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01 嵐 〈前編〉
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それは酷い雨だった。川は茶色い濁流が既に氾濫危険水位寸前のところまできていた。突風と横殴りの雨、それに雷。それは家の中にいても外の騒々しさは伝わり、不安を掻き立てた。そんな家の主人である白髪の老婆は窓と電話機の間を往復していた。
「どうしよう、どうしよう……どうして電話が繋がらないの?」
受話器を取っても反応が無かった。嵐の影響で電話が繋がらなかった可能性は想像ついたが、杖をついて外出する老婆にとって一人であの嵐の中へ出るのは自殺行為に等しい程に危険だった。だが、川と家との距離までを考えると、自分はこのまま家と共に流されてしまうのではないかと、時間との問題に押しつぶされそうな気持ちになっていた。
これなら昨年言った息子の提案をもっと聞いてあげるべきだった。
老婆は自分の頑固さにようやく気づき、後悔した。息子の優しさはお節介にも私一人でこの家に暮らすより都会寄りへの移住をすすめてきた。ただ、老婆は住み慣れたこの家から離れたくなかったし、この家には思い出もあった。まだ、自分は大丈夫。そう断ったが、それは過信だった。現実の厳しさが老婆にそれを教えた。
救助が来る見込みはほぼ絶望的だった。過疎化が進んだ村に当然若者は少なく、村にいる高齢者の家を一軒一軒回っていくには、この嵐では時間がかかるだろう。電話で救助を求めることも出来ない。となれば自分に残された時間は僅かかもしれない。
老婆は窓から離れ自室へと向かった。老婆から離れた窓の向こうで、丁度大量の土砂が向かっていた。老婆はそれに気づかず、その部屋にある棚の一番下にあるアルバムを腰を庇いながら抜き取ると、そのアルバムを開いた。息子の不貞腐れた子どもの頃の写真。そして、ニッコリと微笑むと……土砂は老婆が住む家を巻き込んで押し流していった。
あれから数年。嵐の爪跡は数年が経過したというのに深く残されたままになっており、過疎化が進んだ村に住んでいた住民も遂にはいなくなった。復興されることもなく移住を余儀なくされた住民は環境が一変した新しい生活に慣れずに不憫な生活を送っていた。中には高齢のあまりに認知が進み、住処を奪ったあの嵐ですら記憶から忘れさられ、施設暮らしでも自分の家を探し続け徘徊行為が止まずにいる。
対して当事者でない世間はその嵐のことなど既に風化同然で社会は変わってないかのように回り続けている。
ジョン・ノーウッドもその中の一員に入ろうと努力していた。だが、それは無理な話しだった。
嵐の被害者の中にドロシー・ノーウッドという名前がある。ジョンはそのドロシーの息子だった。
嵐の大雨で地盤が緩み、それによって引き起こされた土砂崩れによって家ごと巻き込まれた。当初、遺体すら発見するのが難しいだろうと誰もが諦める中でジョンだけは諦めきれなかった。
最終的にはドロシーは遺体で発見された。それも、家からだいぶ離れた場所で。
ジョンは自分を責めた。あの時、無理にでも説得できたらと。だが、いくら後悔したところで、あの悲劇を自分は予測出来たであろうか? 観測史上「異常と呼べる豪雨」と言われ、異常気象という言葉の第一号を誰が予測出来たであろうか。そして、あれを発端に各地で第2号、第3号が起き始めた。
ここで、世界はようやく動き出し、世界の中立大都市があるメディウムに各国の首脳が集まり緊急会議が行われた。しかし、具体策がそこで講じられることはなかった。
その後も第4号、第5号と起き、頻度が増していった。
注釈すると、首脳達はその間に何もしなかったわけではない。何も出来なかったのだ。
人類は巨大な自然相手に為す術がなかった。それだけ人と自然に圧倒的な差があったのだ。
ジョンはその事実が嫌だった。そして、馬鹿だった。だから己を鍛えて自然に勝とうとした。
滝に打たれ、人類未達成の登山を成功したり、とにかく己の肉体だけで体当たりするような大馬鹿だった。
だが、人々はそんなジョンという男を笑ったりはしなかった。むしろ、彼のガッツに元気をもらい、勇気をもらった。
元々ジョンは格闘技の名選手だった。そこでの彼の強さは本物で、人々は彼を「最強で最高の戦士」と称した。
アサガオの季節、そしてドロシーの命日。ジョンは毎年この日になると必ず墓参りに来たくもない今は廃墟となった村に来ていた。ここに来ると思い出したくもない記憶を思い出すからだ。
無人となり荒れ果てた民家に野生が出入りして住み着いていたり、道に錆びついた車が置き去りになっているのを見ると虚しくなった。
ジョンは赤いスポーツカーで無人となった村の中を走らせていた。それは傍から見たら目立っていただろう。
今は周りから惜しまれながらも選手を引退し、若手の指導をしていた。現役時代に勝ち取った賞金も十分あるので生活も困ることはなかった。ただ一つ、この男は孤独だった。きっとドロシーは墓の中でジョンの結婚報告を待っているだろう。だが、それはいつになるのか、きっとあの世で陰口を言っているかもしれない。
結婚は必ずしも人生の幸せとは限らない。だが、孤独を埋めるには人生のパートナーを見つけることだ。しかし、この男に焦りのようなものはなかった。今のジョンには弟子がいたから。
別に女性に全く興味がなかったわけではない。現役の時代は特に絶世の美女が集まっては色んな女性と付き合ったものだ。
だが、それは野生の本能で知的な愛ではなかった。
車を暫く走らせていると、フロントガラスにポツポツと水滴が落ちてきた。ジョンはワイパーを作動させた。雨の勢いは更に増してきて、あっという間に天気は大雨になった。せっかくの墓参りもだいたいの確率で雨になった。
すると、誰もいなくなった村でブリーフケースを傘がわりに頭を庇いながら走っている男がいた。ジョンは車を路肩にとめると助手席側の窓を開けた。雨の臭いと冷たい風が入ってくる。
そして、男がやって来る。
「乗るか?」
「いいのか?」
男は「ありがとう」とお礼を言いながら助手席へと乗り込んだ。
「いやー急に降ってきて参っていたところだったから助かったよ」
「この村へは何しに?」
「自分は売れない新聞社の記者をやっていて、この村で起きた災害、あれを風化させないよう毎年この時期に記事にしてるんです」
「へぇ……」
ジョンはそう言って運転しながら横にいる男を時々見た。男はスーツ姿で安物の腕時計をしており、靴は動きやすいものを選んだのかスニーカーだった。ビール腹を男は鞄で隠していた。中年の地元記者といったところだろうか。
「あなたはこの村へ何しに?」
「墓参りに」
「そうでしたか。では、その人はもしかしてあの嵐で?」
「土砂崩れに巻き込まれて」
「ああ! そうだ、あなたを覚えてますよ。ジョン・ノーウッド。有名な選手だ」
「選手だった、だ。俺はもう引退した」
「えぇ、そうでした。あとでサインもらえませんか?」
「構わないが」
雨の勢いは直ぐにおさまっていった。
「どうやら通り雨のようだったみたいですね」
「そのようだな。さっきだが、毎年記事にしていると言ってたか? 今度見てみるよ」
「いいですって。本当、売れない新聞記者が書く記事ですから。最近は新聞読む人も減っていきましたし」
「確かに俺も読まないな」
「でしょ? 需要なんてとっくに過ぎてるんですよ」
「だが、新聞社が減ればニュース砂漠は広がる一方だろ」
「よくご存知で。でも、ほとんどは気にされませんし、関心もないでしょ。例え、一度砂漠と化したものを戻すことが出来なくなったとしても」
車は放置された畑の前を通過していった。
「あ、もうこの辺でいいですよ。雨もやみましたし」
「目的地まで送るよ」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
ジョンは車を路肩にとめた。
「一つ訊いてもいいか? どれだけの人があの嵐を覚えている?」
「間違いなくこの村の住人達は覚えているでしょう。そして、本当はあの村にもう一度戻りたいと思っている。周囲は分からないでしょう。あんな事があったにも関わらずと。でも、村に戻るのは叶わない。当時の市長は住民の意見を聞かず、移住計画を無理やり押し進めた。それはそうでしょう。その地域の医療や福祉かを維持するにも税収がそもそも見合っていない。財政危機を解消したがっていた市長にとって、復興費なんて用意出来る筈もない。国からの援助を求めることも出来ただろうが、丁度受け入れに手を挙げた自治体に丸投げしたかっただけなんです」
ジョンは聞きながら彼にサインを書き、それを渡した。
「ありがとうございます。正直、あの災害の記事をいつまで書き続けるべきか悩んでいます。既に人が住まなくなったあの村に起きた災害の悲惨さを伝えたところで私はいったい誰に届けているんだろうと。 ……すみません、勝手に長話を続けてしまいました」
「あんたは本当は聞いてもらいたくて記事を書いているんだろ? 少しでも誰かに読んでもらう為に。なら、続けたらいいさ。部数が減ろうと記者をやめる必要はない。あんたはあんたが書きたい記事を書けばいいさ」
「そうですね。ありがとうございます」
男は助手席を降りて頭を下げると一人歩き始めた。ジョンはギアを変えるとアクセルを踏んで走りだした。
ジョンの家は都市にある。高速に入って2時間以上で着ける場所で、その中でも高級住宅地が並ぶ区にジョンの住む豪邸がある。
敷居に囲まれた庭付きの広い敷地に入ると、車は家と隣接するガレージへとめた。
帰りの途中にジムを通った為、ジョンは直ぐにシャワーへとそのまま向かった。
現役を引退しても鍛え上げられた肉体が消えたわけではない。引退後も欠かさずトレーニングを続けていた。その為、シャツを脱ぐと腹筋はバッキバキに割れていた。それだけでなく、太くたくましい腕と足の筋肉、動体視力を人より持ち、身長は181cmはあった。髪は黒のツーブロック、瞳の色は茶色。
シャワーの最中、電話が鳴った。最悪のタイミングだと思ったジョンは電話を後回しにした。用事があるならまた連絡がくるだろう。そう思っていたが、電話のコールはいつまでも続いた。ジョンはシャワーを止めてバスタオルで水滴を拭うと、素っ裸のまま電話のところまでいくと受話器を取った。それから暫く沈黙が流れた。
ディーンが殺された。
電話の内容はジョンが面倒を見ていた闘技場選手の死を知らせる連絡だった。ディーンのスタイルはフットワークの軽さとそれに反した一撃一撃の重さ。彼のファンも少なくはない。
ディーンはかつて反抗期をこじらせ少年時代には幾つもの事件を起こして実刑を受けていた。その刑期が終えようという頃、彼の両親からディーンの話しを受けた。ディーンの喧嘩を活かす道を探ってた時、闘技場の選手を思いついたそうだ。ジョンは当然激昂した。子どもがするような喧嘩とは違う。血も流れるし怪我が理由で引退する選手が多い世界だ。そんな世界に子どもを送り出そうだなんて馬鹿親だと罵った。だが、これはディーンが望んだことでもあった。出所後、ディーンは一人ジョンの元へ現れその場で土下座し弟子入りを申し込んだ。弟子なんてとってないと言って断ったが、あの男は諦めなかった。ジョンが了承するまで毎日、雨だろうと現れ頭を下げた。ジョンはそいつの足元を見た。それはボロボロになったシューズ。ジョンは知っていた。あいつが単に頼み込んでるだけでなく、過酷なトレーニングを自らに課していた。ジョンは条件付きで引き受けた。条件とは、もう二度とくだらない犯罪を犯さないこと。両親に迷惑をかけないこと。ディーンは約束を守った。あれからあいつは約束を一度も破ったことはなかった。
意外といい奴だった。そんなディーンが殺された? 死んだとはわけが違う。
誰が殺した?
ジョンは急いで服を着ると、直ぐに飛び出した。
ジョンが向かった先は電話の主の職場だった。そこは制服警官が出入りする場所で、一階の受付を終えるとそこへ一人のスーツ姿の男が現れた。男はスキンヘッドで背はジョンよりやや低く、体は鍛えられてあった。名はウォルター。元闘技場選手で怪我を理由に引退後は警察の刑事として就職していた。ウォルターとジョンは闘った仲で、引退後はお互いパブで飲んだりしている。
「誰がやった?」
「まだ分かっていない。捜査中だ」
「なら、犯人が分かったら俺に教えろ。そいつを殺してやる」
「馬鹿なことを言うな。少なくともここではそんなこと言うんじゃない」
「何故殺された?」
「それも捜査中だ。分かっているのはディーンは昨夜から仲間と夜遅くまで飲んで、解散後ディーンは自宅に帰ることなく殺されたということだ。おそらくは帰宅途中に襲われたんだろう。発見されたのは都内の川のほとりの枝に引っかかっている状態でパトロール中の警官が見つけた。時間は朝の7時頃だ」
ジョンは腕時計を見た。ウォルターにはジョンが何を言いたいのか分かった。
「俺が知ったのはついさっきだ。遺体の損傷は酷く、顔面は潰されていた。衣服は全て脱がされた状態で身元確認に時間がかかったんだ」
「恨みか?」
「だろうな。でなきゃそこまでやらないだろ」
「一緒に飲んでいた仲間はどうだ?」
「いや、そいつらじゃないだろう。店主からの話しによれば全員かなり酔っていたそうだ。それから人を殺すなんて酔った勢いでも無理だそうだ。せいぜい可愛く川に誤って落ちるぐらいだって。顔面が潰されなければ事故として処理されてたかもな。だが、その傷があったからこそ事故の可能性は無くなった。殺された後で犯人が川へ投げ込んだんだろう」
「服を脱がせたのは何故だ?」
「身元を隠す為とかだろ。顔面が狙われたのも理由がつく」
「川に投げ込んだ時点で犯人は遺体を処理したと考えるだろう。だが、その行為事態雑だ。わざわざ遺体から服を抜き取って川に捨てたのなら、何故もっと慎重に期さない」
「犯人が馬鹿だったんだろ? それより犯人は相当恨みを持っていた筈だ。これからディーンの身辺でトラブルがなかったか調査するところだ」
「少年時代はどうだ?」
「奴が悪やってた時か。あれからだいぶ経ってるぞ? もし、その頃なら何故今になって? まぁ、だがそれも調べてみよう」
「俺は闘技場関係をあたってみる」
「おいジョン。俺がお前に教えたのは復讐のチャンスを与える為じゃないぞ。お前は心当たりないか? もし、ディーンが深い悩みを持っていたとしたら、真っ先に相談するのはお前の筈だ」
「俺は何も知らない。本当だ」
「……そうか。だが、何か分かったら必ず知らせろ。市民は警察に捜査協力する義務がこの国にはかるからな」
「俺はお前の手下になった覚えはない」
「法律の手下だろ? お前だけじゃない。国民全員だ。そして、義務は法に記されてある」
「なら、公務執行妨害で俺を逮捕するか?」
「俺はただ、お前が捕まるところを見たくないだけだ」
ウォルターはジョンが復讐でディーンを殺した犯人を殺してしまわないか心配している様子だった。いずれ、事件は世間に知れ渡る。だからこそウォルターはその前にジョンと会って警告したのだ。お前の行動を見張っているぞ。そう直接言われなくてもジョンを見るウォルターの目がそう語っていた。
「俺は行く」
「ジョン!」
ジョンはウォルターの呼ぶ声を無視して署を出ると、目の前にある駐車場にとめてあった赤い車に乗り込み、その足で闘技場へと向かった。
円形の闘技場は都内に一つしかない。そこには腕に自信のある者が集まる。だが、誰でも闘技場の選手になれるわけではない。ライセンスが必要であり、書類審査もある。基本、重犯罪を犯した前歴のある人物は書類審査で落とされる。それ以外にもいくつかルールがある。ディーンは正直書類審査に合格するかも怪しかった。だが、ジョンの推薦で理事達は最終的に認める判断をした。
闘技場は世間にとっての娯楽の一つでありスポーツでもある。その歴史は古く、昔のルールは現在よりも緩く死人もよく続出した。剣奴と呼ばれ無理やり戦わせる時代もあったが、時代と共に闘技場のあり方は変化していった。最近の闘技場に関する話題と言えば、ジェンダー平等を訴え闘技場の男性のみにライセンスが与えられるのは男女差別だとか言う人達がいて、闘技場に新たな変化を求める声があがっていた。男女別の大会を用意すべきだと賛同する声も聞かれる。ジョンにもそういったインタビューがきて意見を聞かれたりする。だが、ジョンは答える気など起きなかった。そういったことから自分は遠ざかりたかった。どちらの意見をしてもその反響は嵐のようで、いつも濁して答えを避けてきた。
石造りの闘技場は周辺のビル群と見比べてみても、そこだけ時代が取り残されたかのように歴史を感じた。
闘技場周辺は広場となっており、建物内へは一般と関係者用双方共に厳重な警備を通過する必要がある。
ジョンは特別に関係者入口のある裏から入った。金属探知機を通り過ぎて危険物の持ち込みが無いことを確認すると、係員から吊り下げ名札を受け取り許可証をぶら下げると、慣れ親しんだ闘技場内奥へと進んだ。
スタッフが行き交う通路の先の突き当りから、東と西側へと回ることができ、ジョンは先に東の選手待機所へと向かった。その待機所には扇風機が何台もフルパワーで回っていて、ベンチには出場に備え瞑想している者もいれば、装備の最終チェックをしている者など様々だった。そして、どの選手も鍛え上げられた肉体を持ち、背も平均的にはジョンくらいはあった。
選手の数人がジョンに気づき手を止めベンチから立ち上がって挨拶をしてきた。ジョンもそれに答えた。遅れて気づいた他の選手も全員ジョンの方を見ては驚いた様子を見せた。
「ジョンじゃないか!?」
「元気にしてたか皆? ピーターも」
坊主頭のピーターはここでは一番背が低い身長165cmだ。彼の初出場は覚えている。最初登場した時観客席からはブーイングの嵐が起こり、他の選手からはナメられた視線を送られていた。そこで沸点の低い男ならモメていただろう。だが、ピーターはそれらにいちいち反応するようなことはしなかった。試合前の揉め事や外での喧嘩に対しては厳しい罰則があり、一年以上の出場停止処分。程度や回数によって資格取り消し処分という最も重い処分にだってなる。それを分かっていたピーターは初出場で対戦相手だった巨漢選手を最速で倒し、一気に歓声を沸かせた。それはファンの間でも伝説の一つとして語られた。
「ジョン、今日は何しにここへ? 午後の部ももうすぐ終わる。ディーンなら今日は欠場しているぞ」
「そのディーンのことで来た」
ジョンはディーンが何者かによって殺害された話しをした。
「なんだって!? 誰に殺されたんだ?」
「それはまだ分からない。ディーンにトラブルはなかったか?」
「トラブル? いや……」
「何だ?」
ピーターは会場が見える窓の方を見た。今、そこでは選手同士が戦っている最中だった。
「今、戦っている西の選手がいるだろ?」
「見ない顔だな」
「最近出てきたばかりの選手さ。そいつとディーンが二人だけで言い合ってたんだよ。お互い手が出そうな雰囲気だったから周りを呼んで皆で止めたんだ。すると、そいつが止めようとしたサムの顔面を殴ってよ。それでサムの鼻が折れて出血が止まらず搬送されて、事態を重くみた運営はディーンに厳重注意処分と、そいつには一ヶ月の出場停止処分を与えたんだ。で、今日が処分が終わって初めての試合ってわけ」
「誰だそいつは」
「マイルズ」
ピーターがそう答えたのと同時に試合の決着がつき歓声が上がった。
拳を突き上げ勝利のポーズをした反対の腕にはサソリの入れ墨が入っており、なんといってもジョンより背が高かった。
「随分デカイな」
「ジョン、あんたより5cmデカい」
「ディーンはどんな言い合いをしてたんだ?」
「マイルズはディーンと仲が良かったビルに挑発して手を出させたのさ。それでビルは失格処分。マイルズはビルに試合で負けたことがある。その腹いせだろう」
「そんなことでか?」
「マイルズは期待の選手として出場したんだ。あのデカさだ。誰もが注目する。その最初の一戦でビルに負けたのさ」
「決着は?」
「判定負けさ。マイルズは気に入らなかった。自分は勝てたと」
「だが、負けは負けだ」
「その通り。だが、マイルズは納得しなかった」
「それでディーンは怒ったわけだな」
「ディーンは奴がビルにしたのと同じように挑発した。だが、マイルズもディーンを挑発した。ビルの悪口を言ったんだ」
そこへ試合を終えたマイルズが戻ってきた。冷えたスポーツ飲料を飲みタオルで汗を拭いながら。そして、そこにいたジョンに気づく。
「何故選手でもない奴がここにいる」
「マイルズ、許可証ならあるだろ」とピーターは言ったが、マイルズは「関係ないね」と言い放つ。
「それとも大会はジョンだから特別扱いするのか?」
「なんだ、お前は特別扱いされたいのか?」
ジョンとマイルズが睨み合い、一気に空気が変わった。
すると、コーンロウのマイルズは「それとも復帰でもするのか? だったら相手にしてやる。お前を倒して、伝説は過去のもんだと観客、理事に分からせてやるのさ」そう言いながらニタニタと笑った。
「気持ち悪い野郎だな」
「なんだと?」
「俺がここに来たのはお前が昨夜から朝の間、何をしてたか聞く為だ」
「は?」
「答えろ」
「寝てたよ。明日は試合だからな。それがなんだって言うんだ?」
ジョンは無視してピーターに「邪魔した」とだけ言ってあとは出ていった。
あのマイルズとかいう男の間抜けなゴリラのような顔の反応を見て本当に知らないんだと確信した。だとしたら違う奴がディーンを殺したことになる。
闘技場選手は気が荒い印象を持たれやすいが、実際はそうではない。確かに外ではパフォーマンスとして盛り上げる為に多少なりとも過激な演出、怒号とかをあげたりするが、あれを本気にする運営ではない。もし、本気にしたらペナルティを恐れて皆が萎縮してしまうだろう。たまに勘違いでクレームを入れる者もいるが大抵は無視される。それもその筈で、毎年死人が出ないのも厳格なルールが存在し、それに伴うペナルティを恐れてそれ以上が行動が起きにくい環境にあるからだ。それでも中には卑怯者もいる。だが、そういう奴はこの世界では長続きしない。選手として続けたいのなら、選手としての態度を示し続けなければならない。選手はアウトローでは決してない。
ジョンは西側の待機場所へも向かい選手と会ってきたが、不審な人物はいなかった。
これは想像だが、殺人を犯したばかりの犯人が平静を保っていつも通りの戦いが出来る筈がない。選手にとってコンディションと集中力を高めた精神状態を保つことは重要。間違いなく欠場でもしなければ戦いで失態を犯しているだろう。
しかし、そういった選手は少なくともいなかった。
ジョンにとってもはやウォルターが新たな手掛かりを手にすることに期待するしかなかった。
夜の8時頃。ジョンは都内にある洒落たパブでウォルターと再会した。二人はディーンに黙祷を捧げると、まずは一杯二人はこの店で一番強い酒を飲んだ。
「明日も早い時間から捜査なんだ。そんなには飲めないからな」
「それで何か分かったのか?」
「ディーンの少年時代に犯した強盗で一緒だった悪仲間の連中について調べてみたが、その中のリーダー格だった男はなんと弁護士事務所の秘書をしていた。元々勉強は出来る方で今は少年達の更生の為に働いている。なんでもその男を弁護した先生が面倒見のいい先生だったんだそうだ。ディーンが逮捕され出所以降は一度も会っていないと言っている。そのあたりはどうなんだ? お前はその後のディーンをよく知ってるだろ?」
「ディーンは悪仲間と会っていた様子はなかった。俺が関係を絶つよう言ったからだ。それで、その男は信用出来そうなのか?」
「根は悪そうではなかった。元々、親の受験勉強の為に色々と自由を制限されて、それで家に帰らなくなることが増え、そこで悪い大人に引っ掛かった。悪いのは大人の方さ。連中はそういったガキを見つけては誘惑する。一度些細なことで踏外せば、それを脅しに要求はどんどんエスカレートしていく。ある意味被害者でもある」
「リーダー格というのは?」
「実行犯という意味だ。指示役は捕まっていない」
「他のメンバーは?」
「一人はトーマスで出所後の仮釈放中に無免許の飲酒運転による人身事故を起こしている。今は服役中だ」
「仮釈放中に無免許と飲酒運転か?」
「確かに不審ではあるが……分かった。そいつに面会をしてみよう。後の一人イアンだが、そいつだけまだ行方が分かっていない。登録された住所に奴は住んでいなかった。住所変更届けを出していないか……居場所を知られたくない理由があるのか」
「警察は何故マークしなかった」
「既に仮釈放中の期間は過ぎてるからだ。ずっとは監視しない。警察も人手不足でね。そんな余裕はないのさ」
「そいつが犯人かもしれないのか?」
「まだ分からない。指示役の犯人だってまたディーンを利用しようとした可能性はまだ否定出来ないからな。そっちは?」
「選手に怪しい奴はいなかった」
「本当か? 全部話せ」
「マイルズとディーンが前に口論をしていた。マイルズはディーンと仲が良かったビルという選手を挑発してハメたんだ。結果ビルは追放。ディーンとマイルズは関係が悪かっただろうな。だが、奴はディーンに何があったのか知らなかった」
「どうして言い切れる?」
「殺人を犯したばかりの犯人が平静を保って試合に勝つのはほぼ無理だ。まともな精神である筈がない」
「なるほどな。だが、そのマイルズは異常な奴かもしれない」
「そう思うか?」
「そんなの分かりっこない」
「方法ならある」
「何をするつもりだ?」
後日。闘技場の試合スケジュールが急遽変更がかかった。その日に行われる筈だったディーンVSマイルズの試合を不戦敗によってマイルズの勝利になるところを特別に代理での出場として本日限り、伝説の男が復帰する。その名はジョン・ノーウッド!!
歓声が上がる会場に東からジョン、西からマイルズが現れた。
闘技場のルールは武器を取り、一対一の時間制限内で勝負をするというもの。相手が降参か行動不能か判定かで勝敗が決まる。武器は闘技場の運営が許可されたもののみで銃火器や毒など使用不可なものは当然ある。逃げ続けたりルール違反で指導が入り、2回の指導で負けが確定する。盾や防具の使用は可。
マイルズは鎖鎌と剣が武器で、盾はない。あるのは胴鎧だ。剣は現在鞘におさまったままで鎖鎌を先に使うようだ。
対してジョンは鎧も盾も身につかない。武器は片手剣のみ。
マイルズはジョンの姿を見て鼻で笑った。
「いいんだぜ、スタイルを変えたって。なにせあんたは引退した身。対して俺は現役だ」
「いや、いい。盾も鎧もあると動きが鈍くなる。俊敏な動きが出来なくなるならない方がマシだ」
「強がるなよジジイが!」
合図と共に試合が始まる。
最初に動き出したのはマイルズだった。鎖鎌を使う選手はジョンにとって初めての相手になる。それぐらい珍しい武器であった。
マイルズは鎖鎌をジョンの足元を狙って放った。ジョンは直ぐに避ける。それぐらいの回避はどうってことない。
だが、マイルズの狙いはジョンの足に鎖を巻きつけることでも怪我させることでもなかった。素早く引っ込め二度目を放つ。その鎖鎌はジョンの剣を鎖が巻きつけた。
「おお!」という歓声があがる。そうであろう、ジョンの武器が鎖鎌によって封じられたのだから。マイルズはジョンからその剣を奪おうと引っ掛けた鎖を引っ張った。マイルズは楽勝だと思った。負けるのは所詮もてはやされたアイツ。ルール上、出場した瞬間から新たに武器を持ち込んだり変更したりすることが出来ない。つまり、武器を奪われたアイツは終わりだ!
「ん?」
マイルズはどんなに力を入れ、筋肉に血管を浮かび上がらせても片手で持っているジョンから剣が中々奪えなかった。
ジョンは余裕そうな表情をマイルズに見せる。ジョンは柄を握りしめる握力を更にあげる。そして、ジョンは一瞬力を抜くとマイルズはよろめき、その瞬間に今度は引っ掛かった鎖鎌ごと引っ張った。
「あ!」
鎖鎌はマイルズの手から離れジョンの足元にそれは転がり落ちた。
「こんなものか?」
ジョンの余裕そうな態度は決して演技ではなかった。それはマイルズにもよく分かっていた。そして、それは怒りとかではなく、純粋にプレイヤーとして衝撃を受けていた。言葉に出せないが、これが伝説か、と。
マイルズは剣を抜いた。額に汗が垂れる。それは暑さとかではない。緊張感だ。
ジョンを本気で倒すなら一瞬のミスも許されない。それは足運びから、狙い目、相手からの攻撃の回避、その中から相手のスキを狙う。ジョンのことだからフェイントもあるだろう。わざと狙わせカウンターを狙ってくるかもしれない。そもそもさっきのでジョンがどれ程ぶっとんだ怪力持ちか分かった筈だ。普通に剣でぶつかりあったら、こちらの剣が折れてしまうだろう。回避は必須…… 。
そこまで考えてようやくジョンが何故防具や盾を嫌うのか。普通に考えたら頭のおかしい思考だっていうのに、ジョンは既に更に上の領域に達していて、そこでの戦いは鍛え上げられた動体視力と俊敏さで回避と攻撃を繰り返す世界をあの男には見えているのだ。
初めてだ。相手が見ている世界を自分も見てみたいと思えたのは。
剣をマイルズが構え、お互いが睨み合いを続けながら様子を伺って既に一分が経過した。マイルズにはそれは短い時間だが、歓声が止み、静かになった闘技場で二人の戦いの行方を見守っていた。それはまるで嵐の前の静けさのように。
「勝負だ!」
マイルズから仕掛けにいった!
二人の足運びが早くなる。その度に二人の足元周辺で砂埃が舞う。マイルズの剣は的確にジョンに狙いを定めてきた。ジョンはそれを剣で振り払う。マイルズの剣の刃が今ので欠けた。マイルズはそれに気づいていたが、そんなこと気にしてられる余裕はない。ジョンの攻撃が来る。
「早い!」
目の前で刃が振り下ろされようとした。まるで剣道の天才の領域が放つ面を上回る速度で、マイルズは死を一瞬感じ冷や汗を全身にかきながらも寸前で頭を傾ける。耳の直ぐそばで剣が振り下ろされた。
動体視力どうこうの問題ではない。マイルズの胴鎧に綺麗な縦一直線の傷を付けた。
「降参だ」
そこでようやくジョンの手が止まる。
直後、歓声があがった。ジョンは剣を鞘におさめた。
「どうやったらあんたみたいに強くなれる?」
「さぁな。そういうのは自分で考えろ」
「……ディーンのことは聞いた。残念だ。あんたは俺を疑ってるようだが、俺は殺してなんかない」
「もし、そうと分かっていたらあのままお前を殺していたさ」
ジョンはそういうと会場をあとにした。
観客席から見ていたウォルターもあのマイルズではないと直感で分かった。
マイルズなら、泥酔状態のディーンに簡単に勝ち殺害出来るだろうし、そもそもアリバイもない。だが、マイルズの戦いから見えた性格とビルをハメた性格からして、自分の得にならないようなことはしないだろう。奴にとって殺人は損でしかないからだ。
後日。ジョンはウォルターから聞いたかつての強盗仲間のクリスがいるという弁護士事務所の住所へと向かった。それは都内にあり、ビルの2階と3階を借りていた。民事と刑事でどうやら別れているようで、ジョンは3階の刑事担当の方へと向かった。受付を済ませ、待ち時間もほぼなく当時クリスの裁判を弁護したカート弁護士兼社長が現れた。ハンサムな外見にスーツ姿で、手首にはなにやら高級そうな腕時計がはめられてあった。髭は綺麗に剃られ、金髪のオールバック、丸い縁の眼鏡を掛けていた。
「秘書のクリスに話しを聞きたいということですが、あいにくクリスは依頼調査の関係で本日はここへは戻って来ないんですよ。もし、お伝えすることがありましたら伝言を預かりますがどうされますか?」
「カート弁護士、いや、社長と呼ぶべきか?」
「どちらでも構いません」
「ではカート社長、ハッキリ言ってあなたがクリスを匿っているのは分かっている。ディーンが何者かに殺害されたニュースぐらいあんたの耳に当然入っている筈だ。そして、あんたの読み通りその事件で俺は個人的に犯人を探している」
「何故警察に任せないのですか?」
「ディーンは俺が一から育てた選手だ。それをどこの誰か分からない犯人に殺されたんだ」
「成る程、お気持ちお察します。しかし、これだけは言えます。クリスは犯人ではありません。あの事件の後、クリスはディーンに会っていません。住所も連絡先も知らなかった筈です。勿論、警察の捜査には協力をしましょう。しかし、あなたは刑事ではない。でしたら我々があなたに協力出来ることはありません」
「……分かった」
ジョンは諦め来た道を戻ろうと振り返った。そして、突然途中で立ち止まった。
「企業してからかなり立派な事務所だな」
「ありがとうございます。ここまで成長するのに、かなり苦労はありましたがおかげさまで繁盛させてもらっています」
年齢は見た感じ30代後半から40代前半といったところか。
「一つだけ訊いていいか? 何故クリスを秘書にしようとした。それは更生のチャンスを与える為か?」
「犯罪行為事態は許される行為でないのは明らかです。しかし、更生を終えた人達が社会復帰し就職するには幾つかのハードルがあります。世間は自業自得と切り捨てるでしょうが、スムーズな社会復帰は再犯率を低くする上で重要になります。私は出所した人達に再び犯罪を犯してもらいたくないのです。ですから、事務所としても口だけでなく行動で示す為にも採用を決めました。それにクリスは努力家で勉強もそれなりに出来ます。採用したことに後悔はありませんね。それに私はクリスを信じています。雇用主としても支援者としても」
「どうしよう、どうしよう……どうして電話が繋がらないの?」
受話器を取っても反応が無かった。嵐の影響で電話が繋がらなかった可能性は想像ついたが、杖をついて外出する老婆にとって一人であの嵐の中へ出るのは自殺行為に等しい程に危険だった。だが、川と家との距離までを考えると、自分はこのまま家と共に流されてしまうのではないかと、時間との問題に押しつぶされそうな気持ちになっていた。
これなら昨年言った息子の提案をもっと聞いてあげるべきだった。
老婆は自分の頑固さにようやく気づき、後悔した。息子の優しさはお節介にも私一人でこの家に暮らすより都会寄りへの移住をすすめてきた。ただ、老婆は住み慣れたこの家から離れたくなかったし、この家には思い出もあった。まだ、自分は大丈夫。そう断ったが、それは過信だった。現実の厳しさが老婆にそれを教えた。
救助が来る見込みはほぼ絶望的だった。過疎化が進んだ村に当然若者は少なく、村にいる高齢者の家を一軒一軒回っていくには、この嵐では時間がかかるだろう。電話で救助を求めることも出来ない。となれば自分に残された時間は僅かかもしれない。
老婆は窓から離れ自室へと向かった。老婆から離れた窓の向こうで、丁度大量の土砂が向かっていた。老婆はそれに気づかず、その部屋にある棚の一番下にあるアルバムを腰を庇いながら抜き取ると、そのアルバムを開いた。息子の不貞腐れた子どもの頃の写真。そして、ニッコリと微笑むと……土砂は老婆が住む家を巻き込んで押し流していった。
あれから数年。嵐の爪跡は数年が経過したというのに深く残されたままになっており、過疎化が進んだ村に住んでいた住民も遂にはいなくなった。復興されることもなく移住を余儀なくされた住民は環境が一変した新しい生活に慣れずに不憫な生活を送っていた。中には高齢のあまりに認知が進み、住処を奪ったあの嵐ですら記憶から忘れさられ、施設暮らしでも自分の家を探し続け徘徊行為が止まずにいる。
対して当事者でない世間はその嵐のことなど既に風化同然で社会は変わってないかのように回り続けている。
ジョン・ノーウッドもその中の一員に入ろうと努力していた。だが、それは無理な話しだった。
嵐の被害者の中にドロシー・ノーウッドという名前がある。ジョンはそのドロシーの息子だった。
嵐の大雨で地盤が緩み、それによって引き起こされた土砂崩れによって家ごと巻き込まれた。当初、遺体すら発見するのが難しいだろうと誰もが諦める中でジョンだけは諦めきれなかった。
最終的にはドロシーは遺体で発見された。それも、家からだいぶ離れた場所で。
ジョンは自分を責めた。あの時、無理にでも説得できたらと。だが、いくら後悔したところで、あの悲劇を自分は予測出来たであろうか? 観測史上「異常と呼べる豪雨」と言われ、異常気象という言葉の第一号を誰が予測出来たであろうか。そして、あれを発端に各地で第2号、第3号が起き始めた。
ここで、世界はようやく動き出し、世界の中立大都市があるメディウムに各国の首脳が集まり緊急会議が行われた。しかし、具体策がそこで講じられることはなかった。
その後も第4号、第5号と起き、頻度が増していった。
注釈すると、首脳達はその間に何もしなかったわけではない。何も出来なかったのだ。
人類は巨大な自然相手に為す術がなかった。それだけ人と自然に圧倒的な差があったのだ。
ジョンはその事実が嫌だった。そして、馬鹿だった。だから己を鍛えて自然に勝とうとした。
滝に打たれ、人類未達成の登山を成功したり、とにかく己の肉体だけで体当たりするような大馬鹿だった。
だが、人々はそんなジョンという男を笑ったりはしなかった。むしろ、彼のガッツに元気をもらい、勇気をもらった。
元々ジョンは格闘技の名選手だった。そこでの彼の強さは本物で、人々は彼を「最強で最高の戦士」と称した。
アサガオの季節、そしてドロシーの命日。ジョンは毎年この日になると必ず墓参りに来たくもない今は廃墟となった村に来ていた。ここに来ると思い出したくもない記憶を思い出すからだ。
無人となり荒れ果てた民家に野生が出入りして住み着いていたり、道に錆びついた車が置き去りになっているのを見ると虚しくなった。
ジョンは赤いスポーツカーで無人となった村の中を走らせていた。それは傍から見たら目立っていただろう。
今は周りから惜しまれながらも選手を引退し、若手の指導をしていた。現役時代に勝ち取った賞金も十分あるので生活も困ることはなかった。ただ一つ、この男は孤独だった。きっとドロシーは墓の中でジョンの結婚報告を待っているだろう。だが、それはいつになるのか、きっとあの世で陰口を言っているかもしれない。
結婚は必ずしも人生の幸せとは限らない。だが、孤独を埋めるには人生のパートナーを見つけることだ。しかし、この男に焦りのようなものはなかった。今のジョンには弟子がいたから。
別に女性に全く興味がなかったわけではない。現役の時代は特に絶世の美女が集まっては色んな女性と付き合ったものだ。
だが、それは野生の本能で知的な愛ではなかった。
車を暫く走らせていると、フロントガラスにポツポツと水滴が落ちてきた。ジョンはワイパーを作動させた。雨の勢いは更に増してきて、あっという間に天気は大雨になった。せっかくの墓参りもだいたいの確率で雨になった。
すると、誰もいなくなった村でブリーフケースを傘がわりに頭を庇いながら走っている男がいた。ジョンは車を路肩にとめると助手席側の窓を開けた。雨の臭いと冷たい風が入ってくる。
そして、男がやって来る。
「乗るか?」
「いいのか?」
男は「ありがとう」とお礼を言いながら助手席へと乗り込んだ。
「いやー急に降ってきて参っていたところだったから助かったよ」
「この村へは何しに?」
「自分は売れない新聞社の記者をやっていて、この村で起きた災害、あれを風化させないよう毎年この時期に記事にしてるんです」
「へぇ……」
ジョンはそう言って運転しながら横にいる男を時々見た。男はスーツ姿で安物の腕時計をしており、靴は動きやすいものを選んだのかスニーカーだった。ビール腹を男は鞄で隠していた。中年の地元記者といったところだろうか。
「あなたはこの村へ何しに?」
「墓参りに」
「そうでしたか。では、その人はもしかしてあの嵐で?」
「土砂崩れに巻き込まれて」
「ああ! そうだ、あなたを覚えてますよ。ジョン・ノーウッド。有名な選手だ」
「選手だった、だ。俺はもう引退した」
「えぇ、そうでした。あとでサインもらえませんか?」
「構わないが」
雨の勢いは直ぐにおさまっていった。
「どうやら通り雨のようだったみたいですね」
「そのようだな。さっきだが、毎年記事にしていると言ってたか? 今度見てみるよ」
「いいですって。本当、売れない新聞記者が書く記事ですから。最近は新聞読む人も減っていきましたし」
「確かに俺も読まないな」
「でしょ? 需要なんてとっくに過ぎてるんですよ」
「だが、新聞社が減ればニュース砂漠は広がる一方だろ」
「よくご存知で。でも、ほとんどは気にされませんし、関心もないでしょ。例え、一度砂漠と化したものを戻すことが出来なくなったとしても」
車は放置された畑の前を通過していった。
「あ、もうこの辺でいいですよ。雨もやみましたし」
「目的地まで送るよ」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
ジョンは車を路肩にとめた。
「一つ訊いてもいいか? どれだけの人があの嵐を覚えている?」
「間違いなくこの村の住人達は覚えているでしょう。そして、本当はあの村にもう一度戻りたいと思っている。周囲は分からないでしょう。あんな事があったにも関わらずと。でも、村に戻るのは叶わない。当時の市長は住民の意見を聞かず、移住計画を無理やり押し進めた。それはそうでしょう。その地域の医療や福祉かを維持するにも税収がそもそも見合っていない。財政危機を解消したがっていた市長にとって、復興費なんて用意出来る筈もない。国からの援助を求めることも出来ただろうが、丁度受け入れに手を挙げた自治体に丸投げしたかっただけなんです」
ジョンは聞きながら彼にサインを書き、それを渡した。
「ありがとうございます。正直、あの災害の記事をいつまで書き続けるべきか悩んでいます。既に人が住まなくなったあの村に起きた災害の悲惨さを伝えたところで私はいったい誰に届けているんだろうと。 ……すみません、勝手に長話を続けてしまいました」
「あんたは本当は聞いてもらいたくて記事を書いているんだろ? 少しでも誰かに読んでもらう為に。なら、続けたらいいさ。部数が減ろうと記者をやめる必要はない。あんたはあんたが書きたい記事を書けばいいさ」
「そうですね。ありがとうございます」
男は助手席を降りて頭を下げると一人歩き始めた。ジョンはギアを変えるとアクセルを踏んで走りだした。
ジョンの家は都市にある。高速に入って2時間以上で着ける場所で、その中でも高級住宅地が並ぶ区にジョンの住む豪邸がある。
敷居に囲まれた庭付きの広い敷地に入ると、車は家と隣接するガレージへとめた。
帰りの途中にジムを通った為、ジョンは直ぐにシャワーへとそのまま向かった。
現役を引退しても鍛え上げられた肉体が消えたわけではない。引退後も欠かさずトレーニングを続けていた。その為、シャツを脱ぐと腹筋はバッキバキに割れていた。それだけでなく、太くたくましい腕と足の筋肉、動体視力を人より持ち、身長は181cmはあった。髪は黒のツーブロック、瞳の色は茶色。
シャワーの最中、電話が鳴った。最悪のタイミングだと思ったジョンは電話を後回しにした。用事があるならまた連絡がくるだろう。そう思っていたが、電話のコールはいつまでも続いた。ジョンはシャワーを止めてバスタオルで水滴を拭うと、素っ裸のまま電話のところまでいくと受話器を取った。それから暫く沈黙が流れた。
ディーンが殺された。
電話の内容はジョンが面倒を見ていた闘技場選手の死を知らせる連絡だった。ディーンのスタイルはフットワークの軽さとそれに反した一撃一撃の重さ。彼のファンも少なくはない。
ディーンはかつて反抗期をこじらせ少年時代には幾つもの事件を起こして実刑を受けていた。その刑期が終えようという頃、彼の両親からディーンの話しを受けた。ディーンの喧嘩を活かす道を探ってた時、闘技場の選手を思いついたそうだ。ジョンは当然激昂した。子どもがするような喧嘩とは違う。血も流れるし怪我が理由で引退する選手が多い世界だ。そんな世界に子どもを送り出そうだなんて馬鹿親だと罵った。だが、これはディーンが望んだことでもあった。出所後、ディーンは一人ジョンの元へ現れその場で土下座し弟子入りを申し込んだ。弟子なんてとってないと言って断ったが、あの男は諦めなかった。ジョンが了承するまで毎日、雨だろうと現れ頭を下げた。ジョンはそいつの足元を見た。それはボロボロになったシューズ。ジョンは知っていた。あいつが単に頼み込んでるだけでなく、過酷なトレーニングを自らに課していた。ジョンは条件付きで引き受けた。条件とは、もう二度とくだらない犯罪を犯さないこと。両親に迷惑をかけないこと。ディーンは約束を守った。あれからあいつは約束を一度も破ったことはなかった。
意外といい奴だった。そんなディーンが殺された? 死んだとはわけが違う。
誰が殺した?
ジョンは急いで服を着ると、直ぐに飛び出した。
ジョンが向かった先は電話の主の職場だった。そこは制服警官が出入りする場所で、一階の受付を終えるとそこへ一人のスーツ姿の男が現れた。男はスキンヘッドで背はジョンよりやや低く、体は鍛えられてあった。名はウォルター。元闘技場選手で怪我を理由に引退後は警察の刑事として就職していた。ウォルターとジョンは闘った仲で、引退後はお互いパブで飲んだりしている。
「誰がやった?」
「まだ分かっていない。捜査中だ」
「なら、犯人が分かったら俺に教えろ。そいつを殺してやる」
「馬鹿なことを言うな。少なくともここではそんなこと言うんじゃない」
「何故殺された?」
「それも捜査中だ。分かっているのはディーンは昨夜から仲間と夜遅くまで飲んで、解散後ディーンは自宅に帰ることなく殺されたということだ。おそらくは帰宅途中に襲われたんだろう。発見されたのは都内の川のほとりの枝に引っかかっている状態でパトロール中の警官が見つけた。時間は朝の7時頃だ」
ジョンは腕時計を見た。ウォルターにはジョンが何を言いたいのか分かった。
「俺が知ったのはついさっきだ。遺体の損傷は酷く、顔面は潰されていた。衣服は全て脱がされた状態で身元確認に時間がかかったんだ」
「恨みか?」
「だろうな。でなきゃそこまでやらないだろ」
「一緒に飲んでいた仲間はどうだ?」
「いや、そいつらじゃないだろう。店主からの話しによれば全員かなり酔っていたそうだ。それから人を殺すなんて酔った勢いでも無理だそうだ。せいぜい可愛く川に誤って落ちるぐらいだって。顔面が潰されなければ事故として処理されてたかもな。だが、その傷があったからこそ事故の可能性は無くなった。殺された後で犯人が川へ投げ込んだんだろう」
「服を脱がせたのは何故だ?」
「身元を隠す為とかだろ。顔面が狙われたのも理由がつく」
「川に投げ込んだ時点で犯人は遺体を処理したと考えるだろう。だが、その行為事態雑だ。わざわざ遺体から服を抜き取って川に捨てたのなら、何故もっと慎重に期さない」
「犯人が馬鹿だったんだろ? それより犯人は相当恨みを持っていた筈だ。これからディーンの身辺でトラブルがなかったか調査するところだ」
「少年時代はどうだ?」
「奴が悪やってた時か。あれからだいぶ経ってるぞ? もし、その頃なら何故今になって? まぁ、だがそれも調べてみよう」
「俺は闘技場関係をあたってみる」
「おいジョン。俺がお前に教えたのは復讐のチャンスを与える為じゃないぞ。お前は心当たりないか? もし、ディーンが深い悩みを持っていたとしたら、真っ先に相談するのはお前の筈だ」
「俺は何も知らない。本当だ」
「……そうか。だが、何か分かったら必ず知らせろ。市民は警察に捜査協力する義務がこの国にはかるからな」
「俺はお前の手下になった覚えはない」
「法律の手下だろ? お前だけじゃない。国民全員だ。そして、義務は法に記されてある」
「なら、公務執行妨害で俺を逮捕するか?」
「俺はただ、お前が捕まるところを見たくないだけだ」
ウォルターはジョンが復讐でディーンを殺した犯人を殺してしまわないか心配している様子だった。いずれ、事件は世間に知れ渡る。だからこそウォルターはその前にジョンと会って警告したのだ。お前の行動を見張っているぞ。そう直接言われなくてもジョンを見るウォルターの目がそう語っていた。
「俺は行く」
「ジョン!」
ジョンはウォルターの呼ぶ声を無視して署を出ると、目の前にある駐車場にとめてあった赤い車に乗り込み、その足で闘技場へと向かった。
円形の闘技場は都内に一つしかない。そこには腕に自信のある者が集まる。だが、誰でも闘技場の選手になれるわけではない。ライセンスが必要であり、書類審査もある。基本、重犯罪を犯した前歴のある人物は書類審査で落とされる。それ以外にもいくつかルールがある。ディーンは正直書類審査に合格するかも怪しかった。だが、ジョンの推薦で理事達は最終的に認める判断をした。
闘技場は世間にとっての娯楽の一つでありスポーツでもある。その歴史は古く、昔のルールは現在よりも緩く死人もよく続出した。剣奴と呼ばれ無理やり戦わせる時代もあったが、時代と共に闘技場のあり方は変化していった。最近の闘技場に関する話題と言えば、ジェンダー平等を訴え闘技場の男性のみにライセンスが与えられるのは男女差別だとか言う人達がいて、闘技場に新たな変化を求める声があがっていた。男女別の大会を用意すべきだと賛同する声も聞かれる。ジョンにもそういったインタビューがきて意見を聞かれたりする。だが、ジョンは答える気など起きなかった。そういったことから自分は遠ざかりたかった。どちらの意見をしてもその反響は嵐のようで、いつも濁して答えを避けてきた。
石造りの闘技場は周辺のビル群と見比べてみても、そこだけ時代が取り残されたかのように歴史を感じた。
闘技場周辺は広場となっており、建物内へは一般と関係者用双方共に厳重な警備を通過する必要がある。
ジョンは特別に関係者入口のある裏から入った。金属探知機を通り過ぎて危険物の持ち込みが無いことを確認すると、係員から吊り下げ名札を受け取り許可証をぶら下げると、慣れ親しんだ闘技場内奥へと進んだ。
スタッフが行き交う通路の先の突き当りから、東と西側へと回ることができ、ジョンは先に東の選手待機所へと向かった。その待機所には扇風機が何台もフルパワーで回っていて、ベンチには出場に備え瞑想している者もいれば、装備の最終チェックをしている者など様々だった。そして、どの選手も鍛え上げられた肉体を持ち、背も平均的にはジョンくらいはあった。
選手の数人がジョンに気づき手を止めベンチから立ち上がって挨拶をしてきた。ジョンもそれに答えた。遅れて気づいた他の選手も全員ジョンの方を見ては驚いた様子を見せた。
「ジョンじゃないか!?」
「元気にしてたか皆? ピーターも」
坊主頭のピーターはここでは一番背が低い身長165cmだ。彼の初出場は覚えている。最初登場した時観客席からはブーイングの嵐が起こり、他の選手からはナメられた視線を送られていた。そこで沸点の低い男ならモメていただろう。だが、ピーターはそれらにいちいち反応するようなことはしなかった。試合前の揉め事や外での喧嘩に対しては厳しい罰則があり、一年以上の出場停止処分。程度や回数によって資格取り消し処分という最も重い処分にだってなる。それを分かっていたピーターは初出場で対戦相手だった巨漢選手を最速で倒し、一気に歓声を沸かせた。それはファンの間でも伝説の一つとして語られた。
「ジョン、今日は何しにここへ? 午後の部ももうすぐ終わる。ディーンなら今日は欠場しているぞ」
「そのディーンのことで来た」
ジョンはディーンが何者かによって殺害された話しをした。
「なんだって!? 誰に殺されたんだ?」
「それはまだ分からない。ディーンにトラブルはなかったか?」
「トラブル? いや……」
「何だ?」
ピーターは会場が見える窓の方を見た。今、そこでは選手同士が戦っている最中だった。
「今、戦っている西の選手がいるだろ?」
「見ない顔だな」
「最近出てきたばかりの選手さ。そいつとディーンが二人だけで言い合ってたんだよ。お互い手が出そうな雰囲気だったから周りを呼んで皆で止めたんだ。すると、そいつが止めようとしたサムの顔面を殴ってよ。それでサムの鼻が折れて出血が止まらず搬送されて、事態を重くみた運営はディーンに厳重注意処分と、そいつには一ヶ月の出場停止処分を与えたんだ。で、今日が処分が終わって初めての試合ってわけ」
「誰だそいつは」
「マイルズ」
ピーターがそう答えたのと同時に試合の決着がつき歓声が上がった。
拳を突き上げ勝利のポーズをした反対の腕にはサソリの入れ墨が入っており、なんといってもジョンより背が高かった。
「随分デカイな」
「ジョン、あんたより5cmデカい」
「ディーンはどんな言い合いをしてたんだ?」
「マイルズはディーンと仲が良かったビルに挑発して手を出させたのさ。それでビルは失格処分。マイルズはビルに試合で負けたことがある。その腹いせだろう」
「そんなことでか?」
「マイルズは期待の選手として出場したんだ。あのデカさだ。誰もが注目する。その最初の一戦でビルに負けたのさ」
「決着は?」
「判定負けさ。マイルズは気に入らなかった。自分は勝てたと」
「だが、負けは負けだ」
「その通り。だが、マイルズは納得しなかった」
「それでディーンは怒ったわけだな」
「ディーンは奴がビルにしたのと同じように挑発した。だが、マイルズもディーンを挑発した。ビルの悪口を言ったんだ」
そこへ試合を終えたマイルズが戻ってきた。冷えたスポーツ飲料を飲みタオルで汗を拭いながら。そして、そこにいたジョンに気づく。
「何故選手でもない奴がここにいる」
「マイルズ、許可証ならあるだろ」とピーターは言ったが、マイルズは「関係ないね」と言い放つ。
「それとも大会はジョンだから特別扱いするのか?」
「なんだ、お前は特別扱いされたいのか?」
ジョンとマイルズが睨み合い、一気に空気が変わった。
すると、コーンロウのマイルズは「それとも復帰でもするのか? だったら相手にしてやる。お前を倒して、伝説は過去のもんだと観客、理事に分からせてやるのさ」そう言いながらニタニタと笑った。
「気持ち悪い野郎だな」
「なんだと?」
「俺がここに来たのはお前が昨夜から朝の間、何をしてたか聞く為だ」
「は?」
「答えろ」
「寝てたよ。明日は試合だからな。それがなんだって言うんだ?」
ジョンは無視してピーターに「邪魔した」とだけ言ってあとは出ていった。
あのマイルズとかいう男の間抜けなゴリラのような顔の反応を見て本当に知らないんだと確信した。だとしたら違う奴がディーンを殺したことになる。
闘技場選手は気が荒い印象を持たれやすいが、実際はそうではない。確かに外ではパフォーマンスとして盛り上げる為に多少なりとも過激な演出、怒号とかをあげたりするが、あれを本気にする運営ではない。もし、本気にしたらペナルティを恐れて皆が萎縮してしまうだろう。たまに勘違いでクレームを入れる者もいるが大抵は無視される。それもその筈で、毎年死人が出ないのも厳格なルールが存在し、それに伴うペナルティを恐れてそれ以上が行動が起きにくい環境にあるからだ。それでも中には卑怯者もいる。だが、そういう奴はこの世界では長続きしない。選手として続けたいのなら、選手としての態度を示し続けなければならない。選手はアウトローでは決してない。
ジョンは西側の待機場所へも向かい選手と会ってきたが、不審な人物はいなかった。
これは想像だが、殺人を犯したばかりの犯人が平静を保っていつも通りの戦いが出来る筈がない。選手にとってコンディションと集中力を高めた精神状態を保つことは重要。間違いなく欠場でもしなければ戦いで失態を犯しているだろう。
しかし、そういった選手は少なくともいなかった。
ジョンにとってもはやウォルターが新たな手掛かりを手にすることに期待するしかなかった。
夜の8時頃。ジョンは都内にある洒落たパブでウォルターと再会した。二人はディーンに黙祷を捧げると、まずは一杯二人はこの店で一番強い酒を飲んだ。
「明日も早い時間から捜査なんだ。そんなには飲めないからな」
「それで何か分かったのか?」
「ディーンの少年時代に犯した強盗で一緒だった悪仲間の連中について調べてみたが、その中のリーダー格だった男はなんと弁護士事務所の秘書をしていた。元々勉強は出来る方で今は少年達の更生の為に働いている。なんでもその男を弁護した先生が面倒見のいい先生だったんだそうだ。ディーンが逮捕され出所以降は一度も会っていないと言っている。そのあたりはどうなんだ? お前はその後のディーンをよく知ってるだろ?」
「ディーンは悪仲間と会っていた様子はなかった。俺が関係を絶つよう言ったからだ。それで、その男は信用出来そうなのか?」
「根は悪そうではなかった。元々、親の受験勉強の為に色々と自由を制限されて、それで家に帰らなくなることが増え、そこで悪い大人に引っ掛かった。悪いのは大人の方さ。連中はそういったガキを見つけては誘惑する。一度些細なことで踏外せば、それを脅しに要求はどんどんエスカレートしていく。ある意味被害者でもある」
「リーダー格というのは?」
「実行犯という意味だ。指示役は捕まっていない」
「他のメンバーは?」
「一人はトーマスで出所後の仮釈放中に無免許の飲酒運転による人身事故を起こしている。今は服役中だ」
「仮釈放中に無免許と飲酒運転か?」
「確かに不審ではあるが……分かった。そいつに面会をしてみよう。後の一人イアンだが、そいつだけまだ行方が分かっていない。登録された住所に奴は住んでいなかった。住所変更届けを出していないか……居場所を知られたくない理由があるのか」
「警察は何故マークしなかった」
「既に仮釈放中の期間は過ぎてるからだ。ずっとは監視しない。警察も人手不足でね。そんな余裕はないのさ」
「そいつが犯人かもしれないのか?」
「まだ分からない。指示役の犯人だってまたディーンを利用しようとした可能性はまだ否定出来ないからな。そっちは?」
「選手に怪しい奴はいなかった」
「本当か? 全部話せ」
「マイルズとディーンが前に口論をしていた。マイルズはディーンと仲が良かったビルという選手を挑発してハメたんだ。結果ビルは追放。ディーンとマイルズは関係が悪かっただろうな。だが、奴はディーンに何があったのか知らなかった」
「どうして言い切れる?」
「殺人を犯したばかりの犯人が平静を保って試合に勝つのはほぼ無理だ。まともな精神である筈がない」
「なるほどな。だが、そのマイルズは異常な奴かもしれない」
「そう思うか?」
「そんなの分かりっこない」
「方法ならある」
「何をするつもりだ?」
後日。闘技場の試合スケジュールが急遽変更がかかった。その日に行われる筈だったディーンVSマイルズの試合を不戦敗によってマイルズの勝利になるところを特別に代理での出場として本日限り、伝説の男が復帰する。その名はジョン・ノーウッド!!
歓声が上がる会場に東からジョン、西からマイルズが現れた。
闘技場のルールは武器を取り、一対一の時間制限内で勝負をするというもの。相手が降参か行動不能か判定かで勝敗が決まる。武器は闘技場の運営が許可されたもののみで銃火器や毒など使用不可なものは当然ある。逃げ続けたりルール違反で指導が入り、2回の指導で負けが確定する。盾や防具の使用は可。
マイルズは鎖鎌と剣が武器で、盾はない。あるのは胴鎧だ。剣は現在鞘におさまったままで鎖鎌を先に使うようだ。
対してジョンは鎧も盾も身につかない。武器は片手剣のみ。
マイルズはジョンの姿を見て鼻で笑った。
「いいんだぜ、スタイルを変えたって。なにせあんたは引退した身。対して俺は現役だ」
「いや、いい。盾も鎧もあると動きが鈍くなる。俊敏な動きが出来なくなるならない方がマシだ」
「強がるなよジジイが!」
合図と共に試合が始まる。
最初に動き出したのはマイルズだった。鎖鎌を使う選手はジョンにとって初めての相手になる。それぐらい珍しい武器であった。
マイルズは鎖鎌をジョンの足元を狙って放った。ジョンは直ぐに避ける。それぐらいの回避はどうってことない。
だが、マイルズの狙いはジョンの足に鎖を巻きつけることでも怪我させることでもなかった。素早く引っ込め二度目を放つ。その鎖鎌はジョンの剣を鎖が巻きつけた。
「おお!」という歓声があがる。そうであろう、ジョンの武器が鎖鎌によって封じられたのだから。マイルズはジョンからその剣を奪おうと引っ掛けた鎖を引っ張った。マイルズは楽勝だと思った。負けるのは所詮もてはやされたアイツ。ルール上、出場した瞬間から新たに武器を持ち込んだり変更したりすることが出来ない。つまり、武器を奪われたアイツは終わりだ!
「ん?」
マイルズはどんなに力を入れ、筋肉に血管を浮かび上がらせても片手で持っているジョンから剣が中々奪えなかった。
ジョンは余裕そうな表情をマイルズに見せる。ジョンは柄を握りしめる握力を更にあげる。そして、ジョンは一瞬力を抜くとマイルズはよろめき、その瞬間に今度は引っ掛かった鎖鎌ごと引っ張った。
「あ!」
鎖鎌はマイルズの手から離れジョンの足元にそれは転がり落ちた。
「こんなものか?」
ジョンの余裕そうな態度は決して演技ではなかった。それはマイルズにもよく分かっていた。そして、それは怒りとかではなく、純粋にプレイヤーとして衝撃を受けていた。言葉に出せないが、これが伝説か、と。
マイルズは剣を抜いた。額に汗が垂れる。それは暑さとかではない。緊張感だ。
ジョンを本気で倒すなら一瞬のミスも許されない。それは足運びから、狙い目、相手からの攻撃の回避、その中から相手のスキを狙う。ジョンのことだからフェイントもあるだろう。わざと狙わせカウンターを狙ってくるかもしれない。そもそもさっきのでジョンがどれ程ぶっとんだ怪力持ちか分かった筈だ。普通に剣でぶつかりあったら、こちらの剣が折れてしまうだろう。回避は必須…… 。
そこまで考えてようやくジョンが何故防具や盾を嫌うのか。普通に考えたら頭のおかしい思考だっていうのに、ジョンは既に更に上の領域に達していて、そこでの戦いは鍛え上げられた動体視力と俊敏さで回避と攻撃を繰り返す世界をあの男には見えているのだ。
初めてだ。相手が見ている世界を自分も見てみたいと思えたのは。
剣をマイルズが構え、お互いが睨み合いを続けながら様子を伺って既に一分が経過した。マイルズにはそれは短い時間だが、歓声が止み、静かになった闘技場で二人の戦いの行方を見守っていた。それはまるで嵐の前の静けさのように。
「勝負だ!」
マイルズから仕掛けにいった!
二人の足運びが早くなる。その度に二人の足元周辺で砂埃が舞う。マイルズの剣は的確にジョンに狙いを定めてきた。ジョンはそれを剣で振り払う。マイルズの剣の刃が今ので欠けた。マイルズはそれに気づいていたが、そんなこと気にしてられる余裕はない。ジョンの攻撃が来る。
「早い!」
目の前で刃が振り下ろされようとした。まるで剣道の天才の領域が放つ面を上回る速度で、マイルズは死を一瞬感じ冷や汗を全身にかきながらも寸前で頭を傾ける。耳の直ぐそばで剣が振り下ろされた。
動体視力どうこうの問題ではない。マイルズの胴鎧に綺麗な縦一直線の傷を付けた。
「降参だ」
そこでようやくジョンの手が止まる。
直後、歓声があがった。ジョンは剣を鞘におさめた。
「どうやったらあんたみたいに強くなれる?」
「さぁな。そういうのは自分で考えろ」
「……ディーンのことは聞いた。残念だ。あんたは俺を疑ってるようだが、俺は殺してなんかない」
「もし、そうと分かっていたらあのままお前を殺していたさ」
ジョンはそういうと会場をあとにした。
観客席から見ていたウォルターもあのマイルズではないと直感で分かった。
マイルズなら、泥酔状態のディーンに簡単に勝ち殺害出来るだろうし、そもそもアリバイもない。だが、マイルズの戦いから見えた性格とビルをハメた性格からして、自分の得にならないようなことはしないだろう。奴にとって殺人は損でしかないからだ。
後日。ジョンはウォルターから聞いたかつての強盗仲間のクリスがいるという弁護士事務所の住所へと向かった。それは都内にあり、ビルの2階と3階を借りていた。民事と刑事でどうやら別れているようで、ジョンは3階の刑事担当の方へと向かった。受付を済ませ、待ち時間もほぼなく当時クリスの裁判を弁護したカート弁護士兼社長が現れた。ハンサムな外見にスーツ姿で、手首にはなにやら高級そうな腕時計がはめられてあった。髭は綺麗に剃られ、金髪のオールバック、丸い縁の眼鏡を掛けていた。
「秘書のクリスに話しを聞きたいということですが、あいにくクリスは依頼調査の関係で本日はここへは戻って来ないんですよ。もし、お伝えすることがありましたら伝言を預かりますがどうされますか?」
「カート弁護士、いや、社長と呼ぶべきか?」
「どちらでも構いません」
「ではカート社長、ハッキリ言ってあなたがクリスを匿っているのは分かっている。ディーンが何者かに殺害されたニュースぐらいあんたの耳に当然入っている筈だ。そして、あんたの読み通りその事件で俺は個人的に犯人を探している」
「何故警察に任せないのですか?」
「ディーンは俺が一から育てた選手だ。それをどこの誰か分からない犯人に殺されたんだ」
「成る程、お気持ちお察します。しかし、これだけは言えます。クリスは犯人ではありません。あの事件の後、クリスはディーンに会っていません。住所も連絡先も知らなかった筈です。勿論、警察の捜査には協力をしましょう。しかし、あなたは刑事ではない。でしたら我々があなたに協力出来ることはありません」
「……分かった」
ジョンは諦め来た道を戻ろうと振り返った。そして、突然途中で立ち止まった。
「企業してからかなり立派な事務所だな」
「ありがとうございます。ここまで成長するのに、かなり苦労はありましたがおかげさまで繁盛させてもらっています」
年齢は見た感じ30代後半から40代前半といったところか。
「一つだけ訊いていいか? 何故クリスを秘書にしようとした。それは更生のチャンスを与える為か?」
「犯罪行為事態は許される行為でないのは明らかです。しかし、更生を終えた人達が社会復帰し就職するには幾つかのハードルがあります。世間は自業自得と切り捨てるでしょうが、スムーズな社会復帰は再犯率を低くする上で重要になります。私は出所した人達に再び犯罪を犯してもらいたくないのです。ですから、事務所としても口だけでなく行動で示す為にも採用を決めました。それにクリスは努力家で勉強もそれなりに出来ます。採用したことに後悔はありませんね。それに私はクリスを信じています。雇用主としても支援者としても」
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