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最近おっさんがいました
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むかし……、というほど昔でもない前回の除目が行われたころ、都に一人の男がいました。彼はこの辺に赴任することになった役人に仕える者でした。
ちなみに、物語のように美貌の貴公子ではなくいい歳したおっさんです。
ともかく、彼にはかねてから相思相愛の女性がいました。しかし例によって例のごとく、彼女は他の有力者と望まぬ結婚をすることになっていたのです。そこで、主人の赴任に合わせて手に手をとって都から逃げることにしました。
そうして都を出発する日、彼は人知れず彼女を盗み出すことに成功しました。あとは赴任地に辿り着き、何を聞かれても知らぬ存ぜぬと返してしまえば、そのうち周りも諦めるはずです。なにしろ彼が言うには、代わりになる者は彼女の家にも相手側にもそこそこ居たそうですから。そんなこんなで、二人の幸せな生活が始まるはずでした。
しかし、そうそう全てが上手くいくはずもありません。
あと少しで目的地に辿り着くところまで来た日の夕暮れ、彼は足をくじいた彼女の面倒を見ていたため主人たちの集団からはぐれてしまいました。そのとき、立ちこめた叢雲が夕陽と満月を隠してしまったのです。瞬く間に激しい雨まで降りだし、二人はまるで誂えたかのようにそばにあった小屋で雨宿りをすることにしました。
そこが、人を喰うあやかしの棲家だったとも知らずに。
あやかしに気づいた男は咄嗟に太刀を抜き立ち向かおうとしました。しかし、あやかしはそれよりも早く彼女を引き寄せ、あっという間に喉を引き裂き腹を食い破ってしまったのです。半狂乱になりながら切りかかっても、あやかしは気に止めずに彼女を食い続けました。
いつしか、彼は太刀を握りしめ立ち尽くしたまま気を失っていました。
そして、気がついたときには、彼女は血溜まりに横たわる白い骨に変わっていたのです。
泣きながら名前を呼び続けても状況は変わりません。
こうして、彼は最愛の人を失ってしまいましたとさ。
※※※
「はい。というのが、今回の依頼のあらましだよ」
わりと凄惨な話を語り終えると、セツはにこやかに手を打った。
「そのあやかしの退治が今回の主な任務なんだけど、ここまでで何か質問はあるかな?」
「そう、ですね」
視線を送られ、リツは唇に指を当てた。あやかしの特徴、出現した日時や場所の詳細、聞きたいことは山ほどある。しかし、一番気になるのはもっと他のことだ。
この話が歌物語の一節、しかも「あくた川」に喩えられたということは。
「その亡くなられた女性と依頼人の男性は、本当に相思相愛だったのでしょうか?」
「やっぱり、そこが気になるよね」
苦笑に変わった笑顔が軽くため息をこぼす。そもそも合意のうえの逃避行でないのなら、あやかし退治以前の問題だ。
「まあ、ありえないことじゃないと思うんだけどね。ただ、依頼人に直接会ったかんじだと、相思相愛の相手ができるような人間には思えないかんじだったかな。ね、メイ」
「え!? えっと、僕らが見たのは、ほんの一面でしかないので、その、一概に、クズみたいなやつ、と評するのは、どう、かと、思うです!」
「メイ……、班長はまだそこまで言っていない……。でも、クズみたいなやつというのには……、概ね同意する……。今朝アイツから来た催促の文も……、酷いどころの話ではなかった……」
急に話を振られ墓穴を掘るメイにハクが助け船を出した。そのやり取りだけで頭が軽く痛む。
「という有り様なんだけど、リツはどう思う?」
「話の前提がかなり疑わしいようですし、正直なところすぐに手をつけたい任務ではないですね」
「だよね! というわけで、もう完全放置してみんなで逃げちゃう?」
「気持ちは分かりますが、責任者が率先してろくでもない提案をしないでください」
「あはは、ごめんごめん。まあ、そんなこんなで厄介なことになりそうだから、色々と理由をつけて後回しにしていたわけだけど」
不意にセツの顔から笑顔が消えた。
「五日前くらいに、都にいる彼女のご家族と本来の結婚相手側からも似たような強めの依頼が来てね。放っておくわけにもいかなくなったんだよ」
「強めというのは?」
「ほら、この依頼に放っておくと第七支部に色々と圧力をかけてやる、的な? その結婚相手の家っていうのが、うちの結社に結構な支援をしてくれてるところだからさ」
「ああ、そういう」
頭痛がさらに強くなる。
退治人結社は政からある程度独立している。それでも、有力者の支援がなくても存在できるほどではない。後ろ盾が機嫌を損ねたり、失脚したりで消えていった結社もそれなりにある。
「まあ、依頼内容も件のおっさんからのよりは腑に落ちたからね。被ってるところ以外は新しい依頼を優先する形で話を進めることになったんだ」
「そうですか」
「うん。決行は次の満月でもいいかって質問にも、文句なく同意してくれたし。ということで」
端正な顔に再び苦笑が浮かんだ。
「しばらくは次の退治への準備が主な仕事なんだけど、リツにはまず昨日の件の報告書を作ってもらいたいんだ。ほら、ハクは一緒じゃなかったからさ」
「かしこまりました」
「ありがとう。あとさぁ……、明日の日没までに本部に提出しないといけない書類をすっかり忘れててね。あと三人くらい手伝ってくれる子たちがいると、間一髪で間に合う感じなんだけどなぁ?」
上目遣いに首を傾げる姿に、頭痛がまたしても強くなった。どうやら他の二人も同じらしく、部屋の中に三人分のため息が響いた。
「えっと、副班長、赴任して間もなく、こんな感じで、その、本当に、本っ当に、ごめんなさい!!」
「申し訳ない……。ただ、班長は大体いつもこんな感じだ……。副班長も、早く慣れたほうがいい……」
「分かりました。ただ、今後はなるべくこういうことがないように、日々確認をすることにします」
「ほ、本当ですかっ!?」
「助かる……。すごく……」
部下たちのやりとりを受け、セツは腕を組んで頬を膨らませた。
「ちょっとみんな。それだと、私が悪者みたいじゃないか」
「この件に関しては、完全に極悪人だと思いますよ」
「え? ちょっと待って、リツ。私そこまで酷い!?」
涙目になる上司に冷ややかな視線を送りながら、一同は山積みどころではない量の書類に取り掛かる覚悟を決めた。
※※※
こうして大量の書類に取り掛かることになったリツだが、筆を動かす間ずっと今朝聞いた依頼が頭の片隅に引っかかっていた。
望まぬ相手との結婚。
今回の話では疑わしかったが、そんな話はそこら中にあふれている。
たとえば、突然姉の婚約者と結婚することとなった妹もその一人なのかもしれない。しかも、その相手はすぐに亡くなっている。
次の話はすぐにくるだろうが、果たしてその相手はまともな者だろうか。
「……」
不意に報告書を書く手が止まり、鋭い目が部屋の隅に置いた文箱に向いた。中にはセツから書類と共に受け取った文ようの紙もしまってある。
「すぐに書き終えるものですから」
言い訳とともに立ち上がり箱から紙を取り出す。そして、妹の幸せを願っていること、こちらはなんとか上手くやっていけそうなことをしたためると、また書類へと筆を戻した。
そうしているうちに日はすっかり落ち、大量の書類はなんとか片付いた。リツは紙の束を抱えながら、セツの部屋へと向かう。
「失礼いたします」
そして、障子を開けた先で見たものは──
「書類を持って……」
「!?」
「……え?」
──艶やかな衣を纏った見知らぬ美女の姿だった。
「し、失礼いたしました!!」
慌て飛び出し障子を閉めると、頭の中が大量の疑問で埋め尽くされた。
部屋を間違えたのだろうか?
それでも、なぜ女性がいる部屋があるのだろうか?
そもそも、あの女性は誰なのだろうか?
下働きをする者……、にしては煌びやかな身なりをしてなかっただろうか?
ならば、考えられることは。
「……まあ、セツ班長は見目麗しい方ですからね」
混乱がやや落ち着き、そこはかとない虚しさが襲ってくる。
夫に正妻ではない懇ろな女性がいることは珍しくない。それが身寄りのない者なら自分の屋敷に引き取り面倒を見る、という話も物語で読んだことがある。それでも。
うん。
やっぱり、いい目をしているね。
鋭くて美しい
「……」
さすがに、結婚の翌日にそんな女性の存在を知りたくはなかった。
「いったん、書類の見直しでもしていましょう」
深いため息を吐きながら、項垂れた後ろ姿が自室に足を進めようとする。まさにそのとき。
「しらべ! 多分、今ものすごい致命的なすれ違いが起きてるから戻ってきて!!」
「……は、い?」
障子越しに慌てた男の声が響いた。部屋の中には女性の姿しかなかったはず。
おそるおそる障子を開き目を凝らすと、化粧を施した顔に見覚えのある苦笑が浮かんでいた。その姿は紛れもなく。
「……セツ、班長?」
「うん、そうだよ。驚かせてごめんね。色々と事情があるんだけど、順を追って説明するから」
部屋の中には、艶やかな美女の姿をしたセツの申し訳なさそうな声が響いた。
ちなみに、物語のように美貌の貴公子ではなくいい歳したおっさんです。
ともかく、彼にはかねてから相思相愛の女性がいました。しかし例によって例のごとく、彼女は他の有力者と望まぬ結婚をすることになっていたのです。そこで、主人の赴任に合わせて手に手をとって都から逃げることにしました。
そうして都を出発する日、彼は人知れず彼女を盗み出すことに成功しました。あとは赴任地に辿り着き、何を聞かれても知らぬ存ぜぬと返してしまえば、そのうち周りも諦めるはずです。なにしろ彼が言うには、代わりになる者は彼女の家にも相手側にもそこそこ居たそうですから。そんなこんなで、二人の幸せな生活が始まるはずでした。
しかし、そうそう全てが上手くいくはずもありません。
あと少しで目的地に辿り着くところまで来た日の夕暮れ、彼は足をくじいた彼女の面倒を見ていたため主人たちの集団からはぐれてしまいました。そのとき、立ちこめた叢雲が夕陽と満月を隠してしまったのです。瞬く間に激しい雨まで降りだし、二人はまるで誂えたかのようにそばにあった小屋で雨宿りをすることにしました。
そこが、人を喰うあやかしの棲家だったとも知らずに。
あやかしに気づいた男は咄嗟に太刀を抜き立ち向かおうとしました。しかし、あやかしはそれよりも早く彼女を引き寄せ、あっという間に喉を引き裂き腹を食い破ってしまったのです。半狂乱になりながら切りかかっても、あやかしは気に止めずに彼女を食い続けました。
いつしか、彼は太刀を握りしめ立ち尽くしたまま気を失っていました。
そして、気がついたときには、彼女は血溜まりに横たわる白い骨に変わっていたのです。
泣きながら名前を呼び続けても状況は変わりません。
こうして、彼は最愛の人を失ってしまいましたとさ。
※※※
「はい。というのが、今回の依頼のあらましだよ」
わりと凄惨な話を語り終えると、セツはにこやかに手を打った。
「そのあやかしの退治が今回の主な任務なんだけど、ここまでで何か質問はあるかな?」
「そう、ですね」
視線を送られ、リツは唇に指を当てた。あやかしの特徴、出現した日時や場所の詳細、聞きたいことは山ほどある。しかし、一番気になるのはもっと他のことだ。
この話が歌物語の一節、しかも「あくた川」に喩えられたということは。
「その亡くなられた女性と依頼人の男性は、本当に相思相愛だったのでしょうか?」
「やっぱり、そこが気になるよね」
苦笑に変わった笑顔が軽くため息をこぼす。そもそも合意のうえの逃避行でないのなら、あやかし退治以前の問題だ。
「まあ、ありえないことじゃないと思うんだけどね。ただ、依頼人に直接会ったかんじだと、相思相愛の相手ができるような人間には思えないかんじだったかな。ね、メイ」
「え!? えっと、僕らが見たのは、ほんの一面でしかないので、その、一概に、クズみたいなやつ、と評するのは、どう、かと、思うです!」
「メイ……、班長はまだそこまで言っていない……。でも、クズみたいなやつというのには……、概ね同意する……。今朝アイツから来た催促の文も……、酷いどころの話ではなかった……」
急に話を振られ墓穴を掘るメイにハクが助け船を出した。そのやり取りだけで頭が軽く痛む。
「という有り様なんだけど、リツはどう思う?」
「話の前提がかなり疑わしいようですし、正直なところすぐに手をつけたい任務ではないですね」
「だよね! というわけで、もう完全放置してみんなで逃げちゃう?」
「気持ちは分かりますが、責任者が率先してろくでもない提案をしないでください」
「あはは、ごめんごめん。まあ、そんなこんなで厄介なことになりそうだから、色々と理由をつけて後回しにしていたわけだけど」
不意にセツの顔から笑顔が消えた。
「五日前くらいに、都にいる彼女のご家族と本来の結婚相手側からも似たような強めの依頼が来てね。放っておくわけにもいかなくなったんだよ」
「強めというのは?」
「ほら、この依頼に放っておくと第七支部に色々と圧力をかけてやる、的な? その結婚相手の家っていうのが、うちの結社に結構な支援をしてくれてるところだからさ」
「ああ、そういう」
頭痛がさらに強くなる。
退治人結社は政からある程度独立している。それでも、有力者の支援がなくても存在できるほどではない。後ろ盾が機嫌を損ねたり、失脚したりで消えていった結社もそれなりにある。
「まあ、依頼内容も件のおっさんからのよりは腑に落ちたからね。被ってるところ以外は新しい依頼を優先する形で話を進めることになったんだ」
「そうですか」
「うん。決行は次の満月でもいいかって質問にも、文句なく同意してくれたし。ということで」
端正な顔に再び苦笑が浮かんだ。
「しばらくは次の退治への準備が主な仕事なんだけど、リツにはまず昨日の件の報告書を作ってもらいたいんだ。ほら、ハクは一緒じゃなかったからさ」
「かしこまりました」
「ありがとう。あとさぁ……、明日の日没までに本部に提出しないといけない書類をすっかり忘れててね。あと三人くらい手伝ってくれる子たちがいると、間一髪で間に合う感じなんだけどなぁ?」
上目遣いに首を傾げる姿に、頭痛がまたしても強くなった。どうやら他の二人も同じらしく、部屋の中に三人分のため息が響いた。
「えっと、副班長、赴任して間もなく、こんな感じで、その、本当に、本っ当に、ごめんなさい!!」
「申し訳ない……。ただ、班長は大体いつもこんな感じだ……。副班長も、早く慣れたほうがいい……」
「分かりました。ただ、今後はなるべくこういうことがないように、日々確認をすることにします」
「ほ、本当ですかっ!?」
「助かる……。すごく……」
部下たちのやりとりを受け、セツは腕を組んで頬を膨らませた。
「ちょっとみんな。それだと、私が悪者みたいじゃないか」
「この件に関しては、完全に極悪人だと思いますよ」
「え? ちょっと待って、リツ。私そこまで酷い!?」
涙目になる上司に冷ややかな視線を送りながら、一同は山積みどころではない量の書類に取り掛かる覚悟を決めた。
※※※
こうして大量の書類に取り掛かることになったリツだが、筆を動かす間ずっと今朝聞いた依頼が頭の片隅に引っかかっていた。
望まぬ相手との結婚。
今回の話では疑わしかったが、そんな話はそこら中にあふれている。
たとえば、突然姉の婚約者と結婚することとなった妹もその一人なのかもしれない。しかも、その相手はすぐに亡くなっている。
次の話はすぐにくるだろうが、果たしてその相手はまともな者だろうか。
「……」
不意に報告書を書く手が止まり、鋭い目が部屋の隅に置いた文箱に向いた。中にはセツから書類と共に受け取った文ようの紙もしまってある。
「すぐに書き終えるものですから」
言い訳とともに立ち上がり箱から紙を取り出す。そして、妹の幸せを願っていること、こちらはなんとか上手くやっていけそうなことをしたためると、また書類へと筆を戻した。
そうしているうちに日はすっかり落ち、大量の書類はなんとか片付いた。リツは紙の束を抱えながら、セツの部屋へと向かう。
「失礼いたします」
そして、障子を開けた先で見たものは──
「書類を持って……」
「!?」
「……え?」
──艶やかな衣を纏った見知らぬ美女の姿だった。
「し、失礼いたしました!!」
慌て飛び出し障子を閉めると、頭の中が大量の疑問で埋め尽くされた。
部屋を間違えたのだろうか?
それでも、なぜ女性がいる部屋があるのだろうか?
そもそも、あの女性は誰なのだろうか?
下働きをする者……、にしては煌びやかな身なりをしてなかっただろうか?
ならば、考えられることは。
「……まあ、セツ班長は見目麗しい方ですからね」
混乱がやや落ち着き、そこはかとない虚しさが襲ってくる。
夫に正妻ではない懇ろな女性がいることは珍しくない。それが身寄りのない者なら自分の屋敷に引き取り面倒を見る、という話も物語で読んだことがある。それでも。
うん。
やっぱり、いい目をしているね。
鋭くて美しい
「……」
さすがに、結婚の翌日にそんな女性の存在を知りたくはなかった。
「いったん、書類の見直しでもしていましょう」
深いため息を吐きながら、項垂れた後ろ姿が自室に足を進めようとする。まさにそのとき。
「しらべ! 多分、今ものすごい致命的なすれ違いが起きてるから戻ってきて!!」
「……は、い?」
障子越しに慌てた男の声が響いた。部屋の中には女性の姿しかなかったはず。
おそるおそる障子を開き目を凝らすと、化粧を施した顔に見覚えのある苦笑が浮かんでいた。その姿は紛れもなく。
「……セツ、班長?」
「うん、そうだよ。驚かせてごめんね。色々と事情があるんだけど、順を追って説明するから」
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