shining―死に星たちのいる世界―

黒宮海夢

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命の終わりとはじまり

⭐︎星救病院にて

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 午後18時45分。 星救せいきゅう大学病院にて、こうした場所では似つかわしくないコツコツとヒールの音が鳴った。広く清潔な院内は一瞬まるでダンスホールに見えた。枝毛だらけの長い黒髪を手で後ろに流しながら、黒いタイトなミニスカワンピから細い足を伸ばして厚化粧気味の40代辺りの女は、受付の看護婦の前に立った。
「遠坂ですが」
「遠坂さん。少々お待ちを」
看護婦は、他の患者にするように慣れた微笑みでタブレットへ指を滑らせる。
「最上教授との面会のご予定でよろしかったでしょうか?」
「はい、星子……娘がなんとかって」
遠坂凛は酒焼けの喉で、ンンと痰を捌いた。その時後ろから「遠坂さん」と、低いしゃがれた声がして、振り向くと灰色の総髪をした眼鏡をかけた初老の男が立っていて、その雰囲気と白衣の着こなしからなんとなく凛はこの人が教授だと察した。
「あっ……こんにちは」
凛はよそよそしく頭を下げる。
「はいこんにちは。今日はお忙しい中呼び出してしまってすみません」
最上教授の目の下の脂肪は垂れ下がっていて眠そうに見えたが、喋る調子もやっぱり眠そうだった。
「それで、それで娘がどうしたんですか?」
赤い爪先を前のめりにさせて、母親は答えを急かした。
「ここでは少し不都合なのであちらでお話しをしましょう」
教授は背中を向けて歩み出した。彼の肩幅は年齢にしては大きく逞しく見える。と、凛は見つめながらついていった。長い廊下を渡って棟を跨ぎながら最上教授は話した。
「ところで遠坂さん、最近夢は見ましたか?」
「え、夢ですか?い、いえ。見たかもしれないですが……あんまり」
「覚えていない?」
「はい」
C棟へと向かう廊下の窓からは病院の中庭の木々が覗いていたが、教授は一心に前だけを見続けている。
「実は夢の中に出てくる人間というのは、現実で一度はすれ違っているという面白い話があってね。私はそれを聞いた時大変興味が湧いたんですよ」
凛は話を聞きながら、実際のところ頭に入ってはこなかった。二人の足はエレベーターの前に到着する。人気が少なく、少し薬品の匂いがする。ガランドウの箱に入り込み、彼らは地下へと下った。凛は元々の不感傷な性格ゆえに、緊張感もなかった。たどり着いたのはいかにも研究所のようなところだった。こんなところに何の用事があるのかと、凛は疑問を覚えた。
そして最後に見た娘の姿を思い出した。狭い台所で、セーラー服のまま食器を洗っていた後ろ姿だった。凛は男が好む露出の高い服を着て急いで家を出ていった。帰った時、娘はいなかった。どこか友達か男の家にでもいるのだろうと心配をしなかった。その後大学病院から電話が来た。『遠坂星子さんは電車に轢かれて死亡しました』と。
 凛は動揺し泣き崩れた。事態がうまく飲み込めなかった。しかし、今になって愚かしいことだが、もしかして星子はまだ生きているんじゃないかと妄想をしている。母親の無惨な、皮肉めいた期待。希望ではない。

 通路には研究所Aや研究所Bなどといった扉が並んでいた。教授は研究所Dの扉で立ち止まると、壁のパネルをじっと見つめながら顔認証を済ませた。それから扉が左右に自動で開くと、真っ暗な部屋へ足を運んだ。凛は中を伺うように顔を屈めた。奥の方に薄明かりがある。教授は明かりをつけるのも忘れて、心許ない光へ虫のように引き寄せられた。
凛は意味がわからず、黙って教授の肩越しに光を見つめたが、その瞬間、ひっと声を漏らした。
「そんな、そんな」
脳みそが恐怖で震え、それは声にも表れた。教授は眼鏡を光らせ不気味に笑って振り向いた。
「そう、あなたの娘さんですよ」
 娘は、筒状のガラスケースに浮かんでいた。何かよくわからぬ液体の中、頭にいくつも線が繋がれていた。生首で……。
「なっ何ですかこれは!星子は、星子に何が!?」
気が狂ったように、凛は目をひん剥いて大声を出した。全身の毛穴から汗が吹き出した。
「我々にもまだ分からない事が多いのですがね……娘さん、星子さんはまだなんと生きています。この状態で」





「星子が、生きている……?」
凛は小動物のように怯え切って、そこから動き出せずにいた。しかし、教授の言葉を疑うことはなかった。なぜなら、目の前にいる娘は頭だけの状態なのに、表情は見たことがないほど穏やかで眠っているようだったからだ。
「本当ですか?」
「まだはっきりと断言はできませんがね。何せ、我々にとっても初めてのケース……いや、ともすれば人類初の事例でしょう。この通り、星子さんは呼吸も心臓も停止しています。しかし、脳の海馬は極めて活発に動いているのです」
教授の声色には若干の嬉々が滲んでいた。
「カイバ……、馬の?」
凛は無知を披露したが、教授は「それはケイバでしょう」と、作業的に言葉を放った。眼鏡の鼻当てを人差し指であげる。
「海馬は普段、寝る時に夢を見ていると活発になる部分です。なぜか娘さんは亡くなっているのにも関わらず、この脳に反応がある。そして他の脳の部分にも反応を示すのです。私は初め、それは何らかの原因で反射や電気信号が残っているのかと思いましたが、この状態でもう一週間」
「そんな、星子が生きてるなんて」
希望が届いた。母の眦からは小さな水玉が浮かんだ。
「ええ。彼女は人類の奇跡かもしれない」
 真っ赤なハイヒールを鳴らし、凛は娘の星子へ近い付いた。ガラスに両手をつき鼻がくっつくほどの距離で安らかな寝顔を眺める。
「星子……」
自分の声が届いて欲しいと、名前を呼んだ。
「……それから、脳に腫瘍が見つかりました。おそらくストレス性のものだと思われますが……、この腫瘍は良性なので観察を続けているところです」
教授は親子の再会を、複雑そうに眺めた。彼女は確かに生きている。だが、本当に生きていると言えるだろうか?
「このまま娘さんを預かってもよろしいですか?もしも許可をしてもらえるのであれば、契約書にサインをして頂きたいのです」
「それって、娘を実験台にするってことですよね」
「ゴホン。その言い方はこの好みませんが……娘さんを生かしたいと思っております。この命を無駄にしたくはないのですよ」
教授は自分の顎をさすった。
「そうですか。あの、お金は貰えるんですか?」
遠坂凛は言いにくそうに聞いた。
「契約書にサインを頂ければ報酬を約束しましょう」
凛は俯いて考えたが、というよりをしていたため答えは早かった。
「わかりました」
「では、帰り間際に契約書をお渡しします」
「はい……あの、他の……星子の体はどこに?」
「見つかったものは他の研究室で保管を、会いたいですか?」
「まだ心の準備が」
「そうでしょう。お気の毒に」
最上教授は穏やかに同情を示しながら呟いた。

 部屋を退出した後、凛は言われた通りに電子契約書に目を通した。文章を読むことは苦手だったため、途中からは読む振りだけしてペンを滑らせた。そのあと、電子指印としてボタンに指を押しつけた。教授は最後に、遠坂凛を病院の外まで見送り、タクシー代を渡して車で送らせた。研究所に戻る廊下で、すれ違った若い研究員の男は最上教授に尋ねた。
「教授、あのことは言わなかったんですか?」
「ああ、今はまだ言わない方がいいだろう。もう少し様子を見るとしよう」




 ✳︎

 星子は長い夢を見た気がした。奇妙なヒトデ……いや星だったかもしれない。それから不気味な触手たち。脳みそがまるで圧迫されているように重い。私は誰だっけ。先生は何をしているだろう…………先生?
やがて、世にも美しい音色が鼓膜を溶かし、頭痛はすっかりなくなり蜂蜜のような脳汁が充満していく感覚がした。星子はゆっくり目を覚ました。天井は遠く丸く、繊細で細やかな絵が描かれている。星座と、昔お父さんが読んでくれた星座のお話に出てくる神話の人物が描かれていた。星子は知らず知らず涙を溢した。この音色のおかげだと思った。体を捩り寝返りを打って、伸ばした腕の先に何かが当たった。人だ。
 恐る恐る、布団の上から感触を確かめてみる。温かくてなんだか落ち着く。指を布団の端っこに引っ掛けて思い切り取り外してみると、そこには真っ白な、ガラス細工のような肌をした自分と同じ年くらいの男の子が気持ちよさそうに眠っていた。







心臓がドキドキした。彼は全裸だった。男の子は髪の色と同じ銀の長い睫毛をうっすらと開いて、また飴玉のように透き通った青色を星子に向けて微笑んだ。
「おはよう星子」
「おは……あなたは誰?」
「あ、これはね」
少し姿を変えてみたんだ。彼はそう言った。
「姿って。どういうこと?」
星子は視線を逸らしながら尋ねる。
君とリンクして、君の理想の姿に変えてみたんだ。あの姿だと不気味だったようだから」
まさかあの、ヒトデ……?それにしては変わりすぎている。それにヒトデが人間に変わるなんてあり得ない。
「僕はヒトデじゃなくて死に星だよ、星子。なんだか混乱しているみたいだね」
「だって、は、裸」
「ああこれかい。裸の方が安心すると思ったんだ。でも星子が嫌なら何か身につけよう──いいよ」
視線を向けると、白い肌の上に水色の透き通った輝くストールが交差して流れていて、シルクのような布地の下穿きを纏っている。右耳には星型のピアスがぶら下がっている。星子は少しだけ安堵した。
「その、聞きたいことがたくさんあって。ここはどこ?さっきのキモいのは何?それからあなたは誰?」
「そうだね。まずは、この世界には明確な名前はないのだけれど、街一つ一つには名前があったりなかったり。とりあえず宇宙に似た場所だと思ってくれればいいよ。なんで私がこんな所に?と聞きたそうだね。僕にもわからない。でも確かなことは、君は来るべくして来たということ。さっきの不気味な生き物についてはまた後で話そう。僕のことについて教えようか」
そう言って、死に星は青い瞳を絡ませた。
「僕の名前はアーキ。死に星さ」
「ええと、大根とか使う……」
「それは切り干しじゃないかな」
「あ、ごめん」
星子は恥ずかしさに死にそうだった。
「僕ら死に星はどういうわけか、リンカーという宿命者の精神エネルギーによって命を宿す。だから僕はさっき君の声を聞いて目覚めたんだ。目覚めた時全てが分かった。僕は君を守る星として生きるんだって」
リンカー、宿命者、死に星、星子はますます頭が混乱してきた。音色はいつの間にか止んでいた。
「分からないことは分からないままでいい。全てを解明できることはできないのだから」
 何だか、初めて聞く言葉ではない気がすると星子は思った。星子は、慣れない同世代の男の子に緊張を抱いて広いベッドの端の方へ少し距離をとった。セーラー服のスカーフの端っこを掴む。
「さっきは、たまたま倒せたけど……私、ああいうのって向いてないと思う」
「怖いんだね、星子。僕は君の気持ちがよくわかるんだ。大丈夫、あれはいきなりだったけれど訓練を積めばもっと上手く妄想を使いこなせる。君のイメージが鍵なんだ。もしも使いこなせたら、この世界ごと壊せるくらいの力を秘めているんだよ。でも、みんな大抵のリンカーはうまくやれない。自分が思い通りに現実を創造できるなんて思わないから」
「私以外にもリンカーがいるの?それなら」
「私以外に頼めって?それは無理なんだ。だって、僕は君と繋がっている。僕は自分のさだめと、君のさだめに従うために生きている。ねえ、星子。さっきのナイフ、今度は別の形になるように妄想してごらん。そしたら次戦う時はまた違った武器が現れるだろう」
また次があるなんて嫌だなと星子は真っ白な毛布に顔を埋める。そういえばここにきてから匂いというものが分からない。やっぱり自分は死んでいるのだろうか。それからこのアーキという星もどきの生き物は自分を知りすぎているように思えた。これもリンカーの宿命というやつなのか。などと頭で思考を巡らせいると、アーキは星子の両手を両手で握りしめて近づき額に額をすり寄せたものだから星子はまた急激に心臓が脈打ち、頭は沸騰していった。
「さあ、星子。ゼウス様にお会いしに行こう」
「えっゼウス様?……というか近いよ!」
星子は筋肉の薄づきのいい胸板を両手で押しのけた。
「うん、この世界で一番偉いお方だよ」
「なんか聞いたことがあるような」
いくら頭の中をほじくっても出てこない。星子はすぐに諦めることにした。

ベッドから立ち上がって、星子はふと気になっていたことを尋ねた。
「ねえ、さっきの綺麗な曲は何?」
「ああ、哀れなオルフェウス……。今でも庭園で時たま一人でに琴を奏でているんだ。自身の体はもう無いのに」
と、猫のようにシーツからすり抜ける死に星の顔は微笑んではいたが、なにか感情のない人形のように星子の目には映った。
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