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序章 異世界召喚
四話 カーリスの家
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俺達はカーリスの家のダイニングに集まっていた。
長テーブルを囲むように、子ども達がそれぞれの席につき、わいわいと賑やかな声が飛び交っている。木造の建物は決して広くはないが、温もりにあふれていて、どこか落ち着く空間だった。
俺はというと、入口近くの壁際、妙に空けられた席に座っていた。
子どもたちは興味津々といった様子でこちらをちらちらと見ながらも、誰も積極的に話しかけては来ない。さっきの大はしゃぎっぷりが嘘のように、今は少しだけ距離を取られている。
どうやら、先程の様子が嘘かのように警戒されているらしい。それにしても、さっきまでの勢いからして、今の静けさは逆に落ち着かない。
そんな中、ソフィアが口を開く。
「みんな! ちゅーもーく!」
子ども達の視線は一気にソフィアの方へと向けられる。
「今日は、新しい一緒に暮らすことになった仲間を紹介しまーす!」
ソフィアはそう言って、俺に目配せを送る。多分、こっちにおいで、という事だろう。
俺は立ち上がり、ソフィアの隣まで行く。
「はい! この人が今日から、ここ"カーリスの家"で一緒に暮らすレンです!」
俺は軽く背中を押されて、皆の前に立つ。視線を周囲に向ければ、子ども達はそわそわとした様子だ。きっと、突然の出来事に動揺しているのだろう。
「レン、自己紹介をお願い」
ソフィアがそっと俺の耳元で囁いた。
その言葉で、教会から出るときにデルタさんが話していたことを思い出す。
…
デルタさんとの問答もひと段落し、教会に出る前、俺は彼女に呼び止められた。
「レン、少しよろしいですか?」
「はい、なんですか?」
先程の話以外にも、まだ何かあるのかと身構えてしまったが、デルタさんは穏やかな表情のままゆっくりと口を開いた。
「アナタの存在を軽々しく周囲に知られるのは望ましくはありません。異世界から来たという話……ワタクシが許しても、子ども達がどう受けとるかはあの子達次第です」
孤児院という環境で暮らす子ども達だ。きっと、境遇は様々だろう。だとすれば、彼らが、俺が異世界から来たことを知ったとき、きっと普通以上に拒絶するのではないだろうか。
そんな想像をした俺はデルタさんの言葉に頷く。
「確かにそうですね……では、やはり内緒にしましょうか。しかし、どうしたらいいですかね?」
「そうですね……」
デルタさんは一瞬、考え込んで口を開く。
「先程アナタのおっしゃっていた記憶を失った旅人という設定……そのまま通しましょう。それが、皆にとっても、アナタにとっても、一番平和な形だと思いますから」
真実が人を幸せにするわけではないということを理解しているつもりだ。
俺はデルタさんの言葉に頷く。
「なるほど、分かりました」
こうして、共犯者が1人増えた。
…
俺は一度深呼吸をする。
シスター公認とはいえ嘘は嘘。それにきっと、一生通すことになる嘘だ。それを吐き出す覚悟を決めて、俺は口を開く。
「えっと、俺の名前はレン。記憶を失っていて、何も分からずにいたところをソフィアに助けられて、ここでお世話になることになった。色々と迷惑かけることもあるかもしれないけれど、よろしく!」
しばらくの沈黙。
俺の言葉に対する反応は、微妙だった。
誰もすぐには口を開かない。視線は俺に向いているけれど、その奥には戸惑いや警戒が混じっているのがわかる。
3回も同じ嘘をついたのだ。慣れたものだと思っていたが、今までのことを考えると一勝(推定)と一敗で正直不安だ。
子どもは聡いとよく言うし、今回もバレてしまっただろうか。
それとも、バレていない上で記憶喪失の青年に警戒しているのかもしれない。
そう、何もかもうまくいくわけではないよな。
俺が内心でそう思った瞬間、パチパチと控えめな拍手が耳に届いた。
それはソフィアの右隣に座っていた少年のものだ。少年はこちらに人懐っこい笑みを浮かべながら、口を開く。
「記憶喪失ってすげー! 童話の主人公みたいだ!!!」
少年の声が部屋の空気を和らげる。
その一言をきっかけに、他の子ども達の表情も緊張を解いたように見えた。
「本当に何も覚えてないのー?」
「か、家族とかも……?」
「じゃあ、じゃあ! どこから来たの!?」
1人が話し始めると、次々に声が上がる。矢継ぎ早の質問に、少し戸惑いつつも俺は笑って答える。
「うん、名前以外は何も覚えていないんだ。気づいたら洞窟にいて、そこでソフィアに助けられた」
それを聞いた子ども達は嬉しそうだ。
「やっぱり、ソフィア姉ちゃんはカッコいーなー!」
「そ、そうだね……!」
「俺もソフィアみたいに強くなりたい!!!」
皆、ソフィアが大好きらしい。子ども達の間で、わいわいと彼女を褒める声が飛び交う。
俺と彼らのやり取りを見てにっこりと笑っていたソフィアは、気付くと顔を赤く染めていた。
そして、俺の自己紹介に対して最初に声を上げた少年がはっとした表情を浮かべて俺に向かってこう口にする。
「俺! "リエル"!!! よろしくな、レン!」
そうして、彼は右手を差し出す。
俺はリエルの差し出した右手を見つめ、ほんの少しだけ逡巡してから、その手をしっかりと握り返した。
「こちらこそ、よろしくな。リエル」
握手の感触は温かくて、小さな掌からは安心感が伝わってくる。
そして、それを見ていた他の子ども達も、それぞれ名前を名乗りながら、少しずつ俺のもとへ集まってくる。
「アタシ、"ルーチア"!」
「"フィナ"だよー!」
「く、"クララ"です……!」
「"ラーファ"! よろしく!」
「あぁ、よろしく!」
1人を除いて子ども達は皆、名を名乗った。どうやら、俺は彼らには迎え入れられたらしい。
そう、彼らには。1人のじっと俺を睨みつける少年を除いた彼らには。
◇
「わーわー!」「きゃーきゃー!」
自己紹介の後、空気が一変して笑い声の響く、愉快な空間になった。
子ども達は1人を除いて、皆俺の周りに群がっている。
長い木製の食卓を囲み、椅子の上や床の上、それぞれが騒ぎながら、俺のことをまるで動物園の新入りみたいに見てくる。
「レン兄さんって呼んでいい?」
「レン兄の方が響きがいいよー。ね、レン兄ー」
「なんで記憶喪失なんだ? 殴ったら治るかな? このっこのっ!」
「え、えっと。あんまり暴力は良くないよ……」
「お腹すいたーー!!!!」
「ま、待って……落ち着いて……」
俺は手を振ってなんとか対処しようとするが、まともに会話が成立しない。
暴れる子ども達。制御の効かない暴走機関車のような彼らを止める術を俺は持ち合わせていない。
どうすることもできず、ただ、されるがままで過ごしていた。
そして、キッチンの方から、エプロン姿のデルタさんが姿を現す。
「皆さん、ご飯の準備ができましたよ」
その一言で、それまで俺の周囲を囲んでいた子ども達が一斉に「やったー!」と叫びながらテーブルへと散っていった。この場では禁句かもしれないが、それはまるで"魔法"の言葉だ。騒がしさは消え去り、今度は食事への期待に満ちたざわめきが広がっていく。
そうして、食卓には料理が並べられていく。
パンにサラダ、そして肉。どれも素朴な料理だが、丁寧に作られているのがひと目でわかった。特に肉料理は香辛料の香りがふんわりと漂い、子ども達の鼻をくすぐっているようだ。もう我慢できない!と言わんばかりに、目を輝かせながら料理に手を伸ばす子もいる。
そんな騒がしい子ども達は全ての料理を運び終えたデルタさんが席につくと、両手を組み目を瞑る。
なるほど、食前の祈りというやつか。ソフィアや無口な少年がしているのも確認し、俺も彼らと同じように祈りを捧げる。
俺含め、全員が祈りの姿勢をとった。それを確認したデルタさんが口を開く。
「機神マキナの恩恵に感謝を」
デルタさんの低く落ち着いた声が、静まり返ったダイニングに響いた。子ども達も真剣な表情でそれに続く。
「いただきます」
聞き馴染みのある言葉を耳にして、俺は目を見開いた。
なんだ、独特の祈りの言葉があるわけではないのかと、小さな衝撃を受けている中、子ども達はすぐさま手を動かし始め、料理へと手を伸ばしていく。
「肉!!!」
「ソース多めにしてー!」
「パン取ってー! あ、ルーチア、3個はダメでしょ!」
「わ、私のサラダ取らないで……」
「もぐもぐ、もごっ!」
賑やかな食卓。
子ども達は遠慮という言葉を知らないのか、いや、知っていても今だけはそれを忘れたふりをしているのか、とにかく無邪気に騒ぎながら食事を楽しんでいる。
「おい! レンも好きなだけ食えよ!」
「あっ、わ、私のお肉……ちょっとだけあげます」
「わ、ずるい! じゃあ、アタシがレン兄にスープ注ぐー!」
俺の皿にもパンや肉、スープが次々と盛られていく。誰がやったのかはもう分からないが、とにかく気がつけば山盛りになっていた。
「ありがとな」
その言葉を聞いた子ども達は、満面の笑みを浮かべて、自分の食事に戻る。
俺も一呼吸おいてから、手を伸ばし、パンを一つ取った。
表面は香ばしく焼き上げられていて、裂くとふわりと小麦の匂いが立ちのぼる。口に入れると、しっとりとした柔らかさとほのかな甘みが広がった。
「おいしい……」
俺は思わずそう呟いた。
ソフィアはそんな俺の様子にクスッと笑い、席を立って俺の隣に腰を下ろす。
「でしょ? デルタさんの料理は世界一美味しいんだから!」
「あぁ、本当に美味しいよ」
胸を張って自慢気なソフィアに俺は頷く。
「えっへへー! ウチの食材は全部自給自足でね、裏の畑で作ってるの!」
「へぇ……それはすごいな」
「うん! ここに住むからには、レンにも畑仕事は手伝ってもらうからね!」
「うっ……まぁ、頑張るよ」
薬草の件もあり、力仕事には自信がなくなっていたところだが、やるしかない。
「期待してるよー!」
ソフィアはそう言って、元の席に戻って食事を再開した。
俺は皆の顔を一人一人見ていく。
リエルとルーチアが肉を取り合い、フィナとクララはそれを止める。ラーファは我関せずといった様子で「もごもご」と声を漏らしながらパンを食べる。ソフィアとデルタさんはそれを愛おしそうに見ていた。
——本当に、穏やかな場所だ。
そう思いながら、さらに視線を巡らせた先で、ひとりだけ静かにこちらを見つめる少年と目が合った。
俺のいた世界で言えば中学2年生くらいだろうか。カーリスの家の入り口から、俺を睨んでいたあの少年だ。
彼は一言も話さず、他の子ども達とは距離を置いた席に座っていた。じっと俺を睨みつけている。
その目にははっきりとした感情が込められていた。警戒か、拒絶か、それとも——敵意か。どれだったとしても、それは俺に対する否定の色だ。
少年はすぐに俺から目を逸らす。両手を合わせて食器を片し、2階へと消えた。
何か言葉をかけるべきか、それともそっとしておくべきか。俺が頭を悩ませていると、子ども達の元気な声が一斉に響いた。
「ごちそうさまでした!」
それを合図に、一斉に椅子が引かれ「カチャカチャ」と食器の音が鳴り始めた。
パッと机の上を見渡すと、俺以外の皿はすでに空っぽ。いや、正確には俺の皿だけがまだ山盛りのままだ。
「あれ? ちょっと待って、みんなもう!?」
完全に取り残されていた。
慌ててスプーンを掴み、スープをすすり、パンをちぎって口に放り込み、肉を一口大に切って噛む。うん、うまい。うまいけど……!
「ぜんっぜん、減らねぇ!」
そんな俺を見ていた、ルーチアは「レン兄食べるの遅ーい!」と言って笑っている。
結局、俺はしばらく黙々と山盛りの料理と格闘する羽目になった。
◇
必死で飯を食らった後、俺はデルタさんと2人で並んで皿洗いに勤しんでいた。
「お手伝いありがとうございますね、レン」
「いや、全然! 俺もここで暮らすことになるんですから、色々手伝わせてください」
俺はそう言いながら、大皿についたソースの跡を丹念に洗い流す。水は冷たくはない。井戸水を温めているのか、ほのかにぬくもりがあった。
「それにしても……皆、本当に元気ですね。まだちょっと押され気味です」
俺が苦笑しながら言うと、デルタさんは微笑を浮かべて頷いた。
「ええ。あの子達、元気が有り余って仕方ないという風でして……まぁ、それが何より大切ですから、ワタクシとしては嬉しい限りですが」
その言葉の奥には、育ての親としての強さと優しさが感じられた。
そんな彼女なら何か教えてくれるかもしれないと、食器をすすぎながら、俺は少しだけ声を落として口を開いた。
「1人だけ、俺のことを毛嫌いしている子がいました。名前もまだ聞けていない……」
デルタさんの手がわずかに止まる。けれど、すぐに何事もなかったように皿をタオルに包みながら答える。
「……"リオ"のことですね」
「リオ君ですか……俺、彼に嫌われるようなこと、しちゃいましたかね?」
デルタさんは首を横に振る。
「いいえ。レンは何も悪い事などしていませんよ。ただ……リオは元々、警戒心の強い子でして」
「警戒心?」
「えぇ。あの子は、生まれ育った村で信じていた人間に裏切られたのです」
デルタさんの言葉は柔らかいが、その中に重みがあるのが理解できた。
「彼は魔物と……人間によって、両親を失ったのです」
皿を拭く手が、俺の手元で止まる。
「リオの家族は、村の中でも貧しい暮らしをしていました。それでも、両親は誠実に働いて、リオを大切に育てていたそうです」
その語り口には、どこか祈るような想いが滲んでいた。
「しかし、ある日。村に魔物が現れました。山から降りてきた凶暴な"ゴブリン"の群れは彼らの村をめちゃくちゃにした」
聞き覚えのあるモンスターの名前。基本的にゴブリンはゲームでは雑魚敵だ。しかし、俺はこの世界でスライムという脅威の存在を知った。ならば、ゴブリンの群れは抗う力のない人間にとっては恐怖そのものだろう。
デルタさんは続ける。
「そして、誰かが提案した。"贄を捧げれば、満足して魔物は去るのではないか"と」
「まさか……」
「えぇ。リオとその家族は村人達に騙されて、ゴブリン達の住まう山へと投げ出された」
俺は言葉を失った。
「なんとかリオはワタクシが保護しましたが、彼の両親は……」
デルタさんは目を伏せる。
「それ以来、彼は人を信じなくなりました」
村の人間に騙され、両親を理不尽な"贄"として失ったリオ。
両親を事故で失った俺だが、彼の抱えているものがどれほどのものか、想像もつかない。
「それでも、ここでの暮らしの中で少しずつ他の子達と打ち解けていって、言葉は少ないけれど、今では畑や掃除も手伝ってくれるようになりました」
彼の成長を話すデルタさんは慈愛の表情に満ちていた。しかし、何もかも上手くいくなんて事はない。
「でも、やっぱりリオはどうしても人を頼れないのです。それに、初めて会う人を警戒してしまうようでして……きっと、レンのことも……」
「……なるほど」
リオの抱えている過去。それを思うと、俺を警戒するのは致し方のないことだ。
魔物に恐怖した記憶。奪われた家族。信じた人間に踏みにじられた信頼。
それは俺ごときにはどうしようもできない苦しみだ。
それでも、助けたい。そんなふうに思ってしまうのは、きっと傲慢なんだろう。
ただ、あのときリオと目が合った瞬間に俺の心は感じ取った。
怒りでも、憎しみでもない。あの目に宿っていたのは、もっと深くて、もっと静かな感情だった。
孤独。
他の誰とも交わらず、独りだけ遠くにいるような、あの冷たい目が、忘れられない。
だから、デルタさんに問う。
「俺に、出来ることはありますかね?」
それは俺がここから消えること以外で、彼のためになりたいという意思表示。
それを聞いたデルタさんは皿を拭き終えると、ポツリと口を開いた。
「それは、ワタクシには分からないことです。ただ、アナタの優しさが彼に何か良い影響を与えてくださることをワタクシは期待していますよ」
彼女の言葉には答えも、ヒントすらない。それでも、勇気をもらった。
「俺なりに、なんとかしてみます」
デルタさんは、それには何も言わなかった。ただ、柔らかく微笑んでくれた。
◇
皿洗いを済ませて、風呂を終え、俺はこれから過ごす事になる部屋をソフィアに紹介してもらっていた。
「ここがレンの部屋!」
二階の一番奥にある扉の前で、ソフィアは少し誇らしげに胸を張って言う。そして扉の取っ手に手をかけ、軽く押し開けた。
中を覗き込む、そこにはこぢんまりとした、しかし、清潔感のある部屋が広がっていた。
窓からは淡い月光が差し込み、木の床や簡素なベッド、棚にやさしく影を落としている。壁には手作りと思われる布の飾りが掛けられ、机の上には油ランプと、空のノートが一冊置かれていた。
「物置だったから埃っぽいし、そんなに広くはないけど……我慢してね?」
「いや、思ったより……ずっと綺麗だ」
それは、本音だった。異世界に来てからというもの、安心して休める場所がなかったからこそ、今、目の前にある自分だけの空間は何よりも心を落ち着けてくれる。
「ソフィア、ありがとう」
「どういたしまして! あっ、でも私以外にもちゃんとお礼言った方がいいかも!」
「ソフィア以外にも?」
「うん! レンが皿洗いとかをしてる間に、みんなで片付けたんだ!」
その一言に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
さっきの賑やかな食卓の光景を思い出す。まだ会って間もないはずなのに、子ども達はもう、俺をこの家の一員として扱おうとしてくれている。
そして、たった今それが、言葉じゃなくて行動で示された。
「……そっか。じゃあ、明日みんなにちゃんとお礼言わなきゃな」
そう言うと、ソフィアはにこっと笑って頷いた。
「うん、それがいいよ! きっと、リエルもルーチアもフィナもラーファもクララも……それに、リオも喜ぶと思う!」
彼女が一人一人の名前を挙げていくたびに、今日出会った彼らの顔が浮かぶ。そして、彼女が最後に口にした名前を聞いて俺の思考が一瞬鈍る。
「まて、アイツ……リオも手伝っていたのか……?」
ソフィアは小首を傾げ、それから「ああ!」と手を打った。
「え? うん! ……あぁ! そっか、リオとはまだ話していなかったよね! あの子は……」
「あぁ、いや。デルタさんから話は聞いたよ。えぇっと、その……過去のこととか」
俺はそっと言葉を挟む。
「そっか」
ソフィアはそれ以上は言わず、小さく頷いた。
その沈黙は、重苦しいものではなかった。ただ、互いにリオの抱えているものを思い、言葉を選んでいる、そんな間だった。
そして、ソフィアはポツリと呟く。
「リオはね、強い子なんだ」
その声の奥には、切なさが混じっていた。
ソフィアはきっと、理解している。この世界で生きてきたからこそ、彼の背負ってきたものを痛みを俺なんかには分からないことをちゃんと分かっている。
「あんな目に遭って……それでも、前を向いて……自分の居場所を、自分で守ってる」
「だから、急に来たレンの事はすごい警戒していると思う。でも……あの子のこと、よろしくね」
ソフィアの目は真っ直ぐ俺を見ていた。その瞳に優しさと祈りが宿っているのが分かる。
「あぁ、任せとけ」
俺は迷いなく頷いた。
「じゃあ、レン。今日はお休み! また明日!」
「うん、おやすみ」
そうして、扉を閉める音が静かに響いた。
俺はベッドに身を預け、天井を見つめる。ふかふかではないけど、しっかりとした寝心地の良さがある。
そっか、俺、異世界にいるんだな。
部屋に1人きりになって、ふとそんなことを思った。そして、押し寄せてきたのは飲み込みきれない寂寥感。
別にお婆ちゃんっ子だったわけではないが、もう二度と会えないのかもしれないと思うと、悲しくて仕方がない。
二度と会えない、か。
婆ちゃんも俺も死んだわけじゃないから、二度と会えないなんてことはないかもしれない。
しかし、たとえ異世界であろうと死は終わりらしい。死んだら本当に会えなくなる。
ほんの一瞬、リオの心が垣間見えたような気がした。
俺はまだ、リオとまともに言葉を交わしたことすらない。それでもいつか、彼と気さくに語り合える日が来ればいい。そんな未来が訪れてくれたらと、願わずにはいられない。
静まり返った夜の中、俺はそっと身をゆだねた。
長テーブルを囲むように、子ども達がそれぞれの席につき、わいわいと賑やかな声が飛び交っている。木造の建物は決して広くはないが、温もりにあふれていて、どこか落ち着く空間だった。
俺はというと、入口近くの壁際、妙に空けられた席に座っていた。
子どもたちは興味津々といった様子でこちらをちらちらと見ながらも、誰も積極的に話しかけては来ない。さっきの大はしゃぎっぷりが嘘のように、今は少しだけ距離を取られている。
どうやら、先程の様子が嘘かのように警戒されているらしい。それにしても、さっきまでの勢いからして、今の静けさは逆に落ち着かない。
そんな中、ソフィアが口を開く。
「みんな! ちゅーもーく!」
子ども達の視線は一気にソフィアの方へと向けられる。
「今日は、新しい一緒に暮らすことになった仲間を紹介しまーす!」
ソフィアはそう言って、俺に目配せを送る。多分、こっちにおいで、という事だろう。
俺は立ち上がり、ソフィアの隣まで行く。
「はい! この人が今日から、ここ"カーリスの家"で一緒に暮らすレンです!」
俺は軽く背中を押されて、皆の前に立つ。視線を周囲に向ければ、子ども達はそわそわとした様子だ。きっと、突然の出来事に動揺しているのだろう。
「レン、自己紹介をお願い」
ソフィアがそっと俺の耳元で囁いた。
その言葉で、教会から出るときにデルタさんが話していたことを思い出す。
…
デルタさんとの問答もひと段落し、教会に出る前、俺は彼女に呼び止められた。
「レン、少しよろしいですか?」
「はい、なんですか?」
先程の話以外にも、まだ何かあるのかと身構えてしまったが、デルタさんは穏やかな表情のままゆっくりと口を開いた。
「アナタの存在を軽々しく周囲に知られるのは望ましくはありません。異世界から来たという話……ワタクシが許しても、子ども達がどう受けとるかはあの子達次第です」
孤児院という環境で暮らす子ども達だ。きっと、境遇は様々だろう。だとすれば、彼らが、俺が異世界から来たことを知ったとき、きっと普通以上に拒絶するのではないだろうか。
そんな想像をした俺はデルタさんの言葉に頷く。
「確かにそうですね……では、やはり内緒にしましょうか。しかし、どうしたらいいですかね?」
「そうですね……」
デルタさんは一瞬、考え込んで口を開く。
「先程アナタのおっしゃっていた記憶を失った旅人という設定……そのまま通しましょう。それが、皆にとっても、アナタにとっても、一番平和な形だと思いますから」
真実が人を幸せにするわけではないということを理解しているつもりだ。
俺はデルタさんの言葉に頷く。
「なるほど、分かりました」
こうして、共犯者が1人増えた。
…
俺は一度深呼吸をする。
シスター公認とはいえ嘘は嘘。それにきっと、一生通すことになる嘘だ。それを吐き出す覚悟を決めて、俺は口を開く。
「えっと、俺の名前はレン。記憶を失っていて、何も分からずにいたところをソフィアに助けられて、ここでお世話になることになった。色々と迷惑かけることもあるかもしれないけれど、よろしく!」
しばらくの沈黙。
俺の言葉に対する反応は、微妙だった。
誰もすぐには口を開かない。視線は俺に向いているけれど、その奥には戸惑いや警戒が混じっているのがわかる。
3回も同じ嘘をついたのだ。慣れたものだと思っていたが、今までのことを考えると一勝(推定)と一敗で正直不安だ。
子どもは聡いとよく言うし、今回もバレてしまっただろうか。
それとも、バレていない上で記憶喪失の青年に警戒しているのかもしれない。
そう、何もかもうまくいくわけではないよな。
俺が内心でそう思った瞬間、パチパチと控えめな拍手が耳に届いた。
それはソフィアの右隣に座っていた少年のものだ。少年はこちらに人懐っこい笑みを浮かべながら、口を開く。
「記憶喪失ってすげー! 童話の主人公みたいだ!!!」
少年の声が部屋の空気を和らげる。
その一言をきっかけに、他の子ども達の表情も緊張を解いたように見えた。
「本当に何も覚えてないのー?」
「か、家族とかも……?」
「じゃあ、じゃあ! どこから来たの!?」
1人が話し始めると、次々に声が上がる。矢継ぎ早の質問に、少し戸惑いつつも俺は笑って答える。
「うん、名前以外は何も覚えていないんだ。気づいたら洞窟にいて、そこでソフィアに助けられた」
それを聞いた子ども達は嬉しそうだ。
「やっぱり、ソフィア姉ちゃんはカッコいーなー!」
「そ、そうだね……!」
「俺もソフィアみたいに強くなりたい!!!」
皆、ソフィアが大好きらしい。子ども達の間で、わいわいと彼女を褒める声が飛び交う。
俺と彼らのやり取りを見てにっこりと笑っていたソフィアは、気付くと顔を赤く染めていた。
そして、俺の自己紹介に対して最初に声を上げた少年がはっとした表情を浮かべて俺に向かってこう口にする。
「俺! "リエル"!!! よろしくな、レン!」
そうして、彼は右手を差し出す。
俺はリエルの差し出した右手を見つめ、ほんの少しだけ逡巡してから、その手をしっかりと握り返した。
「こちらこそ、よろしくな。リエル」
握手の感触は温かくて、小さな掌からは安心感が伝わってくる。
そして、それを見ていた他の子ども達も、それぞれ名前を名乗りながら、少しずつ俺のもとへ集まってくる。
「アタシ、"ルーチア"!」
「"フィナ"だよー!」
「く、"クララ"です……!」
「"ラーファ"! よろしく!」
「あぁ、よろしく!」
1人を除いて子ども達は皆、名を名乗った。どうやら、俺は彼らには迎え入れられたらしい。
そう、彼らには。1人のじっと俺を睨みつける少年を除いた彼らには。
◇
「わーわー!」「きゃーきゃー!」
自己紹介の後、空気が一変して笑い声の響く、愉快な空間になった。
子ども達は1人を除いて、皆俺の周りに群がっている。
長い木製の食卓を囲み、椅子の上や床の上、それぞれが騒ぎながら、俺のことをまるで動物園の新入りみたいに見てくる。
「レン兄さんって呼んでいい?」
「レン兄の方が響きがいいよー。ね、レン兄ー」
「なんで記憶喪失なんだ? 殴ったら治るかな? このっこのっ!」
「え、えっと。あんまり暴力は良くないよ……」
「お腹すいたーー!!!!」
