模型の立体推理

アズ

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01 仮面

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 いつもの定食屋のお会計を済ませようと新しくなった八百円を出すと、店のおばちゃんは複雑そうな顔をしてハッとする。
「悪い悪い。いつもの癖でつい」と言って不足分の百円を追加で出した。
「ありがとうございます」
 曇りガラスの引き戸を引き外に出ると、熱された空気がぶわっと顔面に当たった。暑さに負けじと蝉がうるさく鳴いていて、向かいの和菓子屋の風鈴がたまにチリンチリンと鳴る。近くには鰻屋もあってかその美味そうな香りが通行人の足を止めようとする。だが、安いスーツに傷だらけの腕時計を身に着けている俺には鰻なんてものは遠い場所にあった。たまに、鰻屋の店から出てくる同じ歳と思われる男が出てくると、自分とその男の差を肌で感じ嫉妬する。でも、腹にたまるわけでもない嫉妬をとっとと忘れるべく急いでその場から立ち去る。だいたいの予想はつく。徒歩で行ける距離のとこにある証券で働く社員だろう。俺には縁のない言葉で仕組みも意味も覚える必要がない。手にある資産も貯金通帳に示された残高が全てだ。壁の薄いボロアパートの二階の階段直ぐそばの住人にとっては、ここはただただ暑くて生きづらい。
 いっそ引っ越しや転職も考えた。今の安い仕事をちまちまやっているより少しでも給料に自ら行動してスキルアップしていかなければこの先やっていけない。そういう世の中になっていた。いや、元からだったのか。中村直人、30過ぎてから色々な資格を調べては取れそうなものは取っていった。パソコン系は問題ないし、計算も苦手じゃない。上司の愚痴や飲み会にだって参加したって構わない。パワハラだけはゴメンだが。
 ふと、仏壇で笑顔を見せる父の顔を思い出した。無愛想な父が笑顔を直に見たことがない俺からしてみたら、父がカメラの前よく笑顔を見せたと思う。頑固もので少し考えの古い人。男はケラケラ笑うものじゃない。お前は長男だからしゃきっとしろ。いざとなったら母さんはお前が守るんだ。そう口癖のように俺に言い聞かせていた父は仕事中の交通事故で反対車線にはみ出してきた対向車と正面衝突し、救急車の中で息を引き取った。相手も同業者でその相手は即死だった。世間は過重労働を疑い、どの報道番組のコメンテーターもトラック運転手の労働環境についての改善を訴えた。だが、そもそもトラック運転手の基本給が安いのに、時間だけ減らされれば運転手は自分達の金銭問題に直面することになる。
 だが、父は亡くなるずっと前から言っていたことがある。
 この仕事には誇りがある。仕事は大変だが嫌いじゃない。ただ、長く続けられるかは別だ。
 父が初めて自分の仕事を話したのは、俺が小さい時に「パパと同じトラック運転手になりたい」と言った時だった。それ以降、父が自分の仕事について喋っていた記憶はない。
 父はあの時どんな気持ちだったんだろう。父の顔とあの時の言葉を思い返してみると多分、嬉しかった判明業界の大変さを知っているからこそ複雑な気持ちもあったんだろう。
 俺は大学進学を諦め高卒で就職した。就職先があっただけマシだが、大学を進学したかつての友人達は就職後、俺の給料を超すのにそんなに年数はかからなかった。新車を乗り回しているかつての友人に対して俺は軽自動車止まりだ。しかも最初はバイクで車の駐車料金を渋っていたぐらいだ。でも、雨とかや大きな荷物とかだとバイクじゃ不便で、結局車にした。
 車は使ってみるとやはり便利だと思う。ガソリン代を気にしなければ。ガソリンスタンドに行くたびに値段を気にしているのはきっと俺だけじゃない筈だ。
 車のハンドルを握ると、父のことを思い出すのは内緒で父がトラックの助手席に俺を座らせてくれ、俺は横でずっと父の運転する姿を見てたからだ。あんな大きなものを動かしているなんて凄いと純粋だった俺はそう思ったし、それは今になっても忘れていない。
 昼休憩が終わり会社に戻る。4階建てオフィスビル。築年数は40年を超えており、一階が管理事務所になっている。その奥には使用が禁止されたままになっているエレベーターがあり、俺は階段を登って4階まで登りきると、曇りガラスのドアノブを回し音を立てながら扉を開ける。4階事務所の照明は未だLEDになっていない蛍光灯を使用している。だが、来週にはようやくLEDに変えるべく工事が入る事になっている。若き社長は経費を気にしていたが、既に今使っている照明はもうないと販売店に言われ仕方なく業者を今年になってようやく頼んだというわけだ。というわけで、この会社には金がない。使っているコピー機だってリースだがその機種も古くて部品がなく壊れたら最後と言われ、新しいリース契約を業者から言われてるにも関わらず変えようとしない。事務所の受話器も最初からこれをずっと使っていて、一度も買い替えたことがない。聞こえが悪いしモニターがもう機能していない。なのに社長は電話が出来るなら問題ないと言って変えようとしない。そのくせして社用車は壊れる前に走行距離を見て買い替えるところはしっかりしている。その調子で電気代節約に冷房も新しいのに変えて欲しいのに、デスクの上に扇風機を置いて回している。来客に見られたらどうするんだと思うけど、そもそも4階まで階段を使わせる時点で来客はないと分かる。その分、家賃を安くしてもらっているらしい。というより、エレベーターを直さない管理者もどうかしている。そのせいか、三階は誰も入っていない。
「遅い」
 奥のデスクの上に積まれた書類の方から若い女性の声が聞こえた。俺はそれに返事する。
「遅くないですよ。その時計が10分進んでるんです」
「わざとだ」
「休憩まで10分前行動とかブラック過ぎますよ」
「それより、新しい就職先は決まりそうか?」
「え? どうして探してるって分かったんですか?」
「そんなこと推理しなくたって分かることだ」
「それじゃわざわざ聞かなくても分かってるんじゃないんですか?」
「ああ、見つかっていない」
「なら、聞かないで下さいよ。意地悪ですか?」
「いや、諦めて今後も毎日4階まで階段を往復して働いてくれないかと思ってね」
「あのエレベーター、直らないんですか? もう一年あのままですよ」
「ここの管理者は数年前にかわって息子が引き継いだんだ。父親は病気で亡くなってね。でも、この建物も随分古くて修繕費を考えたら利益にならないと踏んだらしい」
「なんだか社長みたいですね」
「そこは賢いと褒めろよ」
「自分で言いますか」
「ようは、これ以上赤字を増やしたくはないんだ。この建物をいずれ解体することを考えたらそういう考えになるだろう」
「え、ここ無くなるんですか?」
「直ぐにじゃない。少なくとも今年、来年ではないな」
「なら、電気工事入れないでいっそ引っ越しましょうよ。扇風機回す必要のないエレベーターが動く場所に」
「そうしたいんだが金がな……」
「……」
「君の給料減らしていいなら引っ越すけど」
「なんてケチな人だ」
「そう言うな。新しい場所は探しているところだ」
