17 / 18
幸せな結末
しおりを挟む
身体の震えが治まると、紗江子は誠の腕から放された。名残惜しそうに、ゆっくりと。
「それじゃあ、ちょっとあの男と話をしてきますので、紗江子さんはここで待っていてください」
「……え? あの、神谷さん一人で行くんですか?」
「ええ、そのつもりですが……、あの男にまだ何か用があるのですか?」
投げられた問いに、反射的に首が横に動いた。
「そうじゃないですよ! ただ、一人だと危ないかも……」
脳裏には、扉にたたきつけられたときに見た、幸二の表情が蘇った。どこか虚ろな血走った目に、歪んだ笑みのまま固まった口元。とても正気だったとは思えない。もしも、逆上して刺されたりしたら……。そんな不安が湧き上がってくる。
しかし、当の誠は穏やかな微笑みを浮かべていた。
「大丈夫ですよ。すぐに片がつきますから」
「あ! 待ってください!」
制止をよそに、誠は部屋の中に入っていった。そして、ガチャリという音を立て、扉に鍵がかけられる。
「神谷さん! 神谷さん!」
扉を叩きながら名前を呼んだが、鍵が開く気配はない。
その後、紗江子は扉を叩きながら名前を呼び続けたが、反応は返ってこなかった。それならばと思い、ポケットからスマートフォンを取りだす。中から不穏な音が聞こえたら、すぐに通報しよう。そう思いながら、ドアに耳を当てた。
「なに……もく……んだ?」
「お……さえ…………あ…………だけで…………れより……うす……か?」
「そ…………」
「このしゃ…………もう……おっ…………いた……あな…………とう……わりで……」
「……」
内側から、二人の会話がかすかに聞こえてくる。内容までは分からないが、怒鳴り合いや争いになっている様子はない。
ひとまず、通報はしなくて良いのかもしれない。そう思っていると、会話が止んで近づいてくる足音が聞こえた。
慌てて離れると扉はすぐに開き、誠が姿を現した。
「お待たせしました。これですべて終わりましたよ」
穏やかな笑顔と声ともに、優しく頭が撫でられた。
「もう二度と紗江子さんの前に姿を現さないし連絡もしない、という言質は取りました」
「……え?」
ついさっきは、正論にも逆上して襲いかかってきたのに。
――ギィ
混乱する耳に、再び扉が開く音が届く。
我に返ると、生気のない目をした幸二が目に入った。とっさに身構えた肩を、誠の腕が優しく抱く。
「……」
幸二は一瞬だけ眉をひそめ、何か言いたげに唇を震わせた。しかし、誠のシャツを掴みながら嫌悪感のこもった目を向ける紗江子を見ると、言葉の代わりに小さなため息を吐き出だした。そして、無言で軽く頭を下げ、振り返らずに廊下を去っていった。
足音が聞こえなくなると、今度は誠のため息が廊下に響いた。
「まったく。最後まで、紗江子さんに謝罪の言葉はなしですか」
「いえ、もういいですよ……、これ以上関わらないでくれるなら……」
力なく答えると、誠の顔に苦笑が浮かぶ。
「それもそうですね。あんな男、関わらないにこしたことはないですから」
「その通りですね……、二度と関わらないって言質を取ってくれて、本当にありがとうございました……」
「いえいえ。ただ、当面の間は注意したほうがいいと思うので……、やっぱり俺の家で暮らしましょう。相手は、勝手に合い鍵を作って忍び込むようなやつですから」
誠の言葉を受け、再び脱力感に襲われた。
勝手に鍵を開けたのは自分なのに、それさえも人のせいにしていたなんて。あまりの落胆に、軽く目眩がした。
「……ご迷惑でなければ、お願いします」
「ええ、もちろんです!」
嬉しそうな声とともに、キツく抱きしめられた。
「紗江子さんとずっと一緒にいられるなんて、本当に幸せだ……」
「もう、大げさですよ」
「そんなことないですよ。俺はこの日が来ることを、ずっと、ずっと待っていたんですから」
腕に込められた力は、いっそう強くなった。
紗江子は頬を緩めて、もう、と再び呟き、誠の背中に腕を回した。
その後、提案通り紗江子と誠は、同棲することになった。
二人で話し合った結果「やはり、また何かが起きたらまずい」という結論に至り、ワンルームマンションは早々に引き払った。
はじめのうちは、同棲することで愛想を尽かされたどうしよう、などと紗江子は考えていた。しかし、誠はずっと一緒に暮らすようになってからも、労いの言葉や、愛の言葉を絶やすことはなかった。
そんな生活を続けるうちに、半年近くの月日が流れた。
今日も紗江子は、二人の香りが混ざり合う寝室で、誠に腕枕をされていた。
「今日も、とても可愛らしかったですよ」
甘い囁きとともに、額に唇が落とされる。
「それは、どうも……」
とっさに目を伏せて視線を逸らすと、ふふ、という穏やかな笑い声がこぼれた。
「紗江子さんは、いつまでたっても、初々しいですね」
「だって、今まで誰かにこんなに褒められたこと、なかったから……」
「それは、周りの見る目がなかっただけですよ。まあ、紗江子さんの魅力を理解できるのは、俺だけだと思いますけどね」
