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上司とマシュマロ
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職場で色恋沙汰というのは、面倒ごとしか起こらない。
だから、仮に好みの人間が現れたとしても、業務連絡以外では決して関わらないようにしている。
いや、そうしなくてはいけないのだ。
「松山君、あのさー、ちょっといいかな?」
固く決意をしていると、上司から声をかけられた。
「はい、なんでしょうか? 小森部長」
できる限り無表情を装って振り返ると、小森部長が苦笑しながら頭を掻いていた。
白髪の交じった少し前髪が長めの髪。
軽くシワが浮かぶ整った顔立ち。
シワ一つないスーツとシャツ。
柔軟剤の甘い香り。
骨張った白く華奢な左手の薬指には、白銀の指輪。
そして、なぜかマシュマロの入った袋を持っている。
……マシュマロは、気にしないでおこう。正直、もの凄く気になるが。
ともかく、枯れ専の俺にとっての好みを凝縮したようなこの男は、小森春男。
俺の所属する部署の最高責任者だ。部署といっても、所属する人間は俺と上司の二人しかいないのだが。
まあ、たとえ好みの人間と二人きりの部署だからといっても、俺は先ほど決意したように業務連絡以外では馴れ合わないようにしている……
「この間お土産でもらったマシュマロが硬くなっちゃったんだけど、何か良い対処方法知らない?」
……つもりだった。
しかし、この男は軽々とその誓いを越えてくる。
なんだよ、マシュマロが硬くなっちゃった、っていうのは。
しかも、はにかみながらやって来るし。
可愛すぎか、お前は。
「知りません。業務中に、下らないことで声をかけないでください」
冷静を装って返事をすると、小森部長は不服そうに唇を尖らせた。
「そんな冷たいこと言うなよー。こっちは今、凄く困ってるのに」
「奇遇ですね。俺も今、あろうことか直属の上司に仕事の邪魔をされて、凄く困ってます」
これ以上関わってこないように冷たく返事をしてみた。すると、小森部長は淋しそうな表情を浮かべて、マシュマロの袋をギュッと握りしめた。
このおっさんめ。
こっちの気持ちを分かって、そんなあざとい仕草をしているのか?
「……給湯室の電子レンジで、軽く温めてきたらどうですか?」
心の中で憤慨しながらも対応策を提案してみると、小森部長の表情は一気に明るくなった。
「そうか! じゃあ、やってくる!」
そう言って、小森部長はマシュマロの袋を抱えながら小走りに給湯室へと去って行った。
可愛いな、この野郎。
そんな言葉が口からこぼれそうになるのをなんとか堪え、再び業務に戻った。
十分ほど経った頃、マグカップを手にした小森部長が戻ってきた。しかし、なぜか浮かない顔をしている。
声をかけるべきかどうか悩んでいると、小森部長はこちらの視線に気づき軽く目を見開いた。
「あのさー……マシュマロ、更に硬くなっちゃったんだけど……」
そして、とても悲しそうにそう呟いて、マグカップの中を覗き込んだ。
「え? 軽く温めたんですよね?」
思わず聞き返すと、小森部長は軽く頷いた。
「うん。五分くらい。そしたら、マグカップと融合した」
……それは、軽く、という範疇を超えている気がする。
多分、溶けきったマシュマロが、マグカップの底にこびりついているのだろう。
それにしても、悲しげにマグカップの覗き込む姿が、非常に可愛……
「……どうしよう、嫁さんにもらったカップなのに」
……下らない感想は、小森部長の呟きによって遮られた。
小森部長は、社内でも有数の愛妻家だ。
今までも、飲み会などで奥さんの話が出たことは何度もあった。
それでも、何度聞いても呼吸が苦しくなる。
だから、業務連絡以外の馴れ合いは、一切したくなかった。
今も、そうですか、と一言告げて、さっさと業務に戻ってしまえば良いだけのことだ。心底悲しそうな表情の彼を放っておいて。
「……一人暮らしが長いと、洗い物は得意になりますよね」
それでも、気がつけば余計な言葉をかけてしまっていた。
途端に、小森部長の表情が明るくなる。
「こちらの説明不足と、機械が苦手なご年配の方への配慮不足が原因ですから、そのカップは俺が洗っておきます」
「ありがとう。でも、若干失礼な言い方じゃないか?」
「気のせいですよ。ともかく、カップ洗ってくるんで、その間に今作った資料のチェックをお願いします」
俺の言葉に、小森部長は嬉しそうな表情を浮かべ、ありがとう、と再び口にした。
いっそのことカップをわざと落としてしまおうかとも思ったが、彼の表情を見たらそんな気も失せてしまった。
それからカップを受け取り、給湯室の水場でこびりついたマシュマロをなんとか剥がし、レンジの前に置き放してあったマシュマロを数個ほど適度に温めてから、執務室に戻った。
俺の恋心も、この位すっかり洗い流せれば良い。
よし、カップを返したら、今までの思いなんて綺麗さっぱり忘れてしまおう。
そんな決意をしてみたものの……
「ありがとう、松山君! 凄く助かったよ!」
