11 / 99
空に浮く月
しおりを挟む
詰所に戻ったリツは禊を兼ねた湯浴みを済ませると、報告書の作成に取りかかった。
依頼人の嘘。
ユウマが語った被害者の最期。
黒いシミから伸びあがるあやかし。
塵に還っていく異形の骸。
それらをまとめていくうちに、都にいる妹の顔が頭に浮かんだ。
文の返事がないのは忙しいからだと言い聞かせてきた。しかし、今回のような件に巻き込まれている可能性がないとはいえない。
「……」
リツは報告書を書きあげると文用の紙を取りだし、一言でもいいから返事がほしい、と歌にして書き綴った。
「まるで、美貌の姫君に恋焦がれる殿方ですね」
思わずこぼれた冗談が誰に聞かれることなく部屋の中に響く──
「うん。どこぞの権中納言を彷彿とさせる情熱的な歌だね」
「!?」
──はずだった。
いつの間にか文机の向かいにセツが腰掛けている。
「おや? なんか怪訝そうな顔してるね。あ、権中納言がどの権中納言かっていうと、後に斎宮に卜定される姫君に恋して袖にされまくった歌をバッチリ歌集にまとめられちゃったあの……」
「いえ、それは分かっていますよ。多少、その方の歌を参考にしていますし」
「うんうん、つれない相手の気を引く歌なら彼に任せておけ的なところもあるもんね。ただ、年端もいかない娘さん相手に『かまってくれないなら雪と一緒に消えちゃうんだからね!』的な歌を贈るのはいかがなものかと」
「いや、その辺は姫君も歌を返していますし、一種の軽口を叩き合っていたみたいなものかと……、じゃなくてですね。いったい、いつから居たんですか?」
大いにそれた話の軌道を戻すと、向かい合った顔に笑みが浮かんだ。
「妹君への文にとりかかったあたり。廊下から声をかけたんだけど返事がなかったから、心配になって入ってきちゃった」
「お気遣いはありがとうございます。ただ、気配を消して近づくのはやめていただけますか」
「ははは、ごめんごめん。驚かせるつもりはなかったんだよ。ただ、ハクほどじゃないけど、私も気配を殺すのが日常茶飯になっているから。さて」
不意に机の端に置いた報告書に手が伸びた。手入れはされているが、薬指と小指のつけ根が硬くなっていることはすぐに分かる。支部の責任者を務めているのだから、今まで無数のあやかしを塵に還してきたことは想像に難くない。そして、これからも無数のあやかしを塵に還していくのだろう。
それは自分だって同じことだ。
「報告書は出来上がっているみたいだね。こっちは目殿たちにも見てもらわないといけないから、文のほうだけ先に送って……うん? どうしたの? しらべ」
視線に気づいたセツは軽く首をかしげた。
「……セツ班長」
「二人きりのときは雪也って呼んでほしいなー……なんて、言ってる場合じゃなさそうか」
「えっと、すみません」
「ふふ、気にしなくていいよ。今日の仕事のせいで、いろいろと不安定になっているような気がしていたし。多分、あの類のあやかしを前にも退治したことがあるか、とか聞きたいんでしょ?」
「……はい」
「あはは、だよね」
笑みが苦笑に変わった。
「残念ながらそれなりにあるし、これからも同じような依頼が来ることはもちろんあり得るよ」
「そう、ですよね」
退治人をしている以上、それは仕方がない。次は自分がとどめを指す覚悟を持つべきだということも分かっている。
ただ、もしもそれが。
「……妹君のことなら、安心してくれて大丈夫だよ」
「え?」
突然の言葉にリツは我に返った。
「一応、私ほうにも妹君についての報告はきているからね。ライ班長のことで少しせわしないみたいだけど、今のところ新しい縁談は出ていないし、あのおっさんみたいな輩が屋敷の辺りをうろついているなんて話もない」
「そう、ですか」
「うん。だから、今回みたいなことは当面は起きないはずだし、安心して大丈夫だよ」
「……はい」
優しい声が少しだけ気持ちを軽くさせた。
しかし、なぜか頭のなかで妹の笑顔と、濁った金色の目が細められていくさまが重なる。
「……しらべ」
「っ!?」
気がつくとすぐ目の前に微笑みが迫っていた。
「妹君とはいえ、夫と二人きりのときに別の者のことを考えるのはあまりいただけないかな?」
「もうしわけ、こざいません」
「ふふ、分かってくれるならいいよ」
手のひらが軽く頬に触れた。袖口から甘くかすかに苦い香りが漂う。きっと刀傷につけた薬なのだろう。
「……ごめんね。全ての厄介ごとから君を遠ざけることは、できないかもしれない」
「……別に、そのようなことは望んでいませんよ」
「そう言ってもらえると、ありがたいかな。それでも、しらべのことは必ず護るよ」
いつしか笑みは消え、どこか悲壮が漂う表情が浮かんでいる。
「だから、私だけを見て」
「……分かりました」
「うん。ありがとう」
頬に触れていた手に力が込められ顔が引き寄せられる。思わず目を瞑ると唇を軽く啄まれるのを感じた。
「……しらべ」
唇が離れると同時に目を開くと、目の前には熱を帯びた表情があった。
「このまま、続けてもいいかな?」
「……はい。仰せのままに」
「ふふ、ありがとう」
さらに深く口付けられ、再び自然と目が閉じる。
「しらべ……、愛してる……。だから……」
水音と吐息に混じりどこか苦しげな声が聞こえてくる。
空には相変わらず欠けたところのない月が輝いていた。
依頼人の嘘。
ユウマが語った被害者の最期。
黒いシミから伸びあがるあやかし。
塵に還っていく異形の骸。
それらをまとめていくうちに、都にいる妹の顔が頭に浮かんだ。
文の返事がないのは忙しいからだと言い聞かせてきた。しかし、今回のような件に巻き込まれている可能性がないとはいえない。
「……」
リツは報告書を書きあげると文用の紙を取りだし、一言でもいいから返事がほしい、と歌にして書き綴った。
「まるで、美貌の姫君に恋焦がれる殿方ですね」
思わずこぼれた冗談が誰に聞かれることなく部屋の中に響く──
「うん。どこぞの権中納言を彷彿とさせる情熱的な歌だね」
「!?」
──はずだった。
いつの間にか文机の向かいにセツが腰掛けている。
「おや? なんか怪訝そうな顔してるね。あ、権中納言がどの権中納言かっていうと、後に斎宮に卜定される姫君に恋して袖にされまくった歌をバッチリ歌集にまとめられちゃったあの……」
「いえ、それは分かっていますよ。多少、その方の歌を参考にしていますし」
「うんうん、つれない相手の気を引く歌なら彼に任せておけ的なところもあるもんね。ただ、年端もいかない娘さん相手に『かまってくれないなら雪と一緒に消えちゃうんだからね!』的な歌を贈るのはいかがなものかと」
「いや、その辺は姫君も歌を返していますし、一種の軽口を叩き合っていたみたいなものかと……、じゃなくてですね。いったい、いつから居たんですか?」
大いにそれた話の軌道を戻すと、向かい合った顔に笑みが浮かんだ。
「妹君への文にとりかかったあたり。廊下から声をかけたんだけど返事がなかったから、心配になって入ってきちゃった」
「お気遣いはありがとうございます。ただ、気配を消して近づくのはやめていただけますか」
「ははは、ごめんごめん。驚かせるつもりはなかったんだよ。ただ、ハクほどじゃないけど、私も気配を殺すのが日常茶飯になっているから。さて」
不意に机の端に置いた報告書に手が伸びた。手入れはされているが、薬指と小指のつけ根が硬くなっていることはすぐに分かる。支部の責任者を務めているのだから、今まで無数のあやかしを塵に還してきたことは想像に難くない。そして、これからも無数のあやかしを塵に還していくのだろう。
それは自分だって同じことだ。
「報告書は出来上がっているみたいだね。こっちは目殿たちにも見てもらわないといけないから、文のほうだけ先に送って……うん? どうしたの? しらべ」
視線に気づいたセツは軽く首をかしげた。
「……セツ班長」
「二人きりのときは雪也って呼んでほしいなー……なんて、言ってる場合じゃなさそうか」
「えっと、すみません」
「ふふ、気にしなくていいよ。今日の仕事のせいで、いろいろと不安定になっているような気がしていたし。多分、あの類のあやかしを前にも退治したことがあるか、とか聞きたいんでしょ?」
「……はい」
「あはは、だよね」
笑みが苦笑に変わった。
「残念ながらそれなりにあるし、これからも同じような依頼が来ることはもちろんあり得るよ」
「そう、ですよね」
退治人をしている以上、それは仕方がない。次は自分がとどめを指す覚悟を持つべきだということも分かっている。
ただ、もしもそれが。
「……妹君のことなら、安心してくれて大丈夫だよ」
「え?」
突然の言葉にリツは我に返った。
「一応、私ほうにも妹君についての報告はきているからね。ライ班長のことで少しせわしないみたいだけど、今のところ新しい縁談は出ていないし、あのおっさんみたいな輩が屋敷の辺りをうろついているなんて話もない」
「そう、ですか」
「うん。だから、今回みたいなことは当面は起きないはずだし、安心して大丈夫だよ」
「……はい」
優しい声が少しだけ気持ちを軽くさせた。
しかし、なぜか頭のなかで妹の笑顔と、濁った金色の目が細められていくさまが重なる。
「……しらべ」
「っ!?」
気がつくとすぐ目の前に微笑みが迫っていた。
「妹君とはいえ、夫と二人きりのときに別の者のことを考えるのはあまりいただけないかな?」
「もうしわけ、こざいません」
「ふふ、分かってくれるならいいよ」
手のひらが軽く頬に触れた。袖口から甘くかすかに苦い香りが漂う。きっと刀傷につけた薬なのだろう。
「……ごめんね。全ての厄介ごとから君を遠ざけることは、できないかもしれない」
「……別に、そのようなことは望んでいませんよ」
「そう言ってもらえると、ありがたいかな。それでも、しらべのことは必ず護るよ」
いつしか笑みは消え、どこか悲壮が漂う表情が浮かんでいる。
「だから、私だけを見て」
「……分かりました」
「うん。ありがとう」
頬に触れていた手に力が込められ顔が引き寄せられる。思わず目を瞑ると唇を軽く啄まれるのを感じた。
「……しらべ」
唇が離れると同時に目を開くと、目の前には熱を帯びた表情があった。
「このまま、続けてもいいかな?」
「……はい。仰せのままに」
「ふふ、ありがとう」
さらに深く口付けられ、再び自然と目が閉じる。
「しらべ……、愛してる……。だから……」
水音と吐息に混じりどこか苦しげな声が聞こえてくる。
空には相変わらず欠けたところのない月が輝いていた。
3
あなたにおすすめの小説
能ある妃は身分を隠す
赤羽夕夜
恋愛
セラス・フィーは異国で勉学に励む為に、学園に通っていた。――がその卒業パーティーの日のことだった。
言われもない罪でコンペーニュ王国第三王子、アレッシオから婚約破棄を大体的に告げられる。
