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「……嫌いなわたしなど、捨て置けばよかったではないですか」

 二人きりとなった医務室で、ローナが震えながら小さく問いかけると、ヘクターは馬鹿にするように薄く笑った。

「いつどこで、誰が見ているとも限らない。気絶したお前を放っておくより、こうして心配したふりをして、医務室に駆け込むほうがリスクは少ない」

「…………っ」

 うつ向くローナの顎を掴み、強引に顔をあげさせると、ヘクターは口調を強めた。

「いいか。婚約破棄の件。返事は、明日まで待ってやるが──わかるな?」

 ローナが、悔しそうに涙を滲ませる。けれどそのまま何も言い返さないローナに、ヘクターは、ふっと笑った。

(甘やかされ、愛させて当然だと思い込んでるお嬢様を脅すのは、たやすいな)

「──さて。では、約束通りきみを屋敷まで送っていくとしよう。一人で立てるかな?」

 ローナは無言で、寝台をおりた。無意識にお腹を右手でおさえていたが、ヘクターに咎められ、手をおろした。


 ずきずき。お腹が痛む。けれどそれよりも、横を歩く男に対する恐怖の方が、何より勝った。

 太陽が沈み、あたりがほんのりと薄暗くなりはじめる。学園に残っている生徒は、ほとんどいない。教師たちも会議のため、廊下には誰もいない。

 それが何だか妙に寂しくて、心細くて、ローナは泣きそうになっていた。

 そんなときだった。

 うつ向くローナの耳に、靴音が、ふと前から響いてきたのは。

 ヘクターもむろん、気付いていた。前に目を向け、人影に目をこらす。とたんにヘクターは、笑いそうになった。

(これはまた、なんとも……)

 正面からやってきたのは、第一王子の婚約者である、公爵令嬢だった。よりにもよって、第一王子と密会していたことを、誰より知られてはいけない人物だったからだ。

 すれ違うとき、ローナとヘクターは小さく会釈をした。ローナは、何も言わなかった。当然だろう。言えるわけがない。そんなことをすればどうなるか。いくら馬鹿でも、想像はつくはずだ。

 ほくそ笑むヘクターの耳に、すぐ背後から、凛とした声色が届いた。


「──お待ちなさい」


 
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