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える ぷてらのどん ぱさー
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もしもなれるならばアンボイナよりもハジロクロハラアジサシがいいな、などと言っていたことがある祖父が晩年を過ごしていたこのD県Y郡七篠町。
その町外れにある洋館で孫の私も相変わらず雑貨店を営んでいる。
今日は朝から空がどこまでも真っ白でいつ雪が降り出してもおかしくない天気だ。現に昨日は大量の雪かき用スコップが売れている。きっとこんな日はお客もそんなに来ないだろう。
というわけで、納戸の奥で埃を被っていた世界シェア三位だか四位のケチャップ屋みたいな名前をした翼竜の化石を天井から吊り下げて、はたしてこれは売れるのかだとか悩みながらゆっくり過ごそうと思っていたわけだけれども。
「ぎー」
「えーと、本日はどのようなご用件で?」
「ぎー」
「ぎー、でございますか」
なぜか言葉の通じないお客の相手をすることになっている。
カウンターの向こうに居るのはどう見てもプテラノドンな翼竜。口にそこそこ大きな石を咥え、尖った頭をしきりに上下させている。
この間の電話でプテラノドンが石を咥えてきたときの対応方法も聞いておけばよかったかな……。
「ぎぎー!」
「うわっ!?」
突然、石が放されカウンターに転がった。なんだか独特な臭いが漂ってくるし、服とかに移ったりしたらどうしよう。
「ぎ!」
いや今は臭い移りより、目の前の非現実的な現実をどうにかしないとか。とりあえず、このかんじなら。
「この石で何か買いたかったりします?」
「ぎー!」
ガチョウに似た鳴き声とともに尖った頭が何度もうなずいた。よし、状況は分かった。分かったけれども、うちに翼竜まっしぐらなかんじの商品なんてあったか?
まあ納戸を漁ったらアンモナイトくらいは出てきそうな気もするけれども。
「ぎ、ぎ、ぎ」
「うわ!? ちょっとお客様!?」
いつの間にかプテラノドンは窓際に移動し、束ねたカーテンにしがみついていた。しかも、なんだか鳴き声にまじって軋みみたいな音も聞こえてくる。
「お客様! もうしわけございませんが、そちらは売り物ではございませんので!」
「ぎーぎー!」
慌てて駆けよって見た目よりもやや軽い身体を抱えると、鋭い爪が厚手の生地に食い込んだ。この間買い換えたばかりなのに……、ともかくこれ以上被害を広げないようにしないと。
「カーテンをお探しでしたら、在庫をお持ちいたしますよ」
「ぎぎぃ?」
不意に円らな瞳がさらに円くなった気がした。えーと、この反応は多分。
「カーテンが欲しいわけじゃない、ってかんじですか?」
「ぎ」
尖った頭が軽く上下に動いた。どう見ても肯定しているとしか思えない反応だ。
ならなぜ結構気に入ってる花柄の生地に穴を開けてくれたのだろうか。
「おやおや。今日も何やら愉快なことをなさっていますね」
突然、背後から聞き覚えのありすぎる楽しげな声が聞こえてきた。
振り返ると案の定、黒い着物にコートを羽織った金魚屋が立っていた。手にはなにやら百貨店の紙袋を持っている。
「あまりにも退屈だったので冷やかしに来たのですが、正解だったみたいですね」
「店主の前で堂々と冷やかしに来たとか言うなよ。というか、見てのとおり今手が放せないから急用じゃないなら適当にその辺見てて」
「ではお言葉に甘えさせて……いただいてもいいのですが」
ブリキの金魚がカーテンの方を向いた。その先に居るのはカーテンにしがみついたままのプテラノドン。視線に気づいたのか尖った頭は軽く傾いた。
「……ぎ?」
「……ふむ」
二人……というか、一人と一羽はしばらく見つめ合ったあとどちらともなくコクリと頷いた。
「ぎー、ぎぎぎー」
「なるほど。左様でございましたか」
「ぎぎー?」
「ええ、それで問題はないと思いますよ」
「ぎ!」
しかもなんだか通じ合っている様子だ。
これはひょっとしなくても。
「金魚屋、ひょっとしてこの人? の言葉が分かったりする?」
「ええ。以前、ちょっとした縁で似たようなお客様と取引をしたことがあったので」
「オルニトケイルス上科と取引って、どんな縁なんだよ……」