「……それって、一般的には微妙な女ってこと?」
「あはははは、そんなことないですよ!」
「本当かなぁ」
口を尖らせて腕を組むと、骨張った細長い指が頬を撫でた。
「ええ、紗江子さんはどこからどう見ても、魅力的な女性ですよ。閉じ込めてしまいたいほどに」
不意に、背筋が粟立った。その原因が、穏やかな微笑みに垣間見えた鋭い視線のせいなのか、頬を撫でた指が首筋に滑り降りたからなのか、判断はつかなかった。
「んっ……」
深く口づけをされ、口内に的確な愛撫が与えられれば、他のことなど考えられるはずもない。
唇が離れると、整った顔に浮かぶ恍惚とした表示が目に映った。
「……これからもずっと、俺の隣にいてくれますね?」
「……」
無言でうなずくと、誠の口元に笑みが浮かんだ。再び、背中が粟立っていく。
それが口に残る心地よい舌の感触のせいなのか、笑顔のせいなのかは、やはり分からなかった。
それでも、自分をこんなに愛してくれる人と、私もずっと一緒にいたい。
そんな甘い気持ちが、紗江子の胸を満たしていった。
「それじゃあ、ちょっとあの男と話をしてきますので、紗江子さんはここで待っていてください」
「……え? あの、神谷さん一人で行くんですか?」
「ええ、そのつもりですが……、あの男にまだ何か用があるのですか?」
投げられた問いに、反射的に首が横に動いた。
「そうじゃないですよ! ただ、一人だと危ないかも……」
脳裏には、扉にたたきつけられたときに見た、幸二の表情が蘇った。どこか虚ろな血走った目に、歪んだ笑みのまま固まった口元。とても正気だったとは思えない。もしも、逆上して刺されたりしたら……。そんな不安が湧き上がってくる。
しかし、当の誠は穏やかな微笑みを浮かべていた。
「大丈夫ですよ。すぐに片がつきますから」
「あ! 待ってください!」
制止をよそに、誠は部屋の中に入っていった。そして、ガチャリという音を立て、扉に鍵がかけられる。
「神谷さん! 神谷さん!」
扉を叩きながら名前を呼んだが、鍵が開く気配はない。
その後、紗江子は扉を叩きながら名前を呼び続けたが、反応は返ってこなかった。それならばと思い、ポケットからスマートフォンを取りだす。中から不穏な音が聞こえたら、すぐに通報しよう。そう思いながら、ドアに耳を当てた。
「なに……もく……んだ?」
「お……さえ…………あ…………だけで…………れより……うす……か?」
「そ…………」
「このしゃ…………もう……おっ…………いた……あな…………とう……わりで……」
「……」
内側から、二人の会話がかすかに聞こえてくる。内容までは分からないが、怒鳴り合いや争いになっている様子はない。
ひとまず、通報はしなくて良いのかもしれない。そう思っていると、会話が止んで近づいてくる足音が聞こえた。
慌てて離れると扉はすぐに開き、誠が姿を現した。
「お待たせしました。これですべて終わりましたよ」
穏やかな笑顔と声ともに、優しく頭が撫でられた。
「もう二度と紗江子さんの前に姿を現さないし連絡もしない、という言質は取りました」
「……え?」
ついさっきは、正論にも逆上して襲いかかってきたのに。
――ギィ
混乱する耳に、再び扉が開く音が届く。
我に返ると、生気のない目をした幸二が目に入った。とっさに身構えた肩を、誠の腕が優しく抱く。
「……」
幸二は一瞬だけ眉をひそめ、何か言いたげに唇を震わせた。しかし、誠のシャツを掴みながら嫌悪感のこもった目を向ける紗江子を見ると、言葉の代わりに小さなため息を吐き出だした。そして、無言で軽く頭を下げ、振り返らずに廊下を去っていった。
足音が聞こえなくなると、今度は誠のため息が廊下に響いた。
「まったく。最後まで、紗江子さんに謝罪の言葉はなしですか」
「いえ、もういいですよ……、これ以上関わらないでくれるなら……」
力なく答えると、誠の顔に苦笑が浮かぶ。
「それもそうですね。あんな男、関わらないにこしたことはないですから」
「その通りですね……、二度と関わらないって言質を取ってくれて、本当にありがとうございました……」
「いえいえ。ただ、当面の間は注意したほうがいいと思うので……、やっぱり俺の家で暮らしましょう。相手は、勝手に合い鍵を作って忍び込むようなやつですから」
誠の言葉を受け、再び脱力感に襲われた。
勝手に鍵を開けたのは自分なのに、それさえも人のせいにしていたなんて。あまりの落胆に、軽く目眩がした。
「……ご迷惑でなければ、お願いします」
「ええ、もちろんです!」
嬉しそうな声とともに、キツく抱きしめられた。
「紗江子さんとずっと一緒にいられるなんて、本当に幸せだ……」
「もう、大げさですよ」
「そんなことないですよ。俺はこの日が来ることを、ずっと、ずっと待っていたんですから」
腕に込められた力は、いっそう強くなった。
紗江子は頬を緩めて、もう、と再び呟き、誠の背中に腕を回した。
その後、提案通り紗江子と誠は、同棲することになった。
二人で話し合った結果「やはり、また何かが起きたらまずい」という結論に至り、ワンルームマンションは早々に引き払った。
