視線

のらねことすていぬ

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もう夜半と言っていい時間帯。
すっかり外は深い闇に飲まれ、王宮内からは人影がない。

それは騎士の詰め所も同じで、みな鍛錬を終えたら早々に帰っていった。
夜勤の者もいるが、当番で回ってくるそれは日勤に比べたら圧倒的に少ない。

その夜勤の者たちも見回りに出て、詰め所は静寂に包まれていた。


今日は一日集中できなかった。
できるはずがない。

長年恋焦がれた人を抱いたと思ったら、彼の愁嘆場を目の当たりにしてしまった。

もとから成就するはずもない恋だった。
だが一度触れてしまった。
だから余計に苦しい。

彼が他の男に抱かれたことがあることも、男の恋人がいることも。
知らなければ遠くから眺めているだけで幸せだったのに、知ってしまったから心臓に杭が撃ち込まれたかのように痛むし、今まで彼に触れた男すべてを引き裂きたい気分になる。
どうしようもないことに苛立ち、さらに苛立っていることに腹が立つ。

だがなにより惨めなのは、彼が男を相手にすると知ってそのことに望みをもってしまう自分だ。

彼が男は駄目だと拒絶するのはしょうがないと思っていた。
しかしもし別の男がいるから無理だと言われたら、なら奪えばいいと短絡的に考えてしまう。
彼の意思も自由もすべて無視して、俺に縛り付けてしまえばいい、と。

彼が恋人と幸せそうにしているならまだ諦めがついたかもしれないが、そうではないらしい状況も余計に俺の心を乱す。
あちこちで浮名を流すセプテム中隊長はたしかに魅力的な男だが、誠実とは言えない。
自分のほうが絶対に大事にして幸せにするのに。

世間知らずの甘ったれだった俺は、彼を知って強くなりたいと思った。
あの頃から少しでも俺が強くなれたのだろうか。
今の反吐がでそうな考えからは、とてもそうは思えなかった。




廊下を静かに進み、執務室をノックする。

こんな遅い時間でも彼に与えられた部屋からは灯が漏れ出ている。
彼が優秀すぎてあれこれ頼られ押し付けられていることに、小さくため息が漏れる。

「入れ」という言葉に部屋の中に入り込んだ。
手元のランプに照らされた彼の顔は、苦虫を嚙み潰したようだった。

歓迎されていない。
これで、彼が俺のことを少しでも好きで抱かれたのかもしれないという希望は消えた。
目の当たりにすると胸が痛むが、今更、回れ右をして帰ることもできない。

「こんな時間までいたのか? イブリース隊員」
「フレーチャー中隊長こそ、今日は遅いですね。他の隊長方も、セプテム中隊長ももう帰られましたよ。」

セプテム中隊長のことを話題にだしたら、少しは動揺するかと思ったが、彼の表情は変わらなかった。
少し茫洋とした雰囲気はあるが、こんな時間まで働いているんだ。
疲れているのかもしれない。

「中隊長、明日お時間をいただけますか?」

本題を切り出すと、意外にもあっさりと頷かれた。
てっきり理由を聞かれると思っていたから、ほっとして小さく微笑む。

この間までプライベートなやり取りなんて全くなかった。
だがこうもあっさりと約束を取り付けられるとは。

「では明日の夕刻の鐘が鳴るころに、サルフィー通りの噴水の前までいらしてください。……ここから一緒に行くと目立ってしまうので」

彼の小柄な体を見下ろしながら囁く。
彼が無言で頷首するのを見て、俺は退出した。









そして翌日の夜、俺はふたたびヴェロスさんの部屋にいる。

意を決して彼を食事に誘い、邪魔が入らないように個室を用意した。
それなりに雰囲気のいい店で酒を飲んで、少し私的な話をする。
できればそこでリラックスしてほしかったが、ヴェロスさんは口数も少なく顔は暗かった。
そこまでは予想通りだった。
和気あいあいとした雰囲気にいきなりなれるとは思わなかった。

とりあえず今日は、俺が彼を好きだということと……セプテム中隊長は彼に似合わないということを伝えようと思っていた。
今よりもっと幸せにするから、セプテム中隊長と別れるという選択肢を考えて欲しい、と。
付き合いの長い二人の間にいきなり入ることはできないかもしれないが、少しづつでもくさびを打ち込みたかった。

だが。
予想外にもヴェロスさんは俺と付き合うことにしたらしい。
恋人になることを「考えておく」という返事が貰えるまで粘ろうと思っていたのに、まさか頷いてくれるとは。

どんな心境の変化があったのかは分からないが付き合えることになった。
であればもう離せない。
大事に大事にして、ぐちゃぐちゃに蕩けるほど甘やかしてあげたい。

だから今夜はちゃんと家まで送って帰ろうと思っていたのに。

人通りの少ない道は危険だからと彼を送り、すこし寄っていけばいいと促されるまま部屋に上がり込み……舌を絡めている。

「んっ……! は、ぁ、」

ちゅ、と音を立てて舌を吸い唾液を嚥下する。
そんな些細な刺激にもびくびくと震えていて可愛らしい。
上顎の裏を舌で舐めると、とろりとした瞳で見つめられた。

でもだめだ。
確かに一度は先に体を繋げた。
でもこのままなし崩しに体だけ手に入れたいわけじゃない。
俺とちゃんと付き合ってもいいというなら大事にしたい。

自分の欲望を断ち切るように体を引きはがす。

「……すみません。もう帰ります」

これ以上ここにいたら絶対に理性をなくして襲い掛かる。
大きく息を吐いてそう告げると、ヴェロスさんの白い顔がより青ざめる。
どうかしたのかと目を見開くと、じわりと彼の目が潤んだ。

「や、やっぱり嫌だった、のか……?」

やっぱり嫌、とはまさかキスのことか。
そんなわけない。

「違います」
「でも、もう帰るって、」
「これ以上いたら、またあなたを抱いてしまう」
「っ! ……抱くのが嫌なのか」
「なにを言ってるんですか……。順番が逆になったけど、俺はあなたと付き合っているんだから、ちゃんと大事にしたい」

ヴェロスさんがセプテム中隊長や他の恋人たちとどう付き合ってきたのかは知らない。
中には誠実に彼と向き合って、ひたむきな愛を捧げた男がいたかもしれない。
だけど誰よりも俺が一番、彼を想っている存在でありたい。
たとえ今みたいに、ご馳走を目の前にぶら下げられても、待てはできるつもりだ。

「そ、そんな手間はかけなくていい。そうだ、面倒だったら、恋人としてじゃなくても……」
「別れる気はありません」

さっきは付き合うと言ったのに、もう反故にする気か。
思わず眉間に皺が寄り、きつい口調になる。
だが俺の言葉をどうとったのか、彼は涙目のままふわりとほほ笑んだ。

「やっぱり、お前は責任感が強いな。……ありがとう」

これは責任感なんかじゃない。
ただ俺がヴェロスさんを捕まえたかっただけだ。

言えていない言葉はたくさんある。
彼は誤解していることも、まだたくさんあるだろう。

だけど今は、彼を抱きしめたい。
そう思って腕に力を込めた。
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