2 / 27
2
ルヴィ・メリアドの朝の目覚めはこの所、最悪という一言につきる。
「お嬢様、朝ですよ」と涼しげな声に呼ばれて薄らと目を開くと、かっちりとした執事服を着こなした黒髪の美形が顔を覗き込んでいる。
彼はジスト・ミカルディス。ルヴィ・メリアドの側には造形の美しい男が侍るべきだという持論の元、孤児院から引き取り奴隷その一にした、有能で口うるさい執事にして、護衛魔導師の男である。
まだ覚醒には至らないぼんやりしたままのルヴィの寝衣をさっさと脱がせて、丁寧に手早く着替えさせていく。
「お嬢、ほら口開けて」と艶のある甘い声に従い、ルヴィは唇を薄く開いた。口の中に歯ブラシが突っ込まれる。形の良い歯列を丁寧に磨くのは、金色の髪の美形だ。ジストとは違い、執事服をだらしなく着崩しているのが、彼の華やかな外見と相俟ってとても様になっている。
彼はキール・ランタナ。ルヴィ・メリアドの側には造形の美しい男が侍るべきだという持論の元、路地裏に倒れていたのを連れて帰り奴隷その二にした、執事にして護衛剣士の男である。
「はん、あ、ええああお」
「お嬢、何言ってるのか全然わかんない」
頭が明瞭になったのだろう、覚醒した途端に睨み付けてくる歯磨きをされたままのルヴィに、キールはにこやかな笑みを返す。
どことなく野性的な見た目に反して、その動作は無駄がなく優雅だ。口の端から落ちそうになった洗浄剤の泡を丁寧にタオルで拭き取り、コップと小さな水受けを差し出してルヴィに口をゆすがせる。
唇を濡らす水を拭き取とる頃には、着替えも終わり髪も綺麗に整えられていた。
ふわりとした柔らかそうなミルクティー色の髪には、小さなリボンが二つ結ばれている。睫毛の長い大きな瞳は薄い水色で、肌は白く、化粧もしていないのに唇は薄桃色に色づいている。
ルヴィ・メリアドは、見た目だけでいうならとても可愛らしい少女だった。
「薄汚れた駄犬の分際で、よくも昨日は好き放題してくれたわね……!」
ただし、性格を除いて。
「その駄犬の上で腰を振ってたのはお嬢だろ、ほんと、可愛くて死ぬかと思った」
「黙りなさい、キール。最悪よ、最低だわ、こんな安宿で駄犬に汚されるなんて、私はルヴィ・メリアドなのよ……!」
水色の瞳が怒りに燃えている。
愛らしい唇から紡がれる声もまた、鈴を転がしたような可愛らしいものなのに、その言葉は棘に塗れていた。
怒りに任せて手近にあった枕を引き寄せて、怒鳴りつけても全く気にした様子もないキールに投げつける。
軽々と枕を受け止めたキールは「お嬢は今日も可愛いなぁ」などと言いながらにやにやしている。
「お嬢様、お元気なのは良いですが、今日も歩きますのであまり無駄な体力を使わない方が賢明ですよ」
「じゃあ、あなたが私を抱いて歩きなさい、ジスト」
「それが可能であれば、私も是非そうさせていただきたいのですけどね」
昨夜の行為が体に響いているのだろう、ふらつくルヴィの体を抱き上げると、ジストはソファに座らせて両脇をクッションで固定した。
ルヴィは既にテーブルに準備されていた朝食を、そうされるのが当然であるかのようにジストが食べさせてくれるのを、口を開いて受け入れる。
小鳥に餌付けをしているような光景を眺めながら、キールはベッドに座ると地図を開いた。
今日の目的地は隣町。森を抜け、歩いて半日ほどかかる。キールとジストだけなら全く問題のない道のりだが、やれ疲れただの、もう歩けないだの言いながら休憩ばかりとろうとするルヴィを連れているので、到着する頃には夜になっているかもしれない。
「もう嫌、いらないわ。お菓子なら食べるけれど、野菜は嫌いよ」
「そうですね、お嬢様」
「嫌だと言っているの。もう下げて良いわ。美味しくないもの」
数口しか食べていない朝食をもういらないと言うルヴィの口に、ジストは慣れた様子でトマトの欠片を突っ込む。突っ込めば吐き出さずにきちんと咀嚼し飲み込んでしまうのが、ルヴィの育ちの良さを良く表している。
「菓子は高いんですよ、お嬢。朝から菓子を口にできる者なんざ、余程の豪商でもないかぎり街にはいませんよ」
ややくだけた敬語を使って、キールが言う。
もう少しまともに話せとルヴィは何度も文句を言っているが、彼はいうことを聞こうとしない。
それでいて正式な場ではきちんと振舞えるのだから、キールはけして頭が悪いわけではないのだ。
本当に頭の出来が悪いのなら、ルヴィは傍に置いておいたりはしない。
「……メリアド侯爵家ではこんな不自由したことはなかったわ」
口に突っ込まれた茹でた人参を、もぐもぐ、ごっくんと飲み込んだ後に、ルヴィは不機嫌そうに溜息をついた。
「それはそうでしょう、メリアド侯爵家の領地は豊かだ。ただの地方領主でありながら、国に金を貸し付けできる程の大金持ちですしねぇ」
キールが肩を竦める。
ルヴィ・メリアドはメリアド侯爵家の一人娘だ。
今年で十七歳。本来ならば王都にある貴族学校で優雅に青春を謳歌している年齢である。
王都の王立アルヴェル貴族高等学校は、十六歳から十八歳までの貴族たちを受け入れている。特例として豪商や最難関と言われる試験を通った平民も入学できることになっているが、基本的にはアルヴェル王国の貴族の子供たちを受け入れて学ばせる全寮制の学校だ。
ルヴィの十六歳でメリアド侯爵家から王都に向かい、一年ほどそれはもう怒涛のような文句を言い続けながら寮生活を送った。
貴族の子供たちにも自立をさせるという目的の元、寮での生活は基本的に一人で行うとされているが、それを守るものは少ない。大抵の場合は傍付きのメイドを連れてきているし、寮事態にも生活が困らない程度の支援体制が整えられている。
とはいえ、メイド用の住居が別に設けられているわけではないので、寮の自室での共同生活となる。
女生徒の中で男性である執事二人を引き連れて入寮したのはルヴィだけだった。
当たり前だがそれはもう目立っていた。ルヴィは目立つ事が好きなので、堂々と自慢げに、キールとジストを引き連れて歩いていた。
ルヴィの行動を見て良い顔をする者はいなかったけれど、口が達者で強すぎる程気の強いルヴィを正面から貶めようとする者などいなかったし、陰で悪く言っている事に気づかれようものなら倍返しでは済まないぐらいの罵詈雑言でやりかえす上に、メリアド家が大金持ちだと皆知っているので、阿る者の方が多かった。
有体に言って、ルヴィは恐れられていたのだ。
メリアド侯爵家の若き女帝と二人の忠犬は、アルヴェル貴族高等学校では知らないものはいない程に有名だった。
そんなルヴィが寮から追い出されたのは、ほんの数週間前のある出来事が原因だった。
「ただの地方領主の娘に甘んじて良い私ではないのよ。私は王妃になる筈だったのに、なんでこんなことに……、本当に、最悪だわ」
「そもそも、その考えが間違ってるんですよ、お嬢」
呆れた声で言うキールを、ルヴィは睨む。
彼女が何か文句を言おうとしたのを遮って、ジストが食事を終えた可憐な唇を布ナプキンでそっと拭った。
「お嬢様、今日もきちんと召し上がりましたね、とても偉いですよ」
「当たり前だわ。私を誰だと思っているの?」
散々文句を言いながら食べていた割に、ルヴィは得意気だ。
ジストは愛しい者を見るように目を細める。涼し気な、ともすれば冷たい印象の目元が、表情を少し変化させるだけで優し気なものへと変わる。
普通の女性ならば、思わずみとれてしまう程の美形に熱の籠った視線を向けられても、ルヴィは特に気にした様子もみせない。
何故ならば、彼らはルヴィが拾ってきた野良犬であり、彼女の所有物だからだ。
「本当はお嬢様に不自由などさせたくはないのですが、旦那様に必要以上の路銀を頂くわけにはいきませんからね。お菓子は、暫く我慢してください」
「愚かね、ジスト。私が一年間遊び歩いていたところでメリアド家は傾いたりはしないわ」
「まぁ、そりゃそうだろうけど。でもこの旅は懲罰なんだから、贅沢するのはおかしいだろ?」
「馬鹿ね、キール。言葉の意味をきちんと理解しなさい。私は必要最低限の生活がしたいと言ってるだけじゃない」
「お嬢の最低限は、俺たちにとっては贅沢三昧って事ですよ」
メリアド家で、ルヴィが何一つ不自由なく暮らしてきたのは、メリアド家が大金持ちだからという事ともう一つ、父親のルヴィに対する溺愛ぶりが凄かったからだ。
メリアド家の領民たちの間で、稲刈りの時の唄になるほどにその溺愛ぶりは評判で、彼女につぎ込む一日の金で平民は一年暮らせるとまで言われた程だ。
最愛の妻を早くに無くしたメリアド侯爵は、妻によく似た愛らしい容姿のルヴィをそれはもう甘やかした。将来領地を治めなければいけないルヴィの弟にはしっかりとした金銭感覚を厳しくしつけたというのに、ルヴィにはそうはしなかった。
お陰様で、ルヴィはちょっと歪んだ状態のまま真直ぐに育った。
政略結婚が基本の貴族で、お金には全く困っていないメリアド侯爵がルヴィに婚約者をあてがわず「好きな人と結婚して良いし、結婚したくなければずっとお父様と一緒に居ても良いんだよ」なんて言い続けていたのも、それに拍車をかけた。
今よりも幼かったルヴィが、何人見目麗しい青年を拾ってきても、「孤児を傍に置いて面倒を見るだなんて、なんて優しいんだルヴィは」などと言って褒めちぎった。
女のメイドではなくキールとジストを世話役として傍に置いても、咎められることは無かった。
彼らが優秀だったという事もあるし、メリアド侯爵が自由恋愛賛成派だったというのもまた、一般的な貴族としての思考からルヴィを大きく外れさせてしまっていた。
ルヴィが拾ってきたキールとジスト以外の青年たちは、今はもうルヴィの傍には居ない。
拾ってきて数日で、すぐに逃げ出してしまったからだ。
それはルヴィの世話が辛かったから、という訳ではなく、キールが剣の訓練と称して極限まで虐め抜き、心が折れたところにジストが数日は生きられる程度の金銭を渡していたからだ。
ルヴィはそれを知っていたけれど、何も言わなかった。肉体的苦痛に我慢が出来ず、少額のお金が手に入っただけで逃げる事を選んだ者など自分の傍に侍るのは相応しくない。
そんなわけで、貴族学校に入学する頃には、ルヴィの傍には彼ら二人しか残らかなった。
あなたにおすすめの小説
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話
よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。
「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。
巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
兄様達の愛が止まりません!
桜
恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。
そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。
屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。
やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。
無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。
叔父の家には二人の兄がいた。
そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…