嫌が直る。
「私、片付けするね」
「いいよ、今日は特別だから俺がやる」
伶は言い終わらないうちに立ち上がると、スッと2人分の食器類を下げてしまう。
今日は、って言ったけど。
私、最近ずっとゴロゴロして過ごしていたから、家事はぜんぶ伶がやってくれてた。
その事について、伶は一言の文句も言わない。
……優しい。
そう思ったら、心の奥がなんだかじんわり温かくなった。
「私、お庭に水撒いてくるね」
手持ち無沙汰になった私は、伶にそう告げて、リビングの外のデッキから庭に出た。
ホースを持って、蛇口をひねる。
日陰から一歩外に踏み出すと、夏の眩しい太陽の光に思わず目を細めた。
まだ朝の日差しが弱い時間帯だけど、今日も暑くなるんだろうなって思えるような空をしている。
…そういえば、お庭に出るのも久しぶり。
ママが花が好きで、あんまり日本にいないのに、庭にはたくさんの花が植えられていて。
伶かパパがよくお世話をしていた。
私も花は好きだけど、日本に来てからは用事以外で外に出ることがなくなっちゃって、それでこの日本の家の庭にも数えるほどしか出たことがなかった。
ホースから勢いよく出る水を、花壇に撒いていく。
この夏空に映える、色鮮やかな花たち。
ホースの先から出てくる水に太陽の光が反射して、時折小さな虹が見える。
……キレイ。
こんな世界、久しく忘れてたなぁ…。
背の低い花たちの前にしゃがんで、花と葉をかき分けてお水をあげる。
花々の高低差や色のコントラストが美しくて、しばらく見とれていた。
手を伸ばして、その花びらに触れる。
その瞬間、ハッとした。
自分の指先が触れている、鮮やかなオレンジ色の花びら。
「色が……」
鮮やか———………。
その事に気づいた途端に涙が込み上げてくる。
すぐさま立ち上がると、デッキの方へ駆け出した。
「伶!伶…っ!!」
手に持っていたホースは途中で手離して、自分でも驚くくらいの声で、伶のことを呼ぶ。
「…玲奈?どうしたの、そんな大きな声だして」
リビングから慌てて外に出てきてくれた伶に、私はそのまま勢いよく抱きついた。
「なんで泣いてるの?どこか怪我したの??」
次から次へと涙があふれて言葉にならない私を、伶がぎゅっと抱きしめてくれる。
「色が…」
「え?色?ちょっと落ち着いて…」
「なんで、最近ずっと違和感があったのか、やっと分かったの…」
「それで泣いてるの?大丈夫?」
伶が優しく頭を撫でてくれる。
「あの日からずっと…、目に映るものがきれいに見えてなくて。グレーがかった、色褪せたようにしか見えてなかったのに……」
これまで、伶にも、誰にも言えなかった。
目に映る世界の色がよく分からないなんて。
最初は戸惑ったけれど、そのうち、輝きを失った世界で生きていく事には慣れた。
目を閉じれば、美しい世界はいつでも思い出せる。
もう、それで十分だって思ってた。
だけどさっき、気づいたの。
今現実に見ている花が、鮮やかで美しいってことに。
そうしたら、直前にも、キレイな世界は久しぶりだなって思っていて。
水に反射する太陽の光のきらめきや、虹だってクリアに見えていて。
思えばここ数日、目を閉じなくても、そこに美しい世界があったってことを思い出した。
ずっと胸がザワザワして違和感があったのは、世界が色と輝きを取り戻していることを、私が気づいていなかったからだ…。
「今、鮮やかな色も光も、ちゃんと分かるの」
伶の顔を見上げながら、そう伝えたと同時。
「おーい!こっちにいるー?」
背中の後ろから透の声がする。
伶の視線が私から、ふっと遠くに移った。
「…あ、ごめん。邪魔しちゃった?」
私と伶が抱き合っていたからか、透が謝る。
「玲奈の声が聞こえたから庭にいるのかと思って、入ってきちゃった」
「まあ、邪魔っちゃ邪魔された感じだけど。お前が思っているようなコトじゃないから別にいいよ」
透と伶の会話を聞きながら、私も伶の視線を辿って、後ろを振り向く。
「えっ、玲奈、泣いてたの!?」
私たちの方へ歩いてきていた透が、私の顔を見るなり驚いた表情をして立ち止まった。
「伶が泣かせたの?」
「違うよ!今、その理由を聞いてたところだったんだよ」
「朝から喧嘩しちゃったのかと思っ」
「あ!!透っ!!!」
また歩き始めようとした透の足元を見て、思わず名前を呼んだ。
さっき、わたしが庭に放り投げてしまったホースを透が踏んでいて。
何も気づいていない透は、そのまま足を踏み出す。
「え?わっ…!!」
ホースから勢いよく飛び出してきた水が、うねりながら噴き上がった。
それが透に見事にかかってしまう。
焦る透よりも、水しぶきがキラキラ輝いて見える事の方に気を取られて、動けずにいた。
