上司に恋する俺の脱力系な日々

鯨井イルカ

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上司とCtrlとAltと上矢印

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 先ほどから小森部長が真剣な目付きで、PCの画面を覗いている。

 妥協を一切許さないという目。

 外見もさることながら、業務中に見せるそんな表情に惹かれていた。
 まあ、表情だけでなく、実際に彼は仕事内容に妥協は一切許さないのだ。
 下手をすれば、数日間かけて作った資料が、ゼロからやり直しになることもある。
 その厳しさが原因で部下は次々と辞めていき、残ったのは俺一人だった。
 それでも、厳しい指摘をクリアすれば、どこに提出しても問題のない仕上がりになる。 
 以前は一人でこの部署を切り盛りしていたらしいから、それも当然なのかもしれない。
 今だって、俺が急に退職したとしても、彼は問題無く業務をこなしていくのだろう。

 だけど少しでも力になりた……

「あ! 松山君! なんかパソコンの画面が急に九十度傾いちゃったんだけど、どうすれば良いかな?」

 ……できれば、もう少し業務内容に関係のある部分で。

「知りません。検索でもすれば良いんじゃないですか?」

「えー、でも、画面が傾いちゃってるから、うまく操作できないしー」

 首をかしげる顔が不服そうに唇を尖らせる。
 
「とりあえず、その姿を俺のスマートフォンのカメラに収められてから、CtrlとAltと上矢印を同時押ししてください」

「え?なんで、写真撮るの?」

 しまった……つい、本音が出てしまった。
 拗ねる姿が可愛かったからなんて、口が裂けても言えない。

「業務中に下らないことで呼び出したバツとして、間の抜けた表情を社内SNSに写真を載せてやろうかと思いました」
 
「えー、やめてよー。私って結構、嫌味な冷血漢で通ってるのに、イメージが崩れるじゃないかー」

「別にいいじゃないですか」

 本当はよくない。
 小森部長の可愛らしい表情知っているのは俺だけでいい。
 ただでさえ、小森部長って怖いけどちょっとカッコイイよね、なんて話している女性社員もいるのに。

 こんなギャップを見せられたら競争率が無駄に高く……

「まあ、嫁さんにも『もう少し隙を見せないと誰もついてこなくなっちゃうよ』なんて叱られてるし、そういうところも見せていったほうが仕事も進めやすくなるのかもな」

 ……なんて考えること自体が無駄なことだ。

「やっぱり、やめておきましょう」

「え? そう?」

「はい。愛想の悪いおじさんの拗ねた表情なんて誰も見たくないもの載せたら、俺の評判まで悪くなりそうですし」

「えー、その言い方はちょっと酷くない? これでも若い頃は結構可愛い顔してからるって、社内のお姉様方から結構人気あったんだよ?」

「でも、今は白髪の交じりはじめたおじさんじゃないですか」

「それはそうだけどさー」

「ともかく、CtrlとAltと上矢印を押しておとなしく業務に戻ってください」

「はーい……」

 ションボリした表情が背中を丸めながら画面を覗き込む。
 こういう仕草を見られるだけで、俺は十分幸せだ。それ以上を望む必要なんて少しもない。
 
「ところでさ、松山君」

「あ、はい。なんでしょうか?」

「午前中に出してくれた査報告書、まとめ方は悪くないけれど証憑が足りないよ」

 画面を覗き込んだままの部長から、落ち着いているのに威圧感が隠し切れない声が放たれた。

「……やはり、そうでしたか」

「分かってたなら、なんであんな状態で提出したの? たしかに、役員たちへの報告会はまだ少し先だけど、部内の締め切りは明日なんだよ?」

「担当者が『今は証憑の提出に対応している時間がないから、報告会当日までにはかならず必要な書類を提出する』とおっしゃっていたので……」

「へえ? でもその担当者って高橋主任だよね?」

「……はい」

「あの人の言葉を信じて放っておくと、報告会前日の業務時間終了後にわざと証憑にならない書類提出して、こっちの業務を邪魔するよ。松山君もここに来たばかりのときに、それで痛い目にあったでしょ?」

「……そうですね」

「まあ、あの人も私のせいで出世街道から外れた一人だからね。恨みたくもなるんだろうけれど……、だからと言って手ぬるいことはできないから」

「かしこまりました。では、今から伺って今日中にかならず用意するように伝えてきます」

「うん、おねがいね。もしもグズグズ言うようなら、私の事を悪役にしてくれてかまわないから」

 画面から離れた顔に、どこか淋しげな苦笑が浮かぶ。

 俺たちの所属しているのは、社内で発生する諸問題の調査および解決・・を専門としている部門。
 蔑称は「異端審問室」。
 大半の社員からは「何やってるかわからないけれど、なんか怖そう」くらいの印象を持たれているくらいだが、一部の人間からは蛇蝎のごとく嫌われている。
 
 もとより特定の人物以外はどうでもいいとう類の人間には大したダメージではないけれど、そうじゃない人間もいるのだろう。
 
「そういうのは慣れてるからね」

 この小森部長のように。

「……いえ、それには及びません。上司を悪役にしないと証憑ひとつ集められない不出来な部下と思われるのは心外なので」

「えー? でも、実際のところ集められなかったわけじゃない」

 首を傾げる顔に今度は悪戯っぽい笑みが浮かぶ。若干腹が立つ顔だけれども、なんか可愛いし淋しそうにされれるよりはずっといい。

「なら、今後はマシュマロが硬くなっちゃったり、パソコン画面がおかしくなっちゃったりしても助言は控えましょうか。不出来な部下に色々と言われるのは癪でしょうから」

「もう、そんなことは言ってないじゃないか。松山君の意地悪」

「はいはい。意地悪で結構なんで、いい歳して頬を膨らませながら腕を組んだりしないでください」

 俺の情緒とか理性とかが色々とおかしくなるので。という蛇足極まりない発言は胸の奥にしまっておこう。

「ともかく、厄介なことになりそうだったら、すぐに私に連絡を入れるようにね。松山君は大事な部下なんだから」

「……ありがとうございます」

 少なくとも「大事な」という評価だけは死守できるよう、今は目の前の業務を完璧にこなすことに専念しよう。


 そんなこんなで、すぐに高橋主任の元に赴き至極真剣・・な表情で、誠心誠意・・・・懇切丁寧・・・・お願い・・・をしたところ、証憑はその場で快く・・提出していただくことができた。

 これであとは雑念を払拭して報告書と証票の最終確認を……

「松山くーん……」

 ……したかったのに、今度はやたらと荒くなったPC画面の前で小森部長が涙目になっている。

「あのさぁ……」

「俺のスマートフォンのカメラに収められてから、FnとSpace」
 
 心穏やかに業務に専念できる日は遠い……というよりも、この部署にいるかぎり来ないのかもしれない。
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