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第3章 人と人とが行き交う街 アザレア

3-24 セカンドインパクトの中心でアザレアの復活を叫ぶ

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「できた、できたぜぇぇー!」

 店の奥の厨房で発せられたガウリの大きな声は、居酒屋食堂ねこまるの店内に響き渡る。
 ガウリはいてもたってもいられない様子で、酒造したての酒を入れた酒瓶をハイカウンターへのゴトンと置いた。

 
「ガウリさん、それが例の」
「汲みたての酒の名水で造られた酒……」
「歴史的瞬間だ、一口飲んでみたい」

 
 湧き上がる店内にて、ガウリは満面の笑みで拳を掲げる。

「もちろんだ! 一口ずつで悪いが、味わうぞ野郎共~!」
「「「「うおおおおおお!」」」」

 この熱気と声量は、アザレアの街中に響き渡るのではないかと思うほど。うさみは思わず、耳をたたんだ。

「気持ちはわかるけど、なんて大きな声なのかしら。まぁ、これぞ『冒険者たちの居酒屋』って感じね」


 そんな中、一見するとこの場所に似合わなそうで実はお似合いの酒豪ローデはスクッと立ち上がり、涼しげな顔でガウリに歩み寄った。

「アザレア史に刻まれる歴史的瞬間に立ち会える幸せ。私にも一口いただけますでしょうか」
「もちろんだ、ローデちゃん。酔い潰れたデイジーちゃんには悪いが、みんなで一斉に一口飲むか」
「光栄です」

 ガウリの言うとおり、酒乱デイジーは完全に酔い潰れていた。今彼女は、隣に座るバルディに完全に身体を預けている。美人のデイジーにもたれかかられるなんて名誉なことだとなのだろうが、泥酔しきった女性がなりふり構わず無意識で身体を預けてくるのだから、複雑なこと極まりない。
 バルディはデイジーの身体に手を添えて支えることもできず、困り顔でガウリを見ている。

「バルディには悪いが、もう少し我慢しててくれ。いつものようにコブシが迎えにくるだろ」
「ハイッ! 了解しました」

 責任感が優ってしまったバルディは、いつのまにか「公」モードに切り替わっていた。


 造りたての酒を一口味わうためハイカウンターに群がる客を見ながら、うさみはカウンターから投げ出した短い灰の足をぷらんぷらんと動かして遊ばせる。

「人間も大変よねぇ。うさぎも大変だけど……。

 ……大変! 大変よゼラ、もしやのまさか第二弾よ!」

「ええ?」

 うさみはゼラを見ながら店内の一角、錬金釜の前で何やら錬成を始めたミミリの方へ手を伸ばした。

 ミミリの白猫ワンピースのしっぽは、なにやらいつもと違った動きをしているような……。

「もしやのまさかだな、行こううさみ!」
「ええ!」
 
 うさみと同じく、事件の前触れ感じ取ったゼラは、うさみを抱き抱えてミミリの元へ向かっていった。

◆ ◆ ◆

「野郎共、準備はいいな?」
「もちろんだ」 「はい、ガウリさん」

 一同は一口ずつ入った新作の酒が入ったグラスを掲げてその時を待つ。

「新しい酒との出会いに。出会いをもたらしてくれたミミリちゃんたちに。そしてアザレアの更なる発展を祈念して。……乾杯!」
 
「「「「「乾杯!」」」」」

 それぞれが乾杯の合図とともにくいっと一気に飲み干した。

 ――口に含んだ瞬間に、世界は広がった。
 角がないまろやかさが舌の上を滑るよう。ゆるりとした含みを保たせて鼻腔を通り抜ける芳醇な酒の香りは、それだけで酔ってしまいそうだ。名残惜しさとともにゴクリと呑めば、追うように香りが鼻を優しく刺激する。そして驚くほどに円い喉越しは、それこそ喉から手が出そうなほどに追い求めたくなる。

「「「……」」」

 驚きのあまり言葉を無くしてしまった面々に、酒豪ローデは珍しく顔を赤らめて興奮気味に声を上げた。
 ――それは酔ったせいではなく、歴史的瞬間との邂逅を果たしたがゆえ。
 
「新たなアザレアの銘酒が、産まれましたね……!」

「野郎共! 祝杯だ!」

「「「「「うおおおおおお~!」」」」」

 
 ――居酒屋食堂ねこまるにて、本日、新たな銘酒が産声を上げた。



 
「バルディ~! ローデ~! ガウリ~! たす、助け……」

 ――喜び束の間。

 居酒屋の片隅で、事件は起きていた。

「おいおいおいおいおい! どうしたらそうなった! 説明しやがれ!」
「うさみさんの声がしたような気がしたのですが……」
「ゼラ、俺はお前をそんな弟に育てた覚えはないぞ……!」


 みんなの視線を集めるゼラは、顔を赤らめ、手の行き場を失って両手を上げている。

「いや、誤解なんです、ほんと。正直言って、嬉しいですけど……」

 ゼラの赤ら顔の原因――ミミリは、ゼラの膝の上に腰掛け、身体を完全にゼラに預けてすやすやと寝息を立てている。
 うさみはそんな2人を引き剥がそうと、間に挟まれおせんべいになっていた。

「ちゅぶ、つぶれ……りゅ……」

 
「説明は後で求めるとして、とにかくうさみちゃんを助けねえと」

 ガタイのいいガウリは、ゼラに歩み寄る。
 ただ焦りゆえか、その手には未だ酒瓶を持ったまま……。ガウリが歩くたびに、瓶に残った酒がチャポンチャポンと揺れている。

 
 ――チャポン、チャポン……。
 
「銘酒の音が聞こえます~」

 ――ゆらり。

「うまい、うますぎる」

 ――――ゆらり……。

「銘酒の音~」

 ――――――ゆらゆらり……。

 ガウリの酒瓶へ釣られるように、黒い影がゆらりと立ち上がった。一歩、また一歩と近づいていく……。

「新種のお酒の匂いがする~。お酒~! 銘酒をクダサイ~」

「うわあああああああああ!」

 ――――――。

 ――――。

 ――。

◆ ◆ ◆

 ――カランカラン!
 混乱を極める店内に、入店を告げる鐘の音。

「なんだか叫び声がしたんですけど、またうちのデイジーがなんかしてますか? いつもすみません、ガウリさん」
 
 新たな来店者――コブシは衝撃の場面に叫び声を上げた。

「コラアアアア! デイジーッ!」

 デイジーは立ったまま、酒瓶を一気飲みしていた。
 産声を上げたばかりのアザレアの銘酒は、無情にも酒乱……いや、酒でここまで豹変することができるならば最早――酒の神の使徒デイジーに飲み干されてしまった。

「ああ、俺の酒、アザレアの銘酒が……」

 ガウリは無念のあまり膝を折った。
 その場に居合わせる誰もがガウリに心を寄せ、憐憫の眼差しを送っている。

 そんなことなど気にすることもできないほどに酩酊している酒の使徒は、まるで大翼を広げるかのように両手を広げ、銘酒に酔いしれている。

「今までに味わったことがないような感覚……。私今なら、空も飛べそう」

「やめろデイジー! 恥の上塗りだぞッ!」

 必死で止めようとするコブシ。
 陶酔中のデイジー。
 項垂れるガウリ。
 ガウリに同情する人々。

 混乱を極める居酒屋食堂。
 その騒めきは街中に響き渡るかのよう。
 すやすやと寝息を立てていたミミリも、その騒音で目を覚まし、「ん~」と大きく伸びをした。

「あ、あれ? おはよう、ゼラくん」
 
「ミミリん、たしゅけて……ちゅぶ、つぶれ……」

「きゃああああああ! うさみっ! ごめんね、大丈夫うぅぅ~?」
「大丈夫と言いたいところだけど、私ぺしゃんこおせんべいなの。だからむぎゅっと押して整形しなおしてちょうだい~」

 むぎゅううううう~!

「あぎゅううう! 容赦ないプレス。好きよ、ミミりん……パタッ」
「うさみっ、うさみいぃー!」

「大丈夫だよ、ミミリ。うさみ今自分で『パタッ』って言ったからな」
「チッ‼︎ 私は今倒れゆくヒロインを演じてたのに」

「ふふ。うさみは可愛いね。……それにしても、すっごくざわざわしてるけど、みんなどうしたの?」

「それはね、ミミリ。デイジーが今、本日二度目の衝撃を与えたからよ。みんなビックリしてるわ」
「二度目の衝撃、『セカンドインパクト』ってヤツか……」
「うまいこと言うじゃない、ゼラ。アンタ、ネーミングセンスは光るモノがあるわよ」

 照れくさそうにお礼を言うゼラの横で、セカンドインパクトの中心にいるデイジーに釘づけになるミミリ。
 デイジーが広げる手とデイジーを止めようとするコブシの手が重なり、まるでデイジーの背から生える翼のように見える。

「デイジーさん、なんだか天使みたい……」
「天使っていうか、残酷な天使っていうか……。あれはもう、酒さえあれば何度も蘇る不死鳥みたいなもんでしょ」

 うさみの言葉を受けてゼラは思わず、ボソリと呟く。

「セカンドインパクトの中心で不死鳥デイジー蘇る……なんちゃって」

 うさみはゼラの呟きを引き継いで、同じくボソリと呟いた。

「落ちかけていたアザレアを蘇らせる銘酒、という意味にも掛けて、銘酒の名前は『フェニックス』で決まりね」

 成り行きで決まった、銘酒の名前。
 一部始終を知らない者からは、稀代の銘酒に相応しい名前であると、賞賛を受けるに違いない。

◆ ◆ ◆

「ごめんなさい~……。私、全然記憶には無いんですけど、兄に頭から水を被せられて少し正気に戻りました。そして、うさみちゃん、乾かしてくれてありがとうございます」
「ご迷惑をおかけしました。行くぞ! デイジー」
「はいぃ」

 酒の神の使徒デイジーは、羽ばたかんとする寸前で「いい加減にしろー」とブチ切れたコブシに頭から水をかけられ我に返ったのだ。

 今、コブシとデイジーは各テーブルを回って、謝罪行脚をしているところ。
 その姿がとても他人事に思えないミミリは、苦しそうに胸を押さえて深々と頭を項垂れる。

「ううう。私も、ごめんなさい……。錬成途中で酔っちゃったみたいで。酒の名水を錬成する時には、マスクをつけるようにします」
「ほんとよ、ミミリ。心配するんだからね? おかげでラッキーハプニングを味わってたゼラは、少~し残念でしょうけど」
「ちょちょちょ! 滅多なこと言わないでくれよな⁉︎ ま、まぁ、……否定しないけど……」

 騒動にも顔色を変えなかったローデはクスリと笑って、ミミリを励ますためにも話題を変える。

「そういえば、何を錬成してたんですか? とても興味深いです」
「実は、お酒を使ってサッパリしたデザートを作れないかなぁって……。良かったら、みなさんも食べてみてください」

 ミミリは【マジックバッグ】に保管していた作りたての錬成アイテムを全員に配って歩いた。

 ――見た目は美味しそうなシャーベットのよう。
 酒で酔った身体が喜びそうな逸品だ。

 ローデは全員を代表し、先陣を切って一口食べた。

「お、美味しい……」

 シャーベットとは少し違ったような、ミルクが強い濃厚なアイス。噛むとジュワッとお酒が染み出るレーズンがいいアクセントになっている。

「ミミリちゃん、これは……」
「はい、お酒でつけたレーズンを混ぜて作ったジェラートです。美味しいですか?」
「ええ、とっても」

 にこやかに微笑むローデを見て、銘酒を失ったガウリもスプーンを握る気になり、口に運んでみる。
 
 すると――

「なななんだこりゃあ! 1日で2種類の名産と出会えるなんて」
 
 ――目を輝かせて、ガウリはたちまち元気になった。

 その姿を見て、ミミリたちは思わず笑顔になる。

 
 ――居酒屋食堂ねこまるにて産まれた銘酒『フェニックス』と【酒漬けレーズンの冷んやりジェラート】。
 この2つは、アザレアの街に打ち上がる改革の花火の火付け役となったのだった。


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