「玲奈…」
そんな私を見兼ねたのか、すぐ隣から伶の呆れたような声がする。
動かない私のかわりに、伶が水を止めに行ってくれた。
「ちょっ、すごい濡れたんだけどっ!」
透ががホースの先を掴むと、水を止めようとしてくれていた伶に向けて、水を浴びせる。
「冷た!!透っ、かけるなよ!」
「オレだけ濡れるのはフェアじゃないだろー」
「それは悪かったって思ってるけど」
私のせいなのに、かばってくれる伶。
2人が騒いでいるのを見て、笑みがこぼれる。
さっきまで泣いてたのなんて忘れてしまった。
「どうせ玲奈だろー!水を出しっぱなしにしたのは!」
透がそう言って、私の足元目掛けてホースを向ける。
「やだっ、ごめん、透」
「こら、玲奈にかけるなよ」
「え?」
逃げる私を見て、透に声を掛けた伶。
その伶の方を向いた透が、思いっきり伶に水をかけてしまう。
「あああ、ごめん!今のはワザとじゃないっ」
「貸して!」
伶は透からホースを奪うと、それを透に向ける。
「なに騒いでるの~?」
2人が水を掛け合って遊んでいると、ママとパパが庭に入ってくる。
車の音に気づかないくらい、2人のやり取りと、水のきらめきや花の色、そういったものに夢中になっていた。
「やだ!2人ともびしょ濡れじゃない!」
「朝から服着たまま水遊び?」
驚いた表情のママに、その後ろで苦笑するパパ。
「あ、おじゃましてまーす」
「おかえり」
透と伶がふざけ合うのをやめたのをみて、水を止めに行った。
「何をしてたらそんなことになるの?」
ママにそう聞かれて、黙り込む2人。
「もー、2人ともそこで服脱いで!お風呂入ってきなさい」
伶と透をまくし立てるママを見ていると、パパが私の方に近づいてきた。
その表情で、怒られる!?って思って背筋が伸びる。
「玲奈。あの2人が濡れてるの、玲奈のせいなんでしょ」
コツンと、ノックするように、軽く頭を叩かれてしまう。
「パパなんで分かるの?」
「理由聞かれて、2人とも何も言わなかったから。玲奈を庇ったんだなって思って」
「うう…」
パパにはなんでもお見通しだなあ。
しゅんとしてると、パパが笑った。
「玲奈はいいね。大事にしてくれる人が2人もそばにいてくれて」
庭からデッキへ上がるパパについていく。
階段を登ったところで、もう一度、庭を見渡した。
太陽の光が花々に降り注いで、キラキラしていて、すごく綺麗…。
「…ねえ、パパ」
前を歩くパパの手を引っ張る。
「前からずっと、お庭ってこんなに花が咲いてた?こんなにキレイだった?」
「そうだよ」
返事をしてくれたパパの声は、すごくすごく優しかった。
立ち止まって庭を眺める私の隣に、並んで立ってくれる。
「日本に来て、玲奈がずっと元気なかったから。せめて家の庭だけでもむこうと同じだったら、外に出てくれるかもって思ってね」
…え……。
私のための、お庭?
ママが好きだからじゃなくて?
この彩り鮮やかな綺麗な花ぜんぶ…。
私がずっと塞ぎ込んで家から出ないでいたから、作ってくれたお庭だったんだ。
そのことに、3年も気づいてなかったなんて。
パパの顔を見上げると、目が合って、とても優しい表情で微笑まれる。
「パパ大好き!ありがとう…っ」
嬉しくて飛びつくと、パパが笑ってハグしてくれた。
私、あの日。
自分の中で世界が終わったように感じてた。
だけど違ったんだ。
伶も透も、パパもママも、みんな私のことを大事にしてくれていた。
「玲奈ー!」
家の中からママに呼ばれる。
ママのところへ行くと、リビングの奥に置いていた、ショップバッグの山を指差して聞かれた。
「ね、コレなあに?」
「…すごい量の買い物だね。どうしたのこれは」
パパも驚いた顔をして私を見る。
「りっちゃんが、私と伶に買ってくれたモノだよ」
「えっ!?こんなにたくさん?」
「お金はあるから気にしないでって言って…。でもあんまりいっぱいだから、パパとママに見せた方がいいよねって伶と話して、ここに置いておいたの」
「そっか。ちゃんと教えてくれてありがとう」
そう言って、パパは私の頭を撫でる。
「外に出たのは、お買い物だけなの?どこかに連れて行ってもらったりした?」
ママに聞かれて、うん、と頷いた。
3人で行った場所をアレコレ思い出して、パパとママに伝える。
「ちょっと俺、りっちゃんに電話してくるね」
パパがママにそう言って、その場を離れた。
…そうだ。
3人で出掛けたあの時も、世界には色がついていた…。
透が言う通り、伶との関係が前みたいに戻ったからなのかな。
どんよりとした世界にしか見えなくなったきっかけが、伶の手を振り払った後からだから…。
考え事をしていると、ママが心配そうに私の顔を覗き込む。
