6 / 17
イーゼルの絵
しおりを挟む部活見学の翌日に、希望部活に、美術部と書いたプリントを先生に提出して、私は正式に美術部になった。
これでいつもよりもあと少しだけ多く、凪先輩と一緒にいることができる。
八音部長や、水無月先輩や凪先輩も、絵を描くことが好きなのだろう。
そんな中私だけ不純な動機で入部してしまうのは、申し訳ない気がした。
胸に差し込む罪悪感を多少なりとも感じていたけれど、それ以上に浮き足立った気持ちで、私は部活に向かった。
水曜日以外も絵を描きに来ても良いと言っていたし、もしかしたら凪先輩が部室にいるかもしれないと思っていた。
けれど、私の予想はむなしく空振りに終わった。
ひっそりと静まりかえった美術部には誰も居なくて、イーゼルには布が被さっていた。
あまりにも音が無いせいで、自分の足音がやけに大きい。
とくにこそこそする理由はないのだけれど、私はなるだけ足音を立てないように部室に入り、ぐるりと中を見渡した。
それから、ふと思った。
――凪先輩は、どんな絵を描いているのだろう。
覗き見をするのは良くない。
見たいのなら、凪先輩がいるときに、見せて貰えば良いのだから。
凪先輩が書いている絵がかけてあるイーゼルの前で立ち止まって、私は小さく溜息をつく。
凪先輩の絵を勝手に見ることは、凪先輩の体の中にある隠された柔らかい部分に、無遠慮に自分勝手に触れるような行為だ。
私はあまり頭が良くないけれど、良いか悪いかの判断ぐらいはできる。
同じ高校に入って美術部まで追いかけてきた私のこと、もしかしたら面倒くさいと思っているかもしれないし。
それでも凪先輩は優しいから、私の面倒を見てくれているのかもしれないし。
だとしたら、嫌われるような行動はしてはいけない。
私は美術部の部室から出ようと、白い布のかかった円形に三つ並んだイーゼルの絵から視線を外した。
風もないのに布が揺れたのは、そのときだった。
窓は閉め切ってある筈なのに、突然部室にふいた風でカタカタと石膏像が揺れる。
イーゼルの布がふわりとめくれ上がって、ずるりと床に落ちた。
「あ……」
そこに描かれていたのは、窓際に佇む女性の姿だった。
長い黒髪、蠱惑的な微笑み、赤い唇。
私と同じ制服を着ているのだから、この学校の生徒なのだろう。
「この人……」
熱心に描かれているその女生徒には、幾重にも絵の具が重ねて塗られている。
私にはもう完成しているように見えるのに、丁寧に塗られた絵の具が『まだ足りない』と言っているように見えた。
「戻さなきゃ……」
ぞわりとしたものが背筋を這い上がる。
私は震える手で白い布を拾い上げて、もう一度絵にかぶせた。
昨日の白い嫋やかな手を思い出す。
描かれている女性を、私は知っている。
――昨日会った、廊下に消えてしまったひとだ。
幽霊なんかじゃなかった。
あの人は実際に存在していて、そして、凪先輩の特別な人なんだ。
確信が、胸にすとんと落ちる。
浮ついていた気持ちが、部屋の明かりを消したように一気に消え失せて、後には間違えてブラックコーヒーを飲んでしまったときのような苦さだけが残った。
私の恋は、はじまるまえから終わっていたのだ。
去年の六月から疎遠になってしまった凪先輩と私の距離は、あまりにも遠い。
瓶の中の帆船は、嵐に揉まれて海に沈もうとしている。
パステルカラーだった世界は灰色に染まり、空からは黒い粒子のような雨が降り積もって、部室の床を黒く汚した。
「……帰ろ」
ここに来るときとは真逆の足取りで、私は帰路についた。
絵の女生徒が誰なのか、凪先輩とどういう関係なのか――
今はまだ何も考えたくなかった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結・BL】春樹の隣は、この先もずっと俺が良い【幼馴染】
彩華
BL
俺の名前は綾瀬葵。
高校デビューをすることもなく入学したと思えば、あっという間に高校最後の年になった。周囲にはカップル成立していく中、俺は変わらず彼女はいない。いわく、DTのまま。それにも理由がある。俺は、幼馴染の春樹が好きだから。だが同性相手に「好きだ」なんて言えるはずもなく、かといって気持ちを諦めることも出来ずにダラダラと片思いを続けること早数年なわけで……。
(これが最後のチャンスかもしれない)
流石に高校最後の年。進路によっては、もう春樹と一緒にいられる時間が少ないと思うと焦りが出る。だが、かといって長年幼馴染という一番近い距離でいた関係を壊したいかと問われれば、それは……と踏み込めない俺もいるわけで。
(できれば、春樹に彼女が出来ませんように)
そんなことを、ずっと思ってしまう俺だが……────。
*********
久しぶりに始めてみました
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
学校一のイケメンとひとつ屋根の下
おもちDX
BL
高校二年生の瑞は、母親の再婚で連れ子の同級生と家族になるらしい。顔合わせの時、そこにいたのはボソボソと喋る陰気な男の子。しかしよくよく名前を聞いてみれば、学校一のイケメンと名高い逢坂だった!
学校との激しいギャップに驚きつつも距離を縮めようとする瑞だが、逢坂からの印象は最悪なようで……?
キラキライケメンなのに家ではジメジメ!?なギャップ男子 × 地味グループ所属の能天気な男の子
立場の全く違う二人が家族となり、やがて特別な感情が芽生えるラブストーリー。
全年齢
10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました
専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
猫と王子と恋ちぐら
真霜ナオ
BL
高校一年生の橙(かぶち)は、とある理由から過呼吸になることを防ぐために、無音のヘッドホンを装着して過ごしていた。
ある時、電車内で音漏れ警察と呼ばれる中年男性に絡まれた橙は、過呼吸を起こしてしまう。
パニック状態の橙を助けてくれたのは、クラスで王子と呼ばれている千蔵(ちくら)だった。
『そうやっておまえが俺を甘やかしたりするから』
小さな秘密を持つ黒髪王子×過呼吸持ち金髪の高校生BLです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる