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龍宮の寝所
しおりを挟む雲の上に寝ころんでいるように、ふわふわと心地良い。
このままずっと眠っていられたらどんなに良いだろうと思う。
――いつまで寝ているんだい、役立たず。
富子さんの怒鳴り声が聞こえた気がして、私ははっとして目を覚ますと、がばりと起き上がった。
何とも言えない良い香りが、部屋に香しく漂っている。
花の香りだ。金木犀に似ている。心を明るくするような、秋の訪れを感じさせる香りが、私は好きだった。
商店に買い出しに出かけるとき、連なる家々の塀の奥から香る金木犀は、私の数少ない楽しみの一つだった。
「ここは……」
ふかふかの白い敷布団の上に私は寝ている。
広い部屋だった。右側の壁は障子になっていて、頭側には床の間がある。
床の間の花瓶には、意識をなくす前に見た気がする曼殊沙華がいけられている。
その奥に『風呂は何度入っても良い』という不思議な言葉が書かれた掛け軸がかけられている。
毛筆で書かれた掛け軸の文字が上手いのか下手なのか、私には良く分からない。ただ力強さを感じた。
十畳以上はありそうな畳敷きの部屋の真ん中に、私が寝ているお布団。障子の反対側の壁には引き戸がひとつ。天井には、鈴蘭のような形をした精巧な作りのランプが吊り下げられている。
足元側には――。
視線を巡らせた私は、息を飲んだ。
艶やかな花模様の掛け布団の、足先の方に、小さなひとが二人丸まっていた。
「……あ、あの、……あの」
長らくまともに話をしてこなかったせいか、声が掠れる。
子供なのだろうか。五歳ぐらいに見える、体の小さなひとたちだ。頭には、どういうわけか三角の猫に似た耳がはえている。
ふわりとした白い巻き毛の子と、さらりとした真っ直ぐな黒い髪の子供。
二人とも、白い着物と薄水色の袴を身に纏っていて、足には小さな足袋をはいている。
袴からは、長い尻尾がはえていて、時折ぱたりと揺れ動いた。
私の寝ているお布団の足元側で、二人とも丸まって眠っている。
少年だろうか、少女だろうか。
とても可愛らしい寝顔だ。
「これは、夢……?」
私は自分の体を見下ろした。
つるりとした白い着物の着心地は、私が今まで袖をとおしてきたどの着物よりもずっと良かった。
体には傷もないし、痛みもない。
濡れてもいない。
私は――池に落とされて、死んでしまったはずだ。
だからこれはきっと、夢なのだろう。
川岸で、優しくて美しい男性が、私を助けてくれたような気がする。
きっと、全て幻なのだろう。誰かに助けて欲しいと願った私に、神様が最後の夢を見せてくれているのかもしれない。
お布団の上で起き上がると、私は足元で眠っている二人の子供の髪を、ふさりと撫でた。
この夢は、いつ覚めるのだろう。
ずっと、悪夢ばかり見てきた。こんなに可愛い夢をみるのははじめてだ。
「……はっ!」
「にゃ……っ!」
二人の子供は可愛らしい声をあげて、びくんと体を震わせて、耳と尻尾をぴんと立てた。
それからはじけるように起き上がると、私の足元へとひざまずいた。
「……っ、ごめんなさい、私……」
起こしてしまった。勝手に頭に触ってしまったせいだ。
「おはようございます、みつさま。あんまり気持ちよさそうに眠っているものだから、顔をみていたら一緒に寝てしまいました。れんかさまにせっかく役目をもらったのに、ごめんなさい」
白い髪の子供が、愛らしい声で言った。
どこか不思議な音階の、たどたどしい声音だった。最近言葉を覚えたような拙さがあるけれど、それでいてその言葉は流暢で丁寧だった。
「おはようございます、みつさま。今日からみつさまのお世話をさせていただきます。私は黒猫のコカゲ。そして」
黒い髪の子供が、白い髪の子供よりももう少し落ち着いた声音で言う。
「僕は白猫のアカツキ。よろしくおねがいします」
白い髪の子供が、にっこりと笑った。
少年なのか少女なのかは分からないけれど、二人とも愛らしい容姿をしている。
やっぱり頭には三角形の耳がはえているし、お尻からは尻尾がはえている。
私は戸惑いながらも、丁寧に挨拶をして頂いたことを申し訳なく思って、布団の上で正座をして頭を下げた。
「はじめまして、六谷蜜葉と申します」
「みつさまは、かしこまらなくて大丈夫です。みつさまは、れんかさまが連れてかえってきた、龍宮のお客様なのです。コカゲたちは、みつさまのことを存じ上げております。お体は、痛みませんか? もう少し眠りますか?」
コカゲという名前の黒い髪の子が、私の傍に来るといたわる様にして背中と腕に手を置いた。
それから優しく、下げていた頭をあげさせてくれる。
「痛みは、ありません。たくさん眠ったような気がします。もう、大丈夫です」
「みつさま、無理はしないでくださいね。れんかさまは言いました、みつさまにはたくさんの、休息が必要なのだと。それは良く分かります。アカツキも、縁側で眠ることはなによりも好きなのです」
「……あの、これは、夢なのですか?」
アカツキという名前の白い髪の子が、私の横に座って手を伸ばして、よしよし、と頭を撫でてくれる。
小さな子に撫でられて、妙なくすぐったさを感じた。
二人とも、見ず知らずの私に優しい言葉をかけてくれる。
それから、『れんかさま』と呼ばれている方も。
それは私を川の淵で拾ってくれた男性の名前だ。あのひとも、私に――優しかった。
私は私に都合の良い夢を見ているのだろうか。
「夢ではありませんよ、みつさま。現世の方々にとってはこの世界は夢なのかもしれませんが、この世界にとっては現世もまた、夢と同じなのです」
「ここは、幽世。現世の方々が、神様と呼ぶ、人とは違う形をしたもののすむ国なのですよ」
アカツキとコカゲが、ゆっくりと諭すようにして教えてくれる。
かくりよ。
蓮華さんも同じことを言っていた気がする。
私はもう一度、頭の中でその言葉を反芻した。
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