いや、この町ならちょっと珍しい縁くらいで済む話なのかもしれないか。
「ふふ、まあこの仕事を長く続けていると色々とあるのですよ。それでですね、こちらの御仁はそこに吊られている奥様の亡骸を売っていただきたいそうですよ」
「は? 奥様の亡骸?」
そんな猟奇的なものを吊った覚えは……あ、あったわ。
「ひょっとして、あのケチャップ屋みたいな名前の翼竜の化石のことですか?」
「ぎぎ!」
プテラノドンはカーテンから飛び降りてコクリと頷いた。なるほど、だいたいの事情は把握できた。とはいっても。
「おや? どうなさいましたか、おみせやさん? そんな全身黒尽くめの警部補さんが推理するときのような格好をなさって?」
「ぎぃ?」
「いや……、たしかあの化石の翼竜が全盛期だった頃と、プテラノドンが全盛期だった頃って一億年くらい離れていたような……」
そもそも目の前にプテラノドンがいること自体、いろいろとどうかしている気もするけれども。
「まあ、愛という物は時間くらいはやすやすと超越するものなのでしょう。知りませんが」
「ぎ!」
……うん。今回もあんまり深く考えたら負けな気がする。
とりあえず、お代はもらっているのだし対応することにしよう。
「じゃあ、いまから奥様を降ろしますんで」
「あ、待って下さい」
「わっ!?」
歩き出した途端に肩を掴んで引き止められたおかげで、諸々の節々がガクッとなってしまった。ガクッとさせた当人は特に悪びれることもなく楽しげな空気を醸し出している。
この野郎、隙を見て面白楽しいお面に落書きしてやろうかな。
「それなら僕がしますよ」
……落書きはまた別の機会にしておいてやろう。
「いいよ別に。冷やかしとはいえ客に手伝わせるわけにはいかないし」
「そういうわけにもいきませんよ。だっておみせやさん、脚立の天板に立って作業とかしそうですし」
「え!? 脚立って天板に乗っちゃいけないの!?」
「ああ、やっぱりでしたか。ともかく納戸から脚立を持ってきますので、貴女はお客様の対応をおねがいしますね」
持っていた紙袋をカウンターの上に置いてから金魚屋は店の奥に消えていった。
人の店でなにを仕切ってるんだ、だとか、そもそも脚立がある場所をなんで知ってるんだだとか色々と言いたいことはあるけれども。
「ぎぎ!」
目の前でプテラノドンが円らな目を輝かせている。
……やっぱり、諸々深く考えても仕方ないのだろう。
※※※
そんなこんなでケチャップ屋みたいな名前の翼竜の化石を天井から降ろしてもらい、三人で店の外に出た。
「この辺りでよろしいですか?」
「ぎ」
「では、そのように」
金魚屋が芝生の上に置いた化石に、プテラノドンがおもむろに顔を寄せる。
「ぎー……」
頬を寄せられても琥珀色の頭蓋骨がなにか反応を示すことはない。それでも、鱗に覆われた顔は心なしか幸せそうに見える……、気がする。
「……お客様、そろそろ雪も降り出しそうですので」
不意にブリキの金魚の奥から悲しげな声がこぼれた。
――つーか、その誰かってのは誰のことだよ?
なぜか、この前聞いた祖父の声が鮮明に蘇る。
その時に思い出した顔は。
「ぎぎっ!」
「うわっ!?」
突然始まった羽ばたきが感傷的ななにかを吹き飛ばした。なんというか、実物は結構小さいんだなとか思っていたけど、翼を広げるとかなり大きいな……。
「ぎぎー!」
「いえいえ、僕はちょっとお手伝いをしたまでですから」
「ぎ!」
「ええ、貴方も奥様とご自愛なさってください」
「ぎーぎー!」
どことなく満足げな鳴き声を残してプテラノドンは真っ白な空に飛び立っていった。
物言わぬ奥さんを抱えながら。
「ふふ、本日も万事収まるべきところに収まったみたいですね」
「……そうだね」
「おや? またなにか悩んでいそうなお顔をして……、さてはまた、『プテラノドンって自力で離陸できたっけ?』なんて悩んでいるのですね?」
からかうような声とともに金魚の面を付けた顔が首を傾げる。多分、いつものように「え? プテラノドンって自力で離陸できないの?」なんて問い返したほうがいい。
そんなことは分かりきっている。
「……あのさ、金魚屋」
「はい、なんでしょうか?」
「金魚屋はさ、自分の大事な人が呼びかけにまったく答えてくれなくなったりしても一緒にいたいと思う?」
「……」
ブリキの金魚の奥にある顔を見たことはないし、それが今どんな表情を浮かべているかなんて分かるはずもない。
「……さて、どうでしょうね」
それなのに誰がどんな表情を浮かべているのか、なぜか分かる気がする。
「そのときの気分によると思いますよ。つまらないと思えば置いていきますし、それでもかまわないと思えば傍にいますし」
「そう」
「ま、ただ……早々につまらないと切り捨てられるような方が、僕の大切な人になり得るとは思えないですけどね」
「……そう」
それは、つまり。
「それに、金魚って往々にして餌のとき以外はこちらに対して無関心ですから、特になにかしてくれなくてもこれといって問題はないといいますか」
「……大事な人の話だって言ってるだろ!」
「まあまあ。金魚だって人だって脊椎動物ですし、同じようなものですよ」
「某童謡くらいに広大な仲間意識だな!」
「ふふ、お褒めにあずかり恐悦至極です」
ブリキの金魚を貫通して人を小馬鹿にした微笑みが浮かんでくる。
これ以上何か聞いてみても、間違いなくはぐらかされるだけか。なら早々に日常に戻ってしまおう。それにしても。
「なんだか、どっと疲れた……」
「おやおや、それは大変ですね。なら、手土産もありますから一緒にお茶にでもしませんか?」
「冷やかしに来たうえに茶までねだるなよ……と言いたいところだけど、かなり手伝ってもらったからそのくらいはするよ」
「ありがとうございます」
「いーえー。しっかし、お代にもらったあの変な臭いがする石、どうしようかな」
とても売り物になるとは思えないし。納戸にしまってもいいけど他のものに臭いが移っても困るし。
「まあ、あの大きさでしたら数百万の取引になるでしょうし、迂闊に店先には出さないほうがいいかもしれませんね」
「そうか……え?」
数百万の取引?
「なにしろ本物の竜涎香ですからね」
「リュウ、ゼンコ、ウ……?」
それって、たしかテキーラとかの原料とかになる。
「多分、今おみせやさんが考えているのは竜舌蘭ですね。まあ、そちらも取引が面倒になるかもしれませんが。ともかく、かなり貴重なお香の材料ですよ。一応、取引先に心当たりはあるので明日にでもご紹介……」
「……金魚屋」
「はい?」
「そういう分不相応な高級品を置いとくの怖いから、なんなら今日の手間賃として持っていってくれない?」
「……えい」
「いたっ!?」
いきなり金魚屋の指が額を弾いた。
「なにするんだよ!?」
「前にも言ったように、もらえる物はもらっておくべきですよ。周りがなんて喚こうと当然の権利なんですから」
「でもさぁ……」
「デモも抗議活動もありませんよ。まあ高価な物があって不安ということでしたら、護衛くらいはいたしましょうか」
「本当?」
「ええ。金魚たちは僕が一晩くらい留守にしても問題のないような対策をしてありますし」
「なら助かるよ。ありがとう」
「いえいえ」
胡散臭いことこの上ない相手ではあるけれど、味方になってくれるならこれほど心強いやつも早々居ない。
「……おや? なにか今、失礼なこと考えましたね?」
「い、イヤダナー、ゼンゼンソンナコトナイデスヨー」
「ふぅん?」
ブリキの金魚を貫通して訝しげな視線が突き刺さってくる。気が変わられてしまっても困るし話題を変えとかないと。あ、そうだ。
「あ、えーと、この間酒屋さんでめちゃくちゃ甘くて美味しいポートワインを買ったから一緒にどう?」
「……では、ご馳走になりましょうか」
あれ? なんか、反応に間があったな。この間酒屋さんから、「金魚屋さんは甘いお酒をよく買っていくよ」なんて話を聞いていたのに。
「ただし、こういったお誘いは僕以外には絶対になさらないでくださいね」
「え? ああ、うん」
「では、冷えてきましたし中へ戻りましょうか」
金魚屋はどこか足取り軽く店の中に戻っていった。
独り占めしたくなるくらい喜ばれるなら、いざと言うときの取引材料として同じワインを何本か常備しておこうか……。
「ひゃっ!?」
不意に顔になにか冷たいものが頬に触れた。
いつの間にか山に囲まれた空から雪が舞い始めている。
プテラノドン夫妻の姿はもうどこにも見えない。
「おみせやさん、いつまでも外にいると風邪をひかれますよ」
戸口では金魚屋が肩をすくめながら手招きをしている。
「うん。今行く」
貴女でも風邪を引くんですねなんてからかわれても癪だし、私もさっさと戻るとしよう。
その町外れにある洋館で孫の私も相変わらず雑貨店を営んでいる。
今日は朝から空がどこまでも真っ白でいつ雪が降り出してもおかしくない天気だ。現に昨日は大量の雪かき用スコップが売れている。きっとこんな日はお客もそんなに来ないだろう。
というわけで、納戸の奥で埃を被っていた世界シェア三位だか四位のケチャップ屋みたいな名前をした翼竜の化石を天井から吊り下げて、はたしてこれは売れるのかだとか悩みながらゆっくり過ごそうと思っていたわけだけれども。
「ぎー」
「えーと、本日はどのようなご用件で?」
「ぎー」
「ぎー、でございますか」
なぜか言葉の通じないお客の相手をすることになっている。
カウンターの向こうに居るのはどう見てもプテラノドンな翼竜。口にそこそこ大きな石を咥え、尖った頭をしきりに上下させている。
この間の電話でプテラノドンが石を咥えてきたときの対応方法も聞いておけばよかったかな……。
「ぎぎー!」
「うわっ!?」
突然、石が放されカウンターに転がった。なんだか独特な臭いが漂ってくるし、服とかに移ったりしたらどうしよう。
「ぎ!」
いや今は臭い移りより、目の前の非現実的な現実をどうにかしないとか。とりあえず、このかんじなら。
「この石で何か買いたかったりします?」
「ぎー!」
ガチョウに似た鳴き声とともに尖った頭が何度もうなずいた。よし、状況は分かった。分かったけれども、うちに翼竜まっしぐらなかんじの商品なんてあったか?
まあ納戸を漁ったらアンモナイトくらいは出てきそうな気もするけれども。
「ぎ、ぎ、ぎ」
「うわ!? ちょっとお客様!?」
いつの間にかプテラノドンは窓際に移動し、束ねたカーテンにしがみついていた。しかも、なんだか鳴き声にまじって軋みみたいな音も聞こえてくる。
「お客様! もうしわけございませんが、そちらは売り物ではございませんので!」
「ぎーぎー!」
慌てて駆けよって見た目よりもやや軽い身体を抱えると、鋭い爪が厚手の生地に食い込んだ。この間買い換えたばかりなのに……、ともかくこれ以上被害を広げないようにしないと。
「カーテンをお探しでしたら、在庫をお持ちいたしますよ」
「ぎぎぃ?」
不意に円らな瞳がさらに円くなった気がした。えーと、この反応は多分。
「カーテンが欲しいわけじゃない、ってかんじですか?」
「ぎ」
尖った頭が軽く上下に動いた。どう見ても肯定しているとしか思えない反応だ。
ならなぜ結構気に入ってる花柄の生地に穴を開けてくれたのだろうか。
「おやおや。今日も何やら愉快なことをなさっていますね」
突然、背後から聞き覚えのありすぎる楽しげな声が聞こえてきた。
振り返ると案の定、黒い着物にコートを羽織った金魚屋が立っていた。手にはなにやら百貨店の紙袋を持っている。
「あまりにも退屈だったので冷やかしに来たのですが、正解だったみたいですね」
「店主の前で堂々と冷やかしに来たとか言うなよ。というか、見てのとおり今手が放せないから急用じゃないなら適当にその辺見てて」
「ではお言葉に甘えさせて……いただいてもいいのですが」
ブリキの金魚がカーテンの方を向いた。その先に居るのはカーテンにしがみついたままのプテラノドン。視線に気づいたのか尖った頭は軽く傾いた。
「……ぎ?」
「……ふむ」
二人……というか、一人と一羽はしばらく見つめ合ったあとどちらともなくコクリと頷いた。
「ぎー、ぎぎぎー」
「なるほど。左様でございましたか」
「ぎぎー?」
「ええ、それで問題はないと思いますよ」
「ぎ!」
しかもなんだか通じ合っている様子だ。
これはひょっとしなくても。
「金魚屋、ひょっとしてこの人? の言葉が分かったりする?」
「ええ。以前、ちょっとした縁で似たようなお客様と取引をしたことがあったので」
「オルニトケイルス上科と取引って、どんな縁なんだよ……」
いや、この町ならちょっと珍しい縁くらいで済む話なのかもしれないか。
「ふふ、まあこの仕事を長く続けていると色々とあるのですよ。それでですね、こちらの御仁はそこに吊られている奥様の亡骸を売っていただきたいそうですよ」
「は? 奥様の亡骸?」
そんな猟奇的なものを吊った覚えは……あ、あったわ。
「ひょっとして、あのケチャップ屋みたいな名前の翼竜の化石のことですか?」
「ぎぎ!」
プテラノドンはカーテンから飛び降りてコクリと頷いた。なるほど、だいたいの事情は把握できた。とはいっても。
「おや? どうなさいましたか、おみせやさん? そんな全身黒尽くめの警部補さんが推理するときのような格好をなさって?」
「ぎぃ?」
「いや……、たしかあの化石の翼竜が全盛期だった頃と、プテラノドンが全盛期だった頃って一億年くらい離れていたような……」
そもそも目の前にプテラノドンがいること自体、いろいろとどうかしている気もするけれども。
「まあ、愛という物は時間くらいはやすやすと超越するものなのでしょう。知りませんが」
「ぎ!」
……うん。今回もあんまり深く考えたら負けな気がする。
とりあえず、お代はもらっているのだし対応することにしよう。
「じゃあ、いまから奥様を降ろしますんで」
「あ、待って下さい」
「わっ!?」
歩き出した途端に肩を掴んで引き止められたおかげで、諸々の節々がガクッとなってしまった。ガクッとさせた当人は特に悪びれることもなく楽しげな空気を醸し出している。
この野郎、隙を見て面白楽しいお面に落書きしてやろうかな。
「それなら僕がしますよ」
……落書きはまた別の機会にしておいてやろう。
「いいよ別に。冷やかしとはいえ客に手伝わせるわけにはいかないし」
「そういうわけにもいきませんよ。だっておみせやさん、脚立の天板に立って作業とかしそうですし」
「え!? 脚立って天板に乗っちゃいけないの!?」
「ああ、やっぱりでしたか。ともかく納戸から脚立を持ってきますので、貴女はお客様の対応をおねがいしますね」
持っていた紙袋をカウンターの上に置いてから金魚屋は店の奥に消えていった。
人の店でなにを仕切ってるんだ、だとか、そもそも脚立がある場所をなんで知ってるんだだとか色々と言いたいことはあるけれども。
「ぎぎ!」
目の前でプテラノドンが円らな目を輝かせている。
……やっぱり、諸々深く考えても仕方ないのだろう。
※※※
そんなこんなでケチャップ屋みたいな名前の翼竜の化石を天井から降ろしてもらい、三人で店の外に出た。
「この辺りでよろしいですか?」
「ぎ」
「では、そのように」
金魚屋が芝生の上に置いた化石に、プテラノドンがおもむろに顔を寄せる。
「ぎー……」
頬を寄せられても琥珀色の頭蓋骨がなにか反応を示すことはない。それでも、鱗に覆われた顔は心なしか幸せそうに見える……、気がする。
「……お客様、そろそろ雪も降り出しそうですので」
不意にブリキの金魚の奥から悲しげな声がこぼれた。
――つーか、その誰かってのは誰のことだよ?
なぜか、この前聞いた祖父の声が鮮明に蘇る。
その時に思い出した顔は。
「ぎぎっ!」
「うわっ!?」
突然始まった羽ばたきが感傷的ななにかを吹き飛ばした。なんというか、実物は結構小さいんだなとか思っていたけど、翼を広げるとかなり大きいな……。
「ぎぎー!」
「いえいえ、僕はちょっとお手伝いをしたまでですから」
「ぎ!」
「ええ、貴方も奥様とご自愛なさってください」
「ぎーぎー!」
どことなく満足げな鳴き声を残してプテラノドンは真っ白な空に飛び立っていった。
物言わぬ奥さんを抱えながら。
「ふふ、本日も万事収まるべきところに収まったみたいですね」
「……そうだね」
「おや? またなにか悩んでいそうなお顔をして……、さてはまた、『プテラノドンって自力で離陸できたっけ?』なんて悩んでいるのですね?」
からかうような声とともに金魚の面を付けた顔が首を傾げる。多分、いつものように「え? プテラノドンって自力で離陸できないの?」なんて問い返したほうがいい。
そんなことは分かりきっている。
「……あのさ、金魚屋」
「はい、なんでしょうか?」
「金魚屋はさ、自分の大事な人が呼びかけにまったく答えてくれなくなったりしても一緒にいたいと思う?」
「……」
ブリキの金魚の奥にある顔を見たことはないし、それが今どんな表情を浮かべているかなんて分かるはずもない。
「……さて、どうでしょうね」
それなのに誰がどんな表情を浮かべているのか、なぜか分かる気がする。
「そのときの気分によると思いますよ。つまらないと思えば置いていきますし、それでもかまわないと思えば傍にいますし」
「そう」
「ま、ただ……早々につまらないと切り捨てられるような方が、僕の大切な人になり得るとは思えないですけどね」
「……そう」
それは、つまり。
「それに、金魚って往々にして餌のとき以外はこちらに対して無関心ですから、特になにかしてくれなくてもこれといって問題はないといいますか」
「……大事な人の話だって言ってるだろ!」
「まあまあ。金魚だって人だって脊椎動物ですし、同じようなものですよ」
「某童謡くらいに広大な仲間意識だな!」
「ふふ、お褒めにあずかり恐悦至極です」
ブリキの金魚を貫通して人を小馬鹿にした微笑みが浮かんでくる。
これ以上何か聞いてみても、間違いなくはぐらかされるだけか。なら早々に日常に戻ってしまおう。それにしても。
「なんだか、どっと疲れた……」
「おやおや、それは大変ですね。なら、手土産もありますから一緒にお茶にでもしませんか?」
「冷やかしに来たうえに茶までねだるなよ……と言いたいところだけど、かなり手伝ってもらったからそのくらいはするよ」
「ありがとうございます」
「いーえー。しっかし、お代にもらったあの変な臭いがする石、どうしようかな」
とても売り物になるとは思えないし。納戸にしまってもいいけど他のものに臭いが移っても困るし。
「まあ、あの大きさでしたら数百万の取引になるでしょうし、迂闊に店先には出さないほうがいいかもしれませんね」
「そうか……え?」
数百万の取引?
「なにしろ本物の竜涎香ですからね」
「リュウ、ゼンコ、ウ……?」
それって、たしかテキーラとかの原料とかになる。
「多分、今おみせやさんが考えているのは竜舌蘭ですね。まあ、そちらも取引が面倒になるかもしれませんが。ともかく、かなり貴重なお香の材料ですよ。一応、取引先に心当たりはあるので明日にでもご紹介……」
「……金魚屋」
「はい?」
「そういう分不相応な高級品を置いとくの怖いから、なんなら今日の手間賃として持っていってくれない?」
「……えい」
「いたっ!?」
いきなり金魚屋の指が額を弾いた。
「なにするんだよ!?」
「前にも言ったように、もらえる物はもらっておくべきですよ。周りがなんて喚こうと当然の権利なんですから」
「でもさぁ……」
「デモも抗議活動もありませんよ。まあ高価な物があって不安ということでしたら、護衛くらいはいたしましょうか」
「本当?」
「ええ。金魚たちは僕が一晩くらい留守にしても問題のないような対策をしてありますし」
「なら助かるよ。ありがとう」
「いえいえ」
胡散臭いことこの上ない相手ではあるけれど、味方になってくれるならこれほど心強いやつも早々居ない。
「……おや? なにか今、失礼なこと考えましたね?」
「い、イヤダナー、ゼンゼンソンナコトナイデスヨー」
「ふぅん?」
ブリキの金魚を貫通して訝しげな視線が突き刺さってくる。気が変わられてしまっても困るし話題を変えとかないと。あ、そうだ。
「あ、えーと、この間酒屋さんでめちゃくちゃ甘くて美味しいポートワインを買ったから一緒にどう?」
「……では、ご馳走になりましょうか」
あれ? なんか、反応に間があったな。この間酒屋さんから、「金魚屋さんは甘いお酒をよく買っていくよ」なんて話を聞いていたのに。
「ただし、こういったお誘いは僕以外には絶対になさらないでくださいね」
「え? ああ、うん」
「では、冷えてきましたし中へ戻りましょうか」
金魚屋はどこか足取り軽く店の中に戻っていった。
独り占めしたくなるくらい喜ばれるなら、いざと言うときの取引材料として同じワインを何本か常備しておこうか……。
「ひゃっ!?」
不意に顔になにか冷たいものが頬に触れた。
いつの間にか山に囲まれた空から雪が舞い始めている。
プテラノドン夫妻の姿はもうどこにも見えない。
「おみせやさん、いつまでも外にいると風邪をひかれますよ」
戸口では金魚屋が肩をすくめながら手招きをしている。
「うん。今行く」
貴女でも風邪を引くんですねなんてからかわれても癪だし、私もさっさと戻るとしよう。
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