始まりの順序

春廼舎 明

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 また彼女の姿を見かけなくなる。まさか、結婚して引っ越したのか? アイツと? 彼女が幸せならそれでいいと思う。でもあのため息をついた表情が忘れられない。
 諦めと惰性で続く日々は虚しい。こんな俺のどこがいいのか女が寄ってくる。そういえば、再会した彼女はタバコを吸っていなかった。止めたのか。子供ができたのか? あの男の? いや、カフェインを摂っていた、違うか、考えすぎか。ますます目の前の女に、こんなことをしている自分に嫌悪感を抱く。それに気がついてからは、もう別の女を抱きたいと思えなくなった。

 いい加減諦めるべきだと思う。昔なら結婚して子を持って初めて一人前だ、みたいに言われた。さすがに面と向かってそんなことを言う連中は、今は、この会社にはいない。決心して書類仕事を終え、店を出る。

 なのに、彼女は俺に忘れさせてくれない。駅の方へテクテクと歩く彼女を見つけた。俺の前を通り過ぎた。
 ギョッとした。いい年の大人が5年もすれば老い衰える、いやそう言うことではない。目の下にはくっきりとここ数日でできたとは思えないクマがあった。それ以上に、今にも泣き出しそうで、辛そうで、でも歩調は怒っているかのようにツカツカと歩き、ふと歩調を緩め、ため息をつくその表情が痛々しかった。いつも座っている彼女を見るか、俺が座っている状態で彼女を見るかしていて知らなかったが、だいぶ小柄な体型だ。
 なんとなく、彼女のかなり後を歩く。すぐ後ろにいた男を振り返り、先へ通す。まあ、たまたま同じ方向だったとしても女の後ろをあんなぴったりついてたら、女は警戒するだろう。
 裏道というような狭い道に入り、こじんまりとした品のいいレストランやバーのある一帯へ来る。1軒のバーの前で立ち止まり意を決したように、大きく深呼吸してドアを開けた。
 彼女が入ってもしばらくその場に立ちすくんで、どうしようか考えた。待ち合わせ、アイツと? いや、彼女の指輪は銀色の元のに戻っていた。え、ならこれってチャンス?
 俺もドアを開け、中に入る。

 彼女の背中側のソファ席で静かに酒を飲む。なかなかいい雰囲気の店だ、よく知ってるな。ほぼ真後ろに座ってしまったため、彼女の表情はうかがい知れないが、それほど酒が進んでいる様子はない。
 カウンターの反対端にいた男が席を立った、と思ったら彼女に近づき、何やら話しかけている。そうか、待ち合わせか。

 なのに、待っても相手が来る気配がない。彼女もスマホを取り出し時間を気にしている。もう一度男が彼女に近づいた。男の顔を眺める。感じが悪い。下から覗き込むように相手の反応を窺うその視線が自信無げなようで無性に腹立たしい。ああ、あの男アイツに似てるんだ。……イライラしていたところ、男が彼女のすぐ隣に座り込みタバコに火をつけた。
 彼女の、今にも泣き出しそうな声が聞こえ、気がついたら彼女に触れようとしていた男の手首を掴み、カウンターに押さえつけていた。

 彼女の待ち合わせの相手には、場所の移動を伝えればいいだろう。でも相手が来るまで独りぼっちにさせるのは気がひける。
 そう思ったのに、彼女が手を握り、腕に抱きついて来る。これはどういうこと? 待ち合わせはあの男を追っ払う口実? 単純に行動を理解していない? 小さな体をギリギリまで近づけられる。見上げ、俺の目を覗き込む。縋るような視線だ。
 触れていない体温が伝わって来る。
 理性での抵抗をやめ、そっと彼女を抱き寄せた。
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