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第5章 夢でも、幻でもない
2話 噛み合わない会話
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蘇芳は蘇芳で、過ちを犯さずに済んでよかった、と安心すべきだろうと分かっていて、どうしてそう言い切れるのかという疑問と共に、うまく割り切れない何か妙な感覚にも囚われている。
何から言えばいいか、蘇芳は途方にくれた。色々な順番を飛ばして、肌を合わせてしまうなんて。今更ずっとあなたに会いたかったと言うにはもう機を逸してしまったように思われた。
「とにかく、まあ、なんだ、これは事故みたいなもんで——」
「あの!」
こちらに怪我や不調が見られないことを見届けたら、とっととここから去るつもりだったのだろう。立ちあがろうとするあやかしに、蘇芳は咄嗟にその言葉を遮った。
とにかく何か言わねばと、口を開く。
「あの……ありがとう、ございました」
随分間抜けな物言いだと言ってから自分で思う。
とはいえ、状況が状況ではあったけれど、助けてもらったことには間違いない。あのまま放っておいたら自分は今頃どうなっていたかわからない。それに、行きがかり上とはいえ、見ず知らずの自分と肌を合わせるなど、望まぬ行為を強いた可能性も否定できなかった。
蘇芳の言葉に、あやかしが妙な顔で動きを止め、座り直すのを見届け、蘇芳はひとまずほっと胸を撫で下ろす。
聞きたいことは、山ほどある。あなたは誰なのか、ミソラとの関係は、町にいたのは……。
「あなたは……」
そう言いかけて、蘇芳はまだこのあやかしの名さえ知らないことに気づいて口をつぐんだ。
「……晴弥だ」
顔に出ていたのか、あやかしが名乗る。
「晴弥……」
噛み締めるように、口にする。名を名乗った程度でそれで相手を縛るほどの力がこちらにないと見抜かれてのことなのかもしれないが、蘇芳は素直に嬉しかった。
「礼を言われるようなことはしていない」
醒めた声が投げつけられ、蘇芳はハッと顔をあげる。苦々しい表情に、やはり決して望んでしてくれたわけではないのだと、膝の上で手を握りしめた。
「ごめん、なさい」
迷惑だったのだとはっきり言われないだけ、マシなのかもしれない。きっと、情けをかけられたのだ、同じあやかしの血を引くものとして。そうでなければ、眠っている間もずっと側にいてくれた理由の説明がつかない。
それに、この匂い。蘇芳は、鼻がきくことにかけては自信があった。
「前も、助けてくださいましたよね」
自分がずっと肌身から離さなかった、あの麻布の匂い。目の前の晴弥からはそれと同じ、けれどずっと濃い匂いがしている。清々しさの中に、脳を蕩かすような甘さの混じった、他にはない香りだ。間違いようがない。
また世話をかけてしまったことについては、申し訳なく思う。けれど、二度までも、晴弥が居合わせなければ自分はどうなっていたか分からない窮地を救ってくれた。
「ごめんなさい、でも、俺は、嬉しかっ」
「お前、俺に何をされたのか分かってんのか」
びりびりと肌を刺すような声で遮られ、蘇芳は言葉を詰まらせる。何に、そんなに怒っているのだろう。嫌だったのなら、捨て置いてくれればよかったのに。俺は嬉しかったのだと、助けてくれてありがとうと伝えたいだけなのに。歓迎されると期待していたわけではなくても、こんなに険悪な状況になるなんて、蘇芳は思いもしていなかった。喉が詰まって、目頭が熱くなる。
黙って俯いてしまった蘇芳に、晴弥は喉で唸って頭をガシガシと掻いた。
「あー、なんでお前がそうなるんだよ……俺に食ってかかってもおかしくない状況だろう」
——ん? ああ、そうか、まあ普通はそう……なのかな?