「玲奈、そんなにたくさん外に出て、大丈夫だったの?体調悪くしなかった?」
りっちゃんとの行動が、あまりにも過密スケジュールすぎたからかな。
私、疲れるとすぐ寝込んじゃうから。
だから最初、胸がザワザワして落ち着かないのも遊び疲れたせいなのかなって思ってた。
「あれからずっと家でのんびり過ごしてたし、家のことは伶がやってくれてたから大丈夫」
「そう。りっちゃん来てくれて楽しかった?」
「楽しかった!」
「よかったわね」
私の答えにママが微笑む。
それから、買い物の山をチラリと見て、私の方に向き直った。
「ねえ玲奈。何を買ってもらったの?ママも一緒に開けていい!?」
さっきまではお母さんらしく微笑んでいたのに、今はもう宝物を前にした子供みたいな顔になってる。
「いいよ。着せ替え楽しいってお洋服たくさん買ってもらったの!」
「えー!ママも着れるかな?かわいいの貸して」
2人でわいわい言いながら、袋を開ける。
電話を終えて戻ってきたパパに、うちにはコドモが3人いたかなあって笑われる。
そこに丁度、着替えが終わった伶と透が戻ってきた。
「女の子チームは楽しそうだね~」
「それじゃあ、男子チームも3人で楽しもうか」
透の言葉にパパが声をかけて、3人はソファに並んで座ってゲームをはじめた。
同じ空間で、大好きな人たちと過ごせる事が、すごく嬉しい。
伶がいて、透がいて、パパとママがいて。
いつもの当たり前のことだけど。
声と、色と。
大事なその2つを取り戻せて、思った。
みんなが、私のことを大切にしてくれていたお陰だなって。
私、気づいてなかったけれど、本当はすごく、幸せだったんだ……。
コンコン、と部屋のドアがノックされる。
「玲奈、ちょっといい?」
「いいよー」
ドアの外から伶の声。
返事をすると、ドアが開いて伶が気に入ってきた。
「ごめん、寝ようとしてた?」
ベッドで横になってる私を見て、伶が謝る。
朝からみんなでわいわい騒いで。
午後になったら、奈々ちゃんもやってきて、夜までみんなで楽しく過ごした。
すごく幸せだったんだけど、まだこの"よく見える"状態に身体がついていかないのか、疲れてしまって。
いつもより早い時間だけど、うとうとしてしまっていた。
「…朝、玲奈が言ってたこと、気になって。今日は一日中騒がしかったから、聞きそびれてた。少しだけ話してもいい?」
「うん」
「あ、横になったままでいいよ」
起きあがろうとすると、ベッドの端に座った伶に頭を撫でられた。
「あの日って言ってたのは、3年前のこと?」
「そう。私が伶の手を振り払った時のこと」
すぐそばにある、伶の手を握る。
あの日、この手を自ら拒否した。
それがどういうことか、あの時は全然分かってなかった。
歌声も色も無くして、世界が一変するなんて。
「じゃあ…あれからずっと、玲奈には、目に映るものがキレイに見えてなかったってことなの?」
「なんて言ったらいいのかな…。色はわかるんだけど、あんまりキレイに見えないっていうか。グレーっぽい、どんよりした感じに見えてたの」
「海も、花火も?キレイじゃなかったの?」
「キレイだったよ、見えてるものの中では…。でも今見たら、もっとキレイなのかも?と思う」
「…そっか」
ふうっと伶はため息をついた。
色の説明って難しくて、うまく伶に伝えられたのか分からない。
「どうしてずっと黙ってたの」
伶の、少しだけ怒っているような声。
じっと目を見られるのに耐えられなくて、フイと目を逸らしてしまった。
「言っても、戻らないって思ったから…。それに、目を閉じたらキレイな景色はいつでも思い出せるもん」
「…声のことだって、俺、透から聞いたんだけど」
「………」
だって、言ったら伶は悲しむでしょ。
それに、自分から触らないでって言った直後に、怜に泣きつくなんてできなかった。
「ねえ、玲奈」
しゅんとしていると、伶が私の手をぎゅっと握り返してくる。
私の名前を呼ぶその声は、怒っている声じゃなくて、ものすごく優しい声だった。
「俺、もっとしっかりするからさ。俺に頼ってよ。玲奈が困ってる時にそばにいてやれないのも、困ってる事に気づかないままなのも、もう2度と嫌なんだ」
…私、バカだな。
手を振り払って拒絶してもなお、私のことを一番に考えてくれていたのに。
声や目に見えてるもの、そんな大事なことを、一番私を想ってくれている人に言えなかったなんて。
「…伶、ぎゅってして」
「ん…」
私がお願いすると、何でもきいてくれる。
優しくて、誰よりも頼れる。
私の心を満たしてくれるのは、世界中探したって、他にいるわけがない。
「ごめんね、伶。ずっと言えなくて。これからは何でも一番に言う。伶のこと大好き」
「うん。俺も玲奈のこと大好きだよ」
力強い腕に抱き締められて、心から安心する。
私の居場所はここだって思える。
もう絶対に、この手を離したりしない。
そう心に誓った。
———もし、
もし
願いが叶うなら。
この鮮やかで美しい世界を切り取って、
私と伶に与えてほしい。
ほんの少しでいい。
私の居場所は伶の腕の中だけ。
その小さな空間だけでも、
希望が満ち溢れる鮮やかな世界であってほしい。
たとえ真っ暗な闇の中に葬られても、
その小さな世界の中で
ふたりで生きていけるように…。
私はその時に、全てを諦めた。
きっとこれは罰だから、
一生この世界で生きていってもいいと思った。
臆病で、
自ら死を選ぶこともできない私が
受け入れるしかない現実。
脳裏に焼き付いている
これまでの鮮やかな思い出。
それが残っているだけ、
私は恵まれているじゃないか。
ベッドの上で、伶の体温を直接肌に感じながら、微睡んでいた。
数日ぶりに身体を重ねたあと。
伶の腕の中で甘やかしてもらえるのが、とても心地いい。
「…ねえ玲奈」
「なあに?」
ふいに話しかけられて、伶の方を見る。
「昼間、透が来た時、2人で何話してたの?」
「えっ!?え…っと」
思いがけない質問に、言葉を詰まらせてしまった。
今日のお昼、透が遊びにきてくれた時に、リビングのソファでゴロゴロしていた訳を聞かれて。
いつからなの?その日は何かあったの?って質問攻めにされて、伶とのデートを思い出して赤面したら。
『伶とエッチしたでしょ』
って言われた。
すぐ顔に出ちゃうから嘘もつけず、透に根掘り葉掘り質問責めにされた。
その時の事を思い出しただけで恥ずかしくて、伶の胸に顔を埋めて腕を回してぎゅっとしがみつく。
「…ずっとザワザワして変な感じがするの、伶と…その…しちゃったからじゃないのって。もっとたくさんすれば原因分かるかもよ、って言われた」
透に言われたことを答えると、伶は頭をぽんぽんと撫でてくれる。
その一方で、はあ、とため息をついているのが分かった。
「それでさっき、やめないでって言ったの?」
———あ。
そっか、それで伶はため息ついたんだ。
透に言われたからエッチしたの?って思ってるってことだよね…。
「違うよ。それは、伶にダメって言われたから」
「え?」
「…だって、伶に『ダメ』って言われるの、嫌なんだもん。だからやめたくなかったの!」
「もー…、それって俺、どうすればいいの」
半ば呆れたような声で、伶にそう言われた。
伶はいつも優しいから。
だから大抵のことは『いいよ』って言ってくれる。
いつも私のことを優先させてくれて。
そんなだから、たまに『ダメ』って言われると、悲しい気分になっちゃうんだよね。
ものすごくワガママだって分かってるけど…。
「あのさ、玲奈」
「なあに?」
顔をあげると、伶とばっちり目が合った。
「俺は、この先も玲奈とこういうコトできるって、期待してもいいの?」
じっと見つめられて、顔が一気に火照る。
伶を見てられなくて目を逸らしてうなずいた。
「いいよ…」
ものすごくドキドキするし、まだ途中で怖くなったりするけど。
でも、伶に触れられるのも触れるのも、気持ちいい。
もっとずっと、伶の腕の中にいたい。
「もう、こういうコト、俺以外としないでくれる?」
「きゃ…っ」
伶に肩を抱かれて、ベッドに押し戻される。
目を開けると、伶が私の上に覆いかぶさっていて、真剣な表情で私を見ていた。
「俺以外の男と、透とも、しないで」
「…うん。しない…」
答えるや否や、伶にキスされる。
それから、この日2度目のエッチをした。
それは、数日前や直前のそれとは比べ物にならないようなもので。
どうにかなってしまいそうな感覚に、ドキドキしすぎて、怖くて。
それなのに、もっと伶のことが欲しくなる。
私のことを真剣に見つめる眼差しとか、ものすごく大事に扱ってくれていることとか。
そういうのに気がついて、愛されてるんだなって心の奥底から幸せを感じた。
伶に触れられるところが、ぜんぶ気持ちよくて、何も考えられなくなる。
目の前が真っ白になって、ふわっと宙に浮いたような感覚がした———。
「…玲奈、玲奈」
伶が私を呼ぶ声に、優しく頭を撫でられてる感触。
「ん……」
ゆっくりと目を開くと、ベッドの端に座って、私を見下ろす伶の顔があった。
部屋の中は、いつの間にか明るくなっていて、遠くで鳥の鳴く声が聞こえる。
「………朝?」
「うん。そろそろ起きて」
「私、いつの間に寝ちゃった?」
「え?言うの?」
意地悪な顔をして笑いながら、伶は私を起き上がらせくれた。
さ…最中に寝ちゃったってことだよね!?
「ごめんね……」
恥ずかしさで伶の顔を見れなくて、ぎゅっとしがみついて、謝った。
「何で謝るの。すごく可愛かったのに」
伶も私をぎゅっと抱きしめてくれて、額に軽くキスもくれた。
「シャワー浴びておいで。昨日、晩ごはんも食べてないし、お腹空いてるんじゃない?朝食つくっておくから」
「ありがと…」
「行こ。立てる?」
差し出してくれた伶の手を掴んで、ベッドから降りた。
腰が重たい。
立った瞬間にそう思って、次の一歩が踏み出せず、そのまま伶に抱きつく。
「…少しだけ、このままでいて」
そうお願いすると、頭の上でふふっと伶が笑う声がした。
「歩けないの?」
伶のそんな言葉と共に、身体がふわっと持ち上げられる。
「伶っ」
「かわいすぎ」
クスクスと笑う伶の顔がすごく優しくて、何も言えなくなる。
伶に抱っこされて、お風呂場まで連れて行ってもらった。
「はー…」
お湯に浸かって、身体を伸ばす。
疲れた身体にしみるというか…。
伶が入浴剤を入れてくれていて、その香りにも癒される。
晩ごはんも食べることなく朝まで寝ちゃってたから、疲れてるわけじゃないんだけど。
なんだかその、腰の辺りがすごく重たい。
昨日の伶とのことを思い出すだけで、なんだかすごいコトしてしまった感じがして、胸がドキドキした。
…伶、すごくすごく大切に、大事そうに私の身体を扱ってくれてた。
それがとても嬉しくて。
湧き上がってくるような"幸せ"を感じることができたのは、いつ以来だろう。
昔はそれが当たり前のようにあった。
何も感じられなくなったのは、私が伶の手を振り払ってからだ。
あの日以来、色んなものを失った。
…でも、少しずつ取り戻せているよね。
伶に触れられるようになって、
手を繋いで、キスをして、身体を重ねて。
それに、歌が。
少しだけど、声が出せるようになった……。
あとで練習してみようかな。
声、もっと出せるかな。
そんな事を考えていたら、うるうるしてきてしまう。
もう、歌は2度と歌えないって思ってたから。
昨日は本当に自分でもびっくりしたし、嬉しかった。
「玲奈~?まだ上がらないの?」
ドアの向こうから伶の声がして、泣きそうになっていた顔に慌ててお湯をかける。
「もう出るよ!」
返事をしてお風呂から出た。
髪を乾かしてリビングに行くと、キッチンカウンターの前に座っている伶がすぐに気づいてこっちを向く。
「食べよ。父さんと母さん、もう少ししたら帰ってくるって言ってるし、透が朝帰りのついでに寄るって言ってる」
「そうなの?…あ!」
伶のそばへ行くと、カウンターの上に並べてある朝食が私の好物だってことに気づく。
「ごはん、ありがとう伶。私の好きなものばっかり!!」
お礼を言うと、伶が優しい顔で微笑んだ。
「今日は特別だから。玲奈が歌、歌えるようになったお祝い。今はコレしかできなかったから、また今度ちゃんとし…わっ!」
伶が喋り終わらないうちに、思い切り抱きついた。
…どうしよう。
嬉しすぎて涙が出てくる。
私の歌のこと、特別だって思ってくれるの?
お祝いとか、考えてくれるの?
「伶だいすき…!」
「俺も玲奈のこと大好きだよ」
落ち着いた声に、優しく抱きしめてくれる力強い腕。
朝から最高に幸せを感じる。
「…ほら、泣かないで。冷める前に食べよう」
伶が私の目に溜まっている涙を拭って、頭を撫でてくれた。
一緒に並んで食べる、その『特別』な朝食はすごくおいしかった。
それに、ダイニングテーブルじゃなくてカウンターで、伶との距離もすごく近い。
お皿を空にしてフォークを置くと、すぐそばにある伶の肩に寄りかかった。
「どうしたの?甘えんぼの時間?」
「そう、ちょっとだけ」
「俺ももっとこうしてたいけど。もう父さんたち帰ってきちゃうから、片付けないと」
伶にそう言われて、不本意ながらも離れる。
「…怒らないの」
頬を膨らませる私を見て伶は笑うと、キスをひとつくれた。
それだけで、機嫌が直る。
「私、片付けするね」
「いいよ、今日は特別だから俺がやる」
伶は言い終わらないうちに立ち上がると、スッと2人分の食器類を下げてしまう。
今日は、って言ったけど。
私、最近ずっとゴロゴロして過ごしていたから、家事はぜんぶ伶がやってくれてた。
その事について、伶は一言の文句も言わない。
……優しい。
そう思ったら、心の奥がなんだかじんわり温かくなった。
「私、お庭に水撒いてくるね」
手持ち無沙汰になった私は、伶にそう告げて、リビングの外のデッキから庭に出た。
ホースを持って、蛇口をひねる。
日陰から一歩外に踏み出すと、夏の眩しい太陽の光に思わず目を細めた。
まだ朝の日差しが弱い時間帯だけど、今日も暑くなるんだろうなって思えるような空をしている。
…そういえば、お庭に出るのも久しぶり。
ママが花が好きで、あんまり日本にいないのに、庭にはたくさんの花が植えられていて。
伶かパパがよくお世話をしていた。
私も花は好きだけど、日本に来てからは用事以外で外に出ることがなくなっちゃって、それでこの日本の家の庭にも数えるほどしか出たことがなかった。
ホースから勢いよく出る水を、花壇に撒いていく。
この夏空に映える、色鮮やかな花たち。
ホースの先から出てくる水に太陽の光が反射して、時折小さな虹が見える。
……キレイ。
こんな世界、久しく忘れてたなぁ…。
背の低い花たちの前にしゃがんで、花と葉をかき分けてお水をあげる。
花々の高低差や色のコントラストが美しくて、しばらく見とれていた。
手を伸ばして、その花びらに触れる。
その瞬間、ハッとした。
自分の指先が触れている、鮮やかなオレンジ色の花びら。
「色が……」
鮮やか———………。
その事に気づいた途端に涙が込み上げてくる。
すぐさま立ち上がると、デッキの方へ駆け出した。
「伶!伶…っ!!」
手に持っていたホースは途中で手離して、自分でも驚くくらいの声で、伶のことを呼ぶ。
「…玲奈?どうしたの、そんな大きな声だして」
リビングから慌てて外に出てきてくれた伶に、私はそのまま勢いよく抱きついた。
「なんで泣いてるの?どこか怪我したの??」
次から次へと涙があふれて言葉にならない私を、伶がぎゅっと抱きしめてくれる。
「色が…」
「え?色?ちょっと落ち着いて…」
「なんで、最近ずっと違和感があったのか、やっと分かったの…」
「それで泣いてるの?大丈夫?」
伶が優しく頭を撫でてくれる。
「あの日からずっと…、目に映るものがきれいに見えてなくて。グレーがかった、色褪せたようにしか見えてなかったのに……」
これまで、伶にも、誰にも言えなかった。
目に映る世界の色がよく分からないなんて。
最初は戸惑ったけれど、そのうち、輝きを失った世界で生きていく事には慣れた。
目を閉じれば、美しい世界はいつでも思い出せる。
もう、それで十分だって思ってた。
だけどさっき、気づいたの。
今現実に見ている花が、鮮やかで美しいってことに。
そうしたら、直前にも、キレイな世界は久しぶりだなって思っていて。
水に反射する太陽の光のきらめきや、虹だってクリアに見えていて。
思えばここ数日、目を閉じなくても、そこに美しい世界があったってことを思い出した。
ずっと胸がザワザワして違和感があったのは、世界が色と輝きを取り戻していることを、私が気づいていなかったからだ…。
「今、鮮やかな色も光も、ちゃんと分かるの」
伶の顔を見上げながら、そう伝えたと同時。
「おーい!こっちにいるー?」
背中の後ろから透の声がする。
伶の視線が私から、ふっと遠くに移った。
「…あ、ごめん。邪魔しちゃった?」
私と伶が抱き合っていたからか、透が謝る。
「玲奈の声が聞こえたから庭にいるのかと思って、入ってきちゃった」
「まあ、邪魔っちゃ邪魔された感じだけど。お前が思っているようなコトじゃないから別にいいよ」
透と伶の会話を聞きながら、私も伶の視線を辿って、後ろを振り向く。
「えっ、玲奈、泣いてたの!?」
私たちの方へ歩いてきていた透が、私の顔を見るなり驚いた表情をして立ち止まった。
「伶が泣かせたの?」
