夏の夜に見た夢

春廼舎 明

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17.蒼い目に映る世界

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 アンネマリーが休みの日だったので、まんまと寝坊した。蒼月はにこやかに俺の手を引いて、広場に少し遅い朝食をとりに出た。
 歩き回れるほどになったのに、万が一シミになっては嫌だと言って、ラパンの街で買った衣裳は着てくれず、いつもの黒いズボンに生成のシャツ。麦わらの笠を深く被りせっかくの可愛らしい顔を隠してしまう。蒼月が女性だと認識した途端、可愛いと思う心が止まらない。立ち止まって振り返り、首を傾げ、ニコッと笑う仕草が可愛すぎる。可愛らしさが溢れて止まる所を知らない。俺の心が暴走しているとわかっている。
 広場の屋台でヌードルを買い、食後にカットされ皮を剥かれたザボンを食べる。塩と砂糖と唐辛子が振り掛けられ、おしゃべりしながらつまんでいるうちに山盛りだったのが空になった。茶を売る屋台で、何が気に入ったのか俺は好んで飲みたいとは思えない蓮葉茶を蒼月は選び、俺には菩提樹の茶を選んだ。後にカルロから、彼の故郷では、鎮静作用があるため落ち着きのない子供に飲ませるものだと聞かされた。
 アンネマリーに仕込まれた知識なのか、元から持っていた知識なのか、カルロから聞いて少し頬が引きつった。蒼月がその茶を選ぶほど、俺は堪え兼ねる状態だったということだ。




「で、蒼月はあの駐屯地の前は、どこかの屋敷で働いていて、その前にかあ様と暮らしていたんだ?」
「そう。かあ様と二人。静かに静かに暮らしてた。」
「町や村の中じゃなくて?」
「んー、多分、山とか森? ここの森みたいに鬱蒼としてなくて、大きなトカゲや太い蛇はいなくて、静かで明るいところ。」
「他に人はいなかったのか?」
「ん、たまにお爺さんが薪割りとかしに来てくれてた。」

 爺さんが山の中まで来て、薪割り? いや、当時の蒼月から見て爺さんだ、多分壮年の男性だろう。

「父親とか他に兄弟はいなかったのか?」
「んー、かあ様と二人きり。あ……」
「ん?」
「えっと、こっそりうさぎ飼ってたの。」
「うさぎ? 野うさぎ?」
「わからない。でも、よく木陰で日向ぼっこしてた。」

 木陰で日向ぼっこ?
 えーっと、木の下で日向ぼっこということか。

「なんで、こっそり飼うんだ?」
「んー、おじいさんがね、うさぎの肉はうまいって言ってた。だから、食べられちゃうと思って、秘密だったの。」
「そりゃ、隠すわな。餌はどうしてた、まあそこら辺の草でいいのか……」
「ん? 毎日鳥のお肉とか、猪肉のかけらとかあげてたよ。」
「え!? うさぎに肉? それ、本当にうさぎか?」
「うさぎだよ。耳がぴょこってしてて、毛がふわふわで、いっつも丸くなってたよ。」

 いやいやいや、ちょっと待て、肉は食わないはずだ。それに警戒心が強いから、そうそう姿を見せてくれないだろ? 毛がふわふわして、いつも丸くなってる?

「でね、眠ってる時、こそーっと近づくと、びっくりしてビヨーンって跳ねて木の上とか逃げちゃうの。」
「……それって、もしかして猫じゃない?」
「猫? 猫は、屋根とか石段とか、物干し竿でびろーんってなってるのでしょ? 違うよ。」

 なってる。確かに、なってる。
 きっぱり、キリッと否定された。なんでわざわざそんなところで? というところでくつろぐ猫。
 微妙に正しい蒼月の猫に対する評価。

「うーん、蒼月のいたところってここよりもっと寒い、涼しいところじゃなかった?」
「うん。長袖の服いつも着てた。」
「この国は暑いから、猫だってだらけちゃうけど、寒いところに行けば、体を冷やさないよう丸くなってじっとしてるさ。」
「でも、うさぎだよ。」
「その根拠は?」
「ご飯ねだるときの声がね、可愛いんだよ。」
「……どんな鳴き声?」
「ん『ミャァ~』」
「猫だよ、それ。」

 妙に具体的で正確な、間違った認識。蒼月の青い目に映る世界はどんな風に見えるのか、もっと知りたいと思う。
 話が脱線しては盛り上がり、戻って先に進んではまた脱線する。

 話をまとめると、かあ様が織り、染め、刺繍した布は、非常に貴重で高価で売れる。だから生活に困ることはないが、製作主をか製作方法を隠すため、山で暮らしていたらしい。
 その後の記憶は飛び、どこかの領主館に下働きの奴隷として働いていた。そして、領主は地位を追われどこぞで人買いにとらわれ、奴隷に身を窶し瀕死の状態に陥っているのを見かけたとのことだ。
 さらにその後、南西山間地域の駐屯地に送り込まれた。送り込まれた当初は生き延びるのに必死で、季節も覚えていない。季節を数えられるようになってから少なくとも2度は雨季を過ごしたらしい。雨季は寝泊まりしてる天幕が水の重みで潰れ、濡れて寒く、ひもじい思いをしたため、雨季が来たと思う事があった、ということは2度は雨季を過ごしたという判断だ。
 年齢についての考証は、アンネマリーやエスメラルダにも聞いてみた。出身はかなり離れているがどちらも初花は12歳前後で大差ないという。で、雨季はなかなか乾かないのに洗濯物が増えて困る、乾季はただでさえ暑く汗をかくのに重ね着、蒸れる脚の付け根、たらりと垂れたのは汗だと思ったら赤い筋だったとか、鬱陶しいことこの上ないと思っていたとのこと。つまり少なくとも1年以上は過ぎていた。そのうち、まばらになり、それはおそらく奴隷となった頃だろう。そして少なくともあの駐屯地にいた頃には全くなくなっていて、鬱陶しさや煩わしさがなくてよかった、くらいに思っていたとのことだ。
 12+1+?+2+α
 屋敷で働いていた期間は、雨季と乾季それぞれエピソード記憶があることから1年以上はいたのだろう。そうすると、昔では成人している年齢。今は、この国は、いや綾の国は……

 得体の知れない何かが迫ってくる。じわじわと何かが思い出せそうな、大事なこと。
 そもそも、蒼月は綾の国の者なのか? いや、そうだ。かあ様が作っていたというのは、おそらく、他国では国宝級と言われるほど美しい染め織り物に、刺繍をした布だろう。綾の国の特産品だ。身を隠さなければならないほどの品質、国宝級を作り出せるのだとしたら、綾の国でも限られた一族だ。
 じわじわと真実に迫る細い道に何かが見えてくる気がする。

「おや、お二人さん。今日は休日かい?」

 カルロとエスメラルダがやってくる。確か二人でどこぞの要人警護に当たっていたはずだ。その帰りだろうか。二人が並ぶと嫌でも人目をひく。金髪碧眼の絵に描いたような美丈夫のカルロに、妖艶で匂い立つような女……だがでかいエスメラルダ。俺たちのチームが目を引く、というのはこの二人のせいだと思う、間違いない。

「蒼月ちゃんは、もう元気になったのかい?」
「ん! 元気になった証」
「?」

 カルロは省略されている部分を図りかねたようだが、エスメラルダは最近の俺の蒼月に対する接し方の変化でピンと来たようだ。

「それは何よりだ。二人ともカップがもう空だけど、何か買って来ようかい?」
「ああ、頼む。いや、ぜひ蒼月もついて行ってくれ。」
「わかった。」
「俺は冷たいコーヒーと」
「サンドイッチだろ?」

 二人の後ろ姿を見送る。

「せっかく今、なんか大事なこと思い出せそうだったのに。」
「知るかよ。大事なことって、蒼月ちゃんの出自とか?」
「そう、綾の国の出だと思うんだがなあ……」
「うーん、俺が綾の国で知ってるのって、綺麗な織り物が特産品ってのと、確か20年くらい前にクーデターだっけ? が起きたってくらいかなあ。」
「……それだ! クッソ、なんでお前が思い出すんだよ。」
「知るかよ。っていうか、20年前じゃ、蒼月ちゃんがいくら幼く見えても大人、って言っても、それにしてもまだ生まれてないでしょ?」
「多分な。でも親は生まれてるだろ?」
「まあ、そうだろうな。」
「俺の一族もクーデターの影響から逃れるため出奔した。」
「へえ、リーダーって政変で影響受けるような家系だったの?」
「直接的に排除されるとかじゃない。居場所がなくなる、仕事がなくなるって感じかな。まあ、クーデターが起きなくても居場所がなくなりつつあったからな」
「何やってた一族なの?」
「刀鍛冶だ。」
「なるほど。」
「武で治めるより対話をって、平和主義のトップに変わって、武器である刀は売れなくなる。そもそも剣戟から重火器、武力より経済、商業戦っていう時代だ。」
「そう言いながら、傭兵家業やってんだから、なんとも因果なものだね。」


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