9 / 18
音大生(湊×怜音)
お前の一番になりたい
しおりを挟む
風呂から出て、怜音はごろりとベッドに横になった。
明日の課題曲のおさらいをしようと、譜面とスマホを並べてみるが、集中できない。耳が、今頃防音室で練習をしているだろう湊のチェロの音を探して意識がそちらに行ってしまうのだ。
怜音と湊は高校に上がってすぐ、夏の避暑地で開催される音楽祭で出会った。怜音がピアノ、湊はチェロで、それぞれが師事している先生が偶然同じ音楽祭に参加していた。
他にも似たような年齢の参加者がいる中で、たまたま昼食どきに怜音から声をかけたのが湊だった。不思議なほどに意気投合し、地元も近かったことから、それ以降頻繁に連絡を取り合い、レッスンの合間を縫って高校生らしく遊びに出かけたりもした。
音大を目指す仲間が周りに湊しかいなかった怜音は、湊と同じ目標であることだけを支えに懸命に努力し、無事志望校合格をもぎ取った。
「おう、久しぶり。部屋、もう決めた?」
数ヶ月ぶりに会う湊と辛く厳しい受験期間を乗り切った喜びをひとしきり分かち合った後、話は具体的な来年度からの生活に移る。怜音も湊も実家からは通えない距離なので、一人暮らしをすることは決まっていた。
「いやー、まだ。ってか、防音室のあるマンションてたっけーのな……」
薄々覚悟はしていたが、いざ実際に賃貸情報を見ると、一般的な学生向けマンションの二倍近い家賃が相場だった。こんな金額バイト代だけで賄えるとは到底思えない。
「それなあ。でさー、俺、考えてたんだけど。怜音さえ良ければ、ルームシェアしない?」
「ルームシェア??」
海外ドラマでしか見たことない、おしゃれなやつ、というイメージしかなかった単語が湊から出て、怜音は目を丸くした。
「そうそう。ばらばらに一部屋ずつ借りるより、個室二つと防音室がある部屋を二人で借りた方が安く上がりそうでさ。たとえばここ」
そう言って湊が見せてくれた物件は、確かに二人で折半すれば同じような立地の防音室つきマンション一部屋よりも家賃が安い。
「本当だ……」
目を輝かせる怜音に、湊もつられて笑いながら言った。
「じゃあ決まりな!」
実際にルームシェアを始めてみたら、思いもよらないことはたくさんあった。ゴミ出しや洗濯、掃除当番でひと揉めあったり、経費節約のため基本自炊と決めたはいいが食費の管理や買い出しなど、それまで経験しなかったことで小さな喧嘩は何度もした。
それでも、それ以上に、同年代で目標や価値観の似た人間と一緒に過ごす楽しさは、一人っ子の怜音にはとても新鮮で、くすぐったくて、居心地がいい。だからルームシェアを解消しようとは一度も思わなかった。
彼女ができたら家には連れてこられないよなー、とうっすら思っていたことも、杞憂であることがすぐ判明した。授業とレッスンと課題の練習とバイトで毎日が飛ぶように過ぎていく。たまに連絡を取り合う地元の同級生たちから誰と誰が付き合っただの合コンしただのという話を聞くと寂しさを覚えないわけではなかったけれど、下手な彼女と付き合うより湊といる方がよっぽどいい、と思っていたのもまた事実だった。
「あー、だめだ、集中できね」
譜面を閉じ、スマホだけ持って怜音はリビングに向かう。防音室のドアの前を通ると微かなチェロの旋律が聞こえてきて、落ち着くような、それでいて心が少しそわそわと浮き立つような、不思議な気持ちになる。
冷蔵庫から飲み物を出し、ソファに寝そべってスマホをいじっていると、やがてドアが開く音がして、足音が近づいてきた。
「怜音、寝てなかったのか」
湊も飲み物を取って、怜音の占領しているソファの端にどさりと腰掛ける。
「明日、課題の発表だろ。集中できなくて気分転換か?」
ほら、こうして何も言わなくても、湊にはお見通しなのだ。両親含めた他の誰よりも、湊は自分のことを分かっていると怜音は思う。この居心地の良さが、最近、どうにも始末が悪い。
「んー」
あまり甘えすぎると、よくない気がして、怜音は何も言わずに起き上がった。
「弟が、今年受験でさ」
コップを片方に、何気なく湊が言う。湊に弟がいるのは知っていたが、日頃あまり話題には登らないので湊の方からこうして口にするのは珍しかった。