「違うよ!今、その理由を聞いてたところだったんだよ」
「朝から喧嘩しちゃったのかと思っ」
「あ!!透っ!!!」
また歩き始めようとした透の足元を見て、思わず名前を呼んだ。
さっき、わたしが庭に放り投げてしまったホースを透が踏んでいて。
何も気づいていない透は、そのまま足を踏み出す。
「え?わっ…!!」
ホースから勢いよく飛び出してきた水が、うねりながら噴き上がった。
それが透に見事にかかってしまう。
焦る透よりも、水しぶきがキラキラ輝いて見える事の方に気を取られて、動けずにいた。
「玲奈…」
そんな私を見兼ねたのか、すぐ隣から伶の呆れたような声がする。
動かない私のかわりに、伶が水を止めに行ってくれた。
「ちょっ、すごい濡れたんだけどっ!」
透ががホースの先を掴むと、水を止めようとしてくれていた伶に向けて、水を浴びせる。
「冷た!!透っ、かけるなよ!」
「オレだけ濡れるのはフェアじゃないだろー」
「それは悪かったって思ってるけど」
私のせいなのに、かばってくれる伶。
2人が騒いでいるのを見て、笑みがこぼれる。
さっきまで泣いてたのなんて忘れてしまった。
「どうせ玲奈だろー!水を出しっぱなしにしたのは!」
透がそう言って、私の足元目掛けてホースを向ける。
「やだっ、ごめん、透」
「こら、玲奈にかけるなよ」
「え?」
逃げる私を見て、透に声を掛けた伶。
その伶の方を向いた透が、思いっきり伶に水をかけてしまう。
「あああ、ごめん!今のはワザとじゃないっ」
「貸して!」
伶は透からホースを奪うと、それを透に向ける。
「なに騒いでるの~?」
2人が水を掛け合って遊んでいると、ママとパパが庭に入ってくる。
車の音に気づかないくらい、2人のやり取りと、水のきらめきや花の色、そういったものに夢中になっていた。
「やだ!2人ともびしょ濡れじゃない!」
「朝から服着たまま水遊び?」
驚いた表情のママに、その後ろで苦笑するパパ。
「あ、おじゃましてまーす」
「おかえり」
透と伶がふざけ合うのをやめたのをみて、水を止めに行った。
「何をしてたらそんなことになるの?」
ママにそう聞かれて、黙り込む2人。
「もー、2人ともそこで服脱いで!お風呂入ってきなさい」
伶と透をまくし立てるママを見ていると、パパが私の方に近づいてきた。
その表情で、怒られる!?って思って背筋が伸びる。
「玲奈。あの2人が濡れてるの、玲奈のせいなんでしょ」
コツンと、ノックするように、軽く頭を叩かれてしまう。
「パパなんで分かるの?」
「理由聞かれて、2人とも何も言わなかったから。玲奈を庇ったんだなって思って」
「うう…」
パパにはなんでもお見通しだなあ。
しゅんとしてると、パパが笑った。
「玲奈はいいね。大事にしてくれる人が2人もそばにいてくれて」
庭からデッキへ上がるパパについていく。
階段を登ったところで、もう一度、庭を見渡した。
太陽の光が花々に降り注いで、キラキラしていて、すごく綺麗…。
「…ねえ、パパ」
前を歩くパパの手を引っ張る。
「前からずっと、お庭ってこんなに花が咲いてた?こんなにキレイだった?」
「そうだよ」
返事をしてくれたパパの声は、すごくすごく優しかった。
立ち止まって庭を眺める私の隣に、並んで立ってくれる。
「日本に来て、玲奈がずっと元気なかったから。せめて家の庭だけでもむこうと同じだったら、外に出てくれるかもって思ってね」
…え……。
私のための、お庭?
ママが好きだからじゃなくて?
この彩り鮮やかな綺麗な花ぜんぶ…。
私がずっと塞ぎ込んで家から出ないでいたから、作ってくれたお庭だったんだ。
そのことに、3年も気づいてなかったなんて。
パパの顔を見上げると、目が合って、とても優しい表情で微笑まれる。
「パパ大好き!ありがとう…っ」
嬉しくて飛びつくと、パパが笑ってハグしてくれた。
私、あの日。
自分の中で世界が終わったように感じてた。
だけど違ったんだ。
伶も透も、パパもママも、みんな私のことを大事にしてくれていた。
「玲奈ー!」
家の中からママに呼ばれる。
ママのところへ行くと、リビングの奥に置いていた、ショップバッグの山を指差して聞かれた。
「ね、コレなあに?」
「…すごい量の買い物だね。どうしたのこれは」
パパも驚いた顔をして私を見る。
「りっちゃんが、私と伶に買ってくれたモノだよ」
「えっ!?こんなにたくさん?」
「お金はあるから気にしないでって言って…。でもあんまりいっぱいだから、パパとママに見せた方がいいよねって伶と話して、ここに置いておいたの」
「そっか。ちゃんと教えてくれてありがとう」
そう言って、パパは私の頭を撫でる。
「外に出たのは、お買い物だけなの?どこかに連れて行ってもらったりした?」
ママに聞かれて、うん、と頷いた。
3人で行った場所をアレコレ思い出して、パパとママに伝える。
「ちょっと俺、りっちゃんに電話してくるね」
パパがママにそう言って、その場を離れた。
…そうだ。
3人で出掛けたあの時も、世界には色がついていた…。
