早贄は、彼岸の淵で龍神様に拾われる

束原ミヤコ

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龍神族の王

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 片足を、お湯の中に入れる。
 じわりと体にお湯が染みこんでくるようだ。軋む扉に油をさしたように、体の隅々までほぐれていくような気がする。
 白い湯浴み着が、お湯の中でふわりと広がった。

 蓮華様の顔は、瞳だけで私と同じぐらいの大きさなのかもしれないと思えるほどに大きい。
 大きな龍がお湯に体を沈めている光景は、露天風呂も蓮華様も大きすぎて、私が小さすぎるのかもしれないと混乱するほどだった。

 私は岩の並ぶ端の方へと、体をしずめた。露天風呂は、手前から奥へと徐々に深くなっている。岩から降りた先は深すぎて、足が届かない。
 まるで、湖だ。お湯で出来た、湖。
 確かにこの大きさなら、アカツキが千人どころか、二千人以上はは入れるかもしれない。

「蜜葉。目覚めは、どうだろう。体に、不調は?」

「とくには、ありません」

 蓮華様に問われて、私は首を振った。
 龍は口を開いているわけではないのに、声が聞こえる。
 必要以上に大きいわけでもなく、聞き取りにくいということもない。
 私は所在なく、視線を彷徨わせて、自分の両手を見つめた。

「時を数えることは、しない。時は、止まっている。もしくは、緩慢に、ながれている」

 それは、この世界の話だろうか。
 私は頷いた。何と答えて良いのか分からなかった。

「私たちは長くこの世界で生きている。生きるということが、こうして言葉を話し、考え、営むことだとしたら、生きているという表現が正しいのだろう」

「……蓮華様は、神様だから、永遠に生きているということでしょうか」

「人間とは違う、理の中で生きる者。それが私たちだ。私は龍神族として生を受けた。そして、コカゲたちは、猫人族。猫の魂に神通力が宿ったものが、猫人」

「私は、神様たちの住まう世界に、迷い込んでしまったのですか?」

「神といえば神だが、違うといえば違う。だが、そのように考えてもらって構わない」

「……どうしたら」

 どうしたら、ちゃんと――消えることができるのだろう。
 そう問いたかったけれど、その先の言葉は出てこなかった。
 助けて頂いたのに、死にたいと願うなんて、口にしてはいけない。

「何年かに、一度、魂が現世からこちらに迷い込む。人間は、どういうわけか、私たち人とは違う理をもつものを神と敬い、同時に恐れ、贄を捧げる。贄として捧げられた魂は、三瀬川で揺蕩う。行き場を、探しているのだろう」

「私だけではないのですね」

「あぁ。今まで何人も、魂がやってきては、失われた。こちらの世界で、人間は形を保っていられない」

「私も、いつか消える?」

「それは、わからない」

「……どうして私は、まだこうして、話をしたり考えたり、できるのでしょう」

「君はまだ生きている。生きているのなら、そのまま生きていれば良い」

「私は」

「消えてしまいたいと願っていたのだろう、蜜葉」

 私は喉の奥で言葉を詰まらせた。
 消えてしまいたいと思っていた。死んでしまうことができたら、その先は何もなくていい。
 もし生まれ変わることができたのなら、すぐ散ってしまう、木の葉になりたいと。

「辛いことばかりが、あったのだな。君を拾ったときに、君の記憶に触れた」

 私ははっとして目を見開いた。
 蓮華様は、私の記憶を見た。
 だとしたら、私のことを全て知っている。私は皆を苛立たせてしまう。役立たずな、鬼の子だ。

「……蓮華様、私は、鬼の子なのです。だから」

「だから?」

「ここにいてはいけない。……死んでしまわないと、いけない」

 もう終われるのかと思った。
 それでも良いと、思ったのに。
 どうしてまだ続いているのだろう。
 息が苦しい。体をかきむしりたい衝動にかられる。ぽつぽつと、お湯の中に波紋が広がった。
 私は両手で顔をおさえた。
 心が――なくなってしまえば、良いのに。
 感情はいらない。何も考えたくない。
 狂うことができたら、どれほど楽だろうか。

「蜜葉」

 ゆっくりと、名前を呼ばれた。

「息を、吸って。深く吐いて」

 背中を、大きな手のひらに撫でられる。
 
「……は」

 喉の奥で、ひゅ、と音がなった。
 喘ぐように、促拍した呼吸を繰り返す。頭が痛む。生きているのか死んでいるのか、それすらよくわからないのに、体の感覚があるのが不思議だった。

「蜜葉。大丈夫。……これからは、私がいる」

「……でも」

「君の過去は、苦しいものだっただろう。けれど、それは過去。過去とは、過ぎたもの。そこにあるのは記憶だけ」

「記憶……」

「辛い記憶。苦しい、記憶。それは、君を形作っているかもしれない。けれど、そこに本当の君はいない」

 両手で覆っていた顔をあげると、私の目の前には、美しい男性の姿があった。
 私を拾ってくれた蓮華様の姿だ。私と同じ白い湯浴み着をきて、銀の長い髪がお湯の中にひらりと広がっている。

「蜜葉。それはただの、記憶。記憶とは、遠くから眺めるもの。浸って、溺れて、苦しむ必要はない」

「でも、私は……」

「君は、料理が得意。働き者。そして、百舌鳥を助けた」

「……どうして、知っているのですか?」

「記憶を見たから」

 蓮華様の指先が、私の目尻を撫でた。
 涙の膜でぼやけた視界のなかに、蓮華様の優しい微笑みが広がった。

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