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お母様の懊悩
しおりを挟む食欲と、理性の合間で、私は戦っている。
生まれてはじめてのなんとも言い難い欲求である。
揚げ物が、美味しそう。そして油たっぷりのお肉が美味しそう。よく味の染み込んでいるように見える馬鈴薯が、つやつや輝いて見える。
(鎮まりなさい、私の食欲……!)
ほかほかのご飯が、どんぶりに山盛りになっている。
ご飯の上に豚の角煮なるものを乗せて食べたら、至福の楽園がそこに待っていることを、この体は知っている。
(お母様のご飯は美味しいのね、果林。良いことだわ。でも量が多いわ。あなたのお母様は、あなたを愚弄するのに、ご飯の量が多い。わからないわ!)
如何ともし難い食欲に支配されながら、私は珍しく混乱していた。
お母様は、私の目の前の椅子に座って、にこにこしている。
餌付けされている珍獣の気分だわ。
「果林ちゃん、食後にケーキもあるわよ。仕事の帰りに買ってきたの。明日は学校でしょう、果林ちゃんの元気が出るように」
そうね、明日は学校だわ。
今日は日曜日。日曜日という単語に、どんよりと心が沈む。それと同時に食欲が湧き上がってくる。
日曜日は、嫌。学校には行きたくない。
食べると楽になる。それから、お母さんが喜んでくれる。
食べないと、お母さんが悲しむ。
身に覚えのない記憶が、頭をよぎる。
(善意だとしたら、断れないものなのかしらね。確かに明らかに悪意を向けられた方が、わかりやすいのだけれど)
でも、ともかく、食べるわけにはいかない。
だって私は、現在絶賛ダイエット中なのだから。
ものすごく、ものすごく美味しそうだけれど、口にしたら一瞬で私は堕落してしまう予感がする。
私はシャーロット・ロストワン。
夕食は、小鳥の餌ぐらいの量しか食べないのだ。だって、夜はもう寝るだけなのだから。
「お母様、たくさんのお料理をありがとうございます」
「料理、好きだから良いのよ。私は果林ちゃんがご飯を食べるのを見るのが、好きなの。だっていつも美味しいって、たくさん食べてくれるから」
善意なのだろうけれど、どうにも、ぬめっとするわね。
体に何か、粘着質なものがまとわりついている感じがする。
たくさん食べる私を見るのが好き。それは褒め言葉なのかもしれないけれどーーでも、食べなかったら?
食事を拒否する果林のことは嫌い。
お母様は暗にそう言っているように感じられた。
(私は、期待されていない。お兄ちゃんと違って頭が悪くて、不細工だから。ご飯を食べることぐらいしか、お母さんを喜ばせる方法がない)
一瞬、果林の記憶に心がのみ込まれた。
不安で、苦しくて、いつも何かに怯えている。
自分に自信なんてまるでない。夢も希望もない。
まるで、真っ暗い夜の海の底へと、落ちていっているような、息苦しさだけがそこにある。
「……お母様、私、ダイエットをしようと思っているの」
「ダイエット?」
「そう。この体型は不自由なことが多いから、痩せたいの」
「そんなことしなくて良いのよ。女の子は年頃になったら痩せるのだから」
「もう年頃なのよ! それは幻想よ、年頃になって痩せるのなら、この世界にふくよかという言葉は存在しないわ!」
思わず大きな声を出してしまった。
お母様は一瞬言葉に詰まった。それから、両手に顔を埋めて、ぐすぐすと泣き出した。
良い大人なのに泣いているわよ。
どうなっているの、これ。
「果林ちゃんまで、お母さんに反抗するの? お母さんが産んで、育ててあげているのに……! ご飯も、せっかく作ったのに、果林ちゃんのために、仕事から帰ってきて疲れているのに、頑張ったのに……!」
さめざめと泣きながら、お母様が金切声をあげた。
なんなの、これ。
この国の大人というのは、こうも簡単に泣くのかしら。
「お父さんは、帰ってこないし、お兄ちゃんはお母さんのことを馬鹿にしているもの。果林ちゃんだけは、味方だと思っていたのに」
「ちょっと待ちなさい。お母様、お父様が帰ってこないとは?」
「果林ちゃんも知っているでしょう。お父さん、私の友達と不倫しているのよ。出張なんて、嘘。もう帰ってこないのよ」
「お母様、あなた、そのようなゴミクズと結婚しているの?」
兄の眼鏡もゴミだと思ったけれど、父親もゴミ屑なのね。
私は両手をあげて、肩をすくめた。とんだ家庭環境だわ。
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