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春廼舎 明

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「夢の内容、覚えてる?」
「え?…すごく怖かった。」
「俺の名前、呼んでた。夢に出るまで俺のこと思ってくれてたのかなって思いたいけど、そういう感じじゃなかった。」
「すぐヤらせるような女、本気にするわけないって、せせら笑われました。」
「うわ、俺、翠の夢の中でやり逃げしてるの? 最低だ。んなことしねえよ。」
「そうあってほしいです。」
「翠、本気で考えてほしい。翠はどうして俺についてきてくれた? どうして好きになってくれた? そんなに良かった?」
「凄く。」
「エッチだけで惚れんの?」
「違う。そんなお手軽じゃない。そこに至るまで、最中の態度。バーから連れ出してくれた時、ホテルで眠くなっちゃうくらい優しく抱きしめてくれた時、挿れる前、バーで声をかけて目を覗き込まれた時、今も。優しくて元々恋人だったかと錯覚した。なぜか安心できて、信用して良い気がした。」

「それ、翠の100%の勘で?」
「そう。それに私、前戯でも本番でもイッたの、竜一さんが初めてなの。」
「ええっ!あんなに感度が良いのに? 前の男、どんだけ下手クソなんだよ。」
「私もそう思う。同じくらい私も感じるの下手だった。」

「感じるの下手って、あんなに敏感なのに? 下手以前にほとんどシてない? よっぽど淡白なヤツだったの?」
「今までの人って、ちょっと気持ち良くなるとすぐ次行くの。本当にチョイチョイチョイって触るだけ。『三擦り半』でイケるか!」
「ぶはっ!それってさ、AVのテクニック真似するような男ばっかり?」
「……」
「翠が今まで男運悪くて良かった。おかげで俺が仕込んでやれる。他の男なんか選ぶなよ。俺に溺れれば良い。」
「独占欲? わー、私、現実でそんなこと言われたの初めて。嬉しいなあ。」
「なーんか心がこもってない気がする、翠!」

 チョンと押されたが、体がうまく動かない状態の私は、そのままごろりと仰向けに転がった。頭を動かしてみたけどミシミシ言うだけで動かないのでそのまま上を向いていた。竜一さんも習って私と同様にごろりと仰向けになった。私が顔を見られているのは恥ずかしいと言うのを覚えていてくれたのだろうか、向かい合うより横に並んでいた方が話しやすいと言う心理だろう。こういうことを何気ない仕草の中でできるから好きだと思う。

「竜一さん、ひと月前、本当の恋人より優しくて、あんなふうに抱かれてあんなの知っちゃったら、好きにならずにいる女なんてないですよ。」
「あの時はフリなんかじゃない。辛そうな翠をどうにかしてやりたかった、またとないチャンスだったから逃したくなくて本気だった。他の女になんか、あんな真似しない。翠だけだよ。」
「それ大成功ですよ。もう、本当、竜一さん好きだなあ。私だけ、特別、そんなキーワード、ときめかない女はいないですって。ますますなんで今まで結婚してなかったのか不思議。」
「……相手がいなかったそれだけだよ。28までいわゆるブラック企業に勤めてて、恋人ができてもデートする時間も気力もないし、カネもないし、直ぐ別れる。一夜の女と変わらねえ。」
「……ブラック?」
「で、辞めて暫くして、今の仕事始めた。余裕ができた頃、翠に会った。」
「…私があの人と、やっぱりダメだと気がついたのは、あの人の転職がきっかけでした。」
「聞いてもいい?」
「はい」
「じゃあ、直接の別れのきっかけは?」
「2週間ぶりのメールが、『ラブホ行こう』でした。」
「えっと、突然それ?」
「そうです。その時期ものすごく仕事が忙しくて、家にはほぼ寝に帰るだけでメールを返す気力すらない時期でした。」
「メール?」
「はい、メールの良さって、読める時、返信できる時にするってところだと思うんです。LINEになると、未読スルー、既読スルーってどういう事?って掲示板でネタになってるじゃない? 馬鹿馬鹿しい。回答が必要ない一方的な独り言や呟きにもいちいちリアクションする義務が出てくるのが面倒で、アカウントすら作って無いんです。」
「なんだ、後でID教えてもらおうと思ったけどないのか。」
「Eメールアドレスと携帯の番号なら教えますよ。30年前なら、連絡をとるって言ったら、家の固定電話だったのに。便利になったと同時に不便になりましたよね。返事できる状況じゃなくても返事をしないと文句を言われる。以前だったら、電話取れなかった、だけで済んでいたのに。」
「一言も返事できないほど忙しいの?」
「物理的に無理なわけじゃないんです。でも、本当に一言だけで返すわけいかないでしょ? 送られてきているメールが、返事が必要なわけでもなく、なんと応えればいいか困る内容だから返事ができないでいたんです。」

 それは、名前ぐらいしか覚えていない共通の知人を話題にあげたメールだった。

『Aさんって覚えてる?高円寺にお店開いたんだって。でも行きたくなんか無いけどね。』

……だから何? 行ってみようって言わせたいの? ツンデレか!? 行ってみたいならそう言えばいい。本当に行きたくないなら、話題にする方がバカだ。
 そこから話を膨らませたいなら『覚えてる?』と確かめなきゃならないような人の話を振るのが間違ってる。会話にしたいなら、返事を必要とする疑問形にすればいい。続きを送ってよこせばいい。そもそも自分で会話を切り上げている。

 自己完結、解決済み、独り言みたいなメール。早く寝たいのに、重要要件はないかわざわざ携帯を操作してチェックして読んで『あ、そ』の3文字だけの感想しか出てこない意味の無いメールに、『そ』と、一文字だけ返信しようかと思い、幾ら何でもそれはないだろうと思い留まる。そして、急いで返事する必要もないかと寝てしまう。
 翌朝、返信しようと試み、通勤中文章を苦心して考えているうち職場に着く。
 昼食休憩に頑張ってちまちま携帯で文字を打っている間に、電話を取ったり、話しかけられたりで、そもそもこれ、何て言葉を返せと言うんだ? 私に何を望んでいるんだ? いや何も望んじゃいない。少なくとも何かを望まれている文章ではない。なら返事要らなくない? と、バカバカしくなり削除してしまう。
 そうこう繰り返す間に、二日三日と日にちが経っていく。
 そして数日後、なんとか頑張って返信文章打ち込み、送信ボタンを押す直前チェックで冷静になる。もう、今更こんな独り言の呟きに、こんなに考え抜き推敲に推敲を重ねた文章を返信するのか? 理不尽にも一方的に送られてきた、いい加減な文章に対して? 私のことを思いやったわけでもない内容のものに?と無性に腹が立ち、やめてしまう。
 そんなことを数回繰り返して、土日くらいゆっくり寝たいって言うクッソ忙しくて体力限界なのに、メールが来た。

『ラブホ行こう』

 行くか馬鹿野郎!画面に向かってどなり返していた。

 しかも、生理中でできないよって言ったところからキッカリ4週間おきに3回連続誘われた後だ。都度生理だからダメだと断った。4回目だった。なんとかは3度言っても治らない。バカなのか。人の話を聞いていないのか。私がひどい月経困難症の治療でピルを飲んでいると話してあった。月初の生理日も次第に月末にずれていく。もうその時すでに、面倒臭すぎてこちらから聞く気も失せていたけど、もしかしてカレンダーの毎月同じ日にちに生理になるとでも思ってるの?  とうんざりした。

「で、なんて答えたの?」
「最低だ、とか、ゲスすぎる!っていうような事返しました。そしたら『やっぱり俺のこと好きじゃないんだ』と返信され、頭の中で何かがプツっと切れました。そんなに嫌われたいの? 嫌われて別れたいならそう言えばいいじゃない!! って喧嘩腰で返しました。」
「会いたい、て意味だったんじゃないの?」
「勿論それくらいわかってますよ。だったらその4文字送れば良い。なぜわざわざゲスな言い方するんでしょう? どう捉えられるか、誤解されても仕方ない文面のメールを送っている認識がないんです。私はその時本当に疲れていて、それを諭してやる気力がありませんでした。」

 疲れているからゆっくり家で寝てたい、と言えば、だから大きなお風呂入りに行こうよ、と言う。『で寝てたい』って言ったよね!? それでも連れ出したいなら、岩盤浴等リラクゼーション施設に誘えば良いのに。スパとエステが入っているリゾート風ホテルならまだしも、マッサージチェアのついてるグレードの高い部屋に奮発するわけでもなく、いつもの自宅より風呂とベッドが大きいだけのところ。

「毎回デートで顔を合わせるたび、二言目には『俺のことやっぱり好きになれない? 嫌いになっちゃった?』それが延々、付き合い始めから別れるこのときまで続きました。肉体関係を持つまでは不安で聞いてしまうと言うならわからなくもないです。でも、恋人だと認めていて言葉でも伝えていて肉体関係を持っていてもです。」
「ため息はその時のかな?」
「おそらくそうですね。」
「そもそもなんでそんな男と付き合い始めちゃったんだっけ? ……ああ、そっか、ストーカーにならないように、いやそんな事ないかも好きになる努力をしようって思ったんだっけ?」
「そう。なのに、嫌いたくなるようなことばっかり仕掛けてくる。」
「例えば?」
「って、話したいところですがそろそろ起きませんか? 今何時?」

 あわてて時計を見れば、まだそれほど急ぐような時間でもない。
 あいつは、おそらく、『頑張ったけど、やっぱり好きになれないの、ごめんなさい。』と涙ながらに言われて振られる悲恋の主人公になりたかったのだろう。

「チェックアウトは11時だから、まだゆっくりできるよ。お風呂入る?」
「入ります。でも動けないので連れて行ってください。」
「そのつもりだよ。翠、ジェットバスもブロアバスも禁止。また溺れられたら困るから。」

 クスクスと笑うと、腕枕を外しバスルームに向かう。ほどなくして勢いよくお湯が落ちる音がし出す。
 竜一さんが戻ってくると、そのまま私を抱え上げてバスルームに向かった。
 自分が大型犬か車か、人以外の何かになったのではないかと思うほど、事務的にでも丁寧に髪と体を洗われた。お礼に動かない体でゆっくりゆっくり竜一さんを洗った。さすがにデリケートなところは自分でやったし、やってもらった。もう帰る時間が見えてきているのに、ここで余計な熱を再発させても困る。

 そう言えば、小学校高学年、中学高校で女子は生理や妊娠について保健体育で教わった。高校生にもなれば望まない妊娠をしないよう、病気にならないよう避妊は大事だと言われ避妊具の名前は挙がっても、生理用品の使い方は図解付きで教わるのに、避妊具は具体的にどんなものか、どう使うのかは教わらなかった。それと同じように男子には、女性には生理というものがあると知る程度で、それには周期があり心身の不調が起きることは教わらないのだろうか。だからヤツがスーパーマーケットのセールのように、毎月同じ日にちに生理がくると思っていてもおかしくはないのか? けど、それにしてもいちいちあの人はものを知らなすぎたように思う。

「翠」
「わあっ!」

 ムッカーとしながら例の昔の恋人を思い出していたら、グリッと頭を竜一さんの方へ向けられた。屈んで腕を首に回させ膝に腕を添えられて、抱き運ばれると気が付き、慌ててしがみつく。

「…よっと…うん、今日は見た目通りの体重。」
「言ってください、腰痛めますよ?」
「そこまでやわじゃない。で? 何にイラついてたの? 何を思い出したの?」
「デトックスタイムに付き合ってくださるんですか?」

 湯槽にカンガルーのように抱っこされながら浸かれば顔が見えず話もしやすい。

「聞いてみたいね、人のふり見て我がふり直せ。勉強させてもらうよ。」
「あの黒い指輪、無理矢理贈り付けられたって言いましたよね。」
「うん。リングのサイズは、面と向かって訊かれたの?」