「集中できなくて夜中にごそごそ降りてきて冷蔵庫あさってるって、親が言ってて。なんか今のお前見てて重なったわ」
「はは」
ネタとして話してくれているのは分かるから、湊に合わせて怜音も力なく笑う。けれど、内心はどうしてかムカムカする。
——弟と、俺と、どっちが……いや、何考えてんだ俺。
湊は友人だ。お互い同じ課に知り合いや親しく話す人はいても、それとは別格だと思っている。互いに好き嫌い、考え方、この先のことを話すような相手は、少なくとも怜音にはいない。
——でも、湊は違うんだろうか。
弟や、他にもバイト先の先輩や、弦楽器仲間……自分に言わないだけで、自分といるより居心地が良かったり、楽しかったりする人がいるんだろうか。
「……」
そう思ってしまう自分に、怜音は自分で引いた。こんなの、独占欲だ。ただの友人に独占欲とか嫉妬っておかしいだろう、と思う。
うまく、自分のことがわからない。
黙りこくってしまった怜音の頭に、ぽん、と手のひらが乗っかった。
「え」
「あ、ごめん。つい癖で。弟によくしてやってたから……」
「……っ! ごめん、俺、もう寝るわ」
扱いきれない感情が爆発しそうで、それだけ言って怜音はバタバタとリビングを逃げ出した。
——うあー、最悪……。
謝らなければ、と思うのに、うまく謝れそうな気がしないし、下手なことをすると湊から避けられそうで、それはもっと辛い。
——ちゃんと伝えなきゃダメだよな……。でも、なんて? 撫でられたりするのは別に嫌じゃない。でも弟に似てるからって言うのはやめてくれって?
突き詰めれば、何においても湊が一番頼れて、居心地のいい相手で、一緒にいたいと思われる存在でありたい、と思っていることに薄々気づいてはいる。でもそれを認めてしまったら何か取り返しのつかないことになる気がして、ぼすんと怜音は枕に突っ伏した。
答えの出ない感情の渦の中へ沈み込むようにして、いつしか怜音は眠りに落ちていった。
ーーー
第81回 お題「ブロマンス」「恋人未満」
明日の課題曲のおさらいをしようと、譜面とスマホを並べてみるが、集中できない。耳が、今頃防音室で練習をしているだろう湊のチェロの音を探して意識がそちらに行ってしまうのだ。
怜音と湊は高校に上がってすぐ、夏の避暑地で開催される音楽祭で出会った。怜音がピアノ、湊はチェロで、それぞれが師事している先生が偶然同じ音楽祭に参加していた。
他にも似たような年齢の参加者がいる中で、たまたま昼食どきに怜音から声をかけたのが湊だった。不思議なほどに意気投合し、地元も近かったことから、それ以降頻繁に連絡を取り合い、レッスンの合間を縫って高校生らしく遊びに出かけたりもした。
音大を目指す仲間が周りに湊しかいなかった怜音は、湊と同じ目標であることだけを支えに懸命に努力し、無事志望校合格をもぎ取った。
「おう、久しぶり。部屋、もう決めた?」
数ヶ月ぶりに会う湊と辛く厳しい受験期間を乗り切った喜びをひとしきり分かち合った後、話は具体的な来年度からの生活に移る。怜音も湊も実家からは通えない距離なので、一人暮らしをすることは決まっていた。
「いやー、まだ。ってか、防音室のあるマンションてたっけーのな……」
薄々覚悟はしていたが、いざ実際に賃貸情報を見ると、一般的な学生向けマンションの二倍近い家賃が相場だった。こんな金額バイト代だけで賄えるとは到底思えない。
「それなあ。でさー、俺、考えてたんだけど。怜音さえ良ければ、ルームシェアしない?」
「ルームシェア??」
海外ドラマでしか見たことない、おしゃれなやつ、というイメージしかなかった単語が湊から出て、怜音は目を丸くした。
「そうそう。ばらばらに一部屋ずつ借りるより、個室二つと防音室がある部屋を二人で借りた方が安く上がりそうでさ。たとえばここ」
そう言って湊が見せてくれた物件は、確かに二人で折半すれば同じような立地の防音室つきマンション一部屋よりも家賃が安い。
「本当だ……」
目を輝かせる怜音に、湊もつられて笑いながら言った。
「じゃあ決まりな!」