「ま、待って……落ち着いて……」
俺は手を振ってなんとか対処しようとするが、まともに会話が成立しない。
暴れる子ども達。制御の効かない暴走機関車のような彼らを止める術を俺は持ち合わせていない。
どうすることもできず、ただ、されるがままで過ごしていた。
そして、キッチンの方から、エプロン姿のデルタさんが姿を現す。
「皆さん、ご飯の準備ができましたよ」
その一言で、それまで俺の周囲を囲んでいた子ども達が一斉に「やったー!」と叫びながらテーブルへと散っていった。この場では禁句かもしれないが、それはまるで"魔法"の言葉だ。騒がしさは消え去り、今度は食事への期待に満ちたざわめきが広がっていく。
そうして、食卓には料理が並べられていく。
パンにサラダ、そして肉。どれも素朴な料理だが、丁寧に作られているのがひと目でわかった。特に肉料理は香辛料の香りがふんわりと漂い、子ども達の鼻をくすぐっているようだ。もう我慢できない!と言わんばかりに、目を輝かせながら料理に手を伸ばす子もいる。
そんな騒がしい子ども達は全ての料理を運び終えたデルタさんが席につくと、両手を組み目を瞑る。
なるほど、食前の祈りというやつか。ソフィアや無口な少年がしているのも確認し、俺も彼らと同じように祈りを捧げる。
俺含め、全員が祈りの姿勢をとった。それを確認したデルタさんが口を開く。
「機神マキナの恩恵に感謝を」
デルタさんの低く落ち着いた声が、静まり返ったダイニングに響いた。子ども達も真剣な表情でそれに続く。
「いただきます」
聞き馴染みのある言葉を耳にして、俺は目を見開いた。
なんだ、独特の祈りの言葉があるわけではないのかと、小さな衝撃を受けている中、子ども達はすぐさま手を動かし始め、料理へと手を伸ばしていく。
「肉!!!」
「ソース多めにしてー!」
「パン取ってー! あ、ルーチア、3個はダメでしょ!」
「わ、私のサラダ取らないで……」
「もぐもぐ、もごっ!」
賑やかな食卓。
子ども達は遠慮という言葉を知らないのか、いや、知っていても今だけはそれを忘れたふりをしているのか、とにかく無邪気に騒ぎながら食事を楽しんでいる。
「おい! レンも好きなだけ食えよ!」
「あっ、わ、私のお肉……ちょっとだけあげます」
「わ、ずるい! じゃあ、アタシがレン兄にスープ注ぐー!」
俺の皿にもパンや肉、スープが次々と盛られていく。誰がやったのかはもう分からないが、とにかく気がつけば山盛りになっていた。
「ありがとな」
その言葉を聞いた子ども達は、満面の笑みを浮かべて、自分の食事に戻る。
俺も一呼吸おいてから、手を伸ばし、パンを一つ取った。
表面は香ばしく焼き上げられていて、裂くとふわりと小麦の匂いが立ちのぼる。口に入れると、しっとりとした柔らかさとほのかな甘みが広がった。
「おいしい……」
俺は思わずそう呟いた。
ソフィアはそんな俺の様子にクスッと笑い、席を立って俺の隣に腰を下ろす。
「でしょ? デルタさんの料理は世界一美味しいんだから!」
「あぁ、本当に美味しいよ」
胸を張って自慢気なソフィアに俺は頷く。
「えっへへー! ウチの食材は全部自給自足でね、裏の畑で作ってるの!」
「へぇ……それはすごいな」
「うん! ここに住むからには、レンにも畑仕事は手伝ってもらうからね!」
「うっ……まぁ、頑張るよ」
薬草の件もあり、力仕事には自信がなくなっていたところだが、やるしかない。
「期待してるよー!」
ソフィアはそう言って、元の席に戻って食事を再開した。
俺は皆の顔を一人一人見ていく。
リエルとルーチアが肉を取り合い、フィナとクララはそれを止める。ラーファは我関せずといった様子で「もごもご」と声を漏らしながらパンを食べる。ソフィアとデルタさんはそれを愛おしそうに見ていた。
——本当に、穏やかな場所だ。
そう思いながら、さらに視線を巡らせた先で、ひとりだけ静かにこちらを見つめる少年と目が合った。
俺のいた世界で言えば中学2年生くらいだろうか。カーリスの家の入り口から、俺を睨んでいたあの少年だ。
彼は一言も話さず、他の子ども達とは距離を置いた席に座っていた。じっと俺を睨みつけている。
その目にははっきりとした感情が込められていた。警戒か、拒絶か、それとも——敵意か。どれだったとしても、それは俺に対する否定の色だ。
少年はすぐに俺から目を逸らす。両手を合わせて食器を片し、2階へと消えた。
何か言葉をかけるべきか、それともそっとしておくべきか。俺が頭を悩ませていると、子ども達の元気な声が一斉に響いた。
「ごちそうさまでした!」
それを合図に、一斉に椅子が引かれ「カチャカチャ」と食器の音が鳴り始めた。
パッと机の上を見渡すと、俺以外の皿はすでに空っぽ。いや、正確には俺の皿だけがまだ山盛りのままだ。
「あれ? ちょっと待って、みんなもう!?」
完全に取り残されていた。
慌ててスプーンを掴み、スープをすすり、パンをちぎって口に放り込み、肉を一口大に切って噛む。うん、うまい。うまいけど……!
「ぜんっぜん、減らねぇ!」
そんな俺を見ていた、ルーチアは「レン兄食べるの遅ーい!」と言って笑っている。
結局、俺はしばらく黙々と山盛りの料理と格闘する羽目になった。
◇
必死で飯を食らった後、俺はデルタさんと2人で並んで皿洗いに勤しんでいた。
「お手伝いありがとうございますね、レン」
「いや、全然! 俺もここで暮らすことになるんですから、色々手伝わせてください」
俺はそう言いながら、大皿についたソースの跡を丹念に洗い流す。水は冷たくはない。井戸水を温めているのか、ほのかにぬくもりがあった。
「それにしても……皆、本当に元気ですね。まだちょっと押され気味です」
俺が苦笑しながら言うと、デルタさんは微笑を浮かべて頷いた。
「ええ。あの子達、元気が有り余って仕方ないという風でして……まぁ、それが何より大切ですから、ワタクシとしては嬉しい限りですが」
その言葉の奥には、育ての親としての強さと優しさが感じられた。
そんな彼女なら何か教えてくれるかもしれないと、食器をすすぎながら、俺は少しだけ声を落として口を開いた。
「1人だけ、俺のことを毛嫌いしている子がいました。名前もまだ聞けていない……」
デルタさんの手がわずかに止まる。けれど、すぐに何事もなかったように皿をタオルに包みながら答える。
「……"リオ"のことですね」
「リオ君ですか……俺、彼に嫌われるようなこと、しちゃいましたかね?」
デルタさんは首を横に振る。
「いいえ。レンは何も悪い事などしていませんよ。ただ……リオは元々、警戒心の強い子でして」
「警戒心?」
「えぇ。あの子は、生まれ育った村で信じていた人間に裏切られたのです」
デルタさんの言葉は柔らかいが、その中に重みがあるのが理解できた。
「彼は魔物と……人間によって、両親を失ったのです」
皿を拭く手が、俺の手元で止まる。
「リオの家族は、村の中でも貧しい暮らしをしていました。それでも、両親は誠実に働いて、リオを大切に育てていたそうです」
その語り口には、どこか祈るような想いが滲んでいた。
「しかし、ある日。村に魔物が現れました。山から降りてきた凶暴な"ゴブリン"の群れは彼らの村をめちゃくちゃにした」
聞き覚えのあるモンスターの名前。基本的にゴブリンはゲームでは雑魚敵だ。しかし、俺はこの世界でスライムという脅威の存在を知った。ならば、ゴブリンの群れは抗う力のない人間にとっては恐怖そのものだろう。
デルタさんは続ける。
「そして、誰かが提案した。"贄を捧げれば、満足して魔物は去るのではないか"と」
「まさか……」
「えぇ。リオとその家族は村人達に騙されて、ゴブリン達の住まう山へと投げ出された」
俺は言葉を失った。
「なんとかリオはワタクシが保護しましたが、彼の両親は……」
デルタさんは目を伏せる。
「それ以来、彼は人を信じなくなりました」
村の人間に騙され、両親を理不尽な"贄"として失ったリオ。
両親を事故で失った俺だが、彼の抱えているものがどれほどのものか、想像もつかない。
「それでも、ここでの暮らしの中で少しずつ他の子達と打ち解けていって、言葉は少ないけれど、今では畑や掃除も手伝ってくれるようになりました」
彼の成長を話すデルタさんは慈愛の表情に満ちていた。しかし、何もかも上手くいくなんて事はない。
「でも、やっぱりリオはどうしても人を頼れないのです。それに、初めて会う人を警戒してしまうようでして……きっと、レンのことも……」
「……なるほど」
リオの抱えている過去。それを思うと、俺を警戒するのは致し方のないことだ。
魔物に恐怖した記憶。奪われた家族。信じた人間に踏みにじられた信頼。
それは俺ごときにはどうしようもできない苦しみだ。
それでも、助けたい。そんなふうに思ってしまうのは、きっと傲慢なんだろう。
ただ、あのときリオと目が合った瞬間に俺の心は感じ取った。
怒りでも、憎しみでもない。あの目に宿っていたのは、もっと深くて、もっと静かな感情だった。
孤独。
他の誰とも交わらず、独りだけ遠くにいるような、あの冷たい目が、忘れられない。
だから、デルタさんに問う。
「俺に、出来ることはありますかね?」
それは俺がここから消えること以外で、彼のためになりたいという意思表示。
それを聞いたデルタさんは皿を拭き終えると、ポツリと口を開いた。
「それは、ワタクシには分からないことです。ただ、アナタの優しさが彼に何か良い影響を与えてくださることをワタクシは期待していますよ」
彼女の言葉には答えも、ヒントすらない。それでも、勇気をもらった。
「俺なりに、なんとかしてみます」
デルタさんは、それには何も言わなかった。ただ、柔らかく微笑んでくれた。
◇
皿洗いを済ませて、風呂を終え、俺はこれから過ごす事になる部屋をソフィアに紹介してもらっていた。
「ここがレンの部屋!」
二階の一番奥にある扉の前で、ソフィアは少し誇らしげに胸を張って言う。そして扉の取っ手に手をかけ、軽く押し開けた。
中を覗き込む、そこにはこぢんまりとした、しかし、清潔感のある部屋が広がっていた。
窓からは淡い月光が差し込み、木の床や簡素なベッド、棚にやさしく影を落としている。壁には手作りと思われる布の飾りが掛けられ、机の上には油ランプと、空のノートが一冊置かれていた。
「物置だったから埃っぽいし、そんなに広くはないけど……我慢してね?」
「いや、思ったより……ずっと綺麗だ」
それは、本音だった。異世界に来てからというもの、安心して休める場所がなかったからこそ、今、目の前にある自分だけの空間は何よりも心を落ち着けてくれる。
「ソフィア、ありがとう」
「どういたしまして! あっ、でも私以外にもちゃんとお礼言った方がいいかも!」
「ソフィア以外にも?」
「うん! レンが皿洗いとかをしてる間に、みんなで片付けたんだ!」
その一言に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
さっきの賑やかな食卓の光景を思い出す。まだ会って間もないはずなのに、子ども達はもう、俺をこの家の一員として扱おうとしてくれている。
そして、たった今それが、言葉じゃなくて行動で示された。
「……そっか。じゃあ、明日みんなにちゃんとお礼言わなきゃな」
そう言うと、ソフィアはにこっと笑って頷いた。
「うん、それがいいよ! きっと、リエルもルーチアもフィナもラーファもクララも……それに、リオも喜ぶと思う!」
彼女が一人一人の名前を挙げていくたびに、今日出会った彼らの顔が浮かぶ。そして、彼女が最後に口にした名前を聞いて俺の思考が一瞬鈍る。
「まて、アイツ……リオも手伝っていたのか……?」
ソフィアは小首を傾げ、それから「ああ!」と手を打った。
「え? うん! ……あぁ! そっか、リオとはまだ話していなかったよね! あの子は……」
「あぁ、いや。デルタさんから話は聞いたよ。えぇっと、その……過去のこととか」
俺はそっと言葉を挟む。
「そっか」
ソフィアはそれ以上は言わず、小さく頷いた。
その沈黙は、重苦しいものではなかった。ただ、互いにリオの抱えているものを思い、言葉を選んでいる、そんな間だった。
そして、ソフィアはポツリと呟く。
「リオはね、強い子なんだ」
その声の奥には、切なさが混じっていた。
ソフィアはきっと、理解している。この世界で生きてきたからこそ、彼の背負ってきたものを痛みを俺なんかには分からないことをちゃんと分かっている。
「あんな目に遭って……それでも、前を向いて……自分の居場所を、自分で守ってる」
「だから、急に来たレンの事はすごい警戒していると思う。でも……あの子のこと、よろしくね」
ソフィアの目は真っ直ぐ俺を見ていた。その瞳に優しさと祈りが宿っているのが分かる。
「あぁ、任せとけ」
俺は迷いなく頷いた。
「じゃあ、レン。今日はお休み! また明日!」
「うん、おやすみ」
そうして、扉を閉める音が静かに響いた。
俺はベッドに身を預け、天井を見つめる。ふかふかではないけど、しっかりとした寝心地の良さがある。
そっか、俺、異世界にいるんだな。
部屋に1人きりになって、ふとそんなことを思った。そして、押し寄せてきたのは飲み込みきれない寂寥感。
別にお婆ちゃんっ子だったわけではないが、もう二度と会えないのかもしれないと思うと、悲しくて仕方がない。
二度と会えない、か。
婆ちゃんも俺も死んだわけじゃないから、二度と会えないなんてことはないかもしれない。
しかし、たとえ異世界であろうと死は終わりらしい。死んだら本当に会えなくなる。
ほんの一瞬、リオの心が垣間見えたような気がした。
俺はまだ、リオとまともに言葉を交わしたことすらない。それでもいつか、彼と気さくに語り合える日が来ればいい。そんな未来が訪れてくれたらと、願わずにはいられない。
静まり返った夜の中、俺はそっと身をゆだねた。
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