 半月後の誕生日デートの話をしている時、リングサイズを訊かれた。後に残るものプレゼントはもらいたくなかったから『指が太いから教えたくない』と頑なに答えなかった。『なんで指輪のサイズ知る必要があるの?』『もし指輪を買おうとしてるなら要らない、貰いたくない』『ジュエリー類は石のついたもの、石は一期一会、一目惚れしたものしか要らない』と言った。しかし私の言葉は伝わらない。誕生日2日前、私がしつこさに耐えきれずに答えてしまうまで、2週間延々執拗に何度も何度も訊いてきた。

「要らないものを押し付けるのは嫌がらせ以外の何物でもない。どうしてわからないのかしら?」
「あれだ、フラッシュモブに情熱注いじゃう、手段と目的が入れ違ってるのに気がつかないのと同じようなもん?」
「ああ、言い得て妙。そうかもしれません。」

 デートの待ち合わせ場に着いた時、彼の鞄がいびつに膨らんでいてプレゼントが入っているってわかった。でも、いつまで経っても渡す気配がない。デート中も人とすれ違うたびぶつからないよう、すれ違う人を威嚇し、その鞄を私より気にかけている。入ったレストランの荷物を入れるカゴに、大きな荷物の上に私の小さなバッグをちょこんと乗せたら、悲鳴を上げて大騒ぎ。唖然とした。私の小さなバッグを先に入れてと言う。イラっとして『そんな大きな荷物の下敷きにさせないでよ』と文句をつけてやれば、しどろもどろで挙動不審になる。
 バカらしくなった。プレゼントを少しくらい楽しみにしていた気持ちもなくなった、ちょっとくらい喜んでみせてやろうかと思ったけどそれもやめようと思った。待ち合わせ場所に到着した時に、はいプレゼント、って渡せばスマートだったのに。一日が終わる頃デザート時にようやく、しわくちゃのブランドの手提げ紙袋をお披露目しようとするのは、一体何を狙っていたのだろうか。どんな意味があるのだろうか。

「なんで受け取っちゃったの?」

 本当に、そうだ。それは、女なら一度はプレゼントしてもらいたいと思ったことがあるだろう、有名ブランドだったのと、デザインの気に入ったものが多いブランドだったし、だからまあいいか、と絆されてしまった。
 しかし、紙袋に入っていたのは、包装紙に包まれた薄っぺらい箱。ジュエリーボックスが入っているとは思えない。開ければ、平べったい箱に入っていたのはお守り袋みたいな巾着に入った黒いリングだった。

 見た瞬間、目が点になった。

「もう!全然、私の趣味に合わないの!口元がいびつにヒクついたの自分でもわかりました。お礼を言いたくなさすぎて、でも受け取ってしまったものに対して何も言わないのは、いい歳の大人のすることじゃない、でも言いたくない!って本当に言葉が詰まりました。それを頭の中お花畑のあの人は、感動してると勘違いしていたようです。」
「誕生日プレゼント、渡すタイミング完全に外してんの気がつかず、ディナーのデザートまで引きずってサプライズ成功と思ってた?」

 しかも都内近郊の直営店に、片っ端から、そのサイズの在庫確認と取置きのお願いの電話をしたと自慢げに話された。要らない物を贈り付ける、嫌がらせ以外の何物でもない。努力の方向、気の遣い方を間違えている。

「はは、確かにあの指輪だけ、普段身につけていた指輪やピアス、持ち物とかからは随分違う感じはしてた。へえ、あのブランドがその形状でプレゼント用として販売したとは、それも驚きだな。正規の直営店ででしょ?」
「そうです。センスのいいブランドなのに、よりによってどうして、それを選んだ!? それだけはないだろうって言う唯一のデザインのものを!なんで? って。私はその人の誕生日に、長く続かないってわかっているのに、プレゼント返しをしなければならないのか、選ばなきゃいけないのかと。¥22,680、せめてその半額くらいは出さないとまずいよなー、と思いうんざりしました。」

 そう、有名ブランドを選べば必然的にオンラインショップで値段が調べられてしまう。あのブランドの取り扱い品で最も低価格の品だとバレていると、そいつは気づいていたのだろうか。そんなことに気が向くとは思えない。気がつくことはないだろう。きっと嬉しいはずだ、しか思っていない。嬉しくないと考える女がいるなんてこれっぽっちも思わないだろう。そんなやつだった。



   
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