魔獣の友

猫山知紀

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第32話 洗濯

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「落ち着いたか」

 リディは椅子の背もたれを前にし、両手を背もたれの上に乗せるようにして、改めて椅子に座り直し、アイシスに視線の高さを合わせる。

「えぇ。それで……あなたは敵ではないということで良いのよね?」
「まぁ、とりあえずはその認識で構わない」
「さっき、あなたが私を殺そうとしたのは演技……だったのかしら?」

 アイシスの目にはまだリディが恐ろしく見えているのだろう、リディに対する質問も若干怯えながらといった感じだ。

「そうだ」
「……どうしてそんなことを?」
「事件に関わると最悪の場合、今のような目に合う。そのことを教えたかった」

 事件に深く関わるほど、危険に遭遇する可能性は大きくなる。
 アイシスはそれでも構わないと言っていたが、実際に最悪の事態に遭遇してからでは遅い。アイシスがどれだけ危険なことを行おうとしているのか、リディはそれを教えたかった。

「そう、ね。今ので自分の甘すぎる認識はよくわかったわ」
「ならよかった」

 それからリディはアイシスに情報の取扱いについてと、人を疑うことをまず教えた。
 先程のアイシスのように、身元がはっきりしない者に関係者の名前を教えるなど論外だし、リディが敵かも知れないということも頭から抜け落ちていた。
 事件に関わるというのなら、最低限それらのことは身につけておく必要がある。

「すぐには難しいかも知れないが、味方を疑うことも覚えておいた方がいい。このままだと、気づかないうちに後ろから刺される」
「……心が休まる暇がないわね」
「事件に関わるというのはそういうことさ、その覚悟がアイシスにはあるか?」

 アイシスはリディの問いにすぐには答えられず、しばらくうつむいたままでいた。

 アイシスが普段どのような教育を受けているかはわからないが、一人で外出するような警戒心のなさ、リディの攻撃に全く反応もできず、護身術も習ってはいないようだ。
 事件に関わるのはやめた方がいいとリディは思っていた。

 アイシスはしばらくそのままうつむいていたが、逡巡しゅんじゅんするように顔をあげようとしては戻すようなことを何度かした。そして――。

「……あの、ちょっと言いにくいのだけれど、着替えはあるかしら?」
「着替え?」

 なぜそんなものを?と思ったリディの目に顔を赤くしたアイシスの顔が映る。

「さっきのあなたの、本当に怖くて、その……」

 ポタ、ポタとアイシスのスカートの裾から雫が垂れて、椅子の下を濡らしていた。

「あ……」

 状況を把握するとリディは受付にいたテルモに雑巾を借りて井戸の場所を聞いた。
 井戸で水を汲み、桶を持って部屋に戻り、雑巾で床と椅子を拭く。
リディの服の数に余裕はないので、アイシスには一旦毛布に包まってもらい、服をまるごと洗ってしまうことにした。

「ニケ、後ろを向いていろ」
「なんで?」
「乙女の柔肌は?」
「許可なく見てはいけない」
「正解だ」

 そのやり取りを経てニケはリディたちに背を向ける。
 その間にリディはアイシスの服を脱がせて傍らに持ち、桶を反対の手に持つ。

「すまないが、そのまま少し待っていてくれ」

 そう言って、また部屋を出ていった。

 部屋にはニケとアイシスの二人だけになる。ニケはまだアイシスに背を向けたままだ。

「あなた、ニケ君だっけ?もうこっちを向いてもいいわよ。毛布に包まっているから」

 アイシスにそう言われてニケが振り返ると毛布に包まったアイシスはベッドの上で膝を抱えて丸くなっていた。

「今出ていった女の人はリディだったかしら?そういえばちゃんとした自己紹介もしていなかったわね」

 『アイの実』で出会ってからここまで、それなりに話をしたが、リディ達の名前を会話の中でしか聞いてなかったことにアイシスは思い当たる。
 リディが戻るまですることもないので、アイシスは2人について知るためニケとおしゃべりをすることにした。

「あなた達、出会ってから一緒に旅をしているって言っていたけれど、どのぐらい一緒に旅をしているの?」
「えっと、10日ぐらい……」

 アイシスから見るとリディとニケは息のあった気心知れた仲のように見えたため、その答えは意外だった。

「どうして旅をしているの?」

 アイシスの次の質問は旅をしている理由だった。
 ニケはアイシスの質問にすぐには答えず、言葉を探してから口に出した。

「えっと、言っちゃダメなことかも知れないから。……言わない」

 ニケは先程の件を気にしていて、どれが言ってよくて、どれが言ってはダメなのか判断できなくなっていた。だから、絶対に安全な『言わない』という選択をとった。

「あなた、賢いのね」

 そんな様子のニケを見て、アイシスは少し感心していた。

「人の忠告を受けて、すぐに自分を変えられるのはすごいことよ」

 そのアイシスの言葉を受けたニケは、よくわからなかったのか小首をかしげた。
 その後もアイシスの質問は続いたが、ニケが答えるものはニケ本人に関わるものだけだった。もちろんケルベ達の存在も隠した。

 そうして時間を潰していると、リディがアイシスの服を持って戻ってきた。

「洗ったあと、魔法で風を起こして乾かしたんだが、皺が上手く伸ばせなくてな……すまない」
「お洗濯してくれただけで十分よ。ありがとう、助かったわ」
「元はこちらのせいだ。本当にすまない」
「でも、口で言われただけでは、私は今回の事件に関わるということの意味をちゃんと認識できなかったと思うの。むしろお礼を言いたいぐらいだから気にしなくていいわ」
「そう言ってもらえると助かる」

 アイシスは父から話を聞いて、今回の事件をなんとかしなければと思って彼女なりに行動していた。しかし、そこに自身に対する危機感はなかったと言ってもいい。
彼女にとって今回の事件は身近なものだったが、自分が被害者になるという可能性が彼女の中で欠落していた。そこに気づかせてくれたリディにアイシスは感謝の念を抱いていた。

「さっきの件といえばもう一つ。ニケ君が私に村の名前を教えちゃったことを気にしているの。私にほとんど何も教えてくれないのよ。言っちゃいけないことかも知れないからって」

 アイシスの話を聞いてリディはニケの顔を見る。

「なんだニケ、さっきのを気にしていたのか」
「うん。……他に喋っちゃいけないことがあるかも知れないから」
「そうか、ありがとな。今後はしゃべっちゃいけないことはちゃんと口止めするから、それ以外のことは普通に話していいぞ」

 それに加えて、リディは自分が今回みたいに伝えるのを忘れることがあるかも知れないから、言っちゃダメそうなことだったらニケからも聞いてくれると助かるということを伝えた。
 そうやって、同行者としての共通認識を作っていく。

「許可がでてよかったわね。答えてくれなかった分もまた改めてお話しましょ」
「うん、……ありがとう」

 話が一段落したところで、アイシスはリディに洗濯してもらった元の服を着直す。
 ニケは今度は自発的に後ろを向いて、アイシスの着替えを見ないようにした。
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