冬の水葬

束原ミヤコ

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真冬の海と防波堤

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 呼吸が促迫して、胸が苦しい。
 体の芯は熱いのに、手足は冷たく凍えるようだった。

 どこからともなく風が部室に吹き込む。
 ガタガタとイーゼルが揺れて、次々と倒れていく。

 凪先輩が描いていたはずのキャンパスには皐先輩の姿はなく、ただ、赤く塗り潰されていた。

「……いかなきゃ」

 震える声で、呟く。
 自分を叱咤する。
 何がどうなっているのかわからないけれど、凪先輩を救えるのは、私しかいない。

 今日の夜、海に落ちると皐先輩は言った。
 今年の夏、凪先輩と一緒に行った海の防波堤なのだろうか。
 きっと、そうなのだろうと思う。
 けれどもし違っていたら、凪先輩はこの世界から消えてしまって、二度と会えなくなってしまう気がした。

 よたよたと起き上がって、廊下を走る。
 校舎には人の気配がない。
 まだ昼間だったはずなのに、校舎を出る頃には何故か、燃えるような夕焼けがすぐそこまで迫ってきていた。

「凪先輩……」

 凪先輩は、皐先輩が好きだったのかもしれない。
 だから、一緒に死ぬことを選んだのかもしれない。

 全部、憶測でしかないけれど、ともかく私にできることをしなければと思う。
 駅までの道を時々道ゆく人たちにぶつかりながら走り、電車に飛び乗った。
 あの時、夏の日。
 向かった駅まで、電車に揺られる。

 どんどん、空が暗くなってくる。
 この電車は一体どこに向かっているのだろうと不安になるぐらいに、数駅を過ぎた頃には誰一人車内にはいなくなってしまい、外の景色もひたすら暗いだけだった。

 今日は朝から曇り空だった。
 星も、月明かりもない。真っ暗な闇の中を、ひたすら電車は進んでいく。
 つり革が揺れ、向かいの窓に私の姿が映っている。
 首にマフラーを巻いて、カバンを肩から下げた私は痩せていて小さくて、酷く無力に見えた。

 プシュ、と音を立てながら、電車の扉が開く。
 外に出ると、吐く息が白く靡いて消えていった。
 本当に雪が降るのではないかというぐらいに、寒い。
 該当の頼りない灯が、時々暗くなっては明るくなることを繰り返している。
 駅には誰もいない。無人の駅の改札を抜けて、一度だけしかきたことのない道を、記憶を辿りながら足早に進んだ。

 はあはあと、自分の呼吸がうるさい。
 ざ、ざ、と、波音が聞こえる。潮の香りが、鼻についた。

 該当の明かりがぽつぽつと点っているきりだけれど、徐々に暗闇に目が慣れ始めて、少し遠くまで見ることができるようになってくる。

 一緒に並んで座った、防波堤が見える。
 そこには、二人の人影が見えた。

「凪先輩! 凪先輩!」

 大声で、凪先輩の名前を呼ぶ。
 防波堤の先端までが、遠い。
 心臓が、もっと酸素と血液が欲しいと悲鳴をあげている。
 足がもつれそうになるのを叱咤して、真っ黒な波が押し寄せては飛沫をあげている防波堤を一直線に駆ける。

「駄目、先輩、駄目、まって、蓮水ちゃん……!」

 皐先輩が、凪先輩の腕を掴んでいる。
 私の声が聞こえているはずなのに、二人とも私の方を見ることはない。
 誘うように、どこまでも暗い海へと、皐先輩は一歩踏み出した。
 どうか、間に合ってと祈りながら、私は必死に手を伸ばす。

「蓮水ちゃん!」

 私は、ぎゅっと凪先輩の腕を掴んだ。
 皐先輩の姿が、暗い海の中に消える。
 凪先輩は私のことなど気づいていないかのように、暗く揺れる海面を見つめている。

「行かなきゃ、俺も」

 いつの間にか、凪先輩の手を掴んでいた私の手は、空を掴んでいたかのように離れていた。
 ふらふらと、防波堤の向こう側に向かっていく凪先輩の腰に、私は抱きついた。
 足が、空を踏み抜く。
 違和感を覚えたのは一瞬だった。
 私の体は、凪先輩に引きずられるようにして、冬の海の底へと、どぼんと落ちた。

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