実際にルームシェアを始めてみたら、思いもよらないことはたくさんあった。ゴミ出しや洗濯、掃除当番でひと揉めあったり、経費節約のため基本自炊と決めたはいいが食費の管理や買い出しなど、それまで経験しなかったことで小さな喧嘩は何度もした。
それでも、それ以上に、同年代で目標や価値観の似た人間と一緒に過ごす楽しさは、一人っ子の怜音にはとても新鮮で、くすぐったくて、居心地がいい。だからルームシェアを解消しようとは一度も思わなかった。
彼女ができたら家には連れてこられないよなー、とうっすら思っていたことも、杞憂であることがすぐ判明した。授業とレッスンと課題の練習とバイトで毎日が飛ぶように過ぎていく。たまに連絡を取り合う地元の同級生たちから誰と誰が付き合っただの合コンしただのという話を聞くと寂しさを覚えないわけではなかったけれど、下手な彼女と付き合うより湊といる方がよっぽどいい、と思っていたのもまた事実だった。
「あー、だめだ、集中できね」
譜面を閉じ、スマホだけ持って怜音はリビングに向かう。防音室のドアの前を通ると微かなチェロの旋律が聞こえてきて、落ち着くような、それでいて心が少しそわそわと浮き立つような、不思議な気持ちになる。
冷蔵庫から飲み物を出し、ソファに寝そべってスマホをいじっていると、やがてドアが開く音がして、足音が近づいてきた。
「怜音、寝てなかったのか」
湊も飲み物を取って、怜音の占領しているソファの端にどさりと腰掛ける。
「明日、課題の発表だろ。集中できなくて気分転換か?」
ほら、こうして何も言わなくても、湊にはお見通しなのだ。両親含めた他の誰よりも、湊は自分のことを分かっていると怜音は思う。この居心地の良さが、最近、どうにも始末が悪い。
「んー」
あまり甘えすぎると、よくない気がして、怜音は何も言わずに起き上がった。
「弟が、今年受験でさ」
コップを片方に、何気なく湊が言う。湊に弟がいるのは知っていたが、日頃あまり話題には登らないので湊の方からこうして口にするのは珍しかった。
「集中できなくて夜中にごそごそ降りてきて冷蔵庫あさってるって、親が言ってて。なんか今のお前見てて重なったわ」
「はは」
ネタとして話してくれているのは分かるから、湊に合わせて怜音も力なく笑う。けれど、内心はどうしてかムカムカする。
——弟と、俺と、どっちが……いや、何考えてんだ俺。
湊は友人だ。お互い同じ課に知り合いや親しく話す人はいても、それとは別格だと思っている。互いに好き嫌い、考え方、この先のことを話すような相手は、少なくとも怜音にはいない。
——でも、湊は違うんだろうか。
弟や、他にもバイト先の先輩や、弦楽器仲間……自分に言わないだけで、自分といるより居心地が良かったり、楽しかったりする人がいるんだろうか。
「……」
そう思ってしまう自分に、怜音は自分で引いた。こんなの、独占欲だ。ただの友人に独占欲とか嫉妬っておかしいだろう、と思う。
うまく、自分のことがわからない。
黙りこくってしまった怜音の頭に、ぽん、と手のひらが乗っかった。
「え」
「あ、ごめん。つい癖で。弟によくしてやってたから……」
「……っ! ごめん、俺、もう寝るわ」
扱いきれない感情が爆発しそうで、それだけ言って怜音はバタバタとリビングを逃げ出した。
——うあー、最悪……。
謝らなければ、と思うのに、うまく謝れそうな気がしないし、下手なことをすると湊から避けられそうで、それはもっと辛い。
——ちゃんと伝えなきゃダメだよな……。でも、なんて? 撫でられたりするのは別に嫌じゃない。でも弟に似てるからって言うのはやめてくれって?
突き詰めれば、何においても湊が一番頼れて、居心地のいい相手で、一緒にいたいと思われる存在でありたい、と思っていることに薄々気づいてはいる。でもそれを認めてしまったら何か取り返しのつかないことになる気がして、ぼすんと怜音は枕に突っ伏した。
答えの出ない感情の渦の中へ沈み込むようにして、いつしか怜音は眠りに落ちていった。
ーーー
第81回 お題「ブロマンス」「恋人未満」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる