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第2章 淡い芽吹き
7話 知りたいけど知りたくない
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一方、黙り込んだ蘇芳の複雑な心中をどうやら原因不明の不機嫌として受け取ったらしい鉄郎が、場を取り繕うように話をし始める。
「蘇芳だって、人気があるじゃないか。角の紺屋の源さんとか、あと、この前みよし屋の番頭の吾郎さんも、蘇芳のことをいつも礼儀が正しいって褒めていたし」
鉄郎が名を挙げた人たちのことは、蘇芳もよく知っていた。皆、店の常連であり、蘇芳のことを子や孫のように可愛がってくれている。身寄りがない蘇芳を、町の皆が親代わりのように気にかけてくれているのを、蘇芳は暖かくありがたく感じていた。自分があやかしの血を引いていることを、忘れている時間がだんだん長くなってきている。
——ここでの暮らしは、好きだ。
近頃は、このままここで死ぬまで暮らすのも悪くない、とさえ思うこともある。
ただ、今蘇芳がむくれているのは、そういうことではなかった。分かっていないのか、分かっていてはぐらかしているのか分からない鉄郎の態度に、蘇芳は苛立ちを隠せずにつっけんどんな物言いになってしまう。
「そうじゃないよ……鉄郎の言うのはみんな、俺の父ちゃんや爺ちゃんくらいの男の人たちじゃないか」
「……蘇芳は、若い衆に好かれたいのか? それとも若い女に?」
鉄郎の言い回しが、ほんの少しだけ変わった。
さっきまでと違い、明らかに蘇芳の言いたいことを分かって言っているのだと分かる。
そこまであからさまな話をするつもりでもなかった蘇芳は、返答に困って俯いた。
蘇芳も年頃の男子に数えられるようになり、店に来る若い客の態度に、もしかしたら、と思うことがないわけではない。だけれど、肝心の蘇芳自身に、いわゆる恋心というものがよく分かっていなかった。十から十五までをミソラと二人で過ごしていたのも、大きかったのかもしれない。
十五も過ぎれば、大体の子どもたちはもうそういう経験の二つ三つを通過しているものだ。今更「恋とはどういうものかしら」などという幼稚な問いを口にするのは憚られた。
——一緒にいて楽しい、一緒にいたい、と思うのがそうなら、俺にとっては……
その先を考えるのはなんだか恐ろしいように思われて、蘇芳は鉄郎に意識を戻した。
「そういうお前はどうなんだよ」
なんだか、探りを入れるような言い方になった。
知りたいような、知りたくないような、複雑な気持ちがする。鉄郎のような青年を、町の女性たちが放っておくわけないことくらい、蘇芳にだってわかる。
——もしかして、もう決まったひとがいると言われたら、どうしよう。
聞いておいて、怖くて返事を聞きたくなかった。
鉄郎は蘇芳の言葉に、なぜか神妙な面持ちになる。その表情に、蘇芳はもののはずみでもこんなことを聞いたのを後悔した。
「やっぱり、」
「まあ、……いいなと思っている人なら、」
やめよう、と言おうとしたが、間に合わなかった。
一番聞きたくなかった言葉を、聞いてしまった。
「えっ」
聞かなかったことにしたい気持ちより、衝撃が勝ってしまって、思わず思い切り鉄郎の顔を見つめた。
鉄郎は、見たことのない顔をしていた。少しはにかんだ、くすぐったそうな、それでいて、嬉しくてたまらないのを懸命に我慢しているような顔。
急に、鉄郎が遠く感じた。言葉が出なかった。そして一拍置いて、自分がなぜそんなに鉄郎の言葉に落ち込むことがあるのか、蘇芳はそれにまた底知れない不安を覚えた。
——ええと、こういう時、仲のいい友達なら、なんて言うのかな……
心と頭がちぐはぐになったような、自分でも自分がどうなっているのかうまく分からないまま、蘇芳は懸命に言葉を探した。
「そ、そうなのか! 応援してるよ!」
思ったより大きい声が出て、恥ずかしさに逃げ出したくなる。
鉄郎は呆気に取られたような顔をしたあと、なぜか少し無理に笑ったような気がした。
「それ、飲んだら出ようか」
いたたまれない空気が、鉄郎の明るく、けれど落ち着いた声でふっと元通りになる。同時に、通りの喧騒がどっと耳に入ってきた。
あわてんぼうで、空回りしているのが自分だけであるようで、鉄郎の大人びた態度と比べて惨めな気持ちになりそうな心を叱咤し、蘇芳はぬるくなってしまった茶を飲み干した。
「蘇芳だって、人気があるじゃないか。角の紺屋の源さんとか、あと、この前みよし屋の番頭の吾郎さんも、蘇芳のことをいつも礼儀が正しいって褒めていたし」
鉄郎が名を挙げた人たちのことは、蘇芳もよく知っていた。皆、店の常連であり、蘇芳のことを子や孫のように可愛がってくれている。身寄りがない蘇芳を、町の皆が親代わりのように気にかけてくれているのを、蘇芳は暖かくありがたく感じていた。自分があやかしの血を引いていることを、忘れている時間がだんだん長くなってきている。
——ここでの暮らしは、好きだ。
近頃は、このままここで死ぬまで暮らすのも悪くない、とさえ思うこともある。
ただ、今蘇芳がむくれているのは、そういうことではなかった。分かっていないのか、分かっていてはぐらかしているのか分からない鉄郎の態度に、蘇芳は苛立ちを隠せずにつっけんどんな物言いになってしまう。
「そうじゃないよ……鉄郎の言うのはみんな、俺の父ちゃんや爺ちゃんくらいの男の人たちじゃないか」
「……蘇芳は、若い衆に好かれたいのか? それとも若い女に?」
鉄郎の言い回しが、ほんの少しだけ変わった。
さっきまでと違い、明らかに蘇芳の言いたいことを分かって言っているのだと分かる。
そこまであからさまな話をするつもりでもなかった蘇芳は、返答に困って俯いた。
蘇芳も年頃の男子に数えられるようになり、店に来る若い客の態度に、もしかしたら、と思うことがないわけではない。だけれど、肝心の蘇芳自身に、いわゆる恋心というものがよく分かっていなかった。十から十五までをミソラと二人で過ごしていたのも、大きかったのかもしれない。
十五も過ぎれば、大体の子どもたちはもうそういう経験の二つ三つを通過しているものだ。今更「恋とはどういうものかしら」などという幼稚な問いを口にするのは憚られた。
——一緒にいて楽しい、一緒にいたい、と思うのがそうなら、俺にとっては……
その先を考えるのはなんだか恐ろしいように思われて、蘇芳は鉄郎に意識を戻した。
「そういうお前はどうなんだよ」
なんだか、探りを入れるような言い方になった。
知りたいような、知りたくないような、複雑な気持ちがする。鉄郎のような青年を、町の女性たちが放っておくわけないことくらい、蘇芳にだってわかる。
——もしかして、もう決まったひとがいると言われたら、どうしよう。
聞いておいて、怖くて返事を聞きたくなかった。
鉄郎は蘇芳の言葉に、なぜか神妙な面持ちになる。その表情に、蘇芳はもののはずみでもこんなことを聞いたのを後悔した。
「やっぱり、」
「まあ、……いいなと思っている人なら、」
やめよう、と言おうとしたが、間に合わなかった。
一番聞きたくなかった言葉を、聞いてしまった。
「えっ」
聞かなかったことにしたい気持ちより、衝撃が勝ってしまって、思わず思い切り鉄郎の顔を見つめた。
鉄郎は、見たことのない顔をしていた。少しはにかんだ、くすぐったそうな、それでいて、嬉しくてたまらないのを懸命に我慢しているような顔。
急に、鉄郎が遠く感じた。言葉が出なかった。そして一拍置いて、自分がなぜそんなに鉄郎の言葉に落ち込むことがあるのか、蘇芳はそれにまた底知れない不安を覚えた。
——ええと、こういう時、仲のいい友達なら、なんて言うのかな……
心と頭がちぐはぐになったような、自分でも自分がどうなっているのかうまく分からないまま、蘇芳は懸命に言葉を探した。
「そ、そうなのか! 応援してるよ!」
思ったより大きい声が出て、恥ずかしさに逃げ出したくなる。
鉄郎は呆気に取られたような顔をしたあと、なぜか少し無理に笑ったような気がした。
「それ、飲んだら出ようか」
いたたまれない空気が、鉄郎の明るく、けれど落ち着いた声でふっと元通りになる。同時に、通りの喧騒がどっと耳に入ってきた。
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