鮮血の公爵閣下の深愛は触癒の乙女にのみ捧げられる~虐げられた令嬢は魔力回復係になりました~

束原ミヤコ

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ロザリアの病

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 アリーチェの細い肩が震えている。彼女がどれほど苦しんできたか、それだけですぐに知ることができた。
 言葉を詰まらせるラティアの代わりに、アレクシスが口を開く。

「アリーチェ嬢、あなたは働いたことがないだろう。一人で暮らしたこともない。経済的に困窮をしたことは今までなかったはずだ」
「……それが、何か」
「マルドゥーク家の娘であれば、学園で下働きをすることはない。貴族であるならば、教員になることができる資格がある。大抵、学園を卒業してそれなりの教育を受けることができているはずだからな」
「ええ、ですが私は」
「ジルバ殿が問題を起こし、ケンリッドのことは醜聞になっている。だから学園でも、お前は厄介者として扱われているのだろう。仕事をもらえたのは温情のようなものだな。お前とケンリッドの離縁は成立していない。お前はただ、ケンリッドから逃げたのだ。確かにあの男は浮気をしていたのだろうが」
「スヴォルフには私が嫁いだ時にはすでに愛人がいました。使用人の娘です。私が見ている前で、彼は平気でその女と……」
「それ以上は聞きたくない。興味もないことだ」

 アレクシスはどういうわけかラティアの両耳を塞いだ。
 ラティアはばたばたしながら、アレクシスの手を外そうとしてその手を握る。
 
「旦那様、私も、浮気ぐらいは知っています。私のお父様もそうでしたから」
「ラティア様も?」

 アレクシスが手を放してくれたので、ラティアはアリーチェに向き直ると頷いた。

「はい。私の母はアリーチェ様のように逃げませんでした。私を連れて逃げてくれていたら、何かが変わっていたかもしれません。あなたは、とても強い方です」
「いえ……私は……ヴァルドール閣下のおっしゃる通りです。学園で問題を起こされたら困ると言われて、下働きしかさせてもらえず、ロザリアも、守れない……。今も傍にいてあげたいのに、働かないとお金はもらえません。あの子は、熱を出しているのに……!」
「熱を?」

 アレクシスが訝し気に眉を寄せながら尋ねる。
 ジルバが、魔竜の襲撃があってから王都に疫病が流行っていると言っていたことをラティアは思い出した。
 アリーチェの大きな瞳が涙で潤む。どれほどの感情を、優雅で品のある笑顔の中に隠していたのだろうと、ラティアはアリーチェに手を伸ばした。
 雨粒を飽和するまで孕んだ雨雲のようだ。あと数秒で、ぽつぽつと雨が降ってくる。そしてそれはやがて、景色に白いカーテンをかけたような土砂降りになる。
 ラティアが遠慮がちにアリーチェの震える腕に触れると、アリーチェはラティアの肩に額を押し付けた。
 その背に手を回して、安心をさせるために撫でる。かつてシャルリアも、ラティアをそうして抱きしめてくれた。そうすると、ラティアは怖いことは何もないと思うことができた。

「流行病です。ラティア様に助けていただいた翌日から、熱が出ました。最初は微熱でした。食事もとれていました。ですが……今は熱が高く、すりつぶした果実ぐらいしか食べることができません。果実は高価ですから、働かないと、とても買うことができず……。今は、一日分の給金を無理を言っていただいています。そうすれば何とか、薬や果実を購入することができます」
「何! それは、疫病ではないか!」

 アリーチェの話を聞いてとうとう我慢ができなくなったのだろう。
 薔薇の生垣をがさがさ言わせながら、ジルバがガゼボに現れる。その体には薔薇の花びらや蔓が絡みついている。棘が体に切り傷をつくっていたが、彼は何も気にしていないようだった。

「お父様……っ」

 悲鳴じみた声を、アリーチェはあげた。
 逃げようとする彼女の腕を、アレクシスが掴む。アリーチェは非難の瞳をラティアに向けた。

「お父様の差し金だったのですね……! ラティア様、恩人だと思っていたのに!」
「もうしわけありません……ですが、私もあなたが心配でした。私と少し、似ていたから」
「落ち着け。冷静になれ、アリーチェ。お前に必要なのはジルバ殿の庇護だ。ケンリッドが娘を取り戻そうとしたら、お前には守るすべがない。高熱の娘を一人家に残し、働いているのだろう。それは娘にとって不幸ではないか。お前が働きに出ている間に、娘は死ぬかもしれない」
「ヴァルドール閣下、なんてひどいことを……っ、そんな、ロザリアが、死ぬなんて……」
「そうだぞ、アレクシス。残酷なことを言うな」

 アリーチェとジルバに責められて、アレクシスは深い溜息をついた。
 たしかにそれは残酷だが、可能性がまるでないわけではない。
 シャルリアも、ラティアが寝ている間に亡くなったのだ。朝になって母の元に行くと、母は冷たくなっていた。死とは、残酷に、ある日突然訪れるものだ。

「アリーチェ、俺が悪かった。お前のことを何一つわかっていなかった。お前が、後妻に邪険にされていたこともだ。あの女は家から追い出した。お前の妹や弟には、マルドゥーク家を継ぐのはお前だと、言ってきかせている。だから、戻ってきてくれ」
「今更なんだというのですか……っ、お父様は、お母様を見捨てました。私の話も、何一つ聞いてくださらなかった!」
「あぁ、その通りだ。だから罪滅ぼしをしたい。お前を大切にしたい。そして、孫娘を守りたい。お前たちは俺の大切な家族だ。本当に、すまなかった!」
 
 ジルバはあろうことか、地面に膝をついた。
 彼のような軍人で、そして高位貴族がそのような姿をさらすなど──どれほど覚悟のいることだろう。
 少なくともラティアの父ならば、絶対に行わない。
 あの父が、ラティアに膝をつき頭をさげる姿など、想像もできない。

「どうか、お前たちを守らせてくれ。アリーチェ、家に戻れ。不自由はさせない。このままでは、お前もロザリアも不幸になる。俺を許せとは言わない。ただ、頼って欲しい。お前はマルドゥーク家の、俺の娘だ」
「……ジルバ殿、あまり大きな声を出すな。貴殿は蟄居の身だ。陛下からの命令を違反したことが知られれば、問題になる」
「あぁ、わかっている。だが、陛下に従う以上に大切なことがあるのだ」

 アレクシスに注意をされたが、ジルバは首を振った。
 ラティアの腕の中にいるルクエが『以前にも同じようなことがあった。魔竜の魔力によって、体内の魔力が乱れている。それは魔熱だよ』と、ラティアに囁いた。

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