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誰もいなくなっていた
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「寒いっ」
僕はあまりの寒さに夜明け前に目が覚めた。ボロい離宮は所々ヒビが有り、風通しが良い。
真冬だと言うのに暖炉には昨夜の残火すらなく冷え切っていた。
嫌な顔をされるが、薪を貰いに行かねば。この寒さには勝てない。
ついでに水と食べる物も頂きたい!
僕はあちこち破れては繕った丈の短い寝巻きを脱いで、これまた丈の短い着古したシャツとズボンを身につけた。上から古いローブを羽織る。唯一短期間だが教えを乞うた魔法士の先生のお下がりだ。
もう10年も前だが、魔法士用のローブは上等な生地だし、使用中は汚れないように保護魔法をかけているので持っている中で一番マシだ。
ローブの中に保温魔法を掛けてやっと一息ついた。この魔法覚えておいて良かった。特別仕様のこのローブしかできないのが欠点だ。
僕はこれでもこの国ティアドラの第4王子だ。腹違いの兄と妹が四人いる。母は側妃だったが、身分は低く、城の侍女だった。
王に見初められて強引に側妃に据えられ、僕を産んだが、産後の肥立が悪く、僕が3歳の頃についに亡くなった。
後ろ盾もない僕は古い離宮に残され、ひっそりと生きてきた。
王に呼ばれることも無く、誰も訪れず、家庭教師も付けられなかった。
王宮の図書館が近場に無ければ、僕は文盲のままだった。後は、魔法士の先生と出会わなければ、溢れ出す魔力の扱いにも困っていただろう。
薪を入れるためのずだ袋と、水差しを持って離宮を出た。
ここから台所までは、もう一つ離宮を通るルートがあるが、枯庭を横切った方が近い。
途中の井戸で水を汲んで顔を洗い、くすんでしまった腰まで伸びた金髪を水で撫で付けて古い髪紐で結ぶ。水に映る紫の瞳が力無く見つめ返した。水差しに水を移して、帰りに持って帰ろうと置いておく。
10年前までは枯庭では無く、ここで魔法の練習をしていた先生と出会い、僕が頼み込んで魔法を習ったのだ。
習ったのは半年足らずだった。懐かしいな、先生お元気かな、などちらっと思いつつ台所に辿り着いた。
台所は着く前からいい匂いがしていた。ぐうぐうとお腹が鳴るのを聞きながら恐る恐る覗いた。
「あれ?」
誰も居なかった。
大鍋に入ったいくつもの料理はまだ湯気を立てているが、火は消えていた。
広い調理用テーブルは朝食用と思われる食材が並んでいたが、妙に散らかっている。
棚にあったらしい物も、あらかた無くなっていた。
いつもは料理人に頼み込んで、少し分けてもらうだけだったのが、目の前に大量にあった。
僕は不審者のように辺りを見回したが、本当に誰も居ない。
どうしよう、と思っていたが、あまりの空腹に耐えきれず、端にあった椅子を持ってきて、テーブルのそばに置き、カトラリーにありったけスープや煮物を注いでテーブルに並べた。
「もう、怒られてもいいや!食べてやる!」
硬くなったパンも見つけたので、一緒に夢中で食べた。こんなに食べたのいつぶりだろう!
温かいものでお腹が一杯になって満足感でうっとりしていたが、カタンと調理器具かなんかの音がして我に返った。
本当に誰も帰って来ない…おかしい。
漸く頭に警報が鳴り始めた。
離宮に戻るべきか迷った挙句、僕は10年ぶりに本宮へ向かうことにした。どうせ途中で警護する兵士に止められるだろうけど。
更に閉じられた二つの宮を横目に見ながら、気が進まないが、早足で歩いていく。本来なら馬車で行く距離だ。
歩き慣れない僕は息が上がってきて、やっと本宮に近づくと、兵士の姿を見てホッとした。
ホッとしたのは一瞬だった。声をかけようと更に近付き、違和感が湧いた。
記憶にあった制服と変わっている。
立ち止まった僕に気付いた兵士は更に遠い兵士に何か叫んだ。
僕は何を言ってるか分かった途端、くるりと後ろを向いて駆け出した。
「敵生存者発見!魔法士だ!」
取り敢えず走り出したものの、すでに息が切れていたので速度は出ず、あっという間にたくさんの兵士に追いつかれ、取り囲まれた。え、どこに居たのこんなに⁈
どうしよう、どうしよう!
「僕は魔法士では有りません。第4王子のルカスです」
取り敢えず名乗ってみた。名乗ったのも久しぶりだ。兵士達はザワザワして、戸惑っているようだった。 「第4王子?そんなのいたっけ?」「魔法士の生き残りじゃなかったのか?」「いや、こんな所にノコノコ現れるのはおかしい」
未だ剣や槍の先はこちらを向いたままだ。一本でも死ぬのにこんなに向けないで。
こう着状態の僕等だったが、前方からやってきた兵士ではなさそうな人に連れられた男に、包囲が解かれて他の兵士が全て跪いて頭を下げた。
男は身長が180センチを超えていそうで、がっしりとした筋肉質の身体をしていた。
銀色の髪が風になびき、琥珀色の目は何も写してなさそうで無表情だった。褐色の肌には返り血が少し付いている。
黒い騎士服と黒い皮でできた防具は他の兵士とは比べ物にならない上等で隙がなく、この中で一番偉い人間だと如実に物語っていた。
無表情と思った顔つきだったが、目を見開き、僕をじっと睨みつける。
この威厳、只者では無い!
「ルカス第4王子?俺はハウヴァハーン帝国の皇帝アウグスタ・ハウヴァハーン。今の状況をわかっているのか?」
ハウヴァハーン帝国⁈
僕は世界地図を思い浮かべた。
いくつも東西、南に並ぶ小国の内、南を除く全ての国に接した北部に東西に広がる大帝国だ。
僕の国は不利な条件ではあったが、条約を結び、交易をしていた。
他の国と大差無い付き合いをしていたはずだ。
ただ、国の南北に帝国と南の国の中央首都へと至る大きな交易路がある。
南の国に進出する為に、我が国を侵略したのか?
これは口にしないほうが良いだろう。
「申し訳ございません。私は幼き頃母に死なれ、外れの離宮に住まわされて、今まで普段の交流は殆どございませんでした。ハウヴァハーン帝国の皇帝陛下がお越しになって、このような状態になっているとは思いもしませんでした」
物おじしては駄目だと、じっと琥珀色の目を見る。
「この国は我らの帝国に堕ちた。これから属国になる。ルカス王子の年は幾つだ?」
「16になります」
「小さいな」
「あまり、食べ物を与えられなくて。鍛錬もしてないので」
「王子だろう?」
「名前だけです。王でも名前すら覚えていてくれたかどうか」
僕は小さいと言われた身体を更に縮こませて立っていた。
兵士がやってきて、アウグスタのそばにいる男に何か告げ、男は顎で僕の方を示すと何か言い、僕にも尋ねた。
「王太子が見つからない。行方を知らんか?」
「会ったことが無いので、顔を見てもわからないです。他の王族方はどうされているのですか?」
不意に兵士が輪になった間をすり抜けてきて、僕の前に来た。
あっと思ったら手首を纏められて手錠をはめられた。
「魔法封じだ。お前の魔力量なら必要無いが念の為だ」
アウグスタは近付くと、手錠に着いた鎖を持って引き寄せた。
「着いて来い」
否応なく付き従うしかなかった。
本宮へ入ると、途端に生臭い血の匂いがして、あちこちに兵士や侍女の死体が壁際に寄せられていた。
「地獄に来てしまった」思わずうめいた。
お腹いっぱいご飯を食べて、思い切り走って、この場面。
久しぶりに食べたおいしいご飯を吐きたくなくて耐えていたが、無理だった。
「すみません」
前を歩くアウグスタにそっと話しかけた。
「何だ」
振り向かずに言った。
「気分が悪くて、吐きそうなのです。ご不浄場に寄りたいのですが」
「急いでいる。その辺の端で吐け」
「そんな…」
仕方無く我慢していたが、耐えきれず、角を曲がるところでその隅に身体を傾けると思い切り吐いた。
「汚いな、早くしろ」
ああ、もったいない、せっかく食べたのに…と涙と鼻水まで出てきた。
「ケイ、水を」
「はい、陛下!」
「ほら」ずっと付き従っていたケイと呼ばれた青年は水の入った皮袋と布を持ってきてルカスに差し出した。
僕は恥ずかしかったから、無言でペコリとお辞儀すると皮袋と布を受け取った。
口を何回か濯ぎ、顔を拭いて立ち上がった。
チラリとアウグスタを見たが、そっぽを向いたままだった。
「お待たせ致しました」
「死体や血を見たのは初めてか?」
「はい。生きた人間も滅多に見ませんでしたが」
アウグスタはクスリと笑った。冷たい表情が和らいだ。
「さすが、忘れられた王子だ」
「食事を、久しぶりに腹一杯食べられたのです。あなた方が侵入してきたおかげで、台所にいた人が全て逃げてしまってて」
「王子が台所に飯を貰いに行くだと?」
「それでも、いつもは少ししか貰えなくて。無いと追い払われたりもしました」
「信じられないな。じゃあ、落ち着いたら食事にしよう。まずは片付けなければならない連中がいるからな」
無表情に戻るとまた進み出した。水を入れた皮袋はケイに返したが、布は要らないと言われ、ズボンのウエストに挟んだ。
その後も何回かえずいたが、何とか耐えて中央の大きな扉の前まで来た。
『謁見室?』来た事が無いので推測だ、
大きな扉は開かれて、中から呻き声や押し殺した泣き声がしている。
僕は入るのを躊躇したが、鎖を引っ張られて止むなく従った。
中は広い空間で、突き当たりに数段の階段のある床の上に二脚の金で塗られた背の高い椅子が並んでいる。
僕の予想通りだ。
その手前に後ろ手に縛られた男2人と少女1人が座り込んでおり、おそらく兄と妹だろう。その向こう、椅子…玉座に近い所に王と王妃。まだ全員寝巻き姿だ。僕のと違ってシルクの光沢が綺麗で肌触りが良さそうだが、火の気の無い場所で、帝国の兵士に取り囲まれているからか全員震えている。
自国の兵士は殺されているか、縛られて転がされているかである。
アウグスタは脇を進んで椅子に腰掛けた。僕は畏れ多くて、そこから鎖がめいいっぱい伸びるところまでそっと後退したが、例によって引っ張られ、すぐ横に立たされた。
ルカスに馴染みのない人々ばかりなせいか、特に何の感慨も無く、やけに客観的にそのまま上から眺めていた。
「お前は…ルカスか⁈」王が皇帝の横にいた僕に気付いたようだ。
へえ、僕の顔覚えてたんだ。髪と目の色は母上似だ。もしくは消去法で言った?
王は僕が何も答えないので、もう一度名前を呼ぼうとした。
「皇帝陛下の前だぞ、控えろ」
いつの間にかルカスの横に並んでいたカイが、重々しく言って剣を抜くと床を突いた。
王と王妃は頭を下げ、他の兄弟達は慌ててルカスを眺めたが、眉を顰めただけで、俯いた。
『親兄弟の誰も見覚えが無い』
なのに、一緒に捕えられ、終いに殺されるのだろうか。僕は悲しくなったが、沈黙を持って親兄弟への抗議とした。誰も気づかないだろうが。
「さて、王太子の内通のおかげで帝国はこの国を手に入れたが、肝心の王太子はどこへ行った?」
「知らない!まさか王太子が国を売るなど、信じられない。何かの間違いでは?」
「王太子は言った。『自分の息子をいないよう酷い扱いをする王族など滅べば良い』と。見捨てられたな、お前達」
「ルカス、お前がエカリオンを唆したのか⁈」
父王はルカスに驚愕の表情をしながら詰問した。
え、僕?
「エカリオンとおっしゃられるのですか。お会いしたことすらありません」
「いいえ、昔一時会っていたと聞きました。こいつが兄上を誘惑したんです」
名前も知らぬ兄の1人が唸るように言った。
「何故そうなるんです。僕は知りません」
言いながら、魔法士の事を思い出した。まさか?
「もしかしてその兄は、紺色の髪に金色の目をして魔法士でしたか?」
「そうだ。希代の魔法士と評価も高かった。我が陣営に迎えたかったのだが、失踪した」
「失踪?」
「ルカス王子を頼む、と言い残してな」
「僕?どうして?」
「お前も優れた魔法士になれるからだ」
僕は目を見張ってアウグスタを見返した。
「もういいだろう。他の王族は…処刑しろ!」
悲鳴が、絶叫が上がった。
「お助けを!」「命だけは!」
「私の方が魔法を上手く扱える!」
「何故コイツだけ!」
「ルカスも王族でしょ⁈」
容赦無く兵士に斬り殺されていく。
最後に妹王女が悲鳴をあげて斬られた時、僕の意識は遠くなり、一切の声が聞こえ無くなった。
僕はあまりの寒さに夜明け前に目が覚めた。ボロい離宮は所々ヒビが有り、風通しが良い。
真冬だと言うのに暖炉には昨夜の残火すらなく冷え切っていた。
嫌な顔をされるが、薪を貰いに行かねば。この寒さには勝てない。
ついでに水と食べる物も頂きたい!
僕はあちこち破れては繕った丈の短い寝巻きを脱いで、これまた丈の短い着古したシャツとズボンを身につけた。上から古いローブを羽織る。唯一短期間だが教えを乞うた魔法士の先生のお下がりだ。
もう10年も前だが、魔法士用のローブは上等な生地だし、使用中は汚れないように保護魔法をかけているので持っている中で一番マシだ。
ローブの中に保温魔法を掛けてやっと一息ついた。この魔法覚えておいて良かった。特別仕様のこのローブしかできないのが欠点だ。
僕はこれでもこの国ティアドラの第4王子だ。腹違いの兄と妹が四人いる。母は側妃だったが、身分は低く、城の侍女だった。
王に見初められて強引に側妃に据えられ、僕を産んだが、産後の肥立が悪く、僕が3歳の頃についに亡くなった。
後ろ盾もない僕は古い離宮に残され、ひっそりと生きてきた。
王に呼ばれることも無く、誰も訪れず、家庭教師も付けられなかった。
王宮の図書館が近場に無ければ、僕は文盲のままだった。後は、魔法士の先生と出会わなければ、溢れ出す魔力の扱いにも困っていただろう。
薪を入れるためのずだ袋と、水差しを持って離宮を出た。
ここから台所までは、もう一つ離宮を通るルートがあるが、枯庭を横切った方が近い。
途中の井戸で水を汲んで顔を洗い、くすんでしまった腰まで伸びた金髪を水で撫で付けて古い髪紐で結ぶ。水に映る紫の瞳が力無く見つめ返した。水差しに水を移して、帰りに持って帰ろうと置いておく。
10年前までは枯庭では無く、ここで魔法の練習をしていた先生と出会い、僕が頼み込んで魔法を習ったのだ。
習ったのは半年足らずだった。懐かしいな、先生お元気かな、などちらっと思いつつ台所に辿り着いた。
台所は着く前からいい匂いがしていた。ぐうぐうとお腹が鳴るのを聞きながら恐る恐る覗いた。
「あれ?」
誰も居なかった。
大鍋に入ったいくつもの料理はまだ湯気を立てているが、火は消えていた。
広い調理用テーブルは朝食用と思われる食材が並んでいたが、妙に散らかっている。
棚にあったらしい物も、あらかた無くなっていた。
いつもは料理人に頼み込んで、少し分けてもらうだけだったのが、目の前に大量にあった。
僕は不審者のように辺りを見回したが、本当に誰も居ない。
どうしよう、と思っていたが、あまりの空腹に耐えきれず、端にあった椅子を持ってきて、テーブルのそばに置き、カトラリーにありったけスープや煮物を注いでテーブルに並べた。
「もう、怒られてもいいや!食べてやる!」
硬くなったパンも見つけたので、一緒に夢中で食べた。こんなに食べたのいつぶりだろう!
温かいものでお腹が一杯になって満足感でうっとりしていたが、カタンと調理器具かなんかの音がして我に返った。
本当に誰も帰って来ない…おかしい。
漸く頭に警報が鳴り始めた。
離宮に戻るべきか迷った挙句、僕は10年ぶりに本宮へ向かうことにした。どうせ途中で警護する兵士に止められるだろうけど。
更に閉じられた二つの宮を横目に見ながら、気が進まないが、早足で歩いていく。本来なら馬車で行く距離だ。
歩き慣れない僕は息が上がってきて、やっと本宮に近づくと、兵士の姿を見てホッとした。
ホッとしたのは一瞬だった。声をかけようと更に近付き、違和感が湧いた。
記憶にあった制服と変わっている。
立ち止まった僕に気付いた兵士は更に遠い兵士に何か叫んだ。
僕は何を言ってるか分かった途端、くるりと後ろを向いて駆け出した。
「敵生存者発見!魔法士だ!」
取り敢えず走り出したものの、すでに息が切れていたので速度は出ず、あっという間にたくさんの兵士に追いつかれ、取り囲まれた。え、どこに居たのこんなに⁈
どうしよう、どうしよう!
「僕は魔法士では有りません。第4王子のルカスです」
取り敢えず名乗ってみた。名乗ったのも久しぶりだ。兵士達はザワザワして、戸惑っているようだった。 「第4王子?そんなのいたっけ?」「魔法士の生き残りじゃなかったのか?」「いや、こんな所にノコノコ現れるのはおかしい」
未だ剣や槍の先はこちらを向いたままだ。一本でも死ぬのにこんなに向けないで。
こう着状態の僕等だったが、前方からやってきた兵士ではなさそうな人に連れられた男に、包囲が解かれて他の兵士が全て跪いて頭を下げた。
男は身長が180センチを超えていそうで、がっしりとした筋肉質の身体をしていた。
銀色の髪が風になびき、琥珀色の目は何も写してなさそうで無表情だった。褐色の肌には返り血が少し付いている。
黒い騎士服と黒い皮でできた防具は他の兵士とは比べ物にならない上等で隙がなく、この中で一番偉い人間だと如実に物語っていた。
無表情と思った顔つきだったが、目を見開き、僕をじっと睨みつける。
この威厳、只者では無い!
「ルカス第4王子?俺はハウヴァハーン帝国の皇帝アウグスタ・ハウヴァハーン。今の状況をわかっているのか?」
ハウヴァハーン帝国⁈
僕は世界地図を思い浮かべた。
いくつも東西、南に並ぶ小国の内、南を除く全ての国に接した北部に東西に広がる大帝国だ。
僕の国は不利な条件ではあったが、条約を結び、交易をしていた。
他の国と大差無い付き合いをしていたはずだ。
ただ、国の南北に帝国と南の国の中央首都へと至る大きな交易路がある。
南の国に進出する為に、我が国を侵略したのか?
これは口にしないほうが良いだろう。
「申し訳ございません。私は幼き頃母に死なれ、外れの離宮に住まわされて、今まで普段の交流は殆どございませんでした。ハウヴァハーン帝国の皇帝陛下がお越しになって、このような状態になっているとは思いもしませんでした」
物おじしては駄目だと、じっと琥珀色の目を見る。
「この国は我らの帝国に堕ちた。これから属国になる。ルカス王子の年は幾つだ?」
「16になります」
「小さいな」
「あまり、食べ物を与えられなくて。鍛錬もしてないので」
「王子だろう?」
「名前だけです。王でも名前すら覚えていてくれたかどうか」
僕は小さいと言われた身体を更に縮こませて立っていた。
兵士がやってきて、アウグスタのそばにいる男に何か告げ、男は顎で僕の方を示すと何か言い、僕にも尋ねた。
「王太子が見つからない。行方を知らんか?」
「会ったことが無いので、顔を見てもわからないです。他の王族方はどうされているのですか?」
不意に兵士が輪になった間をすり抜けてきて、僕の前に来た。
あっと思ったら手首を纏められて手錠をはめられた。
「魔法封じだ。お前の魔力量なら必要無いが念の為だ」
アウグスタは近付くと、手錠に着いた鎖を持って引き寄せた。
「着いて来い」
否応なく付き従うしかなかった。
本宮へ入ると、途端に生臭い血の匂いがして、あちこちに兵士や侍女の死体が壁際に寄せられていた。
「地獄に来てしまった」思わずうめいた。
お腹いっぱいご飯を食べて、思い切り走って、この場面。
久しぶりに食べたおいしいご飯を吐きたくなくて耐えていたが、無理だった。
「すみません」
前を歩くアウグスタにそっと話しかけた。
「何だ」
振り向かずに言った。
「気分が悪くて、吐きそうなのです。ご不浄場に寄りたいのですが」
「急いでいる。その辺の端で吐け」
「そんな…」
仕方無く我慢していたが、耐えきれず、角を曲がるところでその隅に身体を傾けると思い切り吐いた。
「汚いな、早くしろ」
ああ、もったいない、せっかく食べたのに…と涙と鼻水まで出てきた。
「ケイ、水を」
「はい、陛下!」
「ほら」ずっと付き従っていたケイと呼ばれた青年は水の入った皮袋と布を持ってきてルカスに差し出した。
僕は恥ずかしかったから、無言でペコリとお辞儀すると皮袋と布を受け取った。
口を何回か濯ぎ、顔を拭いて立ち上がった。
チラリとアウグスタを見たが、そっぽを向いたままだった。
「お待たせ致しました」
「死体や血を見たのは初めてか?」
「はい。生きた人間も滅多に見ませんでしたが」
アウグスタはクスリと笑った。冷たい表情が和らいだ。
「さすが、忘れられた王子だ」
「食事を、久しぶりに腹一杯食べられたのです。あなた方が侵入してきたおかげで、台所にいた人が全て逃げてしまってて」
「王子が台所に飯を貰いに行くだと?」
「それでも、いつもは少ししか貰えなくて。無いと追い払われたりもしました」
「信じられないな。じゃあ、落ち着いたら食事にしよう。まずは片付けなければならない連中がいるからな」
無表情に戻るとまた進み出した。水を入れた皮袋はケイに返したが、布は要らないと言われ、ズボンのウエストに挟んだ。
その後も何回かえずいたが、何とか耐えて中央の大きな扉の前まで来た。
『謁見室?』来た事が無いので推測だ、
大きな扉は開かれて、中から呻き声や押し殺した泣き声がしている。
僕は入るのを躊躇したが、鎖を引っ張られて止むなく従った。
中は広い空間で、突き当たりに数段の階段のある床の上に二脚の金で塗られた背の高い椅子が並んでいる。
僕の予想通りだ。
その手前に後ろ手に縛られた男2人と少女1人が座り込んでおり、おそらく兄と妹だろう。その向こう、椅子…玉座に近い所に王と王妃。まだ全員寝巻き姿だ。僕のと違ってシルクの光沢が綺麗で肌触りが良さそうだが、火の気の無い場所で、帝国の兵士に取り囲まれているからか全員震えている。
自国の兵士は殺されているか、縛られて転がされているかである。
アウグスタは脇を進んで椅子に腰掛けた。僕は畏れ多くて、そこから鎖がめいいっぱい伸びるところまでそっと後退したが、例によって引っ張られ、すぐ横に立たされた。
ルカスに馴染みのない人々ばかりなせいか、特に何の感慨も無く、やけに客観的にそのまま上から眺めていた。
「お前は…ルカスか⁈」王が皇帝の横にいた僕に気付いたようだ。
へえ、僕の顔覚えてたんだ。髪と目の色は母上似だ。もしくは消去法で言った?
王は僕が何も答えないので、もう一度名前を呼ぼうとした。
「皇帝陛下の前だぞ、控えろ」
いつの間にかルカスの横に並んでいたカイが、重々しく言って剣を抜くと床を突いた。
王と王妃は頭を下げ、他の兄弟達は慌ててルカスを眺めたが、眉を顰めただけで、俯いた。
『親兄弟の誰も見覚えが無い』
なのに、一緒に捕えられ、終いに殺されるのだろうか。僕は悲しくなったが、沈黙を持って親兄弟への抗議とした。誰も気づかないだろうが。
「さて、王太子の内通のおかげで帝国はこの国を手に入れたが、肝心の王太子はどこへ行った?」
「知らない!まさか王太子が国を売るなど、信じられない。何かの間違いでは?」
「王太子は言った。『自分の息子をいないよう酷い扱いをする王族など滅べば良い』と。見捨てられたな、お前達」
「ルカス、お前がエカリオンを唆したのか⁈」
父王はルカスに驚愕の表情をしながら詰問した。
え、僕?
「エカリオンとおっしゃられるのですか。お会いしたことすらありません」
「いいえ、昔一時会っていたと聞きました。こいつが兄上を誘惑したんです」
名前も知らぬ兄の1人が唸るように言った。
「何故そうなるんです。僕は知りません」
言いながら、魔法士の事を思い出した。まさか?
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「そうだ。希代の魔法士と評価も高かった。我が陣営に迎えたかったのだが、失踪した」
「失踪?」
「ルカス王子を頼む、と言い残してな」
「僕?どうして?」
「お前も優れた魔法士になれるからだ」
僕は目を見張ってアウグスタを見返した。
「もういいだろう。他の王族は…処刑しろ!」
悲鳴が、絶叫が上がった。
「お助けを!」「命だけは!」
「私の方が魔法を上手く扱える!」
「何故コイツだけ!」
「ルカスも王族でしょ⁈」
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あさざきゆずき
BL
ダンジョンで僕は死にかけていた。傷口から大量に出血していて、もう助かりそうにない。そんなとき、人間とは思えないほど美しくて強い男性が現れた。
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