麗しの王太子殿下の独占欲

束原ミヤコ

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スティア伯爵家



 焼死体に雨が降り注ぐ。雨の生臭い匂いと肉の焼ける不快な匂いの中心で、リリスは長い間動けなかった。
 雨がリリスの体温を奪い、手足の感覚を麻痺させていく。
 やがて異変に気付いた人々が集まり始める。何事だと、多くの人がリリスを取り囲んだ。
 衛兵がリリスの腕を引く。何をしたのだと詰問されても、リリスは答えることができない。
 リリス自身にも、何が起きたのかがわからないのだ。
 説明できるはずもない。ただでさえ、言葉を知らないのだから。

「その子の手を離しなさい。私がその子を連れて行きます」

 そこに現れて声をかけてくれたのは、立派な身なりをした壮年の男性だった。
 リリスの髪とよく似た銀の髪。厳しさを孕んだ鷹のような瞳。不機嫌そうに引き結ばれた薄い唇。
 銀の髑髏の持ち手がついた先の尖ったステッキを持つ彼が雨に濡れないように、従者たちが彼に傘を差している。
 貧民街では傘を持つものなどはいない。それだけでも彼がこの場所には相応しくない立場の人間だということがわかる。
 
「私はルーカス・スティア。スティア伯爵といえばわかるでしょうか。その子は私が預かります。死体の処理もこちらで行いましょう。君たちは、ここで起こったことは何も見なかった。いいですね?」

 ルーカスと名乗った男性は、衛兵たちに重そうな布袋を渡した。
 それを受け取った衛兵たちはそれぞれ顔を見合わせると頷きあって、野次馬たちを「散れ!」と言って追い出し始める。
 ルーカスは氷のように冷たくなったリリスを抱きあげ、大通りに停めてあった馬車に乗せた。

 リリスの短い人生の中で一度も見たことがないような立派な屋敷に連れて行かれて、リリスは体を清められた。ドレスを着せられ、髪を整えられる。
 がりがりにやせ細ってはいるものの、そうするとリリスは母の面影のある美しい少女になった。
 食卓には温かいスープやパンや肉が並んだ。ルーカスが食べていいというので、リリスは手づかみでそれをがつがつ食べた。
 ルーカスは何も言わずに、野生の獣のような振舞いをするリリスを見ていた。

「マナーはそのうち覚えればいい。言葉も、文字もだ。君の名前は?」
「りりす」
「では、君は今日からリリス・スティアだ。君はレアーナの娘。レアーナは……私の、一人娘だった」
「れーあ、な」
「君の母の名だ。我が家からいなくなり、方々を探していた。月館で娼婦をしていたと聞いて行ってみれば、子を孕み追い出されたという。それから足取りがずっとつかめなかった。貧民街で死んだ元貴族の娼婦……レアーナに似た孤児がいると聞いて、ようやく、君を見つけた」

 ルーカスはリリスの祖父であり、母レアーナの父だった。
 母が十八の時である。母は突如として家からいなくなった。この時、魔伯爵として名を馳せていた類まれなる魔力持ちの伯爵は、反乱の平定に向かっていた。
 ようやく帰還したときに、娘が消えていたのである。

 レアーナはどうやら道ならぬ恋をしていたらしい。その男と添い遂げるために、娼館へと身を寄せた。
 だが、その相手は──どうやっても結ばれない男だった。

 当時王国は、国を二分する戦争の最中だった。国王派と、彼の弟である教皇派に分かれていた。
 国王はともに国を支えて欲しいという思いで弟を教皇の地位につけたが、弟は信徒たちを引き連れて反乱を起こしたのである。
 レアーナの情人は、教皇派の貴族の息子だった。彼はレアーナと幾度か逢瀬を重ねた後に、レアーナを月館から連れて逃げようとしたその日の昼間、王都にいることが国王の兵にみつかり殺された。

 レアーナは腹の子が誰なのかも、自分の身分も本当の名前も誰にも伝えずに、一人でリリスを生んで死んだ。
 それはきっと、国王派であるスティア家に迷惑をかけたくないという一心だったのだろう。
 
 そんなことをリリスはルーカスに聞かされた。
 そしてルーカスは、リリスを己の養女にすると言った。リリスがレアーナと敵軍の貴族の子だと知られれば、リリスの立場は難しいものになる。
 そのため、リリスは『貧民街で拾ってきた強い魔力を持つ孤児』を、子を失った伯爵が拾ってきたということに、表向きはされたのだ。

 リリスはルーカスのもとであらゆることを教わった。食事のマナー、言葉遣い、文字の書き方、一般教養から数学や言語学などの難しい勉強に至るまで。
 十五歳になるとリリスはすっかり、路地裏で残飯をあさっていたとは思えないほどの立派な淑女になっていた。
 デビュタントを迎えると、誰もがリリスの美しさに目を奪われた。
 そしてその出自の卑しさに顔をしかめた。
 ただ一人を、覗いては。
 そのただ一人は、王太子アストリウス。
 リリスよりも一つ年上で、少女のような見た目の美しい少年はリリスに手を差し伸べてダンスを踊った。リリスにとってそれは、まるで夢のような時間だった。

 アストリウスとのダンスの後、とある令嬢がリリスのドレスに葡萄酒をかけた。とある令嬢が、リリスのドレスの裾を踏み、わざと破いた。とある令嬢が──リリスの背に熱いスープをかけた。
 それは、伯爵が見ていないところで行われた。ルーカスが傍にいればそんなことは起こらなかっただろう。
 リリスは戸惑い、絶望し悲しみ、そして思い出してしまった。路地裏で男たちに襲われた時の恐怖を。
 暴走する魔力がシャンデリアを割り、テーブルを吹き飛ばし、窓ガラスを粉々に砕いた。
 ルーカスが駆け寄って、リリスを抱きしめ暴走を止めた。
 ルーカスの腕の中でリリスは、恐慌状態になり震えていた。赤く染まった頬や喘ぐ呼吸は、男を誘うような艶を帯びていた。

「リリス、君には才能がある。自分では気づいていないだろうが、君の魔力は私よりも強い。君には天賦の才がある。だが……」

 屋敷に戻るとルーカスはリリスの体をくまなく調べた。火傷の傷を魔法で癒したが、その背には桜の花弁のような跡が浮き出ていた。
 それを見てルーカスは、書庫に籠り一晩中何かを調べていた。
 そうしてベッドの中で膝を抱えて小さくなっていたリリスに諭すように言った。

「君の背にある紋様は、火傷の跡ではない。被虐の紋という。魔力量が常人よりも飛びぬけて多い変わりに……他者の魔力を求めるものだ。レアーナが娼婦をしていたからなのか……どうして、こんなことに」
「何か問題があるのですか、お父様」
「他者の魔力でその身を満たすためには、まぐわいが必要になる。リリス、理解できるか?」
「……はい」
「君はもう少しで、淫らなことがしたくてたまらない衝動をおさえられなくなる。……私が祖父でなければ、どうにかできるのだが。リリス、心配をしなくていい。君の衝動を満たすための相手を探そう」

 まだ若いリリスには、それは衝撃的で信じられない事柄だった。
 ただ、すぐにその事実を受け入れることができた。それは自覚があったからだ。
 夜、ベッドに一人になると、妙な疼きを感じることが多くあった。
 己の体をまさぐりたくなるような衝動を、リリスはずっと押さえつけていたのだ。

 リリスの相手は、ルーカスが探すまでもなくみつかった。
 デビュタントで騒動を起こしたことについて、ルーカスは謝罪の手紙と慰謝料と共に王家に送っていたのである。
 その返事は『強い魔力を持つ魔伯爵の娘をアストリウスの婚約者として迎えたい』というものだった。

 
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