33 / 42
幸せな巫女
しおりを挟む湯あみを済ませ、宿に用意されている滑らかな絹の寝衣を着て部屋に戻る。
湿り気を帯びた髪を湯布でふきながらラティアがちょこちょことアレクシスに近づいていくと、彼は本から顔をあげた。
ラティアは本のタイトルをじいっと眺める。
「せ、て……?」
「聖典だ。リーニエと神獣、十二貴族について書かれている」
アレクシスは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに普段の表情になり口を開いた。
「十二、貴族」
「あぁ。私は熱心なリーニエ信徒ではない。教えについてもどうでもいいと思っていたが、お前を傍に置く以上、知っていたほうがいいと考えている」
「私も詳しいことはよく知りません。お母様が教えてくださったのは、お食事の前のお祈りぐらいでした。それは、教えの中ではいいものだから、と」
「そうか。お前も興味があれば読んでみるといい。聖典は大抵、どの宿の部屋にも置いてある。まぁ、まともな宿であればの話だがな」
アレクシスは本を閉じると立ち上がった。
ラティアは布で包んだルクエを腕に抱いて、彼を追いかける。
「旦那様、湯あみ、お手伝いをします。お体を洗います」
「……誰かにそれをしていたのか?」
「は、はい。妹の……。髪や肌を綺麗にするのは、得意でした」
「そのようなことはしなくていい。休んでいろ。私は一人で問題ない」
本当にいいのだろうかと思いながら、ラティアは頷いた。
高貴な人というのは、自分で自分のことをしないものだ。ラティアの家族はそうだった。
湯あみも着替えも、落ちたものを拾うことも、荷物を持つことも一人ではしない。
アレクシスがいなくなり、ラティアは所在なく視線をさまよわせたあとに、アレクシスが座っていた椅子にぽすんと座る。
しっとり湿ったルクエが『僕は洗わなくても綺麗だ、犬ではないのだから』と腕の中で文句を言っている。
ラティアは分厚い本の表紙を手で撫でた。
アレクシスに言われた通りに本を開いてみるが、難しい単語ばかりで虫食いのようにしか読み取れない。
字が全く読めないわけではないが、難しいものはわからない。
「かつてこの大地は、魔竜により支配されていて人々はおびえて暮らしていた。リーニエは……」
『リーニエは、人々を哀れみ力を与えた。特に強い魔力を与えられたのは者たちは魔竜を討伐し、やがて彼らは十二貴族と呼ばれた。リーニエはそのうちの一人と愛し合い、人々に癒やしと助言を与え続けた。リーニエが死を迎えると、その力は力を引いた者たちに受け継がれることになった』
「それが、お母様、そして、私」
『あぁ、そうだね。僕たちはその時から、リーニエの傍にいた。彼女の力で生み出され、それから、彼女の力を受け継ぐ子たちの傍にいるようになった』
ラティアは難しい文字を指で辿りながら、ルクエの言葉に耳を傾ける。
聖典にはおそらく同じようなことが書かれているのだろう。
十二貴族は今でも王国に残っている。その中の一つが、ヴァルドール家。
そして、ラティアの母が生まれた神官家だ。
ルクエは布の中からもぞもぞと動いて外に出てくる。
湿った毛並みがぺたんとしている。『お湯の中は気持ちがいいけど、外に出ると最悪だ』などと言いながらベッドの上にのって丸くなった。
「ルクエは、歴代の巫女の傍にいて、神殿……神官家で大切にされていたのですよね。お風呂も入ったのではないですか」
『神獣を風呂に入れる者などいない。なにせ神獣なのだから』
「ご飯も?」
『神獣は食べる必要がない』
「今日のご飯もおいしかったですね、ルクエ」
『あぁ』
「旦那様の傍にいると、いろんな楽しいことがあります。私はきっと、幸せな巫女です」
『そうなって欲しい』
ルクエは祈るように言って、それから丸くなって目を閉じた。
くうくうと寝息をたてて眠っているルクエは、小さな犬にしか見えない。
ラティアはしばらく星を眺めていた。こんなにゆったりとした穏やかな夜を過ごせる日がくるなんて、考えたこともなかった。
そういえば母は、神官家での思い出を話したことが一度もない。
ラティアは巫女としての母を、何一つ知らなかった。
225
あなたにおすすめの小説
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
婚約破棄はまだですか?─豊穣をもたらす伝説の公爵令嬢に転生したけど、王太子がなかなか婚約破棄してこない
nanahi
恋愛
火事のあと、私は王太子の婚約者:シンシア・ウォーレンに転生した。王国に豊穣をもたらすという伝説の黒髪黒眼の公爵令嬢だ。王太子は婚約者の私がいながら、男爵令嬢ケリーを愛していた。「王太子から婚約破棄されるパターンね」…私はつらい前世から解放された喜びから、破棄を進んで受け入れようと自由に振る舞っていた。ところが王太子はなかなか破棄を告げてこなくて…?
