1 / 12
1.小姓の仕事
しおりを挟む「泣かないでください。可愛い顔が台無しですよ。心配しなくても大丈夫、大人しくしていれば魔王様はお優しい方ですから」
薄暗い室内ですすり泣く少年の肩にそっと手を置いて、白々しく囁く。
突然魔王城に連れ去られて、『魔王は優しいから心配するな』なんて……そんな言葉で、どこの誰が安心するかというんだ。
自分でも呆れるような薄っぺらな台詞。
だが、少しは慰めになったのだろうか。
涙に濡れていた少年はゆっくりと顔を上げた。
目元が赤く腫れてはいるが、楚々とした顔立ちの可愛らしい少年。
派手な美しさはなくて大勢の中では埋もれてしまうけれど、磨けばきっと輝くだろう。
彼は恐る恐るといった風情で、か細い声を出した。
「僕は、殺されないんです、か?」
「もちろん。殺されないし、痛いことはされませんよ」
ただ少し、魔王様の閨の相手になってもらうだけ。
心の中でそっとそう付け足す。
だけどそれについては言及せずに、私は唇の端を吊り上げた。
「申し遅れましたが、私はレヴィス。魔王様の小姓をしております」
「じゃあ、あなたも魔族……?」
「ええ。ただ私は魔王様と違って、下位の悪魔ですので。普通の人間とそう変わりませんよ。」
悪魔の尻尾も角もないでしょう。
あなたと同じです。
そう言いながらにっこりとほほ笑むと、彼はつられるようにほっと息を吐いた。
「私のように力の弱い魔族でも、食べられることなんてないんですよ。安心でしょう?」
「……確かに、あなたが魔王の小姓だなんて信じられません」
「ええ、そうでしょう」
そうだろう。
魔力も弱く美しさもない。
もとは下位の小悪魔で、魔力も少ないし大したことはできず、魔界の片隅でひっそりと生きている存在だった。でももう小姓として働き始めてから200年は経つだろう。
主な仕事内容は、寝起きの悪い魔王様を起こすこと、着替えのお手伝いに食事のお手伝い、夜になったら入浴のお手伝い。
その他雑用は何でもこなす。
だが……何よりも大事なのが人間界に行って人間を攫ってくることだ。
魔力が強い者は、性交することで相手の『精』を嗜好品として楽しむ。
悠久の時を過ごす魔王様が、その『精』を嗜むのは当然とも言える。
だがそれならば淫魔あたりとまぐわってくれればいいものを、魔王様はなぜか真面目で純朴そうな青少年を好むのだ。
そんな存在は魔王城の近くどころか魔界の浅い階層にもいないから、いつの頃からか私が定期的に調達する羽目になっている。
小姓の私ではなくて、残虐性と暇を持て余している淫魔か魔人にでもその役を言いつけて欲しいのだけれど……。
淫魔が『極上』だと思う人間は大概が尻軽で魔王様の好みとはかけ離れている。
魔人に至っては、強すぎる魔力を誇示したいのか、地上に出る度に町や村を焼き尽くしてそのたびに天使族と派手な諍いになる。
何度も失敗を繰り返した結果、私が攫って、しかも懐柔まで行うことになってしまった。
淫魔と違って人間の性的魅力に引き寄せられない。
人型で魔力が弱いから、地上に出ても天使にも気が付かれない。
そんなことで魔王様の小姓の座に収まってしまったのだ。
ただの弱い悪魔には光栄すぎるほどの位だ。
だが同時に嫌な役回りだと……誰にも言えない不敬だけれど思ってしまう。
目の前の純粋そうな少年は、自分がこれから何をされるか分かっていないんだろう。
魔族に食べられるっていうのも、なぜか皆、ここに連れてこられるまで頭からボリボリ食われるとでも思っているらしい。
だがきっとこの少年も、数日もしないうちに、そうあっという間に魔王様の虜になるんだろう。
その時のことを考えて、私は内心ため息をついた。
魔王城の深淵部にゆっくりと足を進める。
足を乗せる床にすら精密な彫や装飾の施された廊下を通って、魔王様の私室の前までたどり着く。
薄暗い廊下は長く、まるで自分自身が闇に飲み込まれてしまうような錯覚さえ覚える。
私のような小悪魔や人間であれば、本来なら一生足を踏み入れることなんてないはずの場所。
ただの人間である少年は、その雰囲気に飲まれてしまったのだろうか。
しきりに辺りを不安げに見回している。
だが私に置いて行かれるのも怖いのか、まるで雛が親鳥に置いて行かれまいとするように必死に後をついてくる。
この悪魔城についてしまったら、どうせどこへ行っても悪魔しかいないのに。
そう思いながらも、大きな……まるで死地への入り口のような扉の前で足を止めた。
重厚な扉をそっと叩くと、内側から低い声が響く。
「……入れ」
たった一言。
それだけだというのに、背筋にゾクリとしたものが走る。
魂まで囚われてしまいそうな深い闇を思わせる声。
強い魔力が音を伝って骨の髄まで染み渡る。
悪魔にとってはこれ以上ないくらいに魅力的な声だ。
だが惚けてはいられないと扉を開いた。
「失礼いたします」
扉をゆっくりと押し開ける。
そのまま中へと数歩踏み出すと、魔王様が玉座に腰掛けていた。
長い漆黒の髪に白い肌。
魔力の強さを示すようにその顔立ちは人形のように整っていて、生きているのかすら怪しいほど。
あまりにも美しい、震える程の美丈夫が……この魔界の主の魔王様だ。
何度見ても慣れないそのかんばせに見ほれていると、その血のように濃い、深紅の瞳がこちらについと向けられた。
しまったと慌てて頭を下げる。
その視線は私の姿を通り越して、私の後ろで立ちすくむ少年に向けられているんだろう。
それは分かっているのに……なぜか胸がずくりと痛んだ。
顔を深く俯けて、代わりに少年の背を押して魔王様の前へと立たせる。
「お待たせいたしました。新しい贄でございます」
「ああ、ご苦労だった」
彼のことが気に入ったんだろう。
声にはほんのわずかに喜色が浮かび、柔らかな響きがする。
でも、きっと、その瞳には私なんて映っていない。
それはずっと前から分かっている。
だけどその事実を知るのが嫌で、私は深く頭を下げたまま部屋を辞した。
何が起こっているのか分からず戸惑う少年の気配を感じたけど、きっと彼もまたすぐに魔王様の虜になる。
あれほど美しく強い人にベッドにいざなわれて、心を囚われなかった人はいないのだから。
一週間……いや、数日もすれば、きっと魔王様の部屋から出たくないとワガママを言う程度には心を奪われてしまうだろう。
そしてその心から純粋さを失ったところで、魔王様が飽きて放り出すんだ。
繰り返しだ。
何度も、何度も。
同じことの繰り返しだ。
重厚な扉を閉めて、ひやりとした空気を肺に吸い込む。
そのまま深くため息が漏れた。
魔王様のことは尊敬している。
……だけどもう辞めたい。
彼の身の回りのことを世話する小姓になれるなんて、一介の悪魔ごときにはとんでもなく名誉なことだ。
望んでもなれるものじゃない。
そうは分かっている。
分かっているけれど、……胸がじくりと痛んだ。
556
あなたにおすすめの小説
獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果
ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。
そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。
2023/04/06 後日談追加
アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました
あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」
穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン
攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?
攻め:深海霧矢
受け:清水奏
前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。
ハピエンです。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
自己判断で消しますので、悪しからず。
初夜の翌朝失踪する受けの話
春野ひより
BL
家の事情で8歳年上の男と結婚することになった直巳。婚約者の恵はカッコいいうえに優しくて直巳は彼に恋をしている。けれど彼には別に好きな人がいて…?
タイトル通り初夜の翌朝攻めの前から姿を消して、案の定攻めに連れ戻される話。
歳上穏やか執着攻め×頑固な健気受け
鬼の愛人
のらねことすていぬ
BL
ヤクザの組長の息子である俺は、ずっと護衛かつ教育係だった逆原に恋をしていた。だが男である俺に彼は見向きもしようとしない。しかも彼は近々出世して教育係から外れてしまうらしい。叶わない恋心に苦しくなった俺は、ある日計画を企てて……。ヤクザ若頭×跡取り
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
恋人がキスをしてくれなくなった話
神代天音
BL
大学1年の頃から付き合っていた恋人が、ある日キスしてくれなくなった。それまでは普通にしてくれていた。そして、性生活のぎこちなさが影響して、日常生活もなんだかぎくしゃく。理由は怖くて尋ねられない。いい加減耐えかねて、別れ話を持ちかけてみると……?
〈注意〉神代の完全なる趣味で「身体改造(筋肉ではない)」「スプリットタン」が出てきます。自己責任でお読みください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる