ワンライまとめ

雫川サラ

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燃え上がるのも時間の問題

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 そのキャンプ場から見える夜景に気づいたのは、ほんの偶然だった。
 地元の人くらいしか知らないような、小さなオートキャンプ場。別に熱心なソロキャンパーでもない俺が週末そこへ通うようになったのも、近所の店に置いてあった地元紙の隅っこに載っていた紹介記事に目が止まり、なんとなく行ってみたくなった、それだけだ。
 もっと本格的にやりたい人はもっと本格的な場所へ行くんだろうが、ただ山の中腹に車を止めて、ビルやアスファルトや車の騒音のない、土と木しかない空間で息をする、それで俺には十分だった。
「須藤くん、ちょっと焼けたね! アウトドアとかやってるの?」
「ああいや、そんな大層なものじゃないですよ。ちょっと近場に小さいオートキャンプ場があって、最近たまに行ってるだけです」
「えーすごい! 最近流行ってるよねー。キャンプご飯の動画とか私もたまに見てていいなーって思うんだけど、なかなかハードル高くてさあ」
 正直、会社で自分からこういう話をするのは得意じゃない。大体大袈裟な話になるし、その割に誰もそこまで興味がないのが分かるから。なぜ興味もない他人の私生活の話を聞き出したがるのか俺には分からなかった。
「でも、須藤くんそういうのあんまりイメージなかったかも。お休みの日に何してるのかちょっと謎なタイプだったんだよね。そういう意味では、佐伯さんと同じ……」
「ん? 僕がなんだって?」
 佐伯さんの名前が出て、俺は咄嗟に感情を顔から引っ込めた。そのタイミングで、話していた先輩の後ろから本人がにゅっと顔を出したものだから、心臓がどうかなるかと思った。
「わ、佐伯さん! もう~心臓に悪いですよう~。別に悪口じゃありません!」
「本当かな? そっちの君は須藤くん、だっけ? 固まってるけど、大丈夫?」
 推し、という概念がもし俺にもあるとしたら、きっと目の前にいる人がそうだ。
 サラサラの髪の毛は適度に色が入っていておしゃれ。めちゃくちゃ高級品ってわけでもないらしいのに(同期からこっそり聞き出した)、佐伯さんが着ているシャツやスーツはどれもセンスが良くて、均整のとれた佐伯さんの身体を一層引き立てている。少し垂れ目気味の目はいつも優しく笑っていて、当然うちの職場でも男女を問わずファンが非常に多い。
 佐伯さんは私生活の話は一切しないのでも有名で、彼女は絶対いるだろうけど誰が探りを入れても華麗にかわされてしまうという。そんな下世話な探りを入れる人の気が知れないが、そういう徹底したところも人気の理由の一つだと思う。アイドルも顔負けの情報管理だ。
 憧れ、というにはもっと強い感情だし、好きな人、というにはあまりに恐れ多い。目の前にいるだけで意識が遠のきそうだから、一〇〇メートルくらい離れたところから、同じ空気を吸っていることに感謝していたい、そんな存在。
「だ、大丈夫ですっ! お、俺、そろそろ戻ります……っ!」
 だから社内でそういう話をしたくなかったんだ。推しに認知されたくないタイプのオタクである俺は、涙目でその場を逃げ出した。

 俺の小型車は車中泊には不向きだし、テントを買ってまでという気にもならなかったから、そこから見える夜景に俺が気づいたのは、通い始めてからしばらく経ってからだった。
「こっちの方、人が歩いたっぽい獣道はあるけど……何かあんのかな?」
 工事の関係で、いつもの駐車スペースを使えず車をちょっと離れたところに停めていて、いつもは通らないところを通った。その時、道と呼べるほど整備されてはいないが確かに誰かが通ったあとが木々の中へと続いているのを見つけた。
 ――別にものすごい山奥なわけでもないし、ちょっと行ってみよう。
 もう日は暮れていたから、俺にしてはかなり大胆な行動だったと思う。懐中電灯がわりにスマホのライトを照らして、進んで行った先に、その光景はあった。
「うわ、すげえ……!!」
 足元を照らしていたスマホライトを消すのも忘れて、俺は目の前に広がった景色に声を上げた。
 見事な夜景だった。俺の住んでいる街を一望できる場所がこんなところにあったなんて。この獣道を作ってくれた誰かもきっと、俺と同じように歓声をあげたに違いない。
 その日以降、俺は帰る時間を少し伸ばして、日が暮れたら夜景スポットへ椅子を持って移動して、焚き火も灯りもなしで夜景を眺めるようになった。こんな感傷的な自分は、誰にも知られたくない。人が通った形跡はあったのに、俺が来るようになってからこの場所で他の人と鉢合わせたことがないのが不思議だけれどありがたかった。
「ああ、もうこんな時間か……」
 こんな場所でも電波があるのが少し恨めしい。スマホに届いた通知で時刻を知り、俺はその日も堪能していた景色を名残惜しく眺めながら、立ち上がった。その時、背後から木の枝を踏み締める足音がした。
 振り向いた俺の目に入ってきたのは、懐中電灯もなしに歩いてくる人影。その顔はどうしたって見間違えようのないものだった。
「え……佐伯、さん……?」
 どうして、なんで、佐伯さんがここに。
 混乱と動揺で動けない俺に、私服の佐伯さんがにこりと笑みを向けた。
「さ、佐伯さんも、キャンプとか、するんですね……」
 立ったままというわけにもいかず、急いで荷物と椅子を持ってメインの広場へと戻り、佐伯さんの設営していたスペースにお邪魔する。
 パチパチと爆ぜる焚き火を見つめていると目が痛くなってくるけれど、佐伯さんの方は絶対に見られないんだから仕方ない。どういう風の吹き回しでこうなったんだ。俺はきっと今一生分の運をここで使い果たしていて、帰りに事故死とかするんじゃないだろうか。
 佐伯さんは会社で見るよりずっと穏やかでリラックスしていて、会社でのあの華やかな空気感は一種の武装なんだなと思った。しかしそんな素の佐伯さんを一介のモブである俺なんかが知っちゃいけないと思う。心臓が今にも口から出そうで、さっきから自分が何を話しているのか全く分からない。
「うん、最近忙しくてなかなか来れてなかったんだけど、前はちょくちょく来てた。俺の気になってる子がね、ここに来るのが好きだって言ってるのを聞いてね。じゃあ久しぶりに来てみるかなって」
「なるほ……ん?」
「ん?」
 頭が回っていないのが自分でもわかる。その言葉の意味を聞きたいけど、何気なく見上げた佐伯さんの目は笑いながらもしっかり俺の方を見ていて、言葉が喉で詰まってしまった。
 焚き火は風を孕んで勢いを増し、まるで俺の心の中みたいだ。目が逸らせない俺の心にも、消せない炎が点ってしまったのかも知れなかった。

   ーーー

第75回 お題「夜景」「恋の炎」
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