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは、聖女。
――それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王によって侯爵領を奪われ、没落した姉妹。
誰からも愛される姉は聖女となり、私は“支援しかできない白魔導士”のまま。
王命により結成された勇者パーティ。
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い。
そして――“おまけ”の私。
前線に立つことも、敵を倒すこともできない。
けれど、戦場では支援が止まれば人が死ぬ。
魔王討伐の旅路の中で知る、
百年前の英雄譚に隠された真実。
勇者と騎士、弓使い、そして姉妹に絡みつく過去。
突きつけられる現実と、過酷な選択。
輝く姉と英雄たちのすぐ隣で、
「支えるだけ」が役割と思っていた少女は、何を選ぶのか。
これは、聖女の妹として生きてきた“おまけ”の白魔導士が、
やがて世界を支える“要”になるまでの物語。
――どうやら、私がいないと世界が詰むようです。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー編 32話
第二章:討伐軍編 32話
第三章:魔王決戦編 36話
※「カクヨム」、「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた
榛乃
恋愛
伯爵家の令嬢・リシェルは、侯爵家のアルベルトに密かに想いを寄せていた。
けれど彼が選んだのはリシェルではなく、双子の姉・オリヴィアだった。
二人は夫婦となり、誰もが羨むような幸福な日々を過ごしていたが――それは五年ももたず、儚く終わりを迎えてしまう。
オリヴィアが心臓の病でこの世を去ったのだ。
その日を堺にアルベルトの心は壊れ、最愛の妻の幻を追い続けるようになる。
そんな彼を守るために。
そして侯爵家の未来と、両親の願いのために。
リシェルは自分を捨て、“姉のふり”をして生きる道を選ぶ。
けれど、どれほど傍にいても、どれほど尽くしても、彼の瞳に映るのはいつだって“オリヴィア”だった。
その現実が、彼女の心を静かに蝕んでゆく。
遂に限界を越えたリシェルは、自ら命を絶つことに決める。
短剣を手に、過去を振り返るリシェル。
そしていよいよ切っ先を突き刺そうとした、その瞬間――。
【完結】虐げられて自己肯定感を失った令嬢は、周囲からの愛を受け取れない
春風由実
恋愛
事情があって伯爵家で長く虐げられてきたオリヴィアは、公爵家に嫁ぐも、同じく虐げられる日々が続くものだと信じていた。
願わくば、公爵家では邪魔にならず、ひっそりと生かして貰えたら。
そんなオリヴィアの小さな願いを、夫となった公爵レオンは容赦なく打ち砕く。
※完結まで毎日1話更新します。最終話は2/15の投稿です。
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています。
【完結】次期聖女として育てられてきましたが、異父妹の出現で全てが終わりました。史上最高の聖女を追放した代償は高くつきます!
林 真帆
恋愛
マリアは聖女の血を受け継ぐ家系に生まれ、次期聖女として大切に育てられてきた。
マリア自身も、自分が聖女になり、全てを国と民に捧げるものと信じて疑わなかった。
そんなマリアの前に、異父妹のカタリナが突然現れる。
そして、カタリナが現れたことで、マリアの生活は一変する。
どうやら現聖女である母親のエリザベートが、マリアを追い出し、カタリナを次期聖女にしようと企んでいるようで……。
2022.6.22 第一章完結しました。
2022.7.5 第二章完結しました。
第一章は、主人公が理不尽な目に遭い、追放されるまでのお話です。
第二章は、主人公が国を追放された後の生活。まだまだ不幸は続きます。
第三章から徐々に主人公が報われる展開となる予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる