悪役令嬢なので最初から愛されないことはわかっていましたが、これはさすがに想定外でした。

ふまさ

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 それまでも、屋敷には代わる代わる家庭教師が訪れ、フェリシアは貴族令嬢として必要な知識、礼節を学んでいた。けれど、未来の王妃ともなれば、学ぶ量や質はその比ではない。

 クライブの婚約者となったフェリシアに、王宮での、王妃教育がはじまった。

 対してクライブも、未来の国王として、忙しい日々を送っている。同じ王宮にいるとはいえ、そう顔を合わすこともないだろう。そう思っていたのだが──。

「お疲れ、フェリシア」

 夕刻。一日に予定する王妃教育が終わるころ、クライブは度々、フェリシアを訪ねてきていた。そして、菓子などを持ってきては、その頑張りを労ってくれた。

(……ヒロインに出会う前は、こんな感じだったのね)

 ぽつりと、胸中で呟く。顔も声も良くて、優しくて、気遣いができて。なるほど。これではゲーム内のフェリシアが、クライブに執着し、異常なほど嫉妬していたわけも、理解できるような気がした。

 しかし。

 だからこそ、残酷とも思えた。



「明日の王妃教育は、休みなんだってね」

 フェリシアに与えられた王宮内にある一室でお茶をしていると、クライブが菓子をつまみながら訊ねてきた。

「はい。王妃教育がはじまってから、はじめてのお休みです」

「そうだね。わたしも明日は暇をもらったんだ。だから、一緒に街に出掛けにいかないか?」

 フェリシアのカップを持つ手が止まった。これは、所謂デートの誘いというものだろうか。けれど胸は高鳴るどころか、面倒だなという思いが勝った。

(……ゆっくりと本が読みたかったな)

 期待なんかしない。もしかしたら、なんて考えない。

『オレは見かけじゃなく、彩香という女性を、まるごと好きになったんだ』

 こう言ってくれた真二だって。

『佳奈が可愛いからって、嫉妬して、泣かせて。最低だな』

 汚物を見るような双眸で、そう吐き捨てた。

 知ってるよ。だから、大丈夫。

「お誘い、嬉しいです。ぜひ」
 
 フェリシアは心の内をおくびにも出さず、笑顔で答えた。




 ──数年後。

 王立学園、入学式の日。

 フェリシアはずっと、この日が来るのを待ち望んでいた。優しく接してくれるクライブ、イアンに対して、どうせ、という醜い感情を持ち続けることが辛く、早く解放してほしいという思いが強かったから。

 あの乙女ゲームは、王立学園の入学式の日からはじまる。つまり今日、はじめて、ヒロインと対面することになる。

 いっそ憎らしいほどに綺麗で、澄み渡った青空。降り注ぐ、眩しい朝の光の中。ハウエルズ公爵の屋敷まで、わざわざ迎えに来てくれたクライブ、イアンと共に馬車に揺られるフェリシアの鼓動が、徐々に早まっていく。

「フェリシア、もしかして緊張しているの?」

「私も気になっていました。少し、顔色が悪いような」

 クライブとイアンが心配そうに声をかけてくる。

 それはそうだろう。学園に向かうだけで、これほど緊張する意味は、普通ならない。

 ──普通、なら。

 今日から、世界が変わる。この日を待ちわびていたことに嘘はない。しかし、いまは優しいクライブも、イアンも。少しずつヒロインに惹かれていき、それに比例するように、フェリシアを嫌悪していくことになる未来を知っているから、やはり、どうしても怖くなってしまう。

(こんな風に気遣われることも、これで最後かも……)

「そうですね。これから、新しい生活がはじまると思うと、やはり緊張してしまいますね」

 無理やり笑みをつくるフェリシア。馬車が緩やかに止まったのは、そのタイミングで。気付けばもう、王立学園の前だった。

 護衛の者によって扉が開かれ、イアンが最初に馬車をおりる。続いてクライブがおり、すっと手を差し出してきた。

「わたしたちがいるから、なにも怖くないよ」

 フェリシアが苦笑する。その言葉が嘘だといまは言い切れないが、やがて目の前の二人は、フェリシアを目の敵にすることになるのだから、複雑なことこの上ない。

「ありがとうございます。心強いです」

 覚悟を決め、クライブの手を取る。
 
 大丈夫。そのために、今日まで必死に勉学に励んできたのだからと自分を奮い立たせ、フェリシアは足を動かしはじめた。



 学園の敷地内に入る。とたんに、ざわっと空気が揺れた。

 クライブと──おそらくはイアンの、二人の姿を見つけた女子生徒たちが、頬を染め、けれどそこは流石の貴族令嬢たちとでもいおうか。大きな声で騒ぐことはなく、遠目から、並んで歩く三人に注目する。

 ──と、そこに。

「まあ、見て。あの子の制服だけ、みなと違うわ」

 黄色い声に混じる声に、フェリシアの耳がぴくりと動いた。

「ああ、三年ぶりの特待生でしょ?」

「特待生?」

「特待生制度で入った、特待生ってことよ。入学金、授業料が免除されるけど、その枠は毎年一人なのね。だから、平民がこぞって受けるらしいわ。すごーく優秀でないと、認められないみたいだけど」

「だから三年ぶり? じゃあ、とても優秀なのね」

「でもね。貴族の子息子女ばかりだから、世界が違うことに耐えられず、辞める人もいるらしいわ」

「よく知ってるわね」

「私のお父様、学園の教師ですもの」

 知らず足を止め、必死に令嬢たちの会話に意識を集中するフェリシア。クライブ、イアンが同じように足を止め、俯くフェリシアを不思議そうに見詰める。

(……みんなと違う制服。特待生。間違いない)

 そんな令嬢たちの会話を、他にも聞いていた生徒がいたのだろう。

「あの子、平民らしいぜ」

「へえ、言われてみれば確かに。歩き方に、品がないかも」

 などの、揶揄する声がちらほら。

(……入学式の日。ヒロインはまわりの貴族の子たちから馬鹿にされ、それを、クライブ殿下が庇う。それが、物語のはじまり)

 どくん。どくん。
 鼓動が早鐘を打つ。ついにはじまる。逃げられない。

(ヒロインは……ヒロインは、どこに)

 顔を上げる。クライブたち以外に注目を集める視線を辿る。辿る。

 ──いた。

 こちらに背を向けているので、顔は見えない。肩あたりまで伸びた艶やかな黒髪が、風に揺れている。

(ヒロインは黒髪、だったっけ……?)

 覚えがない。そういえば、名も。そこでようやく、名前は自分でつけたこと。そして、ヒロインのギャラデザがなかったことに気付いた。

 ──え?

 ヒロインが。黒髪の女性が、囲う視線に気付いたように、くるりと制服をひるがえし、こちらを振り返った。

 その顔は。

「……佳奈?」

 呟いた声は、驚くほど掠れていた。

 凍り付いたように固まる。足が地面に張り付き、動けなくなる。

「……な、んで」

 驚愕の声はフェリシアではなく、クライブのものだった。

 クライブの緑の瞳が、真っ直ぐに、ヒロイン──佳奈に注がれる。そのままクライブは、佳奈に向かって走っていった。

 なんなんだろう、これは。どうして、ヒロインの顔が、佳奈そっくりなのか。

 あれは、佳奈自身?
 それとも、ただ似ているだけ?

(……また、佳奈に奪われる)

 ヒロインに、なにもかも奪われる。その覚悟はしていた。でも、よりによって佳奈に──なんて。

(……あんまりよ、神様)

 あまりの想定外過ぎる現実に、フェリシアは笑ってしまった。

「……イアン。わたしは先に行くと、クライブ殿下にお伝えください」

 もっとも。わたしのことなど、もはや頭にはないかもしれませんが。

 胸中で続け、ゆっくりイアンを振り返る。そんなイアンの視線もまた、佳奈に注がれていた。

「……リサ様」

 イアンが小さく、驚いたようにとある名を呼んだ。そのとき、フェリシアはようやく思い出した。

 クライブとイアンが、ヒロインに、ともすれば一目惚れに近いかたちで惹かれた理由を。

(リサ様……クライブ殿下の、一人目の婚約者。そしてクライブ殿下とイアンの、想い人)

 リサ、とは。国王が決めたクライブの婚約者だったが、クライブが十歳のときに亡くなっている。八歳のときに発症した病が原因で、大人にはなれないと医師に告げられた。

(陛下はその時点で、別の婚約者をと説得したけれど、クライブ殿下は、受け入れなかった……それは、リサ様を深く愛していたから)

 そんな話を、ヒロインに語っていた。だから婚約者亡き後も、その傷が癒えるのに、数年を要してしまったと。

 第一王子という立場にありながら、クライブが十二歳になってから婚約者を探しはじめたのは、そういうことだったのだと、今更ながら合点がいった。

 そしてそんなリサとヒロインは、顔が瓜二つという設定だった。だからこそ、クライブとイアンは会ったばかりのヒロインに惹かれた。

(……思い出した。なんで忘れていたんだろう。はじめは、亡き婚約者に似ているからって、それでクライブ殿下とイアンは)

 ──そう。イアンも、リサ様を密かに想っていた。叶わぬ恋と諦めながら。

 リサに似ているから二人は優しくしてくれているのかとヒロインが思い悩み、涙するエピソードが脳裏を過った。

(でもどうして佳奈なの……?)

 駄目だ。もう、ぐちゃぐちゃだ。よりによってヒロインが。クライブやイアンから愛されるヒロインが、誰より嫌いな幼なじみの顔をしているなんて、絶望でしかなかった。

 またあの日々が繰り返される。好きな人が佳奈に奪われていくのを、ただ見ているしかない人生。

(……そうだ。彩香のときも、わたしが悪いってよくまわりから非難されてたっけ。なんだ。わたし、役回りは一緒なんだわ)

 ふっ。

 乾いた笑いが一つ、漏れ出た。

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