「そうなんですね!」
「社員も増やしたいし」
「え? 社員増やすんですか!」
「初めて君に言うが事業を見直そうと思って」
「初めて聞きました」
「だからそう言っただろう。で、事業を拡大しようと思う。その為に社員を増やそうと思うんだ」
「へぇ、そうなんですね」
「今のままじゃうちは倒産だからな」
「それ、社員の前でハッキリ言わないでくれます? なんとなくそんな気はしてましたが」
「今どき探偵事務所は儲からん……アニメや漫画じゃあるまいし……」




 塩田愛花。年齢30代。父親の探偵事務所を継いだ一人娘で、父の事務所を潰したくないと色々やってはいるが厳しい状態だ。俺が就職した時はまだ社長が父親の時だった。塩田の父親は豪酒で血圧が高く糖尿病と健康状態は良いとは言えなかった。冬の入浴後に倒れた塩田の父親は救急搬送されたが病院で亡くなられた。それまでの娘は父の手伝い程度で大学院生だった。で、大学院を卒業し父親の事務所を引き継いだ。それまでは父親のお兄さんが繋ぎ役をつとめた。とまぁ、色々あったのだ。
 艶のある黒の長髪にスーツを着た童顔の女性は正直スーツが合っていない。だが、彼女の推理は本物だった。俺は娘が社長になって直ぐの時に殺人未遂事件を解決した。被害者の女性がストーカーに合っていて、その相談を受けた塩田はもう一人のストーカーの存在に気づき、被害者の命をギリギリのところで守った。俺はもう一人の存在にまでは気づけなかった。




 書類がデスクから雪崩れのように地面に落ちると、ようやく隠れていた社長の顔が現れる。社長は「あ……」という顔をして固まっている。俺はため息をついてから「何やってるんですか」と落ちた書類を拾い始めた。その資料の中に随分古そうなファイルを見つけた。紙製ブルーのファイルには汚れがある。ファイルの背びれには日付とタイトルに『未解決事件』とあった。ファイルを開くと、新聞の切れ端がルーズリーフに貼り付けられたのが数頁と、手書きで書かれた事件の詳細が書かれた数頁がある。事件はまだ平成の頃、一軒家に住む金田茂50歳が自室で背中に刃物が突き刺された状態で発見された事件。第一発見者は別居中だった当時の妻と弁護士。妻は茂と離婚の手続きを済ませる為に弁護士と約束の場所に来たが、いつまでたっても現れない茂を不審に思い二人で自宅に訪問。インターホンを押しても現れず、ただ玄関の鍵はあいていた為、茂を探し回っていると仕事部屋だけ鍵がかかっており、妻が弁護士に依頼して弁護士がドアを破ると、そこに遺体となった茂を発見する。仕事部屋には窓とドアに鍵がかかっており、弁護士の証言からも密室であったことが分かる。警察は自殺、事件の両方の線で捜査したが、鑑識の結果自宅からは死亡した茂、妻、弁護士以外からは指紋や毛髪は検出されなかったとのこと。また、毒物などの薬物反応も無し。ただ、アルコール反応はあった。茂は経営に失敗しその会社は倒産。借金も多額で返済する能力は自宅を売っても返しきれない額だった。妻の離婚は今後のことを考え別れたいと旦那である茂に告白し、家を飛び出し別居。それから遺体発見まで妻は自宅には戻ってはいない。警察は捜査を進めていくうちに、壁に刃物の柄をつけ、自分で背中を刺して自殺したのではないかと仮説を立てた。死亡した茂には自殺する動機として奥さんに離婚を持ちかけられ、自己破産寸前と、父親から引き継いだ会社を自分の代で潰してしまった負い目から自殺をしたという説明だ。結局、捜査はそれ以上進展することはなく、事件は自殺と断定された。
 しかし、ファイル名には『未解決事件』とある。それは何故だ?
「あの、これは?」
「私の父は昔は刑事をしていたんだ」
「そうなの!?」
「その事件は父が捜査に加わった事件だよ。父はどうしてもこれが自殺だと断定は出来なかった。父が疑ったのは2つ」
 そう言いながら塩田は人差し指と中指を立て数字の2を表した。
「まずは一つ目。自殺の方法。首吊りじゃなくわざわざ刃物を使ったことに父は違和感をもった。父の調べでは元々痛みに弱い人で暴力を嫌い、味覚も辛いのが苦手な人。そんな人がわざわざ刃物を使った自殺を選ぶ? 二つ目は刺された刃物の向き。刺された時に刃物は横向きだった。鑑識は当初違和感があったけど、犯人がもし背中から刺すなら刃物は縦に刺される筈だからむしろ他殺だとしたらそっちの方が不自然で違和感があるってことになったの。警察も鑑識の話しを聞いて納得したけど、自殺をする時だって自分を刺すことを考えたら刃物は縦にする筈よ」
「成る程……」
「でも、当時の父には鑑識に意見を言える立場じゃなかった。鑑識は自分達の意見が間違っていると言われたら根をもつから」
「でも、鑑識の話しだとやはり刃物を横に向けて背中から襲ったりはしないんじゃないのかな」
「父の仮説は逆にそれを利用したんじゃないかっていうことだった」
「そうか。でも密室はどうするの?」
「そう、そこが問題だった。父はその密室を解くことが出来なかった。窓は施錠され、ドアには鍵がかかっていて、その部屋の鍵はその部屋の引き出しの中に仕舞われてあった。でも、父の仮説が正しければ容疑者は一人に絞られる」
「奥さん……でも、奥さんの動機は何? 離婚はファイルだと旦那さんは断らず受け入れてたってあるけど。もしかして、事件当日にする予定だったお金のこと?」
「それは分からない。でも、父はそれを知ろうとした。刑事を辞めてでも、事件のことを忘れられなかったから、こうしてファイルに残し棚の手前にいつでも取り出せるところにしまった」
「お父さんが解決出来なかった事件を社長も調べてるんですか?」
「そう言えば、給料に不満で転職を考える君はどうしてこの事務所に就職したわけ?」
「え? 何ですか急に……」
「いいから答えて」
「本当だったら自分、違う会社に就職してましたよ。この会社の前に一社内定が決まってたんです。ただ、突然その会社から内定が取り消されて」
「どうして?」
「その会社が倒産したからです。ネジやパーツ類の部品の製造をしていたんですが、いわゆるデータ改ざんをしてたみたいで、その発覚で会社が倒産したんです。どうやらその会社を辞めた社員が密告したみたいで。それで発覚して倒産したってところです」
「その会社の経営者覚えていないのか?」
「いや、内定取り消された会社ですし覚えてないですよ」
「その人物は金田茂」
「え!?」
「父は事件が解決できず刑事を辞めた。内定を取り消された君を探偵事務所で雇ったのは偶然じゃないだろう」
「偶然じゃない? 初めて知りましたけど」
「探偵事務所が出来たばかりに父が高卒を雇った。私はかなり気にしたけど」
「そ、そんな裏が……あ、でも俺は知りませんよ。その会社が不正をしていたなんて」
「でも、君は面接で金田茂の妻と会っている」
「え……確かに! 確かに会った」
 口元のそばにホクロ、茶髪のボブに首は長くお茶を持ってきたのを思い出した。あの人が?
「事件を起こす前に夫婦に会ったことのある君を雇ったのは偶然かな?」
 俺は唾をのみ込んだ。確か、塩田の父親に面接を受けた時、内定取り消された会社と、その会社が倒産した話しをした。塩田の父親は「災難だったな。だが、逆に運が良かったと言える。新卒を失っていたところだ。君は高卒の中途採用として就職を希望しにハローワークに通う毎日を送っていたかもしれないんだからな」とゲラゲラと笑われたものだ。俺は多分、それ以外にも話したかもしれない。何を? 記憶を探るが……思い出せない。
「でも、俺は奥さんが旦那さんを殺害する動機みたいなのは知りませんよ」
 それは自信があった。なにせ、面接の時の一回だからだ。あの夫婦と会ったのは。
「それに、あれから何年経ってると思ってるんです? もう、事件のことを覚えている人はいないんじゃありませんか?」
「それはない。いいか、人を殺したら、それを忘れることは決してないんだ。忘れたくても忘れられない記憶になる筈だ。犯人は絶対に忘れはしない。事件のことを」
「……」
「それに、奥さんが仕事部屋のスペアキーを作っていれば奥さんには犯行が不可能とはいえない」
「奥さんが本当に旦那さんを殺害し、その後で弁護士に会って平然なふりをするのか? 俺は奥さんに一度しか会っていないけど、そんな事が出来るような人じゃなかったと思う」
「たった一回だけでよく覚えているね。でも、普段見せない顔を隠しているかもしれない。探偵はね、その仮面の下の正体を推理で暴くの。あなたの見たのは仮面よ。正体じゃない」
 そう言われてしまったら返す言葉がない。確かに、一回会って何が分かるというのか。面接する側だってそうだ。内定を目指しやって来る人達の仮面の下がどうなっているかは知らないし、一回で知れるわけじゃない。それがとんでもない爆弾か知ることも出来ない。入口に金属探知機を置いたら反応出来る単純なものではない。誰もが仮面の下を覗かれるのを嫌う。そこに対しては決して心を開かず警戒する。殺人をした犯人なら尚更だろう。
「なら、社長はどう推理するつもりですか?」
 すると、若き社長は笑みを見せた。
 あれ、何故だろう……今、嫌な予感がした。





 塩田愛花は奥にあったダンボールの山から埃の被ったダンボールを一つ散らかしながら取り出した。
 その散らかしたの、誰が片付けると思っているのか。
 塩田は気にせず空いたデスクの上にそれを置くと、ダンボールから一軒家の模型を取り出した。
「それは?」
「実際の事件があった家を父が模型にしたんだ」
「へぇー本格的だね」
「父は趣味が模型作りだったから。私も模型を作るよ」
「そうなの? 模型って簡単じゃないでしょ?」
「私、大学建築だったから」
「ああ……」
「それに、言葉や図より実際にこうした方が立体的にどうなってるか見れるでしょ」
 その模型は二階建てのよくある一軒家だ。玄関入って直ぐに階段があり、一階奥はリビング、キッチン。その他に浴室、トイレも一階になる。部屋は二階となり、階段直ぐの部屋は子ども部屋(独立して使用されていない)と寝室、奥に仕事部屋。仕事部屋の窓の外は隣近所の家となっていて、間には塀がある。
「見ての通り、この家に隠し部屋らしきものはないし、壁や天井、床に仕掛けがあるわけじゃない」
 俺はファイルの資料を見ながら言葉にして確認していく。
「血痕は壁にはついていなかったようだね。血液反応も無し。拭き取られたあともなかった。床に付着した血液は仰向けに倒れた茂の背中から流れた血液が床に付着した分だけ。あとは服にべったりと血液が染み込んで濡れていた。倒れていた男性は壁の近くでつま先を壁側に仰向けで倒れている。もし、背中から犯人が刺したならスペースが足りない。勿論、犯人が移動させた可能性もあるけど、犯人が刺した場合血痕はもう少し飛び散るんじゃないのか? となれば犯人にも血液が付着していておかしくはない。だが、念のために行われた二人の掌には血液反応はなかった。勿論、犯人が手袋をしていたら反応が出ないのは当たり前だけど。資料を読んでくと、警察もそれなりに調べてはいたようだけど」
「これが犯人の仕業ならどっかにミスをしていると思うんだけど……初めて殺人を犯した筈の犯人がこれだけ完璧に警察を欺けるか……」
「それについてだけど一つだけ疑問がある」
「なに!?」
「金田茂が殺害されたタイミング」
「!?」
「もし、犯人が奥さんだとしたら、奥さんにとっては弁護士の目があり、その人が証言になってくれる。しかも弁護士だから証言としては最適。それに、金田茂の体内からアルコールが検出された件も気になる。これから約束があるのにその前にアルコールを摂取していることになるんだ。死ぬ前に酔ってから自殺をしたんだろうと警察は判断したようだけど、約束をしたということは少なくともその日は生きるつもりでいたんじゃないかな。なのに、その日に死んだ。遺書も残っていない。確かに不自然かも」
「だけど、奥さんのアリバイは少し厄介だ。約束の場所、駅前喫茶店に13時。奥さんが家を出たのは11時半。そこから駅近くのレストランに12時前に入りそこで昼をとっている。混雑もあって注文からものが来るまで時間がかかり店を出たのは12時50分。駅はすぐそこだったから、そこで寄り道せずに弁護士と会って、そこから徒歩で喫茶店へギリギリ到着。そこから30分待って現れず、その間に何度も奥さんや弁護士から電話をしている。二人が店を出たのは結局13時40分。弁護士の車で茂の自宅へ向かう。金田茂の死亡推定時刻は13時から15時の間。その間、奥さんが一人になる時間はないんだ」
「それも奥さんには有利だ。異常な程によく出来ている。だからこそ妙でもある」
「お父さんはそう思っていた。これはアリバイ工作で弁護士はそれに利用されたんじゃないかって。本当は茂は奥さんから離婚を告げられた時、認めたくはなかったんじゃないかしら。何故なら、その奥さんは金田茂にとって初恋の人だったから」
「これはどうかな? 二人が自宅に到着し金田茂を捜し回っている間に酔っ払って寝ている茂を背中から刺した。で、鍵をかけて密室を装い弁護士に鍵がかかっていることを確認させ、ドアを破ると遺体を発見。資料によれば通報者は弁護士になっている。その間に鍵を引き出しにしまい、あたかもそこにあったように見せかけた」
「無理ね。それじゃ死ぬ予定がなかった金田茂が何故二人が来る前に酔っ払っていたのか分からない。それに何故仕事部屋で金田茂は寝ていたわけ?」
「でも、確実なことは鑑識の結果からも分かる通り殺害された場所はあの部屋なのは間違いない筈なんだ」
「その割には血液が……いや、被害者はあの場所にうつ伏せにさせられた……そして、その上から刃物を刺せば現場と同じ状況を作り出せる」
「でも、やはり奥さんにそんな余裕はどう考えてもないと思うんだ」
 そう俺が言ったところで、塩田からは諦める様子は見れなかった。恐らくそこは親譲りなんだろう。塩田の父親が事件を諦めきれないように。
 にしてもこの事件、なんか他に妙な気もするが、何だろう……この違和感は。




 後日。息を荒らげながら階段を登り事務所に入ると社長が仁王立ちしていた。
「何ですか?」
「君が定時に帰ったあとも私なりに調べて分かったことがある」
「何故怒っているんですか?」
「怒ってはいない」
「定時で帰ったことですか?」
「ダンボールをそのままにして帰ったからだ」
「あれは社長がやったんじゃないですか!」
「君は分かっていないが、高卒で正社員で福利厚生で残業無しの土日休みの上司の飲み会というウザさも無い、素晴らしいゆとり世代に見合った働き方でなんと手取りが15万以上は破格だぞ!」
「はい……大変感謝しております」
「大抵は残業や休日出勤とかで給料は増えていくものだ」
「俺の父親もそうでした」
「父親?」
「トラック運転手でした」
「ああ……成る程」
「ダンボール、今片付けます」
「それは後で構わない」
「分かったことって事件のことですか?」
「そうだ。弁護士の吉川という男だが、実は医師の国家資格も持っていた」
「へぇ、本当にそんな人いるんですね」
「驚くのはそこじゃない。吉川が専門にしている弁護は刑事事件だ」
「え?」
「民事じゃない。医学的知見と法律の知識を活かした刑事事件を専門とする弁護士だ」
「で、でも」
「そうだ。刑事事件を専門にしている弁護士が離婚相談に応じている。別に弁護士だから問題はないだろうが、その離婚相談中に男性が死んだんだ。奇妙じゃないか」
「ますます変になってきますね、この事件」
「だが、それだけじゃない。金田茂は破産申告の相談や会社の不正に関してもその弁護士に相談していた。恐らくだが、最初は不正事件で金田茂は自分が逮捕される可能性があり、それを刑事事件を専門とする吉川に相談したのが金田茂にとってまず初めての依頼になるだろう。それから妻から離婚を告げられその相談も受けた。更にお金の相談も。だが、吉川にはそもそも金田茂が不正に関わった事件の弁護がある。弁護士とは一言で言っても得意とするものが違ったりする。例えば民事でも遺産相続や離婚調停、遺書、それは様々だし、刑事事件も同様だ。一人で抱え込むより、他の弁護士を紹介したり引き継ぎくらいだ。だが、吉川の場合は彼一人だ。警察は依頼者が同じという理由で特に疑わなかったんだろう。そもそも警察が弁護士を疑うなんて思わないだろうしな」
「流石に気づけないよ。でも、弁護士が金田茂の死亡に関与する動機は見当たらないよ。それに、殺人だっていう証拠はない」
「まぁ、今のところはね」
 塩田社長は弁護士も疑っているようだ。確かに二人が共犯なら、二人の供述はあてにならないし、これくらいの犯行は可能だろう。だが、この殺害、犯行方法は一人によるものだと思うんだ。まだ、確証は持てないけど。
 そう言えば……昨日妙な違和感を覚えたあの時、確か模型を見せてもらった時の気がするんだ。
 俺はもう一度模型を見てみる。確かに仕掛けはない。ただ……そうか!
「この部屋だけ鍵があるんだよね。勿論、トイレは除いてだけど」
「ああ、仕事部屋だからじゃ?」
「デスクにパソコン、棚があって特に貴重品があるわけじゃない。会社の貴重品は会社の金庫に保管してあると思うんだ。よく分からないのが金田茂の仕事柄、仕事部屋に鍵をかける必要はなんだ? 奥さんだって会社に出入りしているし、家には家族しかいない。勿論、自分の部屋に鍵をつけたい人もいてそうするだろうが、今は一人しかいない家にそもそも仕事部屋で鍵を閉めてあったのがおかしいんだよ」
 それを言われてハッと気づく。
「そうだ」
「奥さんはその違和感に気づけても良かった筈だ。人がいないからこそ鍵を閉める筈なのに、奥さんはわざわざ鍵のかかった部屋を弁護士に確認をさせ、弁護士にドアを破らせた。やはり、この事件の犯人は金田茂の奥さんだ。ただ、証拠はまだないけど」
「なら、その鍵はどう? 実際、鍵のかかった部屋を簡単に体当たりで破ることは簡単じゃないんだ。だけど、大工じゃなくて鍵のネジを緩く閉めておいて簡単に壊れる安物の鍵を取り付ければ簡単に壊せられる。それが出来るのは奥さんだけだ」
「あとの問題は時間だ。弁護士がグルならこんな面倒はしないだろう。もっと簡単にやれる筈だ。これは奥さんの単独犯で弁護士は利用されたと考えた方がいい。もし、空白の午前中に金田茂に会っていたらどうだろう? まだ離婚が成立していない奥さんが離婚する前に会いに来ても金田は驚きはするも追い返すことはしないだろう。酒に酔わせ、昼にレストランへ行きカメラに映り証拠を残す。それからは供述通り。それから自宅に来た二人は一階を弁護士に探させると、奥さんは一人二階に行き眠っている金田茂を口元を布で覆い背中から刺し殺害。あとは自分が用意した鍵をかける。スペアキーを引き出しにしまったまま」




◇◆◇◆◇




 二週間後。
 社長は出張とか言い出していきなりいなくり、その間に業者が入って会社の照明は全てLEDに切り替わった。
 なんだかより明るくなったと思いながら社内にあるテレビの電源をつけると、テレビでは金田茂が死亡した事件で新たな進展があったとニュースキャスターが速報で報じていた。
 その時、扉が開いた。
「社長……」
「お土産いる?」
 紙袋を持った社長がいた。
「何です、それ? というよりニュース!」
「知ってるよ。金田茂の奥さんが逮捕されたんでしょ?」
「え、でもどうして?」
「奥さんを見つけ会ってきた。私達の推理を話したら奥さん自白したよ。言ったでしょ、犯人はずっと頭の中から忘れられないって。いつバレるか、いつも怯えながら生きている。仮面の下を剥がしたら、人は案外脆いもんだよ」
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