……急ごしらえの決意は、カップを渡したときに見せられた無邪気な笑顔で、粉々になった。
しばらくの間は、この関係を維持することに全力を尽くそうか……。
だから、仮に好みの人間が現れたとしても、業務連絡以外では決して関わらないようにしている。
いや、そうしなくてはいけないのだ。
「松山君、あのさー、ちょっといいかな?」
固く決意をしていると、上司から声をかけられた。
「はい、なんでしょうか? 小森部長」
できる限り無表情を装って振り返ると、小森部長が苦笑しながら頭を掻いていた。
白髪の交じった少し前髪が長めの髪。
軽くシワが浮かぶ整った顔立ち。
シワ一つないスーツとシャツ。
柔軟剤の甘い香り。
骨張った白く華奢な左手の薬指には、白銀の指輪。
そして、なぜかマシュマロの入った袋を持っている。
……マシュマロは、気にしないでおこう。正直、もの凄く気になるが。
ともかく、枯れ専の俺にとっての好みを凝縮したようなこの男は、小森春男。
俺の所属する部署の最高責任者だ。部署といっても、所属する人間は俺と上司の二人しかいないのだが。
まあ、たとえ好みの人間と二人きりの部署だからといっても、俺は先ほど決意したように業務連絡以外では馴れ合わないようにしている……
「この間お土産でもらったマシュマロが硬くなっちゃったんだけど、何か良い対処方法知らない?」
……つもりだった。
しかし、この男は軽々とその誓いを越えてくる。
なんだよ、マシュマロが硬くなっちゃった、っていうのは。
しかも、はにかみながらやって来るし。
可愛すぎか、お前は。
「知りません。業務中に、下らないことで声をかけないでください」
冷静を装って返事をすると、小森部長は不服そうに唇を尖らせた。
「そんな冷たいこと言うなよー。こっちは今、凄く困ってるのに」
「奇遇ですね。俺も今、あろうことか直属の上司に仕事の邪魔をされて、凄く困ってます」
これ以上関わってこないように冷たく返事をしてみた。すると、小森部長は淋しそうな表情を浮かべて、マシュマロの袋をギュッと握りしめた。
このおっさんめ。
こっちの気持ちを分かって、そんなあざとい仕草をしているのか?
「……給湯室の電子レンジで、軽く温めてきたらどうですか?」
心の中で憤慨しながらも対応策を提案してみると、小森部長の表情は一気に明るくなった。
「そうか! じゃあ、やってくる!」
そう言って、小森部長はマシュマロの袋を抱えながら小走りに給湯室へと去って行った。
可愛いな、この野郎。
そんな言葉が口からこぼれそうになるのをなんとか堪え、再び業務に戻った。
十分ほど経った頃、マグカップを手にした小森部長が戻ってきた。しかし、なぜか浮かない顔をしている。
声をかけるべきかどうか悩んでいると、小森部長はこちらの視線に気づき軽く目を見開いた。
「あのさー……マシュマロ、更に硬くなっちゃったんだけど……」
そして、とても悲しそうにそう呟いて、マグカップの中を覗き込んだ。
「え? 軽く温めたんですよね?」
思わず聞き返すと、小森部長は軽く頷いた。
「うん。五分くらい。そしたら、マグカップと融合した」
……それは、軽く、という範疇を超えている気がする。
多分、溶けきったマシュマロが、マグカップの底にこびりついているのだろう。
それにしても、悲しげにマグカップの覗き込む姿が、非常に可愛……
「……どうしよう、嫁さんにもらったカップなのに」
……下らない感想は、小森部長の呟きによって遮られた。
小森部長は、社内でも有数の愛妻家だ。
今までも、飲み会などで奥さんの話が出たことは何度もあった。
それでも、何度聞いても呼吸が苦しくなる。
だから、業務連絡以外の馴れ合いは、一切したくなかった。
今も、そうですか、と一言告げて、さっさと業務に戻ってしまえば良いだけのことだ。心底悲しそうな表情の彼を放っておいて。
「……一人暮らしが長いと、洗い物は得意になりますよね」
それでも、気がつけば余計な言葉をかけてしまっていた。
途端に、小森部長の表情が明るくなる。
「こちらの説明不足と、機械が苦手なご年配の方への配慮不足が原因ですから、そのカップは俺が洗っておきます」
「ありがとう。でも、若干失礼な言い方じゃないか?」
「気のせいですよ。ともかく、カップ洗ってくるんで、その間に今作った資料のチェックをお願いします」
俺の言葉に、小森部長は嬉しそうな表情を浮かべ、ありがとう、と再び口にした。
いっそのことカップをわざと落としてしまおうかとも思ったが、彼の表情を見たらそんな気も失せてしまった。
それからカップを受け取り、給湯室の水場でこびりついたマシュマロをなんとか剥がし、レンジの前に置き放してあったマシュマロを数個ほど適度に温めてから、執務室に戻った。
俺の恋心も、この位すっかり洗い流せれば良い。
よし、カップを返したら、今までの思いなんて綺麗さっぱり忘れてしまおう。
そんな決意をしてみたものの……
「ありがとう、松山君! 凄く助かったよ!」
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