冬の水葬

束原ミヤコ

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幻の女生徒

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 さっきまで綺麗な女の人が居たはずの廊下を、私は訝しげに眉をひそめながらじっと見つめた。
 確かに、いたと思う。
 はっきり声を聞いたし、扉だって、開けてくれたし。

 ――幽霊?

 そんな、まさかね。

「どうした、七瀬。入らないのか?」

「あ、ええと、うん……」

 美術部の部室の中、イーゼルの前に座っている凪先輩が、私に声をかけた。
 心ここにあらずだった私は我に返って、美術部の中に入る。
 デッサン用の石像がいくつか並んでいて、油絵の具の香りがする。
 他の教室と同じように窓が並んでいて、日差しが入り込んでいるのに、何故だかやっぱり薄暗い。

 イーゼルには書き途中の絵がかけられている。
 見渡した限り、部員は、凪先輩と、もう一人の男の人と、女の人の三人。
 美術部って、あんまり人気ないのかしら。
 中学時代は、凪先輩が所属しているからという理由で、弓道部が結構人気だったりしていたのだけれど。

「こんにちは、入部希望の子?」

 私が部室の中に足を進めると、首元までのショートボブの黒髪の女の人が、軽く会釈をしてくれた。
 声をかけてくれたのは凪先輩ではなくて、もう一人の男の人だ。
 茶色い癖のある髪に、僅かばかり垂れ目で優しい顔立ちをしたその先輩は、凪先輩よりも小柄だけれど、私よりはかなり大きい。

「はい、入部希望の夕霧七瀬、一年生です!」

「元気な子だね。凪の知り合い?」

「はい、幼馴染みです」
 
 凪先輩はイーゼルの前から一歩も動かずに、返事をした。
 会話をしながらも、絵を描き続けているようだ。
 もう一人の女性も、黙々と手を動かしている。
 なるほど、凪先輩の言ったとおり、美術部は絵を描くところらしい。私語厳禁というやつ。

「幼馴染みなら、もっときちんと対応してあげたら? 凪を頼ってここに来たんだろうに」

「だ、大丈夫です! 迷惑をかける気はなくて、私も一生懸命絵を書くためにここにきたので!」

「絵を描くのにそんなに気合いを入れなくて良いよ。凪は無愛想で怖いのに、七瀬さんは元気だね」

 茶髪の先輩は、顔立ちと同じような優しい微笑みを浮かべて言った。

「僕は八音煉華やおとれんが。美術部の部長で、三年生。凪のことは、知っているね。そこにいるのは、水無月帆影みなづきほかげ。凪と同じ二年生」

「よろしくお願いします!」

 何事も最初が肝心なので、私は大きな声で挨拶をした。
 水無月先輩は軽く顔をあげると、うん、と頷いてくれた。
 凪先輩も私に視線を送って、「よろしく」と言った。

「良かった、美術部は今、三人しかいなくて。新入部員も入らないかなって思っていたんだよ」

「やっぱり運動部の方が人気なんですか?」

「そういうわけでもないけれどね。何せこの学校は勉強熱心な子が多いから、塾とか、放課後の自習とかで、部活自体入らない子も結構いるんだよ。そんな中活動している僕たちの方が奇特なわけ。部活は強制じゃないし、ほぼ八割の子たちが、帰宅部になるんじゃないかな」

「そうなんですね、知りませんでした」

「それでも美術部に入ってくれるの、七瀬さん」

「勿論です、なんせ絵が描きたいので!」

 私が気合いを入れると、八音先輩はお散歩中のお馬鹿さんな犬を見るような視線を私に向けた。

「よし、じゃあよろしくね、七瀬さん。部活があるのは水曜日。だけど、他の日も自由にここに来て絵を描いて良いよ。今は皆油絵を描いているけれど、七瀬さんはどうする?」

「私も油絵が良いです。でも、描いたことないです」

「正直で偉いね。それじゃあ僕が教えてあげるよ。それとも凪に教わりたい?」

「い、いえ、よろしくお願いします、部長!」

 私はそれから、八音部長に簡単な油絵についての説明を教わった。
 話しているのが私たちだけなので、私たちの声は折角の静寂を邪魔するみたいに場違いに部室に響いていた。
 本当はもっと、ずっと静かな場所なのだろう。

 私は説明を聞きながら、廊下で見た女の人について考えていた。
 尋ねたかったけれど、初対面でいきなり幽霊の話をするのは迷惑だろうと考えて、聞かなかった。
 凪先輩にも、聞けないわよね。
 幽霊を見たって騒ぐとか、子供っぽいって思われてしまいそうだし。


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