41 / 42
ロザリアの病
しおりを挟むアリーチェの細い肩が震えている。彼女がどれほど苦しんできたか、それだけですぐに知ることができた。
言葉を詰まらせるラティアの代わりに、アレクシスが口を開く。
「アリーチェ嬢、あなたは働いたことがないだろう。一人で暮らしたこともない。経済的に困窮をしたことは今までなかったはずだ」
「……それが、何か」
「マルドゥーク家の娘であれば、学園で下働きをすることはない。貴族であるならば、教員になることができる資格がある。大抵、学園を卒業してそれなりの教育を受けることができているはずだからな」
「ええ、ですが私は」
「ジルバ殿が問題を起こし、ケンリッドのことは醜聞になっている。だから学園でも、お前は厄介者として扱われているのだろう。仕事をもらえたのは温情のようなものだな。お前とケンリッドの離縁は成立していない。お前はただ、ケンリッドから逃げたのだ。確かにあの男は浮気をしていたのだろうが」
「スヴォルフには私が嫁いだ時にはすでに愛人がいました。使用人の娘です。私が見ている前で、彼は平気でその女と……」
「それ以上は聞きたくない。興味もないことだ」
アレクシスはどういうわけかラティアの両耳を塞いだ。
ラティアはばたばたしながら、アレクシスの手を外そうとしてその手を握る。
「旦那様、私も、浮気ぐらいは知っています。私のお父様もそうでしたから」
「ラティア様も?」
アレクシスが手を放してくれたので、ラティアはアリーチェに向き直ると頷いた。
「はい。私の母はアリーチェ様のように逃げませんでした。私を連れて逃げてくれていたら、何かが変わっていたかもしれません。あなたは、とても強い方です」
「いえ……私は……ヴァルドール閣下のおっしゃる通りです。学園で問題を起こされたら困ると言われて、下働きしかさせてもらえず、ロザリアも、守れない……。今も傍にいてあげたいのに、働かないとお金はもらえません。あの子は、熱を出しているのに……!」
「熱を?」
アレクシスが訝し気に眉を寄せながら尋ねる。
ジルバが、魔竜の襲撃があってから王都に疫病が流行っていると言っていたことをラティアは思い出した。
アリーチェの大きな瞳が涙で潤む。どれほどの感情を、優雅で品のある笑顔の中に隠していたのだろうと、ラティアはアリーチェに手を伸ばした。
雨粒を飽和するまで孕んだ雨雲のようだ。あと数秒で、ぽつぽつと雨が降ってくる。そしてそれはやがて、景色に白いカーテンをかけたような土砂降りになる。
ラティアが遠慮がちにアリーチェの震える腕に触れると、アリーチェはラティアの肩に額を押し付けた。
その背に手を回して、安心をさせるために撫でる。かつてシャルリアも、ラティアをそうして抱きしめてくれた。そうすると、ラティアは怖いことは何もないと思うことができた。
「流行病です。ラティア様に助けていただいた翌日から、熱が出ました。最初は微熱でした。食事もとれていました。ですが……今は熱が高く、すりつぶした果実ぐらいしか食べることができません。果実は高価ですから、働かないと、とても買うことができず……。今は、一日分の給金を無理を言っていただいています。そうすれば何とか、薬や果実を購入することができます」
「何! それは、疫病ではないか!」
アリーチェの話を聞いてとうとう我慢ができなくなったのだろう。
薔薇の生垣をがさがさ言わせながら、ジルバがガゼボに現れる。その体には薔薇の花びらや蔓が絡みついている。棘が体に切り傷をつくっていたが、彼は何も気にしていないようだった。
「お父様……っ」
悲鳴じみた声を、アリーチェはあげた。
逃げようとする彼女の腕を、アレクシスが掴む。アリーチェは非難の瞳をラティアに向けた。
「お父様の差し金だったのですね……! ラティア様、恩人だと思っていたのに!」
「もうしわけありません……ですが、私もあなたが心配でした。私と少し、似ていたから」
「落ち着け。冷静になれ、アリーチェ。お前に必要なのはジルバ殿の庇護だ。ケンリッドが娘を取り戻そうとしたら、お前には守るすべがない。高熱の娘を一人家に残し、働いているのだろう。それは娘にとって不幸ではないか。お前が働きに出ている間に、娘は死ぬかもしれない」
「ヴァルドール閣下、なんてひどいことを……っ、そんな、ロザリアが、死ぬなんて……」
「そうだぞ、アレクシス。残酷なことを言うな」
アリーチェとジルバに責められて、アレクシスは深い溜息をついた。
たしかにそれは残酷だが、可能性がまるでないわけではない。
シャルリアも、ラティアが寝ている間に亡くなったのだ。朝になって母の元に行くと、母は冷たくなっていた。死とは、残酷に、ある日突然訪れるものだ。
「アリーチェ、俺が悪かった。お前のことを何一つわかっていなかった。お前が、後妻に邪険にされていたこともだ。あの女は家から追い出した。お前の妹や弟には、マルドゥーク家を継ぐのはお前だと、言ってきかせている。だから、戻ってきてくれ」
「今更なんだというのですか……っ、お父様は、お母様を見捨てました。私の話も、何一つ聞いてくださらなかった!」
「あぁ、その通りだ。だから罪滅ぼしをしたい。お前を大切にしたい。そして、孫娘を守りたい。お前たちは俺の大切な家族だ。本当に、すまなかった!」
ジルバはあろうことか、地面に膝をついた。
彼のような軍人で、そして高位貴族がそのような姿をさらすなど──どれほど覚悟のいることだろう。
少なくともラティアの父ならば、絶対に行わない。
あの父が、ラティアに膝をつき頭をさげる姿など、想像もできない。
「どうか、お前たちを守らせてくれ。アリーチェ、家に戻れ。不自由はさせない。このままでは、お前もロザリアも不幸になる。俺を許せとは言わない。ただ、頼って欲しい。お前はマルドゥーク家の、俺の娘だ」
「……ジルバ殿、あまり大きな声を出すな。貴殿は蟄居の身だ。陛下からの命令を違反したことが知られれば、問題になる」
「あぁ、わかっている。だが、陛下に従う以上に大切なことがあるのだ」
アレクシスに注意をされたが、ジルバは首を振った。
ラティアの腕の中にいるルクエが『以前にも同じようなことがあった。魔竜の魔力によって、体内の魔力が乱れている。それは魔熱だよ』と、ラティアに囁いた。
200
あなたにおすすめの小説
妹の身代わり人生です。愛してくれた辺境伯の腕の中さえ妹のものになるようです。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
タイトルを変更しました。
※※※※※※※※※※※※※
双子として生まれたエレナとエレン。
かつては忌み子とされていた双子も何代か前の王によって、そういった扱いは禁止されたはずだった。
だけどいつの時代でも古い因習に囚われてしまう人達がいる。
エレナにとって不幸だったのはそれが実の両親だったということだった。
両親は妹のエレンだけを我が子(長女)として溺愛し、エレナは家族とさえ認められない日々を過ごしていた。
そんな中でエレンのミスによって辺境伯カナトス卿の令息リオネルがケガを負ってしまう。
療養期間の1年間、娘を差し出すよう求めてくるカナトス卿へ両親が差し出したのは、エレンではなくエレナだった。
エレンのフリをして初恋の相手のリオネルの元に向かうエレナは、そんな中でリオネルから優しさをむけてもらえる。
だが、その優しささえも本当はエレンへ向けられたものなのだ。
自分がニセモノだと知っている。
だから、この1年限りの恋をしよう。
そう心に決めてエレナは1年を過ごし始める。
※※※※※※※※※※※※※
異世界として、その世界特有の法や産物、鉱物、身分制度がある前提で書いています。
現実と違うな、という場面も多いと思います(すみません💦)
ファンタジーという事でゆるくとらえて頂けると助かります💦
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは、聖女。
――それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王によって侯爵領を奪われ、没落した姉妹。
誰からも愛される姉は聖女となり、私は“支援しかできない白魔導士”のまま。
王命により結成された勇者パーティ。
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い。
そして――“おまけ”の私。
前線に立つことも、敵を倒すこともできない。
けれど、戦場では支援が止まれば人が死ぬ。
魔王討伐の旅路の中で知る、
百年前の英雄譚に隠された真実。
勇者と騎士、弓使い、そして姉妹に絡みつく過去。
突きつけられる現実と、過酷な選択。
輝く姉と英雄たちのすぐ隣で、
「支えるだけ」が役割と思っていた少女は、何を選ぶのか。
これは、聖女の妹として生きてきた“おまけ”の白魔導士が、
やがて世界を支える“要”になるまでの物語。
――どうやら、私がいないと世界が詰むようです。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー編 32話
第二章:討伐軍編 32話
第三章:魔王決戦編 36話
※「カクヨム」、「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
悪役令嬢まさかの『家出』
にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。
一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。
ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。
帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
【完結】冤罪で殺された王太子の婚約者は100年後に生まれ変わりました。今世では愛し愛される相手を見つけたいと思っています。
金峯蓮華
恋愛
どうやら私は階段から突き落とされ落下する間に前世の記憶を思い出していたらしい。
前世は冤罪を着せられて殺害されたのだった。それにしても酷い。その後あの国はどうなったのだろう?
私の願い通り滅びたのだろうか?
前世で冤罪を着せられ殺害された王太子の婚約者だった令嬢が生まれ変わった今世で愛し愛される相手とめぐりあい幸せになるお話。
緩い世界観の緩いお話しです。
ご都合主義です。
*タイトル変更しました。すみません。
【完結】高嶺の花がいなくなった日。
紺
恋愛
侯爵令嬢ルノア=ダリッジは誰もが認める高嶺の花。
清く、正しく、美しくーーそんな彼女がある日忽然と姿を消した。
婚約者である王太子、友人の子爵令嬢、教師や使用人たちは彼女の失踪を機に大きく人生が変わることとなった。
※ざまぁ展開多め、後半に恋愛要素あり。
【完結】美しい人。
❄️冬は つとめて
恋愛
「あなたが、ウイリアム兄様の婚約者? 」
「わたくし、カミーユと言いますの。ねえ、あなたがウイリアム兄様の婚約者で、間違いないかしら。」
「ねえ、返事は。」
「はい。私、ウイリアム様と婚約しています ナンシー。ナンシー・ヘルシンキ伯爵令嬢です。」
彼女の前に現れたのは、とても美しい人でした。
婚約破棄は別にいいですけど、優秀な姉と無能な妹なんて噂、本気で信じてるんですか?
リオール
恋愛
侯爵家の執務を汗水流してこなしていた私──バルバラ。
だがある日突然、婚約者に婚約破棄を告げられ、父に次期当主は姉だと宣言され。出て行けと言われるのだった。
世間では姉が優秀、妹は駄目だと思われてるようですが、だから何?
せいぜい束の間の贅沢を楽しめばいいです。
貴方達が遊んでる間に、私は──侯爵家、乗っ取らせていただきます!
=====
いつもの勢いで書いた小説です。
前作とは逆に妹が主人公。優秀では無いけど努力する人。
妹、頑張ります!
※全41話完結。短編としておきながら読みの甘さが露呈…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる