鯨井イルカ

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蛍光灯の下で

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 その部屋の天井には、木製の四角い傘がついた蛍光灯がぶら下がっていた。
 畳は酷く日に焼け、深緑色の縁はボサボサにほつれている。
 広さは四畳半か六畳ほどで、家具の類は見当たらない。
 それどころか、出入り口すら見当たらない。
 周囲はただ、薄汚れた白い壁に囲まれている。
 当然、窓があるはずもない。
 そんな部屋の中央に、私は立っていた。
 この部屋は、閉所恐怖症の人間にとっては、恐ろしいものなのかもしれない。
 しかし、幸いにも私は閉鎖した空間が苦手ではない。
 むしろ、この部屋に居心地の良さすら感じるほどだ。

 そんな部屋の中に、私以外の人間は見当たらない。 
 いや、むしろ、私以外の人間は見当たらないと思いたいのだ。
 先述の通り、この部屋には居心地の良さを感じている。
 ならば、気疲れすることなく、一人で気ままに過ごしていたい。


 しかし、部屋の壁際にいるソレのおかげで、一人きりだと断言することができない。


 ソレは、畳の長辺より少し短いくらいの長さをしていた。

 ソレは、目のないナメクジのような形をしていた。
 
 ソレは、ウジのような色をして、ウジのような脚を持っていた。

 ソレは、ヒキガエルのようなぬめりを持っていた。

 ソレは、ヘビのように全身を鱗に覆われていた。

 ここまでならば、ソレは人ではない何かだと断言しただろう。

 しかし、ソレの体には薄らと血管が浮き出ていた。
 私には何故か、その血管が人の静脈のように思えた。
 だから、この部屋にいる人間は私だけだ、と断言できずにいる。

 まあ、人と同じ静脈を持っているのだとしても、ソレを人だと断言することには違和感を覚えるが。
 
 それにしても、ソレのせいで居心地の良さが台無しになってしまっている。
 私は思わずため息を吐き、苛立った目をソレに向けた。
 しかし、ソレに私の憤慨は伝わっていないようだ。
 ソレは、先ほどから一定の速度で、ズルズルと壁に沿って前進している。
 いや、ひょっとしたら、前進ではなく後退しているのかもしれない。
 何しろ、ソレの体には前後を判断できるだけの特徴が全くないのだから。

 ソレには顔もなければ、尾も生えていない。
 
 かろうじて短い脚が生えているのは分かる。

 しかし、つま先と踵の区別まではつかない。

 だから、横歩きをしている可能性もないわけではない。
 いずれにせよ、ソレはウジ色の体に静脈を浮き出して、ただズルズルと進んでいるのだ。
 
 壁に沿って、ただズルズルと。
 
 気味が悪いとは思ったが、不思議と恐怖は感じなかった。

 ソレには、尖った牙もなければ、鋭い爪もない。

 ソレは、こちらを攻撃する手段を一切持ち合わせていないのだ。

 ソレは、ただズルズルと、壁に沿って進んでいるだけだ。

 だから、恐れることもない。

 しかし、嫌悪感を抱かないというわけではない。
 ソレの見た目は、好ましいものとは言いがたいのだから。
 できることならば、早くこの部屋を出て行きたいものだ。
 しかし、この部屋には出入り口のような物は見つからない。
 
 それでも、私は諦めきれずに壁中をくまなく見つめた。
 すると、あることに気がついた。

 
 ソレと壁の間に、僅かに隙間ができていた。

 
 あまり気がつきたくなかった発見に、深いため息が自然と口から漏れた。
 ソレは、ズルズルと進みながら、徐々に壁から離れていったのだろう。
 つまり、徐々に私に近づいているということでもある。

 逃げ出してしまいたいが、出入り口はまだ見つかっていない。
 それに、腰をひねる程度にしか、体を動かすことができない。
 それでも何とかしようと身じろぐ間にも、ソレはこちらに近づいてくる。


 少しずつだが、着実に。

 ズルズルと音をたてながら。


 ただ、この速度ならば、私の元に辿り着くには相当時間がかかるだろう。
 それまでには、出入り口が見つかり、体も動くようになるかもしれない。
 しかし、もしも間に合わなかったら……


 生ぬるくブヨブヨとした感触が、脚にまとわりつく。

 そんな想像をし、全身に鳥肌が立った。



 そこで、目が覚めた。
 ぼやけた視界の中に、寝室の様子が映る。
 木製の傘がついた蛍光灯も、日に焼けた畳もこの部屋にはない。
 部屋の南側にある窓からは朝陽が差し込み、北側にあるドアを照らしている。
 恐る恐る掛け布団を剥いでみたが、足下に何かがいるということもない。
 私は安堵のため息を吐いて、ベッドから起き上がった。

 それから、身支度をし、家を出て、満員電車に揺られ、勤め先に到着した。
 執務室に入り、軽く頭を下げながら挨拶をする。
 すると、一人の女性と目が合った。
 彼女は、すぐに眉間にしわを寄せると、あからさまに顔を反らした。
 私は苦笑を浮かべて、彼女に軽く会釈をした。
 彼女は一昨日、書類の渡し方が悪い、と突然怒りだし、それからずっとこんな様子だ。
 こちらとしては、いつも通りに手渡したつもりだった。
 それでも、彼女にとっては、何か耐えがたい違和感があったのだろう。
 もしくは、単に気分が優れなかっただけなのかもしれない。
 何にせよ、挨拶時に顔を背けられる以外、業務に支障はない。
 それに、上司や他の同僚達も、気にするな、と言っている。
 ならば、彼女の気が済むまで、放っておくより他はない。
 
 ただ、彼女に対して抱いてしまった若干の嫌悪感を、私はまだ拭えずにいる。
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