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屋敷の自室で、アシュリーは手にしていた手紙を机に置いた。ふわっと風が舞い、燭台にある蝋燭の灯りが揺れた。
『エミリアさんが、靴屋の息子さんに告白されたそうですよ』
シンディーからの手紙の一文を思い出し、アシュリーは頬杖をついた。
「……どうしろと」
呟くアシュリーの耳に、キィという、扉の開く音が響いた。
「……おとうさま」
縋るような声の主は、マリアンだった。午後十一時二十分。外はすでに真っ暗で、小さな子どもはもう、熟睡しているはずの時刻だった。
「……めをつぶると、おかあさまのこわいこえとかおが、どうしてもうかんでしまいます」
甘えてはいけないという思いが強いのか。今日は大丈夫ですと、いったんは一人で眠ろうと頑張るのだが、やはりまだ恐さを拭えないのだろう。結局は自室を抜け出し、こうして毎晩、アシュリーの元を訪れる。
「……そうか。おいで、父様と一緒に寝よう」
自身の行いのせいで娘から拒絶された妻は、あろうことか、マリアンを責めはじめた。あたしがいなくなってもいいのかと。なんて冷たい娘だと。
アシュリーがいくら止めろと言っても、妻は止まらなかった。今すぐ出て行けと怒鳴ると、酷いと嘆き、あたしが野垂れ死んでもいいんだ。暴漢に襲われてもいいんだ。賊に殺されてもいいんだと喚きはじめた。
マリアンにこれ以上、こんな母親の姿を見せたくない。その思いもむろん強くあったが、妻の醜い本性に、不倫よりもよほど、アシュリーは強いショックを受けていた。半ば強引に仕事の休みを取らせてもらい、心を落ち着かせるために、姉のシンディーの元へと逃げた。
その後。離縁をなんとか了承させ、いくらかの金を渡し、妻を屋敷から追い出した。妻は屋敷の外から、離縁されたのはお前のせいだと泣き喚きながら、あろうことかまた、マリアンを責めはじめた。
自室にいたマリアンは、窓から鬼のような形相をした母親を見てしまったのだろう。その顔が焼き付いて離れないのか、いまだにこうして怯えている。
一度目の裏切りのときに離縁していればと、何度後悔したかしれない。
マリアンを右手で抱き上げ、左手で燭台を持つ。おろされたマリアンはごろんとアシュリーの寝台に横になったが、その手には、ヘアアクセサリーが握られていた。
「すっかりお気に入りだな」
「はい。とってもかわいくて、きれいです」
「だから作り手のエミリアさんのことも、怖くなかったの?」
「それもあります」
マリアンの隣に腰かけたアシュリーは「それも?」と、首を傾げた。
「他に理由があったのか?」
「エミリアさんは、おとうさまじゃなくて、マリアンをみてくれました」
「……ん?」
「おとうさまといっしょにいるとき、おんなのひとは、マリアンのことをあまりみてくれません。おとうさまばかりみて、おとうさまとばかりおはなししたがります。おやしきではたらいてくれているひとも、おなじです」
ぷくっ。
頬を膨らませるマリアンに、そんなこと気にしたことがなかったアシュリーは、目を見張った。
「めのたかさもマリアンにあわせてくれて、しつもんにも、ちゃんとこたえてくれました」
「……マリアン?」
「はい。なんでしょう」
「……屋敷で働いてくれている人も、と言ったかな?」
「いいました。おかあさまがよく、いろめをつかってとおこっているのをみました。いろめのいみはわかりませんでしたが」
「……女性の使用人って、メイドのノーラのこと?」
「はい」
「……まさか、嫌なことを言われたりされたりなんかは」
「いいえ、やさしいはやさしいです。ただ、マリアンよりおとうさまのほうがすきなんだなあと」
「……マリアンはノーラのこと、嫌い?」
「きらいではないです」
不倫をしていたくせに、妻は女性がアシュリーに話しかけようとしただけで、不機嫌になっていた。はたしてその妻が言っていたことを、信じていいのだろうか。
(……色目、使われた覚えはないし。ノーラはマリアンのこと、ちゃんと可愛がってくれているように見えるけど)
母親のことで精神的にまいっているいま、新しい使用人を雇い入れることの方がマリアンのためにはよくないのではないか。そんな風に考えつつ、アシュリーは、マリアンの意見をあらためて聞いてみた。
「ノーラがこの屋敷にいても、平気か? それとも……いない方がいい?」
「いなくなってはこまります」
「そう……もしなにかあったら、すぐに父様に言うこと。約束できるか?」
マリアンは、はい、とアシュリーの腰に抱き付いてきた。頭を撫でると、気持ちよさそうにし、やがて寝息を立てはじめた。
(しばらく様子を見るか……)
アシュリーは小さく欠伸をすると、自身も横になり、目を閉じた。
『こら、おばさまじゃなくて。おねえさまだろう?』
『? いえ。わたしの年なら、この子ぐらいの子どもがいてもおかしくはないので』
シンディーからの手紙のせいか。ふと、はじめてのエミリアと会話が頭に浮かんだ。
(誤魔化しでもなんでもなく、本当に怒っていない様子だったな。そういうの、気にしない性格なんだろうか)
うと。
目を閉じて間もないというのに、抗えない睡魔が襲ってきた。
(……言われてみれば、確かにあのとき)
──わたしではなく、マリアンを見て、話してくれていたな。
アシュリーの頬が知らず緩む。やがて二つ寝息が、アシュリーの私室に響いた。
『エミリアさんが、靴屋の息子さんに告白されたそうですよ』
シンディーからの手紙の一文を思い出し、アシュリーは頬杖をついた。
「……どうしろと」
呟くアシュリーの耳に、キィという、扉の開く音が響いた。
「……おとうさま」
縋るような声の主は、マリアンだった。午後十一時二十分。外はすでに真っ暗で、小さな子どもはもう、熟睡しているはずの時刻だった。
「……めをつぶると、おかあさまのこわいこえとかおが、どうしてもうかんでしまいます」
甘えてはいけないという思いが強いのか。今日は大丈夫ですと、いったんは一人で眠ろうと頑張るのだが、やはりまだ恐さを拭えないのだろう。結局は自室を抜け出し、こうして毎晩、アシュリーの元を訪れる。
「……そうか。おいで、父様と一緒に寝よう」
自身の行いのせいで娘から拒絶された妻は、あろうことか、マリアンを責めはじめた。あたしがいなくなってもいいのかと。なんて冷たい娘だと。
アシュリーがいくら止めろと言っても、妻は止まらなかった。今すぐ出て行けと怒鳴ると、酷いと嘆き、あたしが野垂れ死んでもいいんだ。暴漢に襲われてもいいんだ。賊に殺されてもいいんだと喚きはじめた。
マリアンにこれ以上、こんな母親の姿を見せたくない。その思いもむろん強くあったが、妻の醜い本性に、不倫よりもよほど、アシュリーは強いショックを受けていた。半ば強引に仕事の休みを取らせてもらい、心を落ち着かせるために、姉のシンディーの元へと逃げた。
その後。離縁をなんとか了承させ、いくらかの金を渡し、妻を屋敷から追い出した。妻は屋敷の外から、離縁されたのはお前のせいだと泣き喚きながら、あろうことかまた、マリアンを責めはじめた。
自室にいたマリアンは、窓から鬼のような形相をした母親を見てしまったのだろう。その顔が焼き付いて離れないのか、いまだにこうして怯えている。
一度目の裏切りのときに離縁していればと、何度後悔したかしれない。
マリアンを右手で抱き上げ、左手で燭台を持つ。おろされたマリアンはごろんとアシュリーの寝台に横になったが、その手には、ヘアアクセサリーが握られていた。
「すっかりお気に入りだな」
「はい。とってもかわいくて、きれいです」
「だから作り手のエミリアさんのことも、怖くなかったの?」
「それもあります」
マリアンの隣に腰かけたアシュリーは「それも?」と、首を傾げた。
「他に理由があったのか?」
「エミリアさんは、おとうさまじゃなくて、マリアンをみてくれました」
「……ん?」
「おとうさまといっしょにいるとき、おんなのひとは、マリアンのことをあまりみてくれません。おとうさまばかりみて、おとうさまとばかりおはなししたがります。おやしきではたらいてくれているひとも、おなじです」
ぷくっ。
頬を膨らませるマリアンに、そんなこと気にしたことがなかったアシュリーは、目を見張った。
「めのたかさもマリアンにあわせてくれて、しつもんにも、ちゃんとこたえてくれました」
「……マリアン?」
「はい。なんでしょう」
「……屋敷で働いてくれている人も、と言ったかな?」
「いいました。おかあさまがよく、いろめをつかってとおこっているのをみました。いろめのいみはわかりませんでしたが」
「……女性の使用人って、メイドのノーラのこと?」
「はい」
「……まさか、嫌なことを言われたりされたりなんかは」
「いいえ、やさしいはやさしいです。ただ、マリアンよりおとうさまのほうがすきなんだなあと」
「……マリアンはノーラのこと、嫌い?」
「きらいではないです」
不倫をしていたくせに、妻は女性がアシュリーに話しかけようとしただけで、不機嫌になっていた。はたしてその妻が言っていたことを、信じていいのだろうか。
(……色目、使われた覚えはないし。ノーラはマリアンのこと、ちゃんと可愛がってくれているように見えるけど)
母親のことで精神的にまいっているいま、新しい使用人を雇い入れることの方がマリアンのためにはよくないのではないか。そんな風に考えつつ、アシュリーは、マリアンの意見をあらためて聞いてみた。
「ノーラがこの屋敷にいても、平気か? それとも……いない方がいい?」
「いなくなってはこまります」
「そう……もしなにかあったら、すぐに父様に言うこと。約束できるか?」
マリアンは、はい、とアシュリーの腰に抱き付いてきた。頭を撫でると、気持ちよさそうにし、やがて寝息を立てはじめた。
(しばらく様子を見るか……)
アシュリーは小さく欠伸をすると、自身も横になり、目を閉じた。
『こら、おばさまじゃなくて。おねえさまだろう?』
『? いえ。わたしの年なら、この子ぐらいの子どもがいてもおかしくはないので』
シンディーからの手紙のせいか。ふと、はじめてのエミリアと会話が頭に浮かんだ。
(誤魔化しでもなんでもなく、本当に怒っていない様子だったな。そういうの、気にしない性格なんだろうか)
うと。
目を閉じて間もないというのに、抗えない睡魔が襲ってきた。
(……言われてみれば、確かにあのとき)
──わたしではなく、マリアンを見て、話してくれていたな。
アシュリーの頬が知らず緩む。やがて二つ寝息が、アシュリーの私室に響いた。
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