はじめのうちは、同棲することで愛想を尽かされたどうしよう、などと紗江子は考えていた。しかし、誠はずっと一緒に暮らすようになってからも、労いの言葉や、愛の言葉を絶やすことはなかった。
そんな生活を続けるうちに、半年近くの月日が流れた。
今日も紗江子は、二人の香りが混ざり合う寝室で、誠に腕枕をされていた。
「今日も、とても可愛らしかったですよ」
甘い囁きとともに、額に唇が落とされる。
「それは、どうも……」
とっさに目を伏せて視線を逸らすと、ふふ、という穏やかな笑い声がこぼれた。
「紗江子さんは、いつまでたっても、初々しいですね」
「だって、今まで誰かにこんなに褒められたこと、なかったから……」
「それは、周りの見る目がなかっただけですよ。まあ、紗江子さんの魅力を理解できるのは、俺だけだと思いますけどね」
「……それって、一般的には微妙な女ってこと?」
「あはははは、そんなことないですよ!」
「本当かなぁ」
口を尖らせて腕を組むと、骨張った細長い指が頬を撫でた。
「ええ、紗江子さんはどこからどう見ても、魅力的な女性ですよ。閉じ込めてしまいたいほどに」
不意に、背筋が粟立った。その原因が、穏やかな微笑みに垣間見えた鋭い視線のせいなのか、頬を撫でた指が首筋に滑り降りたからなのか、判断はつかなかった。
「んっ……」
深く口づけをされ、口内に的確な愛撫が与えられれば、他のことなど考えられるはずもない。
唇が離れると、整った顔に浮かぶ恍惚とした表示が目に映った。
「……これからもずっと、俺の隣にいてくれますね?」
「……」
無言でうなずくと、誠の口元に笑みが浮かんだ。再び、背中が粟立っていく。
それが口に残る心地よい舌の感触のせいなのか、笑顔のせいなのかは、やはり分からなかった。
それでも、自分をこんなに愛してくれる人と、私もずっと一緒にいたい。
そんな甘い気持ちが、紗江子の胸を満たしていった。
0
あなたにおすすめの小説
替え玉の私に、その愛を注がないで…。~義姉の代わりに嫁いだ辺境伯へ、身を引くはずが……持ちかけられたのは溺愛契約。
翠月 瑠々奈
恋愛
ベルン皇国の辺境伯ソラティスが求めたのは、麗しき皇都の子爵令嬢レイアだった。
しかし、彼の元へ届けられたのは、身代わりに仕立て上げられた妹のラシーヌ。
容姿も性格も全く違う姉妹。
拒絶を覚悟したラシーヌだったが、ソラティスは緋色の瞳を向けて一つの「契約」を持ち掛けた。
その契約とは──?
ソラティスの結婚の理由、街を守る加護の力。そして、芽生える一つの恋。それに怯える拙い拒み。
※一部加筆修正済みです。
結婚から数ヶ月が経った頃、夫が裏でこそこそ女性と会っていることを知りました。その話はどうやら事実のようなので、離婚します。
四季
恋愛
結婚から数ヶ月が経った頃、夫が裏でこそこそ女性と会っていることを知りました。その話はどうやら事実のようなので、離婚します。
地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話
ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。
リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。
婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。
どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。
死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて……
※正常な人があまりいない話です。
仮面王の花嫁
松雪
恋愛
婚約者を腹違いの妹に奪われ、新しい相手も見つからず修道院に行く覚悟を決めたルチア。修道女となるため髪を切った日の夜、王城から「国王がルチアを妻に望んでいる」という書簡を持った使者がやって来た。
しかし、従兄弟であり恋仲だったニールが国王のせいで死に至った過去を持つルチアは、国王からの求婚を喜べずーー。
捨てられた私は遠くで幸せになります
高坂ナツキ
恋愛
ペルヴィス子爵家の娘であるマリー・ド・ペルヴィスは来る日も来る日もポーションづくりに明け暮れている。
父親であるペルヴィス子爵はマリーの作ったポーションや美容品を王都の貴族に売りつけて大金を稼いでいるからだ。
そんな苦しい生活をしていたマリーは、義家族の企みによって家から追い出されることに。
本当に家から出られるの? だったら、この機会を逃すわけにはいかない!
これは強制的にポーションを作らせられていた少女が、家族から逃げて幸せを探す物語。
8/9~11は7:00と17:00の2回投稿。8/12~26は毎日7:00に投稿。全21話予約投稿済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる