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第1章 まだ見ぬ世界へ想いを馳せる君へ

1-38 偉大なる錬金術士の錬成メモ

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 ミミリたちは雷竜の部屋を一先ず後にし、雷竜にもらった鍵を【マジックバッグ】に忍ばせて、4つめの通路、緑の扉の前に来た。

 雷竜の部屋の扉とは異なり、こちらは片開きの扉だった。扉は人間を意識して作られたのではないかと思うような大きさで、人間の成人が余裕を持って入れるくらいの大きさのものだった。扉の取手の真下に、鍵穴と思われる穴が空いており、その右横には四葉のクローバーが刻まれている。

「この扉の中のアイテムくれるって言ってたけど、どんなアイテムなんだろう」
「ほんとだな。何だかワクワクするよ」

 ミミリたちは高揚感に包まれていたが、アルヒは一人、神妙な面持ちで胸元の服をキュッと掴んでいた。

「……大丈夫? アルヒ」

 アルヒの様子に気がついたミミリは声を掛けるが、アルヒは返答する前に目をゆっくりと目を閉じて深く息を吸った。

「ご心配ありがとうございます。色々な思いが込み上げて……。ですが……乗り越えねばなりません……。扉を開けてください」

 アルヒの状況と、先日この地下空洞に来た日の自分が重なって見えたゼラは、とても他人事には思えなかった。

 ゼラは居ても立っても居られず、アルヒにある申し出をする。

「アルヒさん、手を繋ぎましょうか」

 ゼラは微笑みながら右手をアルヒに差し出した。

 ……ポフッ!

「……ちょっと待てぇい! スケコマシ!」

 うさみは勢いよくジャンプして、背を曲げた勢いもつけてゼラの手のひらを叩き落す。ポフッという音とともに。うさみの手とゼラの手のひらはなんとも可愛らしい音を出した。

 ゼラはビックリして思わず「おわっ!」っと声を上げたのち、すかさず両手を小高く上げて、首を左右に振って釈明した。

「……他意はない、他意は」

 うさみは左手は腰に、右手はゼラに向かって突き上げて、偉そうに胸を張って声を張り上げる。ゼラの弁明など聞く気はない。

「他意があろうがなかろうが、アルヒたんの白魚のような手は私が守ぉる!」

 ミミリもクスッと笑いながら、アルヒ親衛隊に仲間入りした。

「私も守ぉる! なんちゃって! ……でもアルヒ、無理しなくて大丈夫だよ。雷様のせっかくのご褒美だけど、中に入るの辞めたっていいんだし」
「俺は害虫か! ……でもアルヒさん、俺も無理する必要ないと思います」

 ミミリの提案にアルヒは再び息を大きく吸って、顔をこわばらせながら首を振る。

「いいえ、前に進まねばなりません。開けてください、お願いします」

 震える瞳。震える唇。それでもアルヒは、扉と向き合う。
 アルヒの態度にも胸中にも、ゼラはひどく共感した。

 ……だからこそ。

「うん……、うん……。わかりました。……行こう、ミミリ。アルヒさんには俺たちがついてる」

 ゼラはアルヒの気持ちを後押しした。



 ミミリは、【マジックバッグ】から鍵を取り出した。取手の真下に空いている穴に、ミミリは金のプレートを差し込んでみる。


『ロック、解除します。』

 ーーガチャ!

 金のプレートを差し込んだ鍵穴から、単調な音声が流れ、解錠された音が聞こえた。

「ミミリ、俺が最初に入るよ」

 ゼラは、扉の取手に手をかけようとしたミミリを制止し、代わりに取手を握って押し下げ扉を押し開けた。

 ……キイィィ!

「お邪魔します」

 ーー扉の中は、決して広くはない一室だった。
 左側には壁に沿われた木製のテーブルと椅子。そして右側の壁にはベッドが2台。
 奥の壁側にはミミリが使用しているのと同じ大きさくらいの、緑色の錬金釜。
 錬金釜の両側には作業台と棚、そして壁に立てかけた木のロッドがある。作業台の上には、読みかけの本。棚の上には、いくつかの便箋。部屋の中央には丸いテーブル、背もたれ付きの椅子が二脚。
 床面から1メートル程度までの高さには薄茶色の板材が張り巡らされており、その腰壁より上の部分は若草色の壁色で、天井は白色をしていた。
 どこに行っても眩い輝きを放つ雷電石(らいでんせき)の地下空洞には珍しい、ナチュラルテイストな一室。
 白い天井から吊るされたランタンが、じんわりと室内を照らしている。

「おしゃれな部屋……あ!」

 ミミリは、左側の壁に沿われた机の上に、見たことがあるようなものを見つけた。それに、ベッドの上にも。

 ……それは、いくつかのぬいぐるみ。それも、あまり上手とは言えないもの。

 ベッドの上には、白いワイシャツに黒いネクタイを締めて何やら知的な黒縁眼鏡のくまに、着物を着た妖艶なキツネ。黄色い猫や、何に使うのかわからない薄く透明で青色をした四角いプレートのようなものも置いてあった。
 決して上手くはない、だが憎めず、どこか愛嬌がある、そんなぬいぐるみたち。
 まぁ、四角いプレートはぬいぐるみではないのだが。
 この「可愛い」に囲まれて何故四角いプレートがベッドの上に置いてあるのかミミリはよくわからなかったが、不思議とぬいぐるみたちに馴染んでいる。

 「あ……!」

 ミミリはベットから、机の上に視線を移す。
 そして、見つけた。

 ミミリは机の上の犬のぬいぐるみを手に取ってクスッと笑う。
 はちみつ色のフワフワの毛並みと赤い瞳。
 それはまるで……

「このぬいぐるみ、ポチみたい」

 ミミリは優しく抱きしめた。

「……ポチです」

 アルヒは、目を細めてそう話した。

「えぇ⁉︎ 似てると思ったけどポチをイメージして作ったってこと⁉︎ それじゃあ、この部屋って、まさか……」

 いつの間にか、アルヒに抱かれていたうさみは、アルヒの腕の中で声を上げて驚いた。

「……はい。この部屋で時折、ご主人様とともに暮らしていました」
「やっぱりな。部屋の中に錬金釜があるくらいだからそうかと思ったよ。ミミリたちにとっては違和感ないだろうけれど、錬金術に馴染みがない俺にとってはどうしても目につくからさ」

 ゼラは驚きもせず、アルヒの言葉に淡々と言葉を返した。

「……この、部屋には……。ご主人様と過ごした思い出がたくさん、たくさんあって。向き合うのを躊躇ってしまいました。……ですが、想像していたよりも、意外と平気なものですね。貴方たちが一緒にいてくださるおかげです」

 うさみは、アルヒの言葉が胸に刺さって、腕の中でもぞもぞと体勢を整え、向き直ってアルヒの胸に顔を埋めた。

「アルヒ、大好きよ」
「うさみ……」

 アルヒはうさみを優しく抱きしめる。

 ……ゼラはうさみのしっぽの動きを見逃さなかった。うさみのしっぽが小刻みに震えているのを。

 うさみはしっぽを震わせながら、極々小さな声で呟く。

「……はぁん、幸せッ! 美少女の、む・ね」

 ゼラはうさみを白けた目で見つめた。


「ねえ、ソウタさん、何か読み途中だったのかな」

 ミミリは、錬金釜の左横の作業台に置かれた本が目に止まった。ミミリは本にそっと手を添える。

 ……読みかけの本ではなかった。これは……。


「違う。何か、錬成しようとしてたんだ」


 本には、ミミリも目にしたことのある錬金素材アイテムや見たこともないアイテムの名前が乱暴に書き連ねられ、上から大きく×バツ印をつけられたり、グシャグシャと書き潰されたりしていた。書き潰されたアイテム名は、かろうじて読み取れるか、読み取れないか。

 ミミリは彼の著書を数冊読んだことがあるが、この本はそれらとは全く異なるものだった。
 これは、人に読ませることを目的としたものではない。
 錬金術士が、新たな錬成アイテムを必死で産み出そうとしている、その過程を記した錬成メモだった。

「すごい……なんでもできちゃう、錬金術の神様みたいな人かと思ったけど、こうやって努力して積み上げて会得した技術だったんだね」

 ミミリは、偉大なる錬金術士の一端を垣間見て、更なる努力を胸に誓った。

「いかにも……。ソータは天才じゃよ。それも、努力のな」

「ーー‼︎」

 雷竜の声がしたが、振り返ってもそこには誰もいなかった。それもそのはず。人間に適した大きさのこの部屋に、あれほどの巨体を持つドラゴンが収まるはずもない。

「あの馬鹿でかい声に耳が壊れて、ついに空耳まで聞こえるようになっちゃったわ」

「……おい、綿の。聞こえとるぞ」
「ヒェッ⁉︎」

 うさみはアルヒの胸の中からあたりを見回すが、開け放してある扉の外にも、ドラゴンの足すらやはり見えない。

「なに……どういうこと?」

「ここじゃ」

 ミミリたちは部屋の中を見回した。
 ドラゴンの姿形は見えないが、間違いなく部屋の中に声の主はいる。

「ここじゃて」

 気がつけば、声の発信者は、たしかにそこに。ぬいぐるみに埋もれてベッドの上に座っていた。

 ……そう、猫として。

「はあぁ⁉︎」

 ベッドの上、ゼラが視線を送った先に、黄色いぬいぐるみは2匹いた。しかし、うち1匹は生きた猫だった。その黄色の猫は、自分を模したぬいぐるみの横を陣取っている。
 黄色のフワフワの毛に三角の耳。紅い瞳にピンクの鼻先。細長いしっぽは、体に這わせて。可愛い猫が、体を丸めて座っていた。

「わしじゃ。雷竜じゃ」

 可愛い見た目とは裏腹に、低い声で話す猫は自身を『雷竜』であると確かに名乗った。

「どうしたんじゃ、そんなに驚いて。して、アイテムは気に入ったかの。むぅ~! あぁ、丸まった背を伸ばすのは気持ちええのお」

 猫は手足を広げてピンと張り、背は反ってグーッと伸びをした。そして大きく欠伸もして。

「ね、猫が喋ったぁ~‼︎ っていうか、ドラゴンさん? え? 猫さん? どっちなの⁇」

 ミミリは軽くパニックに陥っている。
 うさみも同じく、混乱している。

「猫は普通喋らないわよ⁉︎」

 ……全員、沈黙。

 静寂を打ち破ったのは、黄色い猫だった。

「うぬが言うか。綿の」

 猫はベッドの上に腰を下ろして座り直し、鼻頭を少しだけ上に上げながらうさみを見た。
 傲慢な態度は雷竜そのもの。毛の色は少し違うが赤い瞳の色などはまさに雷竜のそれだった。

 ゼラも大きく頷いて、猫の肩を持った。

「うさみがそれを言うか? 俺からしたらぬいぐるみが話すほうがビックリっていうか……。まぁ、猫が話そうがうさみが話そうが、姿形を変えようが、あぁ、そうなんだ、って感じだな」

 ゼラは確かに、この地の不思議に耐性がついていた。

「ほぅ、小童はなかなか肝が据わっとるの。そうじゃ、わしは自由に見た目を変化させられる。要は気分じゃな」

 猫はそう言うと、ベッドからピョンッと錬金釜の隣の作業台へ飛び移り、釜の上をピョンッと跳び越え、ピョンピョンとミミリの前の壁に沿われた木製のテーブルへ跳んできた。

「どうじゃ小娘。愛らしいじゃろ」

 猫は座って背をしゃんと伸ばし、いじらしく片耳だけを少し折って、上目遣いでミミリを見つめた。

「私のポジション……」

 うさみは嫉妬心から恨み声を上げている。

 いつものミミリなら、きゃあきゃあと黄色い声を上げて、すぐさま抱きついているところなのだが、ミミリの視線は別に向いている。

「ミミリ……?」

 ゼラも心配するほどに、ミミリの表情は真顔のまま固まっていた。


 ……ミミリの瞳が映すモノ。

 それは、猫が跳んできた風圧で、スズツリー=ソウタの錬成メモがハラリハラリと数ページめくれたところに書かれた文字だった。

「ミミリ、大丈夫ですか?」

 アルヒの質問に、ミミリは暗い声で反応する。

「ううん、大丈夫、じゃ、ない、かも……」


 ……偉大なる錬金術士の錬成メモに書かれた文字とは。


『もう、ダメだ。時間がない。』


 スズツリー=ソウタの、切羽詰まった書き遺しだった。

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