透が言う通り、伶との関係が前みたいに戻ったからなのかな。
どんよりとした世界にしか見えなくなったきっかけが、伶の手を振り払った後からだから…。
考え事をしていると、ママが心配そうに私の顔を覗き込む。
「玲奈、そんなにたくさん外に出て、大丈夫だったの?体調悪くしなかった?」
りっちゃんとの行動が、あまりにも過密スケジュールすぎたからかな。
私、疲れるとすぐ寝込んじゃうから。
だから最初、胸がザワザワして落ち着かないのも遊び疲れたせいなのかなって思ってた。
「あれからずっと家でのんびり過ごしてたし、家のことは伶がやってくれてたから大丈夫」
「そう。りっちゃん来てくれて楽しかった?」
「楽しかった!」
「よかったわね」
私の答えにママが微笑む。
それから、買い物の山をチラリと見て、私の方に向き直った。
「ねえ玲奈。何を買ってもらったの?ママも一緒に開けていい!?」
さっきまではお母さんらしく微笑んでいたのに、今はもう宝物を前にした子供みたいな顔になってる。
「いいよ。着せ替え楽しいってお洋服たくさん買ってもらったの!」
「えー!ママも着れるかな?かわいいの貸して」
2人でわいわい言いながら、袋を開ける。
電話を終えて戻ってきたパパに、うちにはコドモが3人いたかなあって笑われる。
そこに丁度、着替えが終わった伶と透が戻ってきた。
「女の子チームは楽しそうだね~」
「それじゃあ、男子チームも3人で楽しもうか」
透の言葉にパパが声をかけて、3人はソファに並んで座ってゲームをはじめた。
同じ空間で、大好きな人たちと過ごせる事が、すごく嬉しい。
伶がいて、透がいて、パパとママがいて。
いつもの当たり前のことだけど。
声と、色と。
大事なその2つを取り戻せて、思った。
みんなが、私のことを大切にしてくれていたお陰だなって。
私、気づいてなかったけれど、本当はすごく、幸せだったんだ……。
コンコン、と部屋のドアがノックされる。
「玲奈、ちょっといい?」
「いいよー」
ドアの外から伶の声。
返事をすると、ドアが開いて伶が気に入ってきた。
「ごめん、寝ようとしてた?」
ベッドで横になってる私を見て、伶が謝る。
朝からみんなでわいわい騒いで。
午後になったら、奈々ちゃんもやってきて、夜までみんなで楽しく過ごした。
すごく幸せだったんだけど、まだこの"よく見える"状態に身体がついていかないのか、疲れてしまって。
いつもより早い時間だけど、うとうとしてしまっていた。
「…朝、玲奈が言ってたこと、気になって。今日は一日中騒がしかったから、聞きそびれてた。少しだけ話してもいい?」
「うん」
「あ、横になったままでいいよ」
起きあがろうとすると、ベッドの端に座った伶に頭を撫でられた。
「あの日って言ってたのは、3年前のこと?」
「そう。私が伶の手を振り払った時のこと」
すぐそばにある、伶の手を握る。
あの日、この手を自ら拒否した。
それがどういうことか、あの時は全然分かってなかった。
歌声も色も無くして、世界が一変するなんて。
「じゃあ…あれからずっと、玲奈には、目に映るものがキレイに見えてなかったってことなの?」
「なんて言ったらいいのかな…。色はわかるんだけど、あんまりキレイに見えないっていうか。グレーっぽい、どんよりした感じに見えてたの」
「海も、花火も?キレイじゃなかったの?」
「キレイだったよ、見えてるものの中では…。でも今見たら、もっとキレイなのかも?と思う」
「…そっか」
ふうっと伶はため息をついた。
色の説明って難しくて、うまく伶に伝えられたのか分からない。
「どうしてずっと黙ってたの」
伶の、少しだけ怒っているような声。
じっと目を見られるのに耐えられなくて、フイと目を逸らしてしまった。
「言っても、戻らないって思ったから…。それに、目を閉じたらキレイな景色はいつでも思い出せるもん」
「…声のことだって、俺、透から聞いたんだけど」
「………」
だって、言ったら伶は悲しむでしょ。
それに、自分から触らないでって言った直後に、怜に泣きつくなんてできなかった。
「ねえ、玲奈」
しゅんとしていると、伶が私の手をぎゅっと握り返してくる。
私の名前を呼ぶその声は、怒っている声じゃなくて、ものすごく優しい声だった。
「俺、もっとしっかりするからさ。俺に頼ってよ。玲奈が困ってる時にそばにいてやれないのも、困ってる事に気づかないままなのも、もう2度と嫌なんだ」
…私、バカだな。
手を振り払って拒絶してもなお、私のことを一番に考えてくれていたのに。
声や目に見えてるもの、そんな大事なことを、一番私を想ってくれている人に言えなかったなんて。
「…伶、ぎゅってして」
「ん…」
私がお願いすると、何でもきいてくれる。
優しくて、誰よりも頼れる。
私の心を満たしてくれるのは、世界中探したって、他にいるわけがない。
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