自分が女で、山に一人でいるところを得体の知れない男に連れ去られ無体を強いられたなら、確かにそうだろう。けれど、自分が置かれていた状況はそれとはだいぶ異なる。望んで求めたし、第一あのままでいたら、自分はどうなっていたかわからなかった。行為自体はそうかもしれないが、蘇芳にとって、助けてもらったことに変わりはない。
晴弥がまた表情を変え、今度は苛立ちを滲ませる。
「それともあれか? お前、誰でもいいから抱かれたかったクチか」
言われたことを、蘇芳は一瞬理解できなかった。空白が訪れ、ついで感情がいくつも一気に頭に登ってうまく整理できない。
そうじゃない。そんなわけない。なぜそんなことを言われなければならないのか、信じられなくて、目の奥が熱くなった。
「どうして、そんなこと……」
掠れた声で、そう言うのがやっとだった。
何から言えばいいか、蘇芳は途方にくれた。色々な順番を飛ばして、肌を合わせてしまうなんて。今更ずっとあなたに会いたかったと言うにはもう機を逸してしまったように思われた。
「とにかく、まあ、なんだ、これは事故みたいなもんで——」
「あの!」
こちらに怪我や不調が見られないことを見届けたら、とっととここから去るつもりだったのだろう。立ちあがろうとするあやかしに、蘇芳は咄嗟にその言葉を遮った。
とにかく何か言わねばと、口を開く。
「あの……ありがとう、ございました」
随分間抜けな物言いだと言ってから自分で思う。
とはいえ、状況が状況ではあったけれど、助けてもらったことには間違いない。あのまま放っておいたら自分は今頃どうなっていたかわからない。それに、行きがかり上とはいえ、見ず知らずの自分と肌を合わせるなど、望まぬ行為を強いた可能性も否定できなかった。
蘇芳の言葉に、あやかしが妙な顔で動きを止め、座り直すのを見届け、蘇芳はひとまずほっと胸を撫で下ろす。
聞きたいことは、山ほどある。あなたは誰なのか、ミソラとの関係は、町にいたのは……。
「あなたは……」
そう言いかけて、蘇芳はまだこのあやかしの名さえ知らないことに気づいて口をつぐんだ。
「……晴弥だ」
顔に出ていたのか、あやかしが名乗る。
「晴弥……」
噛み締めるように、口にする。名を名乗った程度でそれで相手を縛るほどの力がこちらにないと見抜かれてのことなのかもしれないが、蘇芳は素直に嬉しかった。
「礼を言われるようなことはしていない」
醒めた声が投げつけられ、蘇芳はハッと顔をあげる。苦々しい表情に、やはり決して望んでしてくれたわけではないのだと、膝の上で手を握りしめた。
「ごめん、なさい」
迷惑だったのだとはっきり言われないだけ、マシなのかもしれない。きっと、情けをかけられたのだ、同じあやかしの血を引くものとして。そうでなければ、眠っている間もずっと側にいてくれた理由の説明がつかない。
それに、この匂い。蘇芳は、鼻がきくことにかけては自信があった。
「前も、助けてくださいましたよね」
自分がずっと肌身から離さなかった、あの麻布の匂い。目の前の晴弥からはそれと同じ、けれどずっと濃い匂いがしている。清々しさの中に、脳を蕩かすような甘さの混じった、他にはない香りだ。間違いようがない。
また世話をかけてしまったことについては、申し訳なく思う。けれど、二度までも、晴弥が居合わせなければ自分はどうなっていたか分からない窮地を救ってくれた。
「ごめんなさい、でも、俺は、嬉しかっ」
「お前、俺に何をされたのか分かってんのか」
びりびりと肌を刺すような声で遮られ、蘇芳は言葉を詰まらせる。何に、そんなに怒っているのだろう。嫌だったのなら、捨て置いてくれればよかったのに。俺は嬉しかったのだと、助けてくれてありがとうと伝えたいだけなのに。歓迎されると期待していたわけではなくても、こんなに険悪な状況になるなんて、蘇芳は思いもしていなかった。喉が詰まって、目頭が熱くなる。
黙って俯いてしまった蘇芳に、晴弥は喉で唸って頭をガシガシと掻いた。
「あー、なんでお前がそうなるんだよ……俺に食ってかかってもおかしくない状況だろう」
——ん? ああ、そうか、まあ普通はそう……なのかな?
自分が女で、山に一人でいるところを得体の知れない男に連れ去られ無体を強いられたなら、確かにそうだろう。けれど、自分が置かれていた状況はそれとはだいぶ異なる。望んで求めたし、第一あのままでいたら、自分はどうなっていたかわからなかった。行為自体はそうかもしれないが、蘇芳にとって、助けてもらったことに変わりはない。
晴弥がまた表情を変え、今度は苛立ちを滲ませる。
「それともあれか? お前、誰でもいいから抱かれたかったクチか」
言われたことを、蘇芳は一瞬理解できなかった。空白が訪れ、ついで感情がいくつも一気に頭に登ってうまく整理できない。
そうじゃない。そんなわけない。なぜそんなことを言われなければならないのか、信じられなくて、目の奥が熱くなった。
「どうして、そんなこと……」
掠れた声で、そう言うのがやっとだった。
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