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第2章 審判の関所

2-29(終話)冒険の舞台はまだ見ぬ世界へ

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「では次、ミミリさん!」
「ハ、ハイィ!」

 ミミリは勢いよく立ち上がったせいで、椅子はガタンと後ろに倒れた。ミミリは真っ赤になりながら椅子を直し、右手と右足を同時に出してくまゴロー先生の教卓へ向かう。
 ゼラはミミリの動作を見て心が和み、一瞬にして現実世界へ引き戻されて、いつもどおりの明るいゼラに早戻りした。

「ミミリ! 手と足、一緒だぞ?」
「エッ! ひゃあああー! ほんとだ!」
「ゼラ、あんたも一緒だったからね?」
「エェッ⁉︎ 嘘だろッ?」

 この流れを受けてうさみは1人、心にざわつきを覚えていた。

 ……ゼラに続き、ミミリまで……。これは私への前フリなの? 残念だけど、私はやらないわよ?


「見習い錬金術士とは思えない知識と錬成技術、そして閃き。逆に学ばせてもらうばかりでした。卒業、おめでとうございます! ミミリさんには、これを……」
「ありがとうございます。……これは……」

 ミミリが卒業証書とともに受け取ったもの。
 それは、一冊の本だった。

 表紙も背表紙も、光沢がある黒色をしたそれは、薄い見た目に反してずしりと重い。
 ミミリは本をパラパラとめくってみるが、何も書いていない、ただの白い紙が続く。

 ……この感覚、もしかして……!

 ミミリは黒い本にそっと魔力を流し込む。
 これはおそらく魔力を流し込むことで発動する錬成アイテム、【大切な貴方へ】と似た性質もの。

 ミミリの予想は見事に的中し、流し込まれた魔力を受けて、次第に本にじわりと焦茶色の文字が浮かび上がってきた。

「やっぱり……!」
「え? なに? どうしたのミミリ!」
「やはりミミリさん、貴方は勘まで鋭いようですね。ですが……」
「はい、そうみたいです。私じゃまだ、力不足みたい」


 黒い本に浮かび上がった文字で綴られた言葉は、スズツリー=ソウタから未来の錬金術士に宛てられたメッセージだった。

『未来の錬金術士へ

 いっぱい錬金術の鍛錬を積んでいてえらいな。
 魔力操作、すごいじゃないか!

 ……もしかして俺が書いた本、読んでくれてたりして。そうだったらめちゃくちゃ嬉しいんだけどな!

 勝手なお願いだけど、もう少し力をつけて、この本にもう一度魔力を流してみてくれ。

 頼みがあるんだ。

 今明かしても、君の実力だと、きっと巻き込むだけだから。

 ……おっと、貶してるんじゃないぞ? 勘違いしないでくれよな。あー、もっといい言い方あったらいいんだけど。許してくれよな、悪気はない! 一切な。ただ、傷ついて欲しくないだけなんだ。

 いろいろ、我儘言ってゴメンな。

 ……けどさ!
 錬金術士のよしみってことで、ひとつよろしく。
 期待して、まってるぜ!


 スズツリー=ソウタ』


 ミミリは本を閉じて、ギュッと胸に抱きしめた。

 ……きっと、この本に、アルヒにつながる手がかりもあるはず! 私、頑張るよ! アルヒ!

 決意新たに本を抱くミミリを見て、くまゴロー先生も安堵のため息をひとつついた。

「よかった……。一番の責務、果たすことができましたね」
『お疲れ様です。くまゴローさん』
「ピロンさんも」


 卒業証書授与式の大トリをつとめるのはうさみ。
うさみの胸中をくまゴロー先生との思い出が去来する。うさみはキュッとなった胸を押さえて、呼ばれる前に立ち上がった。

 ……涙なんか、見せないんだから。また、会えばいいんだもの。

 憧れの人との別れの時。
 溢れる想いに、うさみはそっと蓋をする。そして蓋をした想いが涙となって溢れ出てこないように、うさみは敢えて、虚勢を張る。

「ふふん! 私は右手と右足を同時に出すなんてことはしないわよん!」

 うさみの両手足は軽く震えていた。
 ミミリもゼラも、そしてピロンも。茶化すことなく、うさみを見守った。

 くまゴロー先生は教壇から降り、教卓の前で腰を下ろしてうさみと視線を合わせる。
 2人の間にふわりと香る桃色の風。
 やはり名残惜しさは隠すことができなかった。
 くまゴロー先生ですら黒縁眼鏡の向こう側で、薄らと目を潤ませていた。


「うさみさん! ご卒業おめでとうございます。貴方の支援魔法もさることながら、愛らしい見た目に勝ち気でいて優しい性格も素晴らしい。私は心が奪われました」
「……せん……せい!」
「……貴方に、これを……」


 くまゴロー先生は片膝をつき、ひざまづいてうさみと向き合う。
 卒業証書とともにくまゴロー先生からうさみに手渡されたもの。それは――

「……わぁ! ステキ!」

 ――真っ赤な薔薇の花束と、一枚の絵画。
 うさみは思わず、耳としっぽを震わせた。

 絵に描かれていたのは、くまゴロー先生とうさみの笑顔。その描写力、濃淡、色彩。まるで本物の2人が紙に閉じ込められたよう。くまゴロー先生は間違いなく、画伯だった。

「離れていても、貴方を想い続けます。旅が終わったらどうかもう一度訪れていただけますでしょうか」
「……せん……せいっ!」

 うさみは感極まって、くまゴロー先生の胸にピョンっと飛び込んだ。そしてくまゴロー先生も、応じてうさみを抱きとめる。

 2人を包む、薔薇色の風。

 ミミリもゼラも拍手を贈った。

「素敵……! ね、ゼラくん」
「あ、あぁ……、素敵は素敵! そ、そう、素敵だよな?」

 ミミリはキャアキャアと熱い視線と声援を2人に向けるも、ゼラには言いたいことがあるようで。

 ……2人の想いが通じていることは、本当に喜ばしい。うさみもあんなに嬉しそうにして。……だけど……

 ゼラの思いを汲んだのは、、ピロンだった。

『ゼラ、言いたいことがあるのでは?』
「……ん? あぁ、まぁ。場の空気を乱しちゃ悪いから小声でな? どうにもこうにもむず痒くって。ああいうキザなやつってさ」
『でもミミリは好きそうですが。あのような茶番劇が』
「うおぉぉいっ! 茶番劇言うなよな? ……素敵だなとは俺も思うんだよ。けどいざ自分がアレと同じ振る舞いができるかというと、むず痒くって自信がないな」
『その点においては激しく同意致します。アレはアレ。コレはコレというヤツなのでしょう』

 ピロンの返答に、ゼラはクスリと笑ってしまう。

「俺、ピロンの竹を割ったような性格、良いと思うぜ。……また会おうなピロン姉ちゃん。姉ちゃんって呼ぶのは、恥ずかしいからここだけな?」

 ピロンのポップアップは、薄水色に変化して小刻みに震えた。

『――ご武運を、ゼラ。私の……憐れな弟分』
「『憐れ』は、一言余計だろ!」

 ――ピーッピッピ!

 やはり、ピロンはピロンのようだ。



「みなさん、身体にお気をつけて。ゼラくん、紳士として、うさみさんとミミリさんを守ってくださいね」
「……はい! くまゴロー先生も、ピロンもお元気で」
『ミミリ、うさみ姉様、ゼラ。これから続く貴方たちの冒険が最善となるよう、心よりお祈り申し上げます。ミミリ、応援していますよ』
「ありがとう、ピロンちゃん。くまゴロー先生も。いっぱいいっぱいありがとう。また、来るね!」

 憧れの人との別れの時。
 うさみは、ふるふると震えて言葉をなかなか出すことができない。
 ミミリはうさみを慮って、そっと優しく抱き上げた。そしてうさみに、優しく囁く。

「うさみ。私がついてるよ。頑張って……!」

 うさみはミミリのセーラー服の袖口をキュッと掴み、黒いビー玉の瞳をうるうる潤ませて、顔をあげて旅立ちを告げる。


「くまゴロー先生、それにピロン。行ってきます! また……必ず……会いましょう! その時はまた、『流しそうめん大会』、開催してよねん!」
「えぇ、喜んで」
『その時までには、私も飲食できるようになっているかもしれませんね。しがないポップアップ、されどポップアップ。私たちは皆、無限の可能性を秘めていますから』
 


 ――冒険の舞台は、まだ見ぬ世界へ。

 ミミリたちは一風変わったダンジョン、「審判の関所」を無事にクリアした。
 アルヒとミミリの両親、そしてスズツリー=ソウタに繋がる手がかりを求めて、『森のくま先生の錬金術士の錬成学校』を後にすべく、揃って一歩を踏みだーー

「「「行ってきま……エエエエエェェ‼︎」」」

 ーーそうと思ったら。 
 ミミリたちは、突如教室の床に現れた大きな暗闇の穴に足を掬われ、すっぽりと穴に落ちていった。

「うあああ!」
「「キャアアアァァ!」」

 暗闇のように見えた穴も、その内実は全く異なっていて。
 それは空に浮かぶ大きな虹のような、カラフルな色を放つ、長い長い滑り台。眩しすぎるほどに賑わい溢れるこの色も、ゼラのトラウマに配慮したものかもしれない。

「どんな冒険が待っているかわからないけど、すごくすごく、とっても楽しみ!」

 ミミリは勢いよく滑りながらも、まだ見ぬ世界へ想いを馳せた。

 ――そして、遠くの方から聞こえるくまゴロー先生とピロンの声に耳を澄ませる。


「『――ご武運を! 貴方たちの冒険を心より応援しています。……行ってらっしゃい!』」
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