夏の夜に見た夢

春廼舎 明

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8.覚悟

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「はあ!?」
「おっと、驚くのは構わないが、あんた、あたしのドリンクをこぼさないでくれる?」
「あ、いやごめん。」

 マリオがエスメラルダにたしなめられる。
 エスメラルダは、傭兵になるため、北方の国からこの南の熱い国までやってきた。もともと民族的にも大柄で、その中でも女性としても大柄なのだという。艶やかな赤褐色の波打つ髪に深緑の瞳。もとは色白だったのだろうが、よく日に焼けた、この辺りでは珍しくない小麦色の肌。メリハリのある引き締まった色気ある体で、でも溢れるフェロモン、というより弾けるエネルギッシュなパワーという感じがする。

「いや、でも、だって、蒼月だろ?」
「そうだよ」
「だって、いや、ガキだろ、っていうか女だったの?」
「言っとくけど、蒼月が女の子だって気づいてなかったの、マリオだけだよ。」
「マジで? カルロは……」
「もちろん。でも雨季の終わりには生まれるってのは初耳だ。 っていうか、一番蒼月ちゃんと組んで仕事してたの、マリオじゃん。」

 あわあわやっているマリオを見る。

「しかも、雨季の終わりには生まれる? だって、蒼月が来てまだ半年くらいしか経ってねえし、早すぎねえ?」
「いや、お前、老人みたいにどこから時間止まってるんだよ。」
「あーれ? マリオ、もしかして子が生まれるまで、ヤってから10ヶ月とか思ってんの?」
「いや、え? そうなの? じゃなくて、隊長、ロリコンだったのか?」
「お前なあ!」

 ごん、とテーブルに拳を叩きつける。

「それは、お前が蒼月を男だと思い込んでたからだろ。男にしては背が低い・華奢だ=子供だって思ったんだろ。」
「う、そうかも。」
「蒼月はとっくに成人してる。」
「あら、子を成せるほどには大人だと思ってたけど、そうなの?」
「綾の国の女性は小柄なのが多いらしいしね。女性の中でも大柄なエスメラルダなんかと並べたら、そりゃ、小さく見えちゃうわな。」

 このテーブルに揃っているのは、傭兵のチームだ。隊長のゲンをリーダーとしてエスメラルダ、カルロ、マリオ、自分_蒼月の5人で組んでいる。しかし、このところチームで請け負う大きな仕事はしていない。雨季が近い。何よりも、つわりがひどく起き上がれないし、ろくに食べ物も食べられない。食べても吐く、水を飲んでも吐く、立っても座っても寝ても吐く。そんな状態がつい先日まで続いていた。隊長である彼も自分を放っておけず、付き添っていたため、この5人が集まるのはだいぶ久しぶりだ。

「でも、それにしても、早すぎねえ? だって、初めて会った時なんか骨と皮でガリガリだったじゃん。公衆浴場で誰も女だって気がつかなかったじゃん。」
「イリヤは気がついてたぞ。」
「そりゃ、そうだろ。どんなに痩せてたって、ついてなきゃ分かる。」
「イリヤって? 介助人の?」

 あの日買ってくれた甘芋の善哉、美味しかったな。かち割り氷がたくさん乗ってて、団子がもちもちしてて。

「ついこの間まで、森の中駆け回ってたのに!?」

 上に乗ってる氷がゴリゴリしててよかった。
 隣の席の器には、氷だけゴロゴロと残されたグラスが置いてある。

「旦那様、それ、欲しい。」

 氷を指差す。顔を見上げる。
 旦那様が一瞬、息を飲む。周りもしんとする。

「旦那様、欲しい。」

 指差して見つめる。
 旦那様が根負けし、諦めてため息をつきながらお許しを出す。

「……冷たいのは、一日2個までだぞ。」
「はい」

 ニコニコして唇をわずかに開け上を向く。目をつぶって待つ。
 コロン、と氷が口に滑り込んでくる。
 思わず頬を抑え、キューっとなる。

「つめたっ!」

 思わずぴょんぴょん飛び跳ねると、頭を押さえつけられる。

「こら、妊婦が跳ねるな!」
「ふふふ……氷、おいし」

 押さえつける手から逃れるように、くるりと体を回転させ、そのままくるくる移動する。

「こら、じっとしてなさい!」
「……ククク、これじゃどっちの父親かわかんないね。」

 日差しよけの外の日向のポカポカしたところで温まる。
 あっという間に、氷は溶ける。つまらない。冷えた口内はまた温まり出す。
 席について、もう一つねだる。

「旦那様、もっと」

 口元は緩んでるのに、眉をしかめる奇妙な表情をされた。

「旦那様、もっと」

 旦那様の腕にしがみついて顔を見上げる。真剣に訴える。
 詰めていた息をゆるゆる吐きながら、そっと頭を撫で、お許しを出してくれる。
 カルロとエスメラルダがニヤニヤしながらこっちを見てる。

「冷たいのは2個までって言ったろ? 今日は夜もうダメなんだぞ?」
「ん!」

 ちゅるんと、氷が口に滑り込んでくる。
 旦那様がカルロに言い訳をする。

「こんな調子で夜も迫られてみろ、耐えられるか?」
「無理だね。こりゃ、くるわ。」
「いやいやいや、あんな無邪気な子供みたいなら、ますますダメでしょ。」

 マリオが焦ったように、否定する。

「いや、感情表現こそ無邪気だけど、ちゃんと大人だぞ。少なくとも寝台の上での男女の睦み合いが、娼婦、恋人同士、夫婦でそれぞれ意味も性質も違うってわかってる。」
「ぶっ!」

 マリオが買ってきたジュースに口をつけようとして吹き出す。
 テーブルの上には、旦那様の飲んでいた飲み物のカップ、カルロの前に紙の袋。いい匂いがする。多分サンドイッチだ。彼はこの街のサンドイッチが好物で、むしろサンドイッチ以外食べているのを見たことがないくらい、いつもサンドイッチを食べている。ヌードルも、コムも美味しいのに。

「ん、蒼月ちゃん何? もしかしてお腹空いてる?」
「ああ、そういえば、飯を食いながらって予定だったね。」
「ああ、俺、リーダーと二人ならサンドイッチだけでいいかって思ったけど……」
「カルロは誰がいてもいなくても、サンドイッチだろ。」

 いつの間にか、誰がヌードルを買ってきて、おこわ、鶏飯、飲み物は誰と手分けして買ってくるものが決まる。

「蒼月はエスメラルダについて行く?」

 エスメラルダは大きな葉っぱでぴっちり包まれたおこわですら、運ぶ際こぼす。というか、袋ごと落とす。心配だ。
 でも、いかつい顔でさらに難しい顔して書類を睨んでいるこの人のそばを離れたくなくて、腕に抱きつく。

「わかった。待ってな。」
「ん」
「あ、炒め物に香草は入れるなよ。」
「わかってるよ。」

 3人が散り散りに買い出しに行く。
 二人残される。さっきまでの大騒ぎがあっという間に静かになる。
 他のテーブルの賑やかなしゃべり声、売り子と客の応酬、通りを走る子供達の声。ガタガタと重く響く荷をひく車の音。
 日よけの傘の下から、輝く街の光景を見る。
 ここにきてから、街にいる間は、あのほの光る不思議な光を見ることはなくなった。
 それは、あの光に教えてもらわなければならないほどの危険が迫るということが、安全な街中では無いからなのか。

 ゆったりと、暖かい空気の中、時折混じるひんやりとした涼風に眼を細める。
 地雷原に立たされ、全身全霊で神経を集中し、見えない危機を感じ取ろうとしていた日々。遠い、昔のように感じるけど、まだ一年と経っていない。
 一斉に奴隷を放出して、あの駐屯地は今どうなっているのだろうか。

「そういえば、蒼月のいたっていう駐屯地、撤退したんだって。」
「え」
「でも、まだ地雷が残っているから、あの辺りの一族は戻れない。撒いたのは自分たちだけど、攻め込んできたのはお前たちだって、今は不毛な論争の泥沼化だ。誰も責任を取るつもりがない。」

 思わず旦那様の顔を見上げる。ふわりと風が吹き抜ける。ごつくて、いかつくて、鋭い眼光の威圧感たっぷりなこの人が、たまらなく柔らかで優しい人に見える。大きな体は頼り甲斐があり、広く厚い胸は安心感がある。

 ドクン

 心臓が鳴る。
 もうあの場所には戻らない。この人と生きて行くんだ。
 唐突にわかった。街にいるときに見たことがないと思っていたあのほの白い光が、柔らかく、しかしはっきりと旦那様を照らしていた。


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