全てにおいて「身に覚えのない」セラスは、反論をするが、大衆を前に恥を掻かせ、利益を得ようとしか思っていないアレッシオにどうするべきかと、考えているとセラスの前に現れたのは――。
【完結】初恋の彼が忘れられないまま王太子妃の最有力候補になっていた私は、今日もその彼に憎まれ嫌われています
Rohdea
恋愛
───私はかつてとっても大切で一生分とも思える恋をした。
その恋は、あの日……私のせいでボロボロに砕け壊れてしまったけれど。
だけど、あなたが私を憎みどんなに嫌っていても、それでも私はあなたの事が忘れられなかった──
公爵令嬢のエリーシャは、
この国の王太子、アラン殿下の婚約者となる未来の王太子妃の最有力候補と呼ばれていた。
エリーシャが婚約者候補の1人に選ばれてから、3年。
ようやく、ようやく殿下の婚約者……つまり未来の王太子妃が決定する時がやって来た。
(やっと、この日が……!)
待ちに待った発表の時!
あの日から長かった。でも、これで私は……やっと解放される。
憎まれ嫌われてしまったけれど、
これからは“彼”への想いを胸に秘めてひっそりと生きて行こう。
…………そう思っていたのに。
とある“冤罪”を着せられたせいで、
ひっそりどころか再び“彼”との関わりが増えていく事に──
初対面の婚約者に『ブス』と言われた令嬢です。
甘寧
恋愛
「お前は抱けるブスだな」
「はぁぁぁぁ!!??」
親の決めた婚約者と初めての顔合わせで第一声で言われた言葉。
そうですかそうですか、私は抱けるブスなんですね……
って!!こんな奴が婚約者なんて冗談じゃない!!
お父様!!こいつと結婚しろと言うならば私は家を出ます!!
え?結納金貰っちゃった?
それじゃあ、仕方ありません。あちらから婚約を破棄したいと言わせましょう。
※4時間ほどで書き上げたものなので、頭空っぽにして読んでください。
嫁ぎ先(予定)で虐げられている前世持ちの小国王女はやり返すことにした
基本二度寝
恋愛
小国王女のベスフェエラには前世の記憶があった。
その記憶が役立つ事はなかったけれど、考え方は王族としてはかなり柔軟であった。
身分の低い者を見下すこともしない。
母国では国民に人気のあった王女だった。
しかし、嫁ぎ先のこの国に嫁入りの準備期間としてやって来てから散々嫌がらせを受けた。
小国からやってきた王女を見下していた。
極めつけが、周辺諸国の要人を招待した夜会の日。
ベスフィエラに用意されたドレスはなかった。
いや、侍女は『そこにある』のだという。
なにもかけられていないハンガーを指差して。
ニヤニヤと笑う侍女を見て、ベスフィエラはカチンと来た。
「へぇ、あぁそう」
夜会に出席させたくない、王妃の嫌がらせだ。
今までなら大人しくしていたが、もう我慢を止めることにした。
【完結】婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜
平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。
だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。
流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!?
魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。
そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…?
完結済全6話
2025.10〜連載版構想書き溜め中
2025.12 〜現時点10万字越え確定
田舎娘をバカにした令嬢の末路
冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。
それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。
――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。
田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。
突然倒れた婚約者から、私が毒を盛ったと濡衣を着せられました
景
恋愛
パーティーの場でロイドが突如倒れ、メリッサに毒を盛られたと告げた。
メリッサにとっては冤罪でしかないが、周囲は倒れたロイドの言い分を認めてしまった。
「いらない」と捨てられた令嬢、実は全属性持ちの聖女でした
ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・エヴァンス。お前との婚約は破棄する。もう用済み
そう言い放ったのは、五年間想い続けた婚約者――王太子アレクシスさま。
広間に響く冷たい声。貴族たちの視線が一斉に私へ突き刺さる。
「アレクシスさま……どういう、ことでしょうか……?」
震える声で問い返すと、彼は心底嫌そうに眉を顰めた。
「言葉の意味が理解できないのか? ――お前は“無属性”だ。魔法の才能もなければ、聖女の資質もない。王太子妃として役不足だ」
「無……属性?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる