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ニアはびくっとし、目を丸くしたかと思うと、そそくさと手すりからおり、慌てて部屋に戻った。ガチャ、と音がしたので、鍵をかけたようだ。
「……っ!」
アラスターは踵を返し、急いで隣の部屋に向かった。扉はなんなく開き、かと思えばニアが、真正面に立っていた。鍵をかけようとしていたのだろう。
「──バルコニーから、飛び降りようとしたのか?」
小刻みに震えだした拳を握り、アラスターが青い顔で問う。ニアは無言で、目をさっと横に向けた。
「どうして……」
しばらく沈黙が続いたが、やがて観念したように、ニアは話し始めた。
「わたし、あの人たちと同じでした」
「え……?」
「フラトン子爵家の人たちが、腐ったものを食べて、苦しんでいるのを見て、胸が信じられないぐらい、すっとしたんです。あんなの、はじめてでした」
「それは……当然ではないだろうか。わたしだって、兄を同じ目に合わせてやりたいと、何度願ったことか」
「そうなのですね。でも、こんなわたしの面倒を、これからお祖父様に背負わせるのが申し訳なくて……特にわたしは、生きたいと思っているわけでもありませんし」
「……ニア嬢」
そうだ。いくら制裁を下したとはいえ、これまであいつらに受けてきた傷は癒えやしない。自分を大事にしてほしいなど、いくら言葉で伝えたところで、ニアの心にはなにも響かないだろう。
「……すまない」
アラスターはためらいながらも、ニアの腕をそっと握った。ニアが、首を捻る。
「どうして謝るのですか?」
「わたしに触れられるのは嫌だろうが、きみがまた、飛び降りたりしないか不安で仕方ないんだ。だから、しばらくはこのままでいさせてくれないか」
「わたし、アラスター様に触れられるの、嫌ではないですよ?」
「……そうか。ありがとう」
手を離したくない。目を離すのが怖い。それはきっと、罪悪感からくるものなのだろう。もしくは、同情。あるいは──。
「……わたしも、死を選びたくなったことは何度もあったよ」
「選ばなかったのは、カイラ様がいたからですか?」
迷うことなく、カイラの名を口にするニアに、アラスターは苦笑した。
「……カイラと出会ってからも、そういう衝動に駆られることはあった。わたしはとても、弱かったんだね。きみはずっと、たった一人で耐えていたのに」
「それは、わたしがアラスター様より強いってことですか?」
「ああ。強い」
「これは、褒められているってことでいいんでしょうか」
アラスターは、もちろん、と小さく笑った。
「良ければ、きみが眠くなるまで話をしたいんだけど。いいかな」
「わたしと? どうしてですか?」
問うてから、ニアは、あ、と閃いた。
「わたしがまた飛び降りると思っているんですね。大丈夫です。よく考えれば、こんなところで自殺なんてすれば、恩人であるあなたに迷惑をかけてしまいますよね。わたし、本当、馬鹿でした」
「……迷惑とか。そういうんじゃない。わたしは単純に、きみに死んでほしくないんだ」
「? 何故でしょう」
「何故、か。言葉にするのは難しいけれど……人間不信になりかけているわたしにとってきみは、唯一、信じられる存在だから……だろうか。いや。きみに、わたしが心から信じるのはカイラだけだと宣言しておきながら、これはあまりにも身勝手過ぎる言い分だったな」
そして愛するのも、カイラだけ。
ニアに対してそう言い放った自分に、今更ながらに、心底、嫌気がさした。
「……っ!」
アラスターは踵を返し、急いで隣の部屋に向かった。扉はなんなく開き、かと思えばニアが、真正面に立っていた。鍵をかけようとしていたのだろう。
「──バルコニーから、飛び降りようとしたのか?」
小刻みに震えだした拳を握り、アラスターが青い顔で問う。ニアは無言で、目をさっと横に向けた。
「どうして……」
しばらく沈黙が続いたが、やがて観念したように、ニアは話し始めた。
「わたし、あの人たちと同じでした」
「え……?」
「フラトン子爵家の人たちが、腐ったものを食べて、苦しんでいるのを見て、胸が信じられないぐらい、すっとしたんです。あんなの、はじめてでした」
「それは……当然ではないだろうか。わたしだって、兄を同じ目に合わせてやりたいと、何度願ったことか」
「そうなのですね。でも、こんなわたしの面倒を、これからお祖父様に背負わせるのが申し訳なくて……特にわたしは、生きたいと思っているわけでもありませんし」
「……ニア嬢」
そうだ。いくら制裁を下したとはいえ、これまであいつらに受けてきた傷は癒えやしない。自分を大事にしてほしいなど、いくら言葉で伝えたところで、ニアの心にはなにも響かないだろう。
「……すまない」
アラスターはためらいながらも、ニアの腕をそっと握った。ニアが、首を捻る。
「どうして謝るのですか?」
「わたしに触れられるのは嫌だろうが、きみがまた、飛び降りたりしないか不安で仕方ないんだ。だから、しばらくはこのままでいさせてくれないか」
「わたし、アラスター様に触れられるの、嫌ではないですよ?」
「……そうか。ありがとう」
手を離したくない。目を離すのが怖い。それはきっと、罪悪感からくるものなのだろう。もしくは、同情。あるいは──。
「……わたしも、死を選びたくなったことは何度もあったよ」
「選ばなかったのは、カイラ様がいたからですか?」
迷うことなく、カイラの名を口にするニアに、アラスターは苦笑した。
「……カイラと出会ってからも、そういう衝動に駆られることはあった。わたしはとても、弱かったんだね。きみはずっと、たった一人で耐えていたのに」
「それは、わたしがアラスター様より強いってことですか?」
「ああ。強い」
「これは、褒められているってことでいいんでしょうか」
アラスターは、もちろん、と小さく笑った。
「良ければ、きみが眠くなるまで話をしたいんだけど。いいかな」
「わたしと? どうしてですか?」
問うてから、ニアは、あ、と閃いた。
「わたしがまた飛び降りると思っているんですね。大丈夫です。よく考えれば、こんなところで自殺なんてすれば、恩人であるあなたに迷惑をかけてしまいますよね。わたし、本当、馬鹿でした」
「……迷惑とか。そういうんじゃない。わたしは単純に、きみに死んでほしくないんだ」
「? 何故でしょう」
「何故、か。言葉にするのは難しいけれど……人間不信になりかけているわたしにとってきみは、唯一、信じられる存在だから……だろうか。いや。きみに、わたしが心から信じるのはカイラだけだと宣言しておきながら、これはあまりにも身勝手過ぎる言い分だったな」
そして愛するのも、カイラだけ。
ニアに対してそう言い放った自分に、今更ながらに、心底、嫌気がさした。
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