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疑惑 1
しおりを挟むゼフィラス様に手を引かれて辿り着いたのは、見慣れた大通りである。
ちょうど劇場から、貴族街にあるタウンハウスに戻るために必ず通る馬車道だ。
夕暮れの道を劇場に向かい、馬車がゆっくりと通りを進んでいく。
これから、観劇に向かう方々なのだろう。
家やお店の並ぶ通りの反対側には川が流れている。
川の横は遊歩道になっていて、真っ直ぐ歩いていると港に辿り着く。
夕暮れの光が川面に差し込んで、揺れる水面を輝かせている。
帰路につくために歩く人々の姿がちらほらとある。ゼフィラス様は私と手を繋いだまま、川にかかる橋の上で足を止めた。
「ファルケン夫妻が命を落としたのは、この大通り。時刻は夕暮れ、仕事を終えてメルアの待つ家に帰ろうとしていた時のことだ」
「はい」
足を止めたゼフィラス様が、事実を確認するように口にするので、私は頷いた。
「……リーシャ、正直、君に伝えることを迷っている。だが、黙っているのは違うような気がして」
「ゼフィラス様。……私、思い出したのです。先程の、金属でできた輪のこと」
「気づいたか」
「はい」
口にするのは、少し怖い。
それが真実かどうかもわからない。ただ、あの輪。金属で作られた精巧な紋章のようなものは――。
「月と、梟。……それはベルガモルト家の家紋です」
声が僅かに震えた。
見覚えがあるはずだ。クリストファーの家に両親に連れられて行ったときに、その紋章が壁に飾られていた。
これは何かと尋ねる私に、クリストファーは「月と梟。ベルガモルト家が三大公爵家である証だ。古の国王陛下より賜った、知性を表す紋章だよ」と得意気に教えてくれた。
「あぁ。……これはおそらく、馬車馬の綱を調節するために取り付ける金具。馬車馬が暴れて夫婦ははねられているから、その時に綱が切れて落ちたのだろうな」
「ゼフィラス様、それは、つまり……」
「劇場の名簿を確認した。同日、ベルガモルト家の名で貴賓室が借りられている。……君には、残酷な事実かもしれないが」
「どうして……」
クリストファーはシルキーさんと浮気をした。
それだけだと、思っていた。
私のことは好きではなくて、学園で知り合ったシルキーさんに心を奪われた。
それぐらい、よくあることなのかもしれないと今は思うことができる。
婚約が解消されてからの態度も――私はずっとクリストファーのことを誰にでも優しい人だと考えていたから、驚いてしまって、どう受け止めていいのか分からずに、感情も言葉も心の中にしまいこんでいた。
今思えばあれは、私を貶めるのを楽しんでいたのだろう。
それぐらい私が嫌いだったのだ。
クリストファーも、たぶん、シルキーさんも。
それだけなら理解できる。でも、どうして。馬車でご夫婦をひいたことに、気づかなかったはずがない。
その場で馬車をとめて助けるぐらい、できたはずだ。
そうしたら命が助かっていたかもしれない。助からなかったとしても――きちんとした手順で、メルアに謝罪をしていれば。
助ける努力を、していれば。
あぁでも――去年の秋からクリストファーやシルキーさんの態度に変わったところはなにもなかった。
罪を、罪とも思っていないのかもしれない。
「もうすぐ学園の卒業式があるだろう。私も、参加するつもりだ。リーシャの婚約者として。……式典のあとで、二人に事実を確かめる」
「……もし、彼らが罪人れあれば、どうなりますか?」
「王国の法では、裁くことは難しい。貴族の罪は軽い。ベルガモルト公爵の判断になるだろうが……」
「そうなのですね」
サーガさんの言っていたとおり、馬車の事故は罪に問われないことのほうがほとんどだ。
貴族は特権階級で、多少のことには目をつぶられる。
よほどの罪を犯さない限りは。
「少しずつ、変えていきたいと思っている。……だが、今はまだ」
「ゼフィラス様……」
悔しい思いをしているのだろう。
私は、ゼフィラス様の手を握った。
私がかつて恋をしていた人は――人を、殺めても何とも思わない人だったのだろうか。
体が竦みそうになる。
けれど、ゼフィラス様の手に触れていると、安心することができる。
一人ではとても、受け止めきれない。耐えられなかった。
ゼフィラス様が一緒だから、取り乱さずにすんだ。
ゼフィラス様も同じだといい。やりきれない思いを、少しでも、私